2017年12月31日

揺れる法科大学院〜来年はどうなるものやら・・・

 年の終わりに,ブログ編者の「法科大学院」観を少し・・・。
 いくらか自由な感想である。
 甲南大学法科大学院に責任を持つ立場には全く関係がない。
 「ブログ」という世界の気楽なひとり言である。
 ・・・
 法科大学院を通じて一定の質の実務教育を受けた者が,さらに司法試験,司法修習を経て,実務家になるシステムは今後も維持されるべきだと思う。
 だが,受験勉強の積み重ねのみでも実務家になる予備試験ルートを国家の法曹養成のありようとして併存させることの当否については,政治家も真剣に深刻に検討するべきであろう。
 法曹となるまったく異質のルートが併存するが,実のところ,日本のトップ大学・大学院出身者が法曹になる状態をますます固定化してしまっている。トップ大学の法科大学院出身者で予備試験合格ー司法試験合格者も相当数になるから,トップ大学群による司法試験合格者の寡占化は著しい。各地にある大学医学部がそれぞれ優秀な医師を育てていることと比べると,異様に思える。10数年前には74あった法科大学院が自由に競い,自由にそれぞれの地でいろいろな型の弁護士が育っていく・・・はずであったのだが,その夢は潰えた。惜しいことだ。
 法科大学院は3年の標準修了期間で,実務に使えるような法律の体系的学習をじっくりと行うための制度であった。法学部が4年で学ぶ場であるが,早期卒業も可能であることと比較すると,法科大学院で3年じっくり学び,厳しく指導すれば,7割が司法試験に合格できる状態もないではあるまい(むろん,一定数が留年・退学することとなるのは,プロ養成課程である以上,やむをえない)。
 ところが,既修者コースが認められた。
 しかし,そもそも2004年頃,「実務の現場で使える法律理論」を正式に学ぶ場はなかった・・・なのに,旧司法試験受験者層が平成15年頃には5万人程度いたことへのいろいろな意味での政治的な配慮からか,「既修者」コースという早期卒業コースを認めた。かれらは体系的な理論を学ぶ講義は修了済みと扱うという建前である。既修者コースは,旧司法試験終了時までの時限的なものではなく,当初から固定的な制度にした・・・ 
 では,「どこで,実務家になるのにふさわしい法律体系の基礎を学ぶのか?」
 この,当然の疑問には,誰も答えなかった・・・・。予備校・・・しかない。
 こうして,「既修対未修」。これを持ち込んだことが法科大学院の運用を煩雑なものとした。
 むしろ,入試形態がなんであれ,全員3年コースで始めるのがよかった。これに「法科大学院早期修了制度」を導入しておけばよかったはずだ。法科大学院2年以上在籍後,各法科大学院で修了認定試験をしたり,予備試験に合格した場合に大学改革支援・学位授与機構が法務博士号を認定・授与する方法もあった。
 いまから思えば,法科大学院教員の色分けも不可解だ。
  「理論は研究者,実務は実務家」。
 この厳しいルールが働く。理論的なことを実務家が教えようものなら,「不届き者!」とお叱りを受ける。
 日常,準備書面,弁論などなど数々の「理論に裏付けられた意見書」を実務の現場で書いている弁護士には,実務を支える理論を,実務家を目指す者に教える資質・資格などない・・・のだそうだ。その通りなのかもしれない。
 それに代わり,これまでの大学院または助手としてキャンパスでの文献学習,外国の法制度学習を基本とする養成課程を経て,実務に関する素養の有無はまったく問われない,特殊日本的な学者が,法科大学院教員の中核を担う・・・

 ブログ編者は,法科大学院開学にあわせて,所属先の許可の上,弁護士登録もして,すこしだけであるが,コンスタントに刑事弁護を担当している。捜査から再審までひとわたり現場を扱っている。
 さもなくて,実務家を育てる法科大学院の現場で,刑訴法の理論を教えることなどできないと主観的に思っている。その代わり,実務家と一緒であれば,実務科目も担当可能であると自負してもいる。

 年始を迎えるのにあたり,愚痴ってもはじまらない。
 といのも,文部科学省のおもしろいメッセージがある。
  「法科大学院に課されている役割,弁護士の業務拡大・職域拡大へ努力してみること」。
 これである。
 社会とつながる法曹養成を,法科大学院単位でも,頑張ってみろ!というものだ。
 このメッセージは大変正しいと思っている。
 それだけに,紆余曲折がある中,右往左往することとなろうが,来年も,法科大学院での法曹養成を頑張ってみよう。

posted by justice_justice at 14:02| ■法曹養成〜法科大学院 | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

阪神間モダニズムが生む『スーパーストリングコーベ』のコンサート〜指揮者のいないコンサート

 記録をみると2年振りのブログ更新となる。
 昨日2017年12月27日,夕方。『スーパーストリングスコーベ』,第1回定期公演が行われた。
 神戸ハーバーランド,松方ホール。
 佐渡裕指揮者が指導する『スーパーキッズオーケストラ』の卒業生が組織した『スーパーストリングス・コーベ』。神戸港150年記念行事の一環もかねて,定期演奏会を立ち上げた。管弦楽の奏者で構成。スーパーキッズを卒業して,大学でさらに勉強中のメンバーも多い。
 さて。このコンサート,ステージにバンドが入場して演奏直前になったが,指揮者が登壇しない。驚いた。指揮者がいない。
 案内ビラをあらためてみると,そういえば・・・と気づく。指揮者の紹介がない。
 グループ結成の由来から考えて,勝手に佐渡裕指揮者が登場すると思っていたが,違う・・・。
 ブログ編者も,コンサートには月に1度ほどでもないが,クラシックを聴きに行く。ジャズも好きだ。ジャズのバンドには指揮者はいなくとも,20名近くの奏者でのコンサートなのに,指揮者無し・・・どうするのだろう?
 「コンサートミストレス」が居る。「マスター」に対して女性の場合にこう呼ぶこともこの日に知った。彼女が巧みにリードしている。演奏が始まる。ヴィナーレ,ピアソラ・・・と曲目は続く。最初はどこかぎこちないし,終わり方にも緊張感があると思っていた。
 が,後半に入り,プラトーンで有名になったバーバー『弦楽のためのアダージョ』,そして「みあげてごらん夜の星を」,「海の見える街」をへてグルーグの曲を演ずる頃には,舞台中央にいないはずの指揮者が指揮する演奏へとまとまってきている。迫力もあった。まとまりもよかった。これはすごい!と大いに拍手したものだ。
 本当にすごいと思ったのは,予定の曲も,アンコールも終えてからだ。
 最後に,客席で見守っていた佐渡裕指揮者を壇上に招いた。同氏は,ひとことあいさつの後,「では私も一曲振らせてもらいます」と言って,教え子達に向かった。
 壇上の引き締まり方が違う。でてくるメロディーの弾み方も違う,しかも・・・それまでも各演者はにこやかに表情豊かにそれぞれの楽器を演じていたのだが,佐渡氏の指揮の下に入ると,その豊かな表情がさらに柔らかくやさしく楽しげなものへと一変した。コンサートミストレスを観る目線と,指揮者を観る目線の違いにも気づいた。そうした変化が,曲にも反映している。リズムも力強さも,終わり方の締め具合も,見事であった・・・・
 「指揮者がいなくても演奏できるのでは?」と長年思っていた小さな疑問が解けた。確かに,すぐれたマスター・ミストレスが曲を引っ張る。しかし,指揮者が入ると,曲はもっと深みがでてくる。すごい・・・

 演奏会の主催は,HKMエンタープライズなどなど。
 同社は,神戸港の港湾関連の業務を担う早駒運輸株式会社の関連会社と知っている。早駒運輸といえば,神戸港のクルージングを楽しめるシーバスを運行していることでも知られる。
 今回の演奏会は,甲南学園も後援?になるのか,応援している。勤務先大学だけに,すこし誇らしい。

 演奏会の終わりには,メンバーが出口付近にならんで見送ってくれたが,こちらこそ思わず拍手を返しながら,会場を出た。
 松方ホールには初めての訪問。音響効果,よし。西宮の兵庫県芸術文化センターの神戸女学院小ホール並み,とはさすがに行かないが,2階席であってもきれいな音の響きであった。

 コンサートは定期化したいとの主催者のあいさつ。
 であれば,趣味の拡大としても,また,甲南学園関係者としても,参加することとしたい。

posted by justice_justice at 10:16| ●教養ー美術・音楽・博物 | 更新情報をチェックする

2015年09月03日

被疑者取調べ「可視化」と黙秘権

 高槻中1死体遺棄事件の後追い記事が止まっている。捜査の進展が水面下に潜った。逮捕直後には,平田さんの死体遺棄は同乗していた男がやったものと説明したが,その後から黙秘が続く。「捜査関係者によると,警察と検察の取り調べは当初から録音・録画され,容疑の否認後,黙秘が続く」という。
 8月29日朝日新聞(朝刊)は「弁護人には,大阪弁護士会の刑事弁護のベテランが選任され,山田容疑者と府警本部(大阪市中央区)で接見を続けている。朝日新聞の取材に『接見内容は一切コメント』と話す」と出ている。
 この事件については,死体遺棄への関与の疑いで被疑者が逮捕されたときに,毎日新聞(朝刊)8月22日に次のコメントを載せている。

■「背景の解明必要」
 大阪府警が迅速な捜査で容疑者の検挙につなげたことは評価できる。近年は殺人事件の発生件数が減少する一方,加害者側の異様な動機から生まれる事件が起きている。今回の事件は,被害者となった中学生の男女が夏休みの外出中に巻き込まれてしまった側面もある。家族や地域,学校など従来からあるつながりが外れたところで生じた犯罪の背景を解明する必要がある。

 容疑者について,逮捕・勾留容疑は平田さんの死体遺棄のみ。平田さん殺害,さらに星野君の死体遺棄,その死亡への関与などについては,「あやしい」といえる根拠は新聞でも報道されているが,逮捕し勾留できる捜査段階での「罪を犯したと疑う相当の理由」を証拠で固められるかは報道では分からない。
 水面下での捜査が続いているのであろう。
 捜査,公訴,裁判・・・犯人を処罰するプロセスは社会の正義を守る不可欠の手続で,手続の適正・公正と処罰の厳正さが求められている。したがって,真相解明のためにも,また密室取調べでの自白強要→えん罪というわが国刑事司法に蔓延するウイルスに今回の事件も感染しないよう,被疑者から事情を聞くプロセスを可視化=録音録画することは適切なことだ。初期供述が合理的か不合理か,他の状況証拠によりやがて解明される。それが真相解明,将来は,裁判員裁判で市民が被告人を有罪とする有力な手がかりになることも考えられる。その意味で,被疑者取り調べの全過程録音録画は,むしろ真相解明の重要な武器でもある。
 他方,弁護人がついたようだ。被疑者が「黙秘」するのであれば,これをいわば守るのが弁護人の責務だ。犯罪を認定し刑罰を科すのは,国家の責務。市民は,自ら無罪であることを説明する責任を負わせられない。嫌疑を晴らせないから処罰する,という最大の不正義を防ぐには,「合理的疑いを超える証明」は国家が行うこと。この原則を守ることだ。被疑者・被告人として冷たい目線で社会から見られている山田容疑者。この原則を自ら貫く方法が「黙秘権」である。我々は,黙秘権を行使する被疑者・被告人を冷静に受け入れる態度が求められている。