2007年11月01日

■「キリスト」もの犯罪小説ーベルン便り


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 一冊のポケットブックを読んだ。
 Kathy REICHS "Cross Bones"(2005)
2つ思い入れがある。
(1)キリストに関わると思われる骨が、イスラエルの古跡から見つかる。その奪い合いを巡る殺人事件の発生。これが一つめ。
 日本文化にはなじみにくいキリスト教への深い思いを背景にしてはじめて理解が可能な犯罪小説。
 ちょうど、Davinch Code がそうであるように、キリスト教の原点ーイエスキリストは神であること、マリアは処女であること、キリストは十字架に掛けられたが復活すること。キリストの血統はありえないこと、、、
 そのキリストの骨と疑われる発掘品を手にした骨董品商人がモントリオールで殺される。
 主人公は、女性法医学者、しかも、骨の専門家であるテンペランス・ブレナン博士。カナダ警察のベテラン刑事を恋人にもつ中年、独身女性(離婚歴あり)。
 彼女が、謎の繙きにを始める。
 結末は、あっけない。途中では、キリスト教文明を破壊するための原理主義者が介在するのではないかとか、バチカンが動いたのではないかといった推測を主人公等はするのだが、すべて空回りにおわる。イスラエルがユダヤ教を守るためにキリスト関係の遺跡を集めて破壊しているのではないか、そんな筋書きもちょっとかいま見える。
 だが、結局、ごくありがちな殺人劇であった。
 骨董商が雇った女性店員と不倫関係になるが、結婚を迫られた骨董商が店員を追い出す、それに怒った復讐劇。ただ、イスラエルの遺蹟庁の長官(と思う)がちょっと筋に絡んで、一財産造るために、キリストの骨を奪おうとして、この女性に殺される。
 壮大なスケールで始まったのに、尻切れトンボの観が強いが、やむをえない。
 ともあれ、面白かった。

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(2)二つめの思い入れ。
 この本は、実は、06年3月にスイス、ベルンで買った。ベルン中央駅の東側にある商店街のあるビルに入る大きな書店。
むろん、基本はドイツ語。小説のコーナーで何気なく見つけたのがこの本だ。
497頁の厚い本を買ってホテルに持ち帰った。本には、店の値札を付けたままにしている。
旅にでたとき、数冊の文庫本を買い込む。次に外国に出るまでに読む、そんな読書サイクルをはじめて数年になる。
 家並みの揃った旧市街の美しさとともに、やや殺伐な内容の小説に忘れがたい思いが宿る。
また、アーレ川に囲まれた旧市街を電車でちょっと南にでると、そこにベルン歴史博物館がある。
 中世のヨーロッパを語る遺蹟の数々。その中に、法律のシンボル、テミス神の像もある。姿形は異なるが「正義」を貫く姿勢と天秤は国を超えて共通する。
 もともとベルンには、司法制度の調査に出向いた。そんなこともあってか、犯罪、裁判ものの本を趣味的に買う。
 この本もそんな一冊だ。
 作者と作品の有名度は知らない。
 カナダ英語の独特の言い回しにも辟易したが、ストーリーを読み切れない英語で読み切ったおもしろみが残っている。
 またベルンのあの本屋で次の小説を買い込みたいものだ。

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2007年09月28日

■21世紀を読むー国家と個人


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■Eric A. Posner"Law and Social Norms"(2000,Havard University Press)ーポスナー『法と社会規範』を読んだ。法と経済学の分野では世界的に有名な学者なのだと思う、、、実は、よく知らない。幸い、専門が違う。どうせ大学へ通う電車の中でときどきあんパンをかじりながら読んだ、趣味の世界の本だ。うんちくは要るまい。
 それより、本を読みながら、あれこれひらめきを感じていた。本の内容にマッチしているかどうかも関係ない。
■「21世紀に入り、国家が個人を守れなくなったのではないか」。
 これが、この種の本をなんとなくひもとく基本的な疑問点だ。
 本来国家の正当性は、個人を守ること、私的紛争による個人の生存の危機を防ぎ、秩序と安全を約束することにあるはず。だが、それができなくなっている、、、
 その現象をどうみたらいいのか。
■個人を守るのには、より身近な地域社会のこぶりな動きがあったほうがいい。しかし、国家の存在は、ミニ共同体の社会規範をのけ者にする。
 国家レベルでの「法律による制御」が個人を支配する。
 経済を支えるのも、国家レベルでの「マーケット」であって、地域社会に根ざす共同体ではない。
 福祉と一体となった社会規範にくるまれた個人ではなく、抽象化された個人が、利益を追求する市場の中で活動する姿、、、
 国家秩序の枠組みの中で、プライバシーと法の支配に守られた個人。
 一見すると、自由度が高く、解放性が広いようにみえた、、、20世紀までは、、、。
■ しかし、今や、「国家の守る個人」像は幻想になった。国家のまもるマーケットはグローバル化=肥大化しすぎている。巨大な動きの影で、押しつぶされる個人が無数に生まれ始めている。
 国家の法律が、社会の規範を押しつぶす中で、個人の生存と福祉、安全と健康が脅かされている。
■「もし、法律の興隆が共同体の没落を意味し、法律が、社会的規制の機能不全状態に置き換わったのであったとすれば、共同体の没落は好ましい傾向とみていいはずだ」とポスナーは摘示する。
 しかし、違う。
 「マーケット」と「法律」
 これが共同体の衰退をもたらした。そして、「共同体の衰退は、今や悔やむべきことと看做されており、これを阻むべきものと受けとめられている」
■ 「法律による規制」に対する「共同体による統制」。その復権、復活が、必要なのではないか、、、、
 、、、という勝手な感想をもって本を読み終えた。少し時間がかかったが、読み応えのある本であった。

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2007年09月25日

■『ダヴィンチ・コード』読書録ー宗教と「こころ」


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■『ダヴィンチ・コード』。ポケットブック576頁を読んだ。
 映画並みの事件展開のテンポの軽さを読みながら感じさせる。しかも、各イベント毎に、歴史と宗教の絡む根深い問題をさりげなく提起するー「女性蔑視」思想の淵源、男優位の価値序列が作られた過程をラングドン教授が語る。
 魔女狩りの真の意味ー血統を捜し、消滅させる教会挙げての圧政。
 テンプル騎士団の本当の意味ーその弾圧の理由。血統を守る者と抹殺する者との戦い。
 ルーブルで始まり、ルーブルで終わる、キリスト教聖杯伝説。
 ルーブルの中庭、入口にもなっている『ピラミッド』、そこに隠されたキリスト教2000年の秘密。
 そして、聖杯の本当の意味ーブラッドライン=血統を継ぐ者達とこれを守るもの達の存在。
 この秘密を糧に権力と冨を得ようとする者との戦い、権威を守る教会の蔭、、、、

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■なるほど、おもしろいミステリーであるし、なによりもイギリス、フランスの旅行ガイドも兼ねている。行った場所、行きたい場所を思い浮かべながら見ることのできる本、、、
 2001年に訪れたルーブルの写真を繙き、今年3月にロンドン訪問のときお土産に買ったテンプラー騎士団の人形をしげしげと見守りつつ、本を読み終えた。
■ 『最後の晩餐』に描かれた、ほんものの聖杯ーマリー・マグダーレン。

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 イエスキリストの血をこの世に伝える血統の存在。
 西洋的であるものーキリスト的であること、このすこぶる理解しがたい文化をミステリーで語っているから、おもしろいのだろうか。
 仏陀に子どもがいて、その血脈が実は今も続いている、と言われたら、どうなるのだろうか、とつい考える。
 「それはよかった、ありがたいことだ、南無妙法蓮華経」で終わるのだろうか。
 それとも、bloodlineの正統性を巡る血の戦いでも始まるのだろうか。
 キリスト教の原点ーイエスは神でなければならない。これと世俗の父親であることは、それほど矛盾するのだろうか。

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■ 『モナリザの微笑』。
 物語では、ここに聖杯の隠し場所への道筋が隠されていた。同時に、絵の主人公がマリ−マグダレンその人であるとか、、、
 ルーブルを訪れて、この絵をはじめてみたときの写真を、本を読みながら、モニターにアップした。
 次回ルーブルに行ったときには、別な見方ができるだろう。
 むろん、来年3月にロンドンに行くとき、テンプル教会をまっさきに訪問し、また、ウエストミンスター教会でニュートンの墓を見ることとなるだろう。
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2007年09月07日

■シドニー、ロックとある小説ー"Women on the Rocks"


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■ もう3年も前になる。"Dymocks"でオーストラリア特有の小説を店員に紹介してもらって買い込んだのは。
 その1冊が、"Women on the Rocks"。
 イギリスの田舎町でジェントリーの家に使われていたメイドが、えん罪で有罪判決を受けるー"Old Baily"−現在の刑事中央裁判所で、コロニー追放を宣告される。江戸時代でいう、島流しだ。
 そして、シドニーに来る。そこから、小説がさらに展開していく。町の有力者であるパン工場主との婚姻、自らの子を持つことを嫌うため妊娠とともにまた刑務所に送り返される主人公ーMary Jones。
 裁縫業での独り立ち、娘のやくざな貴族との結婚、その意外な結末、ニュジーランドに移住した英国以来の友人との文通とシドニー、ロックでの再開、、、
 えん罪で島流しになった一女性の一生をロックを背景に描く小説。

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 この小説が日本で有名なのかどうか、作家ーKristin Williamsonが著名なのかどうか、、、例のごとく、趣味にうんちくを傾けることのない筆者にはわからない。
 ただ、この小説はおもしろい。19世紀中頃、ロマン主義華やかりし時代が植民地シドニーにどう反映していくのか、そんな時代を背景に、未知の大陸でたくましく活きる一女性の姿、、、。
 実は、2004年11月のオーストラリア調査の際に買い求め、帰りの飛行機で繙いたはずなのに、今日、読み上げることとなった。
 三年越しの読書。シドニーもぜひ再訪したい街だ。

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2007年08月22日

■"The Lincoln Lawyer" by M.Connelly-刑事弁護の本質


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■ヒースロー空港で今年3月に買った小説をようやく読み終えた。仕事上、小説といえば、どうしても犯罪・裁判・捜査・弁護ものになる。これもその一冊である。ただし、「趣味」で読む小説なので、それ自体がおもしろければよく、この小説と作者がどれほどアメリ・日本・世界で有名か無名かは、知らない。「趣味」に蘊蓄はいらない。
 ともあれ、おもしろかったー「答弁取引」ばかりで稼ぐ刑事弁護専門弁護士が、不動産財閥の跡取り息子の売春婦殺人未遂の弁護を引き受ける。
 実は、前に彼が仮釈放可能な無期懲役で手を打つようにすすめた依頼人の事件ー殺人事件の真犯人であることが、調査の過程でわかる。
 しかも、巧妙な犯人は、自分の陪審法廷がはじまる直前に、主人公弁護士に、「両方の事件とも真犯人は自分だ」と打ち明ける。守秘義務で縛りをかけるためだ。ー弁護士の真実義務か倫理遵守かを選択させることで、弁護士を自分の味方に引きつけておこうとする。
 殺人未遂法廷は、若手検事の勇み足で有罪立証が破綻する。反対尋問のみごとな技法が、そこここにちりばめられている。
■ 最後の結末は、案外あっけない。息子を庇うために大金持ちの母親自らも殺人を繰り返しており、主人公も「息子を私から奪えない」と脅す母親の銃弾に倒れるが、からくも正当防衛で射殺に成功。息子も、警察が監視下においていて、主人公はえさに使われただけ、、、
■ 「法廷」で真相を解明する。この不思議な舞台装置。しかも今までは、ここで捜査段階で警察などが集めた書類を裁判所に引き渡し、裁判官は裁判官室でじっくりと資料をよんで、いわば推理小説をみずから解決する感覚で「犯人、みつけたり!」とやっている。
 だから、証拠から事実を推認する、という基本構造はあるが、実のところ、「資料をもとにレポートを上手にまとめる」というのに近い作業が、「刑事裁判」として行われきた。
 概ねこれで健全に司法は機能する。しかし、その中に、小説の主人公も見逃したように、えん罪・無辜・無実が交じる。そのときにも、裁判官は有罪資料で有罪を「説明」する。この作業と、証拠の重みから事実を推認すること、証拠の重みが示すなまの人間を読み取ること、、、刑事裁判にとってもっとも大事な作業とを混同する。そして、人間をみれなくなる。
 日本の裁判官は、書類で人と社会を裁く。「調書裁判」の弊害に陥る。
■ 他方、リンカーン数台に記録を積んで走り回る小説の主人公ーミッキー・ハラーも、陪審裁判の特殊性を熟知した法廷戦略・法廷技術を駆使して、クライアントを刑事裁判から解放する。証拠の重みとともに、法廷パフォーマンスが重視される。証拠収集や法廷技法のささいなあやまりで、事実を裁く証拠の重みをくつがえす。「ゲーム裁判」となる。
■ 有罪の作文に向いている「調書裁判」か、ゲーム感覚の「公判中心主義」か、、、。
 一長一短なのかもしれない。裁判員裁判はどうなるものやら、、、

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2007年05月15日

■『育てることの困難』ー甲南本(続)

■ 5月15日。
 大阪、商工会議所。その会議室に朝から籠もっている。といっても、朝方は建物の外に1時間ほど立ち、昼にも隣の建物、大阪ドームの様子をみにいっているから、適度の運動は伴っている。さて。
 高石恭子編『育てることの困難』
 (人文書院、2007年)
 朝からかけて上記の本をざっと読んだ。
 ユング派の心理学を継承する(と勝手に思いこんでいるのだが)甲南大学人間科学研究所の研究成果。高石教授も本の紹介欄でユング派の学者と知る。
 同教授は、甲南大学法科大学院の心理カウンセリングについていつも助言をもらっている。昨年も今年も「5月病」になりやすい5月の連休明けに新入院生向けに「心のケア」に関する講演を依頼している。

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■「子育て」が、今、社会構造の中で押しつぶされそうになっている、この認識自体はその社会全体で享有されているのではないか。
 では、その構造的な原因と対策はなにか。心理学、精神医学の専門家の共同研究をまとめたこの本。異分野の繙き方と語りに思わず引き込まれてしまう。どのみち、門外漢。自分の関心にそって言葉を広いながら、社会科学の目から少子高齢化を分析し、「21世紀日本における、前向きの子育て環境」を再構築するのに必要な概念を考える、その手がかりを拾ってみた。こんな言葉に線を引いてみた。
○「私たちが困難を感じる要因には、どんな次世代を育てればよいのか、という方向性の喪失があるのではないか」という基本的な問題点。
○「家庭を仕事に持ち込まない」の時代に対して、「現代では、職場においてもこのように意図的に子育てを可視化していく努力が必要なのではないだろうか」。
○育児の公共化を認めない現在の「公共的枠組み」ーこれに対して、「私事の共同化が公共性を実現する」という対抗軸を構築すること。
○「育児は実際は私的で恣意的な行為ではなく、きわめて社会的で政治的な行為である」という認識を広めること。
○「子育て」をとりまく問題点
 ○「子育ての負担感」が「子育てを継続できないほどに高い」社会になった日本。
 ⇒「そもそも日本の世論において子育てが『困難』と切り離され、『楽しさ』や『喜び』と結びつけて論じられることを自明とした時代はあったのだろうか」という疑問。
 ○「子育て」を担えない「内向きの若者」群像。
 ⇒「同質性の高い集団の中で同調的なコミュニケーションに慣れる一方で、小さな差異やずれを自己にとって不快なものと捉えるようになり、異質な人種との交流が難しくなりがちに見える」。「自分への強いこだわり」「他人からの些細な指摘に過剰に反応する傷つきやすさ」「他人を信頼することの困難さ」 ○今の時代背景
 ⇒「自己愛の傷つきを抱えた人格障害者の増加」
 ⇒未婚の子をパラサイトさせる親ではなく、早くから子の自立を促す親が登場しなければならない。
○「子育て」の捉え方の問題点。
 ○「世代の引き継ぎの場」、「育てー育てられる営み」
 ○楽しい・楽しくないで捉える視点の問題点
  ⇒「現代社会では、出産は個人的な選択の結果だという暗黙の前提」
 ○面白い・面白くない論への疑問
  ⇒「面白くない日常性を女性に押しつけ、面白い非日常性を男性が引き受けるーそういう二分法」
 ○母親像⇒人格の二重化⇒「表層=個人化/深層=自己犠牲」の是正。
■興味深かったのは、「子育ての方向性の喪失」という時代の捉え方だ。
 これを立て直すための「子育ての可視化」の視点と、子育ての場の捉え方としての「世代の引き継ぎの場」、「育てー育てられる営み」という視点設定である。
 この中に「社会的責任」としての子育て観をマッチさせたいところだ。
 個人の「ライフ・スタイル」としての子育てこそ最優先すべき価値というドグマが浸透した「個人主義社会」は崩壊しつつある。インフラへの責任感は、全体主義・独裁主義につながるものとしてかつて捨てられた。そして、すべてを「個人化」する一方、その個人を道具・歯車・細胞に押しとどめる「組織」の力が強大化した社会。
 その社会での活き活きとした子育てを実現するのには、「社会的責任」観の復活が要る。そこに日本社会の再生の基軸がある。そうでなければ、「子育て=公の営み」としての認知もありえない。「子育ての可視化」には、そうした社会性に裏付けられた理念が要る。「子育て=正義観」とさえいってもいい。それは、「個人と家庭が平和に存在できるインフラを築き守る社会的責任」だ。「子育て」はそのごくあたりまえのプロセスであり、ことさら論ずるまでもない内在的な価値原理ではないか。だから、子育ては、国家をあげてサポートしなければならないと思う。
■ とまれ、本書は、甲南キャンパスが発する「子育て」からみる「21世紀日本」論だ。
 この感想を書き推こうを終えたとき、今日、第2回新司法試験の初日の日程が終わっていた(午後5時35分)。
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2007年05月02日

■教養から情報へーカンスタブルとターナー

■手元に2冊の本がある。イギリスの著名な風景画家を紹介するものだ。
 N.Horizons
"J.M.W.Turner-The Man Who Set Painting on Fire"
Thames&Hudson, 2005(English Edition)

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 1775年4月23日、コベントガーデン近くにある床屋に、男の子が生まれる。それが、ターナーである。1851年12月に死ぬまで、イギリスの風景を中心にしながら、水彩画の世界を世に問うた作家。
 若くしてローヤルアカデミーのメンバーになり、イギリス画壇をリード。
■もう一冊はカンスタブルの本。
 W.Vaughhan
"John Constable-British Artists"
Tate Publishing,2002

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ターナーと同じ時代に同じくロンドンで活躍した画家。油絵を使った風景画家。イギリスの田園を描く作風は、ゲインズボローとともに、我が国でもよく知られている。
 1776年6月生まれ、1837年4月1日死亡。
 ターナーより1年遅く生まれて、数年早く死去。
 イギリス産業革命の時代、ナポレオン戦争の時代、大陸封鎖の時代に画家として活動。
 この本は、時代の流れを重ねながら、彼の作品の意義付けを行なう興味深いもの。
 自然主義ー農村風景画が、大陸封鎖に対抗して農業の振興を急がねばならないイギリスの歴史的必然と重なるとの摘示は、「ひとつの見方」を提供する。
■「教養」を「情報化」すること。
 そんなことを今から四半世紀以上も前に大学に入学した頃、漠然と考えていたようだ。
 当時まだ存在していた「教養学部」で、雑多な講義を色々と受けた。シェークスピアからオランダ植物学まで。
 あわせて美術館にもよく足を運び、画集もなんさつか手元に置いた。
 イギリスへの憧憬はその頃に培った。とくに夏目漱石の坊ちゃんにでてくるターナーのほんものを本場でみたい思いを強くした。
 この3月にテート美術館でその思いを果たした。ついでに、上記2冊の本も購入。電車で大学に通う合間合間に読み終えた。
■「概念」としての情報。これは最近使う言葉だ。
 社会を読み解く自分の一応のまとまりを「概念」として蓄えておく。概念で社会をみる。社会から概念を得る、、、そんな相互コミュニケーションで、時代を見通す目を維持している。


 

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2007年04月30日

■国際社会と日本ー2冊の甲南本

■連休に2冊、本を読んだ(といっても、いわゆる"skim through"なのだが、、、)。
 井野瀬久美恵『大英帝国という経験ー興亡の世界史16巻』(講談社、2007年)
 中村耕二『グローバル時代の英語教育ーContents-based ProcessWriting for Oral Presentation』(英宝社、2007年)
 ともに甲南大の教授の手になるジャンルが一般的には全く異なる本。
 しかし、ブログ主宰者の関心からは、同一の視点で捉えることができるー別言すれば、利用することのできる、というべきかー情報が満載されている。
 「21世紀日本が正しい意味で国際社会の信頼されるパートナーとして活躍する条件はなにか」、これである。
■ まず、イギリス。
 この小さな島国が、16世紀以来世界の覇権を競い、今も国際社会の重鎮として外交・経済・政治、、、の面で活躍する力をどうやって維持しているのか。EU圏と独自の距離を保ちながら、英国のアイデンティティーを維持するすごみはどこにあるのか。そして、そこから、アジアの島国である日本は、何を学べるのか。

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 これを「帝国を語るということ」という命題にまとめて、ウオーター・ローリーの少年時代の画像を挿絵にして語り始める井野瀬英国史観は、みごと!というしかない。
 また、学生に人気の外資系企業、ユニ・リーバの社史とイギリス帝国の19世紀の発展がどう結びつくのかについて、こんなに簡潔にしかも活き活きと語られる本も珍しかろう。
 イギリスが奴隷制度をいち早く廃止できた複合的な要因ー人権主義、アメリカとの対抗、西インド諸島におけるサトウキビ栽培の衰退(ヨーロッパのサトウキビ生産、安価な砂糖の供給源確保)等などをざっと把握することのできる機敏な情報整理。
 「女性と帝国主義」という斬新な資格からみたイギリスなる存在の奥行きーアフタヌーンティーの起源と家庭重視の倫理観確立の関係、、、、
 現代イギリスを読み取り、アジアの島国日本の閉塞状況を打ち破る新しい視座、方向性を獲得するのに、この本はすこぶる役立つ。
■ 英語教育。
 次のテーマがこれ。日本の立ち後れの原因は、英語教育の失敗にある。これは、知識人の共通認識だ。英語で語れない12年の英語教育ー中学から始まり、大学まで延々と続く公的な英語教育は、我が国の若者に、単なる受験テクニックという、内なる世界、閉ざされた日本社会でしか通用しない和製英語の伝授を続けているのに留まる。
 EUの実験と対比しつつ、「アジアの中の日本において、世界から孤立しないで世界の人々と共存するためには何が必要であろうか」、この問いに「英語のプロセス教育」という具体的で日常的でしかも生産的な答を示しているのが、中村教授の本だ。
nakamura.jpg "global literacy"と"cultural diversity"。このふたつの価値観を若者が具体的に自己の情報として身につけることーそれに対応できる英語力を付けること。これなしに、21世紀における日本の生き残りの道はない。ーーーそれを、甲南大の岡本のキャンパスの小さな教室から始める教育実践。
 社会現象を批評し問題点を摘示するのは容易だ。これを変える取り組みは大変だ。その道筋を示した本がこれだ。
 ーー夢中になって読んでいて降りるべき明石駅を通り過ぎ終点西明石まで運ばれてしまった。
■ 法科大学院とローヤー。
 これを育てる法科大学院の責任者として、今伝えなければならないと思うことがふたつある。
 (1)「社会的責任」。これを伝える法曹教育の必要性。要するに、法科大学院の教員は、「君たちは、正義を実現する商売をしなさい」と語るべきこと。
 (2)「国際性」。その正義を世界規模で実現しなければ、国際社会の論理の前に、日本が滅亡する危機ーだからこそ、その克服の第1歩として、異文化コミュニケーション能力(そのまた第1歩としての英語力)を身につけるべきこと。
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 胸にバッチをつけるときは、正義の味方でなければならないーしかも、国際的視野と歴史的視野をみにつけた正義の実現ーそれがローヤーだと思う。
 連休の「いやし」の刻を使って、今回は甲南のキャンパスから発信された知識に大いに刺激された。
posted by justice_justice at 23:20| Comment(1) | TrackBack(0) | ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする