2009年04月04日

エジプト記(終わり)−『命の鍵』再論  by Gishu


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旅行記はいつまでも続けていたいものだが、ほどよく閉じるのが賢明でもある。撮影してきた写真をあれこれ見返し、見学したそこここを思いだしたとき、もっとも忘れがたいものはなんであったかと思うと、ふたつある。ともに常識的だが、
 まず、『命の鍵』。
 次に、スフィンクス。

 神と王が、いつも手にもつもの、それが「アンクーサイン」とも呼ばれる、このシンボルである。神殿、王家の墓などそこかしこの壁画に描かれている共通のマーク。
 ヒエログリフの解説書にもこれを用いた文例が載っている。
 此岸と彼岸を結ぶ鍵、命の連鎖、生命の誕生と消滅、男女の調和、、、いろいろな意味が込められているように思う。
 エジプトでは、『命の鍵』は、遺跡に残る観光スポットであり、「見るだけ、ただよ」と呼びかけて売りつけるお土産ものとして残されているだけなのであろうか。その思想は現代エジプトには引き継がれていないのであろうか。
 騒々しく厚かましくしかし人の良いエジプトの人々。『命の鍵』が生んだ文明の子孫達。
 今では鼻のかけてしまったスフィンクス。ピラミッドの守護神として、たたずむ姿。ユーモラスでもあるが、雄大でもある。
 巨大な思想が、エジプトの風土の中に溶け込んでいるのかも知れない。また、行ってみよう。

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2009年04月03日

エジプト記(9) 「コシャリ」by Gishu


egypt_017.jpg当然だが、カイロで「コシャリ」を食べた。
 ガイドの学生が、よく行く「うまい」というコシャリ専門店。サーダートの駅のあるタフリール広場の近くにある店。一皿、50ギニーであったか。安い。もっと安い店もあると聞く。
 「コシャリ」。日本で言えば、たちくいそば、たちくいうどんの類か。中味は、といえば、まさに「シャリ」。米とマカロニ、野菜などベジタリアン料理。しかも炭水化物中心。肉などなし。菜食のための料理とネットでも紹介されている。
 この店、夕方に出向いた。仕事帰りなのか、カウンターにはたくさんの客が並んでいる。次々に一皿づつ受け取って奥のテーブル、2階の席へと向かう。みんなあわただしく掻き込んで食べている。確かに、ゆうっくり落ち着いて食べるものではない。
 まねして、スプーンで「コシャリ」を口に抛り込んでみる。
 「うまい」「まずい」の基準の置き方が問題になりそうな食べ物。
 酢の味、ざっくりした食感、ライスとマカロニ、スパゲッティ、野菜の混ぜご飯。基本の味を見定められない。
 ガイドの勧めで、ソースを少し垂らす。辛いから味をみながら少しづつという助言に従う。最初はなんてことはない、が、少したつと辛さがじっくり口中に広がる。「辛い!」。
 病みつきになるか、と言われると疑問だが、カイロに来れば食べるかと問われると、確実にまた来ると思う。そんな地元の一皿であった。

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2009年04月02日

■エジプト記(8)ーエジプト料理 by Gishu


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ルクソール、ナイル川西岸。王家の谷のある側には、町の中心がある東岸からひっきりなしにフェリーが出ている。前にこの辺りを旅行した者から「西岸の方がゆっくりできるかも」と助言をもらっていた。
東岸は、川岸沿いの通りを歩いていると、ひっきりなしに観光客目当ての客引き、物売り、タクシードライバーが次々と声をかけてくるし、日本の感覚では「しつこい」と思う位の長時間にわたりまとわりつく。
但し、そののんびりした時間のかけ方があるから、値段交渉をしてでも品物を手に入れたいときには、粘り強く話ができるのだが。
 さて。
カイロへ向かう日の午前中から西岸に渡った。
王家の谷はすでに見終えているから、岸辺のあたりを散策。確かに、店などもすくなく、客引きも少ないし、あきらめが早い。
少し西の方まで町の中を散策して、とある小さなホテルを見つけてお茶を飲むことにした。
バックパッカー向けのこじんまりとして清潔そうなホテル。一階にある食堂兼レストランもきれいだ。もっとも客もいない。
 広々としたホールで我々一行3名で「シャーイ」を飲む。
もっとも、ティーパックをぽんと出すのが多く、お茶の葉がカップの底に残る本格のシャーイは、街の地元の人が集まるたまり場喫茶店でないと出てこないようだ。
 ともあれ、岸辺に戻り、ランチに適当な店を探していると、「ツタンカーメンレストラン」というのを見つけた。
土産物屋の建物3階にある屋上レストラン。ナイル川を見渡すことのできる展望。メニューをみると、エジプト料理そのもの。
 ひとつひとつの料理名は聞き落としたが、ベジタリアン用の野菜料理、羊に鶏。ターゲンという壺焼き料理などなど。
*写真上は、レストラン入り口。下はメインディッシュ

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2009年04月01日

■エジプト記(7)ー『アエーシ』 by Gishu


egypt_012.jpg 今回のガイドは、カイロ中心部から小一時間ほどのところに住んでいる。現地の人の家に下宿している形だが、その家庭料理をご馳走になった。
 急の訪問で気の毒ではあったが、どんと机の上に、魚料理2種類、サラダ、そしてエジプトのパン、『アエーシ』がのった。
 これにいろいろなものを挟み込んで食べる。ホテルの朝食ビュッフェにもあるのだが、上品に小振りに作っていてアエーシ本来のダイナミックさがない。
 インドのナン、その家庭料理版のチャパティもそうなのだが、みな飽きないこくがある。

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2009年03月29日

■エジプト記(6)ー『命の鍵』 by Gishu


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『命の鍵』。
 ルクソール初日の見学ツアーのとき、ガイド役が、ルクソール神殿をみるときに、ひと言洩らしたことば。
 ヒエログリフで、「永遠の命」を示すことば。英語では、"Ankh Sign"、Key of Lifeという。
 そうと言われて、気をつけてみていると、確かに遺跡のここかしこ、ファラオもエジプトの神々も、その手にアンクーサインを持っている。鷹の頭の形をした「ラー神」の手にあるのも、『命の鍵』である。
 ガイドブックなどみていて気になったことがある。「エジプトを守る神は誰か」。
 外からみるとうらやましい。何故なら、古代には、ラーがおり、ADから中世にかけて、キリストがいて、その後、アッラーが守る。3代続く巨神が守る国。
 ただ、今は、イスラムが大多数の信仰であり、また人口の1割、300〜400万人はコプト教徒という。
 では、「ラー神信仰」はどこに消えたのか。固有の信者なり、その信仰の中心となる組織、教会などはないのか。
 ファラオなど古代エジプトの王族を描く像の特徴は、夫婦が基準で、その周りに子ども達が居ること。妻が夫の背後にやさしく手を回している像がそこここの博物館などに置かれている。また、各地の神殿で、王の背後に神を置く立像が多い。背後神として世俗を守る神。そのシンボルが、太陽神、ラー。
 信仰の行方は、次回のエジプト訪問の課題にして、とりあえず、シルバーの命の鍵とお土産用の安物の命の鍵、大小を一対にし、例のごとく、「山本山」「見るだけ、ただよ」と呼びかけるアラブ商人から、「セベハ」とあわせて買い取った玉石のネックレスにつけて、今毎日数珠がわりに持っている。

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■エジプト記(5)ーコプトの世界 by Gishu


egypt_008.jpg カイロに「オールドカイロ」と呼ばれる地区があるのをガイドブックで知った。ADになってまもなく原始キリスト教がエジプトにも伝わる。当時はまだイスラムが栄えるはるか前であり、古代神、アムン・ラーの信仰が残っている時代ではないか。ガイドブックによると、2世紀にかけてキリスト教はエジプト全土に広がったという。7世紀には、エジプトはイスラムが支配する。民衆もイスラムの教えに従い、その後今日のイスラム文化の中心地へと発展してくる。但し、その中核であるカイロに、コプトの教会も残っている。エジプト各地にも修道院が残るとガイドブックに載っている。
 イスラム世界の中のキリスト教、しかも中世ヨーロッパのキリスト教文化と切り離されて続く伝統、、、はなはだ興味をもってカイロに向かった。そして、一日をここですごすこととした。
 ムアラッカ教会、コプト博物館、聖ジョージ修道院と巡って、シナゴーグの中にあるおみやげ屋さんを一巡りすることとした。
 ムアラッカ教会。ロンドン、パリなどのキリスト教寺院とはどこか異なる情緒を醸し出している。マリア像、キリスト、殉教の図などにも違いがあるのであろうか。しろうとの一瞥で区別がつくはずもないが、どことなくエジプト風を感じながら見学した。編者にもそれとわかるエジプト風キリスト教の跡は、コプト博物館でみつけた。十字架が古代神アムンラーのシンボルである『命の鍵』と合体しているデザインのものがあった。十字架と命の鍵は、形からもこれを重ねることは容易だ。マリアの生んだキリストが神になる思想と、男女の仲、夫婦愛を大切にする古代神の信仰にはどことなくつながりやすいものがあったのだろうか、など勝手な想像を抱きながら、教会で礼拝をした。
*写真は、ムアラッカ教会入口の壁画。
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2009年03月28日

エジプト記(4)ーセベハ(イスラムの数珠)


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編者は、仏教徒ー日蓮宗の僧籍を持つ。某寺の名目上の副住職でもある。だから、海外出張の折、その地の宗教には関心がある。自らを「敬虔な」信者とまで思うこともないが、各地の祈りの場には必ず足を運び、礼拝をするのを常とする。
 もっとも、そのときいつも迷うのは、「宗教的寛容」の問題である。他宗との共存をどう受けとめるのか。それぞれの宗派の神は、他の宗派の神をどうみるのか。信徒はどう受けとめているのか。
 早い話が、日蓮宗の僧侶が、カイロのモスクで数珠をかかげてお参りするのを、アッラーは、歓迎するのか、"Qur'an"は、他宗との共存状態をどうみるのか、、、。といった思いを長年持ちつつ、世俗の仕事にかまけて、各教義をこの角度から深めて研究したことはない。
 実のところ、日蓮宗自体が、他宗派との共存を許容するのかどうかも教学上問題なしとしない。少なくとも、「四箇格言」を公然と唱えたのは宗祖日蓮であることは間違いない。すなわち、「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という他宗批判である(日蓮・諫暁八幡抄より)。もっとも、自己規律としては格別、この教義をもって他宗批判をするつもりなど毛頭ない。
 その代わり、各地を訪れる度に、他宗派の寺院、教会、そして、カイロであればモスクにお参りに行くことに抵抗はない。後のことは、神どうしの話し合いで決着をつけてくれれば良かろう。
 そんなこんなを考えながら、カイロでは、著名なモスクに足を運んだ。シタデル地区では、ガーマ・インナースイル・ムハンマド、そして、ガーマ・ムハンマド・アリ、ハン・ハーリに接する、ガーマ・アズハルとガーマ・アズハル、ガーマ・ホセイン。大勢のモスレムの参拝者、そして観光旅行者にまじってではあるが、参拝をしてきた。
 中でも、ホセインのモスクでは、イスラムの数珠ーセベハにアッラーの守護力をもらい受けてきた。また、
 ガーマ・ムハンマド・アリでは、ガイド、家内と3人で共に参拝・礼拝のあと、絨毯に座り込んで話をしていると、小学校の先生が、生徒を連れて参拝をしていた。後で先生が英語で声をかけてきた。「モスレムか?」と質問される。セベハを片手にして正座して片手合掌をしていれば、そう疑問を持つのだろう。「日本のモスレム、仏教徒だ」と答える。それをきっかけに、先生、生徒3人、先生の友人の5人のグループとしばらく雑談した。
*写真上は先生と生徒の礼拝の様子。下はガーマ・ホセインにて。

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2009年03月27日

エジプト記(3)ー「近くて遠いマック」


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 今回のエジプト旅行には、家内を伴った。ルクソールでもカイロでも、彼女はひさしぶりの海外でやや悲惨な体験をした。
 「道路に歩道がない。歩行者用信号機がない。歩行者が勝手に車道を横切る」。
 これは、律儀な性格の彼女には、耐え難いことであったし、なによりも、一人歩きができない。
 走る車を横目に平然とすりぬけて道を渡っていく、その離れ業をやってのけるエジプトの人々のまねを、日本の整然とした交通ルール下で守られてきた日本人にすぐにできるわけもない。
 実のところ、ブログ編者も、そうと覚悟はしていたが、実際にやってみると、かなりストレスがたまる。
 編者はややいい加減なところがあるから、信号機なき横断にも無神経だが、実際に安全に渡ること、となると、アクション映画なみのスタントがいる。
 カイロでも、ナイルビューを楽しめるホテルに滞在したが、歩道・信号機なき都会の孤城のようなもの。
 窓からみると、数ブロック先にマクドナルドの看板があり、ちょっと足を運んでコーヒーでも飲んで一休憩したいと家内は思うわけなのだが、そこまでに数回、車道をくぐり抜ける離れ業を要する。
 一日の早朝、ナイル川沿いを散歩したのだが、そのときも、あらかじめ車道横断がもっとも少ないルートをあらかじめ探して、散策。川岸の有料公演2箇所と、オペラハウス周辺を散策したが、それでも、都合4回の横断を要した。
 観光客にはストレスフルな交通事情だが、現地の人は、陽気に、元気に、楽しそうに、そして、リズミカルに、車の間をすり抜けていく。そのたくましさに、うらやましさを感じもする。

*写真上はホテルからみるマックの看板。下は同じくホテルからのナイルビュー。

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2009年03月26日

エジプト記(2)ー「こずるさ」と「人のよさ」


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■「山本山」、「みるだけ」
 エジプト観光をした人は、いわゆる観光地の土産物屋などの売り子にこう声をかけられた体験を持つと思う。
 ひと言、日本語を発して気を引いて売り込みにかかる、その粘り強さには一面辟易すると同時に他面で感服する。
 ホテル周辺で外国人観光客を目当てに張り込むタクシー運転手も同じだ。散歩がてら外にでても日本人の感覚では「しつこい」と思う、その倍程度以上にしつこく「タクシーどうだ、1時間で観光できるぞ、ピラミッドどうだ」と声をかけ続けてくる。
 そんな観光地中心の生活で体験したいくつかの「こずるさ」のエピソードを並べてみよう。
○ルクソールでローカルフェリーに乗ってナイル川を東岸から西岸に渡ったときのこと。
 価格交渉は、ガイドがした。地球の歩き方では、片道2ポンドとあるが、3名往復で6ポンド。片道一人1ポンドとなった。念のため。「正しい値段はない」。これがエジプト流。同じフェリーに乗っても、片道2ポンドで交渉成立させた人は、それが正しい値段。おそらく現地の人はもっと安い価格で乗っていると推測している。ここまでは前置き。
 フェリーに乗って運賃を支払うとき。ガイドが往復切符をくれとって6ポンドを出す。往復切符といっても、紙切れに支払済みと書いた紙を暮れるだけのこと。係が、こう言い出した。書くものがないから、ペンを貸してくれ。何気なく手持のボールペンを渡したが、この段階ではすでにエジプト商人のしたたかさについて、少し体験もし、ガイドのレクもあったので、警戒を怠らない。
 案の定、渡したペンをさっと手元に置いてある金庫代わりの木箱に抛り込み、傍らから自分のボールペンを出して紙切れに書き込んで我々に渡して知らん顔を決め込む。むろん、次のように対応した。
 "Hey, You don't cheat me. That's my pen."
 さっさと手を突っ込んでペンを取り返して退去した。ほっておけば、そのまま猫ばばされた。
○オールドカイロからホテルにもどるときのタクシー。
 このときはガイドは同行していない。まず、出口で観光客の帰りを待つ客引きの声にはのらないことにした。オールドカイロの前の道には、流しのタクシーが次々と走っているから、これを拾えばよい。
 それでもアラビア語の話せない外国人観光客であることとは一目瞭然。英語で交渉を開始する。運転手はホテルの名前を聞き、さかんに"No problem, come in, come in"を繰り返す。が、価格を前決めせずに乗り込むつもりはない。こちらは"How much?"を繰り返す。このやりとりが数回。で、こちらから、"How about 10 Pound ?"と持ちかける。すかさず、"No. 20 Pound!"と怒鳴り返してくる。現地の人であれば、5ポンドくらいで行く距離であるとは聴いている。が、そこは観光客の立場。高め設定になることは多少とも覚悟している。それでも、20ポンドも出すつもりはない。"No, 10 is enough""No, 20"のやりとりが数回続く。
 次にやむなく"Then, how about 15 ?"と当初から予定の金額をオファーする。それでも、運転手は、"No, no, 20!"と譲らない。そこで、"OK, then, I will pick up another taxi..Bye!"と交渉を打ち切る「振り」をする。
 この段階で、運転手は、”OK, OK”という。タクシーに乗り込んでからもう一度「15」を確認する。運転手も、ボールペンを持ち出して手に「15」と書いて確認し双方頷く。20分ほどでホテルに着く。
そして、そこで再度価格問題が起きる。運転手は、"Give me 21."と言い出す。むろん、応ずるつもりはない。"No, we said 15."このやりとりを数回。タクシーをさっさと降りて、お釣りが要らないように15ポンドきっかりを渡す。
 そうでないと、釣りをよこせ論争となり、事態はさらに面倒になる。渡してしまって釣りを出させるのは、かなり困難になろう。きっちり15ポンドを渡すと、運転手はあきらめ顔に立ち去った。
○カイロ国際空港から出発するとき。
 フライト便に向かうバス発着所に入る直前の所持品検査のとき、検査員が、手で身体検査をするが、ズボンの右ポケットのふくらみに気づいて、"What's this?" と質問。"They are some cash."と応ずる。"Show them."と指示されるが、この段階で、「もしや」と警戒心が起きている。
 警備員は、こちらが出して示した紙幣数枚の束を上手に手のひらに織り込んで握りしめ、"OK, Go!"と平然として言う。むろん、黙って引き下がるつもりはない。
 "That's mine. Return them all." とここは周囲の他の係員にも聞こえるやや大きめの声ではっきりと釘を刺す。係官は一瞬ばつの悪そうな顔をして紙幣を戻してきた。
■笑顔とひとのよさ
 但し、以上の体験談は、外国人観光客として扱われているときのエピソード。これと異なり、エジプトの人々の笑顔と人のよさにちょっとふれるエピソードもいくつかある。
 例えば、上記したナイル川往復の帰りのフェリーで。少年ふたりを連れた黒のヘジャブですっぽりと顔を隠したお母さん。ガイドといつの間にか話をしている。イタズラさかりの少年をみる「母親のまなざし」。やがて少年のひとりが英語で話しかけてくる。「どこから来たのか」「エジプトで何処にいったのか」「どこで英語を勉強したのか」等など。聴けば、もう一人の少年とその母親を含め3人でこれから東岸にわたりレストランで食事をするのだとか。フェリーを下りる際には少年は「ちょっと家に来い。3分でもいいから寄ってほしい」とせがんでくる。
 ルクソールでも、観光地をわざと離れて、路地裏に入り込むと、そこには小さな子ども達が路上で大騒ぎをして遊んでいるのどかな光景がある。筆者の跡をどこまでも付いてこようとする小さな女の子と、それをしかりつけるおじいちゃんの姿。
 道に迷ったと思っていっしょうけんめいに「バザールは向こうだ」とアラビア語で教えてくれる少年。「そっちの道はいきどまりになる」と教えてくれた少年などなど。

 「したたかさ」と「ひとのよさ」の同居、エジプトの人について、そんな印象を持っている。

*写真は、ギザのピラミッドを見学していたとき、声をかけてきた現地の小学生のグループが一緒に写真を撮ったあと、ふと「これあげる。日本に持って帰って」と言って渡してくれたスフィンクスの粘土細工ものである。柔らかな粘土細工なので、やがて砂漠の砂に戻るのではないかと思っているが、それまで大切にしたい。  
posted by justice_justice at 08:28| ▼世界旅行ーカイロ、ルクソール | 更新情報をチェックする

2009年03月25日

エジプト記(1)ー「ラーラーラー、アイワ」

■3月中旬の10日ほどルクソール、カイロですごした。
 エジプトについては、アフリカ・中近東をリードする国、イスラム経と文化の国、そして古代遺跡の国等など注目したい点はたくさんある。
 わずかの滞在期間で一瞬垣間見ただけでは、その奥行きを捉えることなど到底できない。だが、それでもアクティブさ、したたかさ、人のよさ等など気のつくことも多々あった。それをすこし書き残しておきたい。

■「ラー、ラー、ラー、アイワ」。
 今回の10日の滞在にあたり、ガイドには、現地でしばらく生活しておりアラビア語もこなす日本人を依頼した。国内トップ大学に在学し現在エジプト政府給費奨学生としてカイロ大学でアラビア語を研修中という。
 日本人旅行者必携の「地球の歩き方ーエジプト」を読むと、おもしろい一節があった。「正しい料金など、ないと思ったほうがいい」。飛行機の中で思わず苦笑したが、その意味は、ルクソール博物館からカルナック神殿までタクシーを拾ったときに実感した。
 ガイドが、タクシーを止めて、運転席の運転手と窓越しに価格交渉を始める。
 「ラー、ラー、ラー」とまるでリズミカルな音楽のようなことばが響く。あとで聴くと「ラー」とは「NO」の意味。価格があわない限り、「ラー、ラー、ラー」が続く。やがて、「アイワ」となる。「Yes」である。むろん、旅行者とすぐわかる姿格好の日本人など高め設定で価格を言われるから、「交渉」が不可欠。この場合、アラビア語のわかるガイドがいるのがいろいろな意味でおもしろい。

■タクシーも価格交渉で乗らねばならぬ。
 この状態は、旅行程度でエジプトに滞在する日本人にとって、一面で、大変神経を使うものでもあり、不快感をもつ場面でもある。他面で、ものごとの価格とは提供者と受領者の交渉で決めればよい、という資本主義の基本に立ち返れば、粘り強く交渉をし、だめなら、別なタクシーを拾えばよいだけのことだ、と割り切ることもできる。その場合、むしろ、価格交渉自体が旅の一こまとしても楽しいものともなる。

■すべてが整然と秩序だった日本。もはや店頭で値引きを交渉することがそもそもなくなった日本、、、虎視眈々と価格をつり上げるエジプトの企業家(タクシー運転手も含めて)には、たちうちができないひ弱な日本人、こんな図式なのかもしれない。
 それでも、正当な起業は現にあるのだから、エジプトの流儀を取り込んで「したたかな精神」をすこし取り戻した方がいいのかもしれない。


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■写真は、交渉成立後乗り込んだタクシー内の様子だが、バックミラーにぶら下がっているのは、イスラム教徒の「数珠」である。イスラムの数珠の呼び方はいろいろあるが、今回カイロで教えてもらったのは 
 「セベハ」
 である。ネットで調べるといろいろなので、自分の体験を大切にして、以後、セベハと呼ぶこととする。
 このセベハについては後に語ることとする。
posted by justice_justice at 08:19| ▼世界旅行ーカイロ、ルクソール | 更新情報をチェックする
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