2018年01月18日

『定年後7年目のリアル』勢古浩爾著を読んで・・・

180118.jpg

 この頃こんなタイトルの本が気になるようになった。いわく,『孤舟』,いわく『定年ゴジラ』,いわく『終わった人』などなど・・・。『定年後 - 50歳からの生き方、終わり方 (中公新書)』も読んだ。    
 今年で「前期高齢者」になる,と思い,帰属職場の定年が68歳としてやがてもう・・・と思うと,「定年後・・・」をどうしても意識する。
 土日もなく,「行く場所」のある場所に通う生活が半世紀以上も染みついていると,D−Day翌日も,なんとなく,いつもの格好で,早朝の電車に乗って,職場近くまで来て,はっと気がついて,恥ずかしい思いをしながら,またすごすごと電車に乗って,家に引き返すのであろうか?????
 それはまずいので,定年後に,「適切に所在できる,納得のできる場」を持たねばなるまい・・・それをどうするか?
 最後には,ゆかりのある駅近で,小さな部屋を借りて,「オフィス●●」と看板を挙げることを考えている。
 なにをする,ということでもなく,自らの居場所造りという投資である。
 そんなことを考えさせられる本を,通勤電車の行き帰りの中で読み終えた。
 話変わって・・・
 この本は,明石駅前にある明石市立図書館で借りている。駅前にある,民間に委託して心地よい空間を提供し,夜まで開いている図書館。なお,夕方6時までは,コーヒーを飲みながら,雑誌コーナーで過ごしていい。
 なるほど,兵庫県が人口流失で苦しんでいるのに,明石市には人口が集まるはずだ,、、と泉房穂市長の手腕に感心している。
 なによりも,年寄りの「居場所」ひとつ,提供してもらっている
 これはなによりも感謝だ。
 中核都市への格上げも市長の力量だろう。  
 子育てしやすく,としよりに居心地がいい町。
                
 定年後も,住まいは明石かな。
続きを読む
posted by justice_justice at 11:33| ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

■「『永遠の〇』と日本人」を読む〜2018年元旦

 「日本の外で起きている現実を一切見ず,一切ないことにして『平和国家』という閉鎖された時空に閉じ籠もり続けた時代」。
  だから,相変わらず「戦後」という時代のくくり方を逃れられないでいる,という指摘には,考えさせられるものがある。
  中国,韓国の姿勢に振り回されて,戦後を脱却しきれず,次の友好関係を築けないままに今に至っている貧弱な外交の背景にあるのも,「戦後」を引き摺った歴史観の産物だろうか。
  「戦後日本」を脱却し,「近未来日本」のありかたを問うのには,もう一回元号が変わる必要があるのかもしれない。
posted by justice_justice at 08:01| ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする

2017年12月31日

揺れる法科大学院〜来年はどうなるものやら・・・

 年の終わりに,ブログ編者の「法科大学院」観を少し・・・。
 いくらか自由な感想である。
 甲南大学法科大学院に責任を持つ立場には全く関係がない。
 「ブログ」という世界の気楽なひとり言である。
 ・・・
 法科大学院を通じて一定の質の実務教育を受けた者が,さらに司法試験,司法修習を経て,実務家になるシステムは今後も維持されるべきだと思う。
 だが,受験勉強の積み重ねのみでも実務家になる予備試験ルートを国家の法曹養成のありようとして併存させることの当否については,政治家も真剣に深刻に検討するべきであろう。
 法曹となるまったく異質のルートが併存するが,実のところ,日本のトップ大学・大学院出身者が法曹になる状態をますます固定化してしまっている。トップ大学の法科大学院出身者で予備試験合格ー司法試験合格者も相当数になるから,トップ大学群による司法試験合格者の寡占化は著しい。各地にある大学医学部がそれぞれ優秀な医師を育てていることと比べると,異様に思える。10数年前には74あった法科大学院が自由に競い,自由にそれぞれの地でいろいろな型の弁護士が育っていく・・・はずであったのだが,その夢は潰えた。惜しいことだ。
 法科大学院は3年の標準修了期間で,実務に使えるような法律の体系的学習をじっくりと行うための制度であった。法学部が4年で学ぶ場であるが,早期卒業も可能であることと比較すると,法科大学院で3年じっくり学び,厳しく指導すれば,7割が司法試験に合格できる状態もないではあるまい(むろん,一定数が留年・退学することとなるのは,プロ養成課程である以上,やむをえない)。
 ところが,既修者コースが認められた。
 しかし,そもそも2004年頃,「実務の現場で使える法律理論」を正式に学ぶ場はなかった・・・なのに,旧司法試験受験者層が平成15年頃には5万人程度いたことへのいろいろな意味での政治的な配慮からか,「既修者」コースという早期卒業コースを認めた。かれらは体系的な理論を学ぶ講義は修了済みと扱うという建前である。既修者コースは,旧司法試験終了時までの時限的なものではなく,当初から固定的な制度にした・・・ 
 では,「どこで,実務家になるのにふさわしい法律体系の基礎を学ぶのか?」
 この,当然の疑問には,誰も答えなかった・・・・。予備校・・・しかない。
 こうして,「既修対未修」。これを持ち込んだことが法科大学院の運用を煩雑なものとした。
 むしろ,入試形態がなんであれ,全員3年コースで始めるのがよかった。これに「法科大学院早期修了制度」を導入しておけばよかったはずだ。法科大学院2年以上在籍後,各法科大学院で修了認定試験をしたり,予備試験に合格した場合に大学改革支援・学位授与機構が法務博士号を認定・授与する方法もあった。
 いまから思えば,法科大学院教員の色分けも不可解だ。
  「理論は研究者,実務は実務家」。
 この厳しいルールが働く。理論的なことを実務家が教えようものなら,「不届き者!」とお叱りを受ける。
 日常,準備書面,弁論などなど数々の「理論に裏付けられた意見書」を実務の現場で書いている弁護士には,実務を支える理論を,実務家を目指す者に教える資質・資格などない・・・のだそうだ。その通りなのかもしれない。
 それに代わり,これまでの大学院または助手としてキャンパスでの文献学習,外国の法制度学習を基本とする養成課程を経て,実務に関する素養の有無はまったく問われない,特殊日本的な学者が,法科大学院教員の中核を担う・・・

 ブログ編者は,法科大学院開学にあわせて,所属先の許可の上,弁護士登録もして,すこしだけであるが,コンスタントに刑事弁護を担当している。捜査から再審までひとわたり現場を扱っている。
 さもなくて,実務家を育てる法科大学院の現場で,刑訴法の理論を教えることなどできないと主観的に思っている。その代わり,実務家と一緒であれば,実務科目も担当可能であると自負してもいる。

 年始を迎えるのにあたり,愚痴ってもはじまらない。
 といのも,文部科学省のおもしろいメッセージがある。
  「法科大学院に課されている役割,弁護士の業務拡大・職域拡大へ努力してみること」。
 これである。
 社会とつながる法曹養成を,法科大学院単位でも,頑張ってみろ!というものだ。
 このメッセージは大変正しいと思っている。
 それだけに,紆余曲折がある中,右往左往することとなろうが,来年も,法科大学院での法曹養成を頑張ってみよう。

posted by justice_justice at 14:02| ■法曹養成〜法科大学院 | 更新情報をチェックする