2010年03月27日

●法廷通訳1人制の危険 by Makiko

ぎしゅう先生のコメントにさらに一言。

新潟の裁判では、通訳人自身が「1人で大丈夫」と言ったらしいが、これと同じことが今後も各地で起きるだろうと、関東方面で活躍する知人のベテラン通訳人は危惧している。その理由は、通訳料金の問題だ。

通常、会議通訳の場合は2人制ないしは3人制が当たり前で、全員が拘束時間に対して通訳料金を支払ってもらっている。ところが、法廷通訳の場合、本人が何分間訳したかを集計して料金を決定しているという。そのため、2人になると拘束されている時間は同じなのに、支払われる料金が半分になってしまう。裁判所側は、日当を別に支払っているのだから、拘束時間分はそれがカバーしている、と主張しているそうだ。日当とは、以下の「刑事の手続きにおける証人等に対する給付に関する規則」に従って支払われる。「スズメの涙」ほどだ。

第三条 法第四条第二項の日当の額は、証人については一日当たり八千円以内、鑑定人、通訳人又は翻訳人については一日当たり七千六百円以内とする。

この料金設定がすべての裁判所で行われているかについては知らないが、もし、それが方針として確立するなら、これは大変なことだ。もはや、裁判員裁判で正確な通訳を保証できなくなる。

上記のような料金設定になると、優秀な通訳人が納得いく料金を得るためには、2人制では無理ということになる。当然一人でやりたいということになる。そうなると、疲労の問題が解決できない。

どんなに優秀な通訳者でも、30分以上通訳すると、通訳の質の劣化が見られる。これは逐次通訳についても同じである。特に、法廷という場は大変緊張を強いられる。会議通訳は意味が等しく伝わればいいが、法廷通訳は細かいニュアンス、話し方までも正確に訳さなければならないし、言葉の法的意味合いを正確に理解し伝える必要もある。最も精神的負担の多い通訳分野の1つだ。つまり、通常の通訳業務よりも疲労しやすいということである。

また、上記の料金設定で満足できる通訳人であれば、2人いたとしても、その質の保証はできなくなる。もちろん、非常に優秀な通訳人がボランティア精神を発揮して、低い料金でもやってくれるなら話は別であるが・・・。

裁判員制度導入当初、通訳は当然2人制になり通訳人に対しては1日拘束された分の料金が支払われるだろうと期待した。これで、充分な報酬が確保され、少なくとも裁判員裁判には優秀な通訳人が集まってくる土台ができると喜んでいた。だが、その期待も幻に終わりそうな気配である。

日本の法廷通訳制度がこれでいいはずはない。

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2009年09月25日

●法廷通訳の裁判員への影響(1)訳せない表現


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 初の外国人を被告人とする裁判員裁判が、さいたま地裁で9月8日から11日にかけて行われた。被告人は2件の強盗致傷の罪に問われた20歳のフィリピン人の男性であった。通訳は2人制で行われた。

 この裁判に先駆けて、連日のように東京やさいたまの各新聞社から取材があり、ちょっと驚いた。私は仲間の研究者たちと通訳の訳し方が裁判員に与える影響について、法廷実験を中心に研究しているが、取材の内容も、それに関するものが多かった。法廷通訳についてのこれまでのメディアの取り上げ方は、通訳人の認定の可否や養成について、あるいは少数言語の人材確保に関わる問題などに限られており、このように、通訳の訳し方が与える影響といった、言わば、法廷コミュニケーションの分野に関する関心が高まったことは。私たち言語研究者(特に法言語学)にとって、大変喜ばしいことである。これも、一般人が裁判にかかわるという裁判員制度導入の波及効果である。



 もともとプロの裁判官でも、通訳の訳し方によって影響を受ける部分はかなり多かったはずだが、専門家はそのような影響を判決に反映させるようなことのないよう訓練を受けているという想定のもとに、そういう問題は、ほとんど顧みられないままであった。通訳問題と言えば、常に誤訳の問題ばかりが語られ、誤訳をしないような優秀な通訳人がいればすべてうまく行くとされていた。ところが、実際には、言葉の影響というものは人が思っている以上に大きい。

 私たちの研究チームが過去行った模擬法廷で、たいへんな罵詈雑言を浴びせられてかっとなってナイフで刺してしまった事件を取り上げた。模擬通訳人は、こちらの予測通り、その聞くに堪えないような罵詈雑言を、ごく普通の悪口の表現で訳した。その結果、模擬裁判員の被害者に対する同情心が強まってしまった。

 某新聞社の電話での取材でこの話をしたら、記者が食い下がってきた。「『ばかやろう』程度ではダメなら、どういう日本語にすべきですか。」これには私も困ってしまった。思いつく言葉や表現はあるにはあるが、それを自分で言うのは抵抗がある。(結局、通訳人が正確に訳せないのは、この理由だ。)(しかも、その時、私の研究室にはゼミ生が2人いたのだ。そのような類の言葉を私が言ったら、彼女たちはたいそうショックだったことだろう。)さらに紙面にそれが出てしまったら、ちょっと恥ずかしい。それよりも、そのようなサンプルを出したら、必ず各方面から、その訳はよくないとか、ニュアンスが違うとか、クレームがつくことがわかっている。だから、記者には具体例を話さなかった。非常に残念そうにされていたが、諦めてもらった。

 このような、被告人が何かによって挑発を受けて犯罪行為を行ったような場合、何が起こったかが正確に通訳されなければならない。挑発を受けたか受けなかったかは、明らかに判決内容や量刑に影響を及ぼす。通訳人は、言われたことを同じレベルのインパクトを持って訳さなければならない。だが、これが非常に難しい。

 以前、字幕翻訳家の戸田奈津子さんがテレビで言っていた。「英語の罵り言葉は、それに当たる日本語がないので、『クソ○○』を連発するしかない。」確かにそうである。また、工夫して訳しても、必ずそのニュアンスが伝わるとは限らない。いっそ、通訳人は、「今の表現は極端に人を傷つけるものです」「今のは、そこそこ心にグサっとくる表現です」「これは、それほどきつくなく、聞き流せる程度のものです」というように、そのインパクトについて解説したほうが正確に伝わるのではないだろうか。その時には、通訳人は鑑定人の立場に役割をシフトする。もちろん、そんなことが許されるはずもないが。

 訳せない言葉や表現は、人が思っている以上に多い。法廷通訳の研究で一番面白いテーマの1つである。

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2009年08月07日

●イギリス湖水地方で見た変な日本語 by Makiko

 学会参加のため、数日間イギリスに滞在した。リバプールでの学会発表後、ピーター・ラビットとその生みの親、ベアトリクス・ポター、そして詩人ワーズワースで有名な湖水地方に足を伸ばした。「イギリスは田舎が大変美しい」と、多くの人が絶賛する通り、ロンドンのような大都市からは想像できないような、のどかで美しい光景に心が洗われる思いがした。「ナショナル・トラスト」の活動のおかげでそのような自然保護が可能になっているのだが、その運動におおいに尽力したのが、最近映画にもなったベアトリクス・ポターだ。彼女のピーター・ラビットには、これまで全く関心がなく、かわいいとも何とも思わなかった。ところが、ミュージアム、土産物屋など至るところでその姿を見かけたが、なぜか非常に生き生きとして魅力的なのだ。日本で見るのと、その故郷である湖水地方で見るのとでは全然違うのだ。

 湖水地方は日本人観光客にもとても人気が高く、あちこちで日本人を見かけた。そして、多くの観光スポットで各種の日本語表示を見つけたが、その多さからも、いかに多くの日本人が訪れるのかが想像できた。

 今回、思いがけないところで面白い日本語表記を見つけた。グラスミアにあるワーズワースが暮らしていた家を訪れた時だったが、庭を散策していると、足もとに英語と日本語が左右に書かれたボードが立ててあった。“Please take care”を「気をつけねばならない」と訳している。普通なら「足もとにお気を付けください」となるところだ。どうしてこのような日本語になったのだろう。


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 日本語表記の話ではないが、土産物店で母ウサギと子ウサギの小さな置物を買った時のこと、店員が別の母子の置物を持ってきたので、「それとは違う。」と言うと、もう一人の店員が、突然日本語で「イスと?」と言った。一瞬面食らったが、「イスに座っているほう?」という意味だとわかった。私が買おうと思っていた置物はウサギがイスに座ったものだったからだ。”with a chair”を「イスと」と表現したのであろう。”With”は確かに「・・・と」と訳せるし、そのように習う。だから、文脈にかかわらず、それをそのまま使ったのだろう。ことばを状況に応じてさまざまに使い分ける能力が身につくまでには、相当の努力と時間が必要だということだ。

 イギリスでもう1つ気付いたことは、日本語表記の際に、活字がなくて手書きになっているケースが多いということだ。ヨーロッパはローマ字表記の世界なので、漢字やひらがなの活字がないのもうなずけるが、「シ」と「ツ」、「ン」と「ソ」がごっちゃになっているのや、字の形がおかしいものがある。今回泊まったホテルは山間にあるペンション風のとても素敵な小さなホテルだったが、日本人が多いらしく、階段やホールなど、いたるところに日本語表記があった。そして、そのすべては、ホテルのたたずまいにぴったりの、素朴な味のある書体の手書きだった。


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 外国に行って日本語を目にすると、懐かしい思いがするどころか、その微妙な不自然さに、より「異国」を感じる。


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2009年03月20日

● 韓国で見た珍妙な日本語表現 by Makiko


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学会の仲間5人で2泊3日でソウルに行った。2年前には釜山に行ったが、当時の為替レートに比べると、かなりの円高ウォン安で、今回はずいぶん安く食事や買い物を楽しめた。

ソウルの中心続の明洞(ミョンドン)は日本人の買い物客でいっぱいだったが、いたるところで、ハングル文字に交じって日本語表記が目立っていた。中には珍妙な日本語があり、それを見つけるたびに、そのユーモア(?)に皆で盛り上がって大変愉快だった。

日本でも、あちこちに英語表現が氾濫しているが、中にはとんでもない表記がある。英語圏の人たちは、それを見つけて大いに面白がっている。今回、韓国でそれと同じ経験をしたことになる。

現地で見つけた変な日本語には以下のようにいくつかのパターンがある。

1.韓国人にとって日本語の発音が認識できない。

   マサジ(マッサージ)
   マフラ(マフラー)
   インテリアー(インテリア)
   らあめん(ラーメン)
   タクシ(タクシー) 
 
  日本語の長母音は、韓国人だけでなく欧米の人たちにとっても難しい。おばあさん」と「おばさん」の区別がつかない人も多い。

2. 単なる表記ミス

  クーポン特参(持参)
  建康(健康)
  マッサーヅ(マッサージ)
  あったり(あっさり)した味

  漢字が使われなくなっているので、漢字表記が正確に書けない。
  ひらがなやカタカナの形の間違い。(「ジ」と「ヅ」の取り違えなど。)
  他にも、単語の途中で改行するなど、変な表記が多い。

3. 言葉の使い方の微妙なずれ
   
   *足から顔までおまかせくれ、VIPコースでより美しく

   「おまかせ」と「くれ」という丁寧さの差が大きい表現を一緒に使っている。日本語の文体レベルは、マスターするのが難しい。

  *長年の経験持ちのマッサージ師が最善を尽くしてマッサージをして上げます

   「力持ち」などとは違って、「経験」には「・・・持ち」はつかない。「・・・持ち」がつくものは限られている。

   「最善を尽くす」はニュアンス的に、失敗しないようにがんばるというように響く。マッサージは、普通、「最高の技で」というような表現を使う。 

   「・・・して上げます」は丁寧なようで、実は相手を下げた表現である。 

  *親切丁寧

    普通は、「親切で丁寧」。間違いではないが、微妙な違和感がある。

  *一般のタクシー料金で、約20,000ウォンくらいかかります。

   「約」と「くらい」を両方使ってしまっている。

 このように、ほぼ正しいのだが、微妙な用法のずれのあるものも多い。観光スポットの説明書や有名免税店のパンフなどは、かなりしっかり書けているが、日本人ならこういう言い方はしないと感じさせる不自然な表現も多い。いくら外国語に堪能でも、ネイティブの感覚がないと、どこかおかしな表現になってしまうということだ。ネイティブ・チェックの重要性を再認識させられた。
 
 外国語を完璧にマスターするのは本当に難しい。



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2008年07月02日

●2言語法廷 by Makiko

6月28日に、明治大学で開催された「法と言語研究会」(http://jsll.sakura.ne.jp/about.htm)の定期研究会に参加した。発表者の1人である日本大学のRichard Powell氏が2言語の法廷について話をされたが、非常に興味深い点が多くあった。

私は法廷通訳を研究テーマにしているが、アメリカのSusan Berk-Seligson氏による”The Bilingual Courtroom”は研究者の間でよく知られた法廷通訳の言語分析に関する本である。これは、「2言語法廷」と訳せるが、今回Powell氏が語ったものは、それとはまったく異なり、通訳がつくという意味ではなく、本当に2言語が使われる法廷のことであった。
マレーシア、香港、スリランカ、インド、ケニヤ、タンザニアなど、法廷で2つの公用語が使われ、もちろん通訳はつかない。それ以外の言語が使われるときのみに通訳がつくという。これらの国では、社会自体が、植民地時代の宗主国の言語と現地語という2本立ての言語システムを持っている。それが法廷にも反映しているのだ。

Powell氏によると、例えば、マレーシアの場合、マレー語と英語が公用語として使われるが、どちらがどの程度使われるといった、法廷での言語使用の形を決める要因がいくつかあるということだ。刑法関連はマレー語が多いが民法関連は英語が多いといった裁判の種類によって決まることもあれば、当事者や証人の言語能力や好みによることもあるらしい。また、裁判の過程で弁論や証言における「言語切り替え(code-switching)」も行われるが、これは、相手を説得したり攻撃したりする際の作戦として行われることも多いという。

ところで、法廷通訳の研究をしている私の知人が大阪の裁判所で法廷を傍聴した時に、非常に驚いていた。検察官が証人尋問の際に大阪弁を使っていたそうだ。その他の場面では標準語だったという。意識的にか無意識でかはわからないが、おそらく、その時の証人から証言をうまく引き出すには大阪弁が効果的だと判断したのであろう。これも一種の「言語切り替え(code-switching)」であり、標準語と大阪弁という2言語が法廷で使われていたと言えなくはない。

大阪弁のことはさておき、マレーシアの例のように、まったく異なる2つの言語を適宜使い分けることにより、法廷での手続きがスムーズに進行したり、当事者や証人が自分のよくわかる言葉で参加することができるという長所はあるようだが、同じ内容を2つの異なる言語で表現した場合、その表す概念の範囲が微妙に食い違ったりするという短所もあるようだ。特に法律文書が2言語で書かれると、色々と矛盾が出てくるという。

法律用語は、法的意図、法的効果、その概念の及ぶ範囲を明確に定義するという性質を持っている。これをまったく別言語に置き換えることは非常に難しい。概念が微妙にずれるからだ。そういう意味で、司法通訳・翻訳は大変困難な作業である。そして、裁判員制度を視野に入れた言語の平易化作業にも、同じような困難がつきまとうのではないだろうか。特殊な法的意味を持つ言葉を一般人が普段使っている言葉に置き換えても、全く同じ概念が保てるわけではない。どの言葉をどの程度まで平易化するか、その判断が難しいところである。

2008年05月28日

「言語によって犯罪が作られる」

著名な法言語学者であるジョージタウン大学のRoger W. Shuy名誉教授の本(Creating Language Crimes, 2005, Oxford University Press)を読んでいるが、法執行機関がいかに言語を利用あるいは悪用して犯罪を作り上げるかという論点がとても面白い。Undercover investigation(おとり捜査)は日本ではあまり一般的ではないが、アメリカなどではしばしば行われ、その時に録音されたものが重要な証拠となる。ところが、Shuy教授によると、その録音の際、もしターゲットが自分から違法行為を口にしないような場合、さまざまな戦略を駆使して犯罪行為を口に出させたり、あるいは不利な展開になってくると、その場面に音声上の細工を施したりして、捜査側に有利な証拠を作り上げていくそうである。

例えば、何かの違法取引のおとり捜査では、ターゲットに対し、おとり捜査官あるいは協力者が、「ボスにはどういう言い方で伝えたらいいか教えてくれ」などと言って、犯罪を示唆する内容を自分の口から言わせるようにする(Scripting the target)。または、ターゲットが捜査に不利になりそうなことを口に出し始めると、マイクを身につけた人間がすかさず動き回ったりして、雑音を生じさせ、その部分が録音上聞き取れないようにする。高性能マイクはちょっと動くだけでそのようなstatic noiseが生じる(Creating static on the tape)。また、場合によっては、ターゲットが普通に話しているのに、おとり捜査官や協力者がわざと汚い言葉や罵り言葉を繰り返し、ターゲットもそのような言葉づかいをする人間であるかのように印象付ける。テープを聞いている人間は、誰がどういう言い方をしたのかをはっきり認識しないし、全体の印象に左右されるからである(Contaminating the tape)。他にも数多くのストラテジーが知られているが、まさに言語を操作して捜査側に有利なように犯罪の証拠を作り上げることが日常茶飯事となっていることがわかる。

このような状況を背景に、アメリカでは言語学者がおとり捜査のテープの分析を依頼されるケースが多い。上述のShuy教授も、そのような鑑定の仕事を多く依頼された経験を持ち、言語学者がそのような鑑定証人になるときの注意点などをまとめた著作もある。さらに、アメリカでは、おとり捜査の録音テープだけでなく、警察や検察での尋問の言語分析も行われている。言語学者の目を通してはじめて、言語をめぐるさまざまな作為が明らかになったり、誤解が解けたりするのだ。

さて、日本だが、現在、裁判員制度の導入を視野に入れた上での、捜査段階における尋問の部分的録音が試行されている。将来的にそのような録音が慣習となり、文字化された供述調書ではなく、「音声」そのものが証拠として扱われるようになった場合、言語というものに対する専門的知見が求められる機会も多くなるだろう。そうなると、日本ではこれまで諸外国に比べて非常に遅れていた「法言語学」という分野がもっと注目されるようになるだろう。この分野に関わる者として、今後の展開が楽しみである。
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