2007年05月15日

■『育てることの困難』ー甲南本(続)

■ 5月15日。
 大阪、商工会議所。その会議室に朝から籠もっている。といっても、朝方は建物の外に1時間ほど立ち、昼にも隣の建物、大阪ドームの様子をみにいっているから、適度の運動は伴っている。さて。
 高石恭子編『育てることの困難』
 (人文書院、2007年)
 朝からかけて上記の本をざっと読んだ。
 ユング派の心理学を継承する(と勝手に思いこんでいるのだが)甲南大学人間科学研究所の研究成果。高石教授も本の紹介欄でユング派の学者と知る。
 同教授は、甲南大学法科大学院の心理カウンセリングについていつも助言をもらっている。昨年も今年も「5月病」になりやすい5月の連休明けに新入院生向けに「心のケア」に関する講演を依頼している。

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■「子育て」が、今、社会構造の中で押しつぶされそうになっている、この認識自体はその社会全体で享有されているのではないか。
 では、その構造的な原因と対策はなにか。心理学、精神医学の専門家の共同研究をまとめたこの本。異分野の繙き方と語りに思わず引き込まれてしまう。どのみち、門外漢。自分の関心にそって言葉を広いながら、社会科学の目から少子高齢化を分析し、「21世紀日本における、前向きの子育て環境」を再構築するのに必要な概念を考える、その手がかりを拾ってみた。こんな言葉に線を引いてみた。
○「私たちが困難を感じる要因には、どんな次世代を育てればよいのか、という方向性の喪失があるのではないか」という基本的な問題点。
○「家庭を仕事に持ち込まない」の時代に対して、「現代では、職場においてもこのように意図的に子育てを可視化していく努力が必要なのではないだろうか」。
○育児の公共化を認めない現在の「公共的枠組み」ーこれに対して、「私事の共同化が公共性を実現する」という対抗軸を構築すること。
○「育児は実際は私的で恣意的な行為ではなく、きわめて社会的で政治的な行為である」という認識を広めること。
○「子育て」をとりまく問題点
 ○「子育ての負担感」が「子育てを継続できないほどに高い」社会になった日本。
 ⇒「そもそも日本の世論において子育てが『困難』と切り離され、『楽しさ』や『喜び』と結びつけて論じられることを自明とした時代はあったのだろうか」という疑問。
 ○「子育て」を担えない「内向きの若者」群像。
 ⇒「同質性の高い集団の中で同調的なコミュニケーションに慣れる一方で、小さな差異やずれを自己にとって不快なものと捉えるようになり、異質な人種との交流が難しくなりがちに見える」。「自分への強いこだわり」「他人からの些細な指摘に過剰に反応する傷つきやすさ」「他人を信頼することの困難さ」 ○今の時代背景
 ⇒「自己愛の傷つきを抱えた人格障害者の増加」
 ⇒未婚の子をパラサイトさせる親ではなく、早くから子の自立を促す親が登場しなければならない。
○「子育て」の捉え方の問題点。
 ○「世代の引き継ぎの場」、「育てー育てられる営み」
 ○楽しい・楽しくないで捉える視点の問題点
  ⇒「現代社会では、出産は個人的な選択の結果だという暗黙の前提」
 ○面白い・面白くない論への疑問
  ⇒「面白くない日常性を女性に押しつけ、面白い非日常性を男性が引き受けるーそういう二分法」
 ○母親像⇒人格の二重化⇒「表層=個人化/深層=自己犠牲」の是正。
■興味深かったのは、「子育ての方向性の喪失」という時代の捉え方だ。
 これを立て直すための「子育ての可視化」の視点と、子育ての場の捉え方としての「世代の引き継ぎの場」、「育てー育てられる営み」という視点設定である。
 この中に「社会的責任」としての子育て観をマッチさせたいところだ。
 個人の「ライフ・スタイル」としての子育てこそ最優先すべき価値というドグマが浸透した「個人主義社会」は崩壊しつつある。インフラへの責任感は、全体主義・独裁主義につながるものとしてかつて捨てられた。そして、すべてを「個人化」する一方、その個人を道具・歯車・細胞に押しとどめる「組織」の力が強大化した社会。
 その社会での活き活きとした子育てを実現するのには、「社会的責任」観の復活が要る。そこに日本社会の再生の基軸がある。そうでなければ、「子育て=公の営み」としての認知もありえない。「子育ての可視化」には、そうした社会性に裏付けられた理念が要る。「子育て=正義観」とさえいってもいい。それは、「個人と家庭が平和に存在できるインフラを築き守る社会的責任」だ。「子育て」はそのごくあたりまえのプロセスであり、ことさら論ずるまでもない内在的な価値原理ではないか。だから、子育ては、国家をあげてサポートしなければならないと思う。
■ とまれ、本書は、甲南キャンパスが発する「子育て」からみる「21世紀日本」論だ。
 この感想を書き推こうを終えたとき、今日、第2回新司法試験の初日の日程が終わっていた(午後5時35分)。
posted by justice_justice at 20:45| Comment(11) | TrackBack(0) | ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

■教養から情報へーカンスタブルとターナー

■手元に2冊の本がある。イギリスの著名な風景画家を紹介するものだ。
 N.Horizons
"J.M.W.Turner-The Man Who Set Painting on Fire"
Thames&Hudson, 2005(English Edition)

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 1775年4月23日、コベントガーデン近くにある床屋に、男の子が生まれる。それが、ターナーである。1851年12月に死ぬまで、イギリスの風景を中心にしながら、水彩画の世界を世に問うた作家。
 若くしてローヤルアカデミーのメンバーになり、イギリス画壇をリード。
■もう一冊はカンスタブルの本。
 W.Vaughhan
"John Constable-British Artists"
Tate Publishing,2002

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ターナーと同じ時代に同じくロンドンで活躍した画家。油絵を使った風景画家。イギリスの田園を描く作風は、ゲインズボローとともに、我が国でもよく知られている。
 1776年6月生まれ、1837年4月1日死亡。
 ターナーより1年遅く生まれて、数年早く死去。
 イギリス産業革命の時代、ナポレオン戦争の時代、大陸封鎖の時代に画家として活動。
 この本は、時代の流れを重ねながら、彼の作品の意義付けを行なう興味深いもの。
 自然主義ー農村風景画が、大陸封鎖に対抗して農業の振興を急がねばならないイギリスの歴史的必然と重なるとの摘示は、「ひとつの見方」を提供する。
■「教養」を「情報化」すること。
 そんなことを今から四半世紀以上も前に大学に入学した頃、漠然と考えていたようだ。
 当時まだ存在していた「教養学部」で、雑多な講義を色々と受けた。シェークスピアからオランダ植物学まで。
 あわせて美術館にもよく足を運び、画集もなんさつか手元に置いた。
 イギリスへの憧憬はその頃に培った。とくに夏目漱石の坊ちゃんにでてくるターナーのほんものを本場でみたい思いを強くした。
 この3月にテート美術館でその思いを果たした。ついでに、上記2冊の本も購入。電車で大学に通う合間合間に読み終えた。
■「概念」としての情報。これは最近使う言葉だ。
 社会を読み解く自分の一応のまとまりを「概念」として蓄えておく。概念で社会をみる。社会から概念を得る、、、そんな相互コミュニケーションで、時代を見通す目を維持している。


 

posted by justice_justice at 05:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする

2007年04月30日

■国際社会と日本ー2冊の甲南本

■連休に2冊、本を読んだ(といっても、いわゆる"skim through"なのだが、、、)。
 井野瀬久美恵『大英帝国という経験ー興亡の世界史16巻』(講談社、2007年)
 中村耕二『グローバル時代の英語教育ーContents-based ProcessWriting for Oral Presentation』(英宝社、2007年)
 ともに甲南大の教授の手になるジャンルが一般的には全く異なる本。
 しかし、ブログ主宰者の関心からは、同一の視点で捉えることができるー別言すれば、利用することのできる、というべきかー情報が満載されている。
 「21世紀日本が正しい意味で国際社会の信頼されるパートナーとして活躍する条件はなにか」、これである。
■ まず、イギリス。
 この小さな島国が、16世紀以来世界の覇権を競い、今も国際社会の重鎮として外交・経済・政治、、、の面で活躍する力をどうやって維持しているのか。EU圏と独自の距離を保ちながら、英国のアイデンティティーを維持するすごみはどこにあるのか。そして、そこから、アジアの島国である日本は、何を学べるのか。

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 これを「帝国を語るということ」という命題にまとめて、ウオーター・ローリーの少年時代の画像を挿絵にして語り始める井野瀬英国史観は、みごと!というしかない。
 また、学生に人気の外資系企業、ユニ・リーバの社史とイギリス帝国の19世紀の発展がどう結びつくのかについて、こんなに簡潔にしかも活き活きと語られる本も珍しかろう。
 イギリスが奴隷制度をいち早く廃止できた複合的な要因ー人権主義、アメリカとの対抗、西インド諸島におけるサトウキビ栽培の衰退(ヨーロッパのサトウキビ生産、安価な砂糖の供給源確保)等などをざっと把握することのできる機敏な情報整理。
 「女性と帝国主義」という斬新な資格からみたイギリスなる存在の奥行きーアフタヌーンティーの起源と家庭重視の倫理観確立の関係、、、、
 現代イギリスを読み取り、アジアの島国日本の閉塞状況を打ち破る新しい視座、方向性を獲得するのに、この本はすこぶる役立つ。
■ 英語教育。
 次のテーマがこれ。日本の立ち後れの原因は、英語教育の失敗にある。これは、知識人の共通認識だ。英語で語れない12年の英語教育ー中学から始まり、大学まで延々と続く公的な英語教育は、我が国の若者に、単なる受験テクニックという、内なる世界、閉ざされた日本社会でしか通用しない和製英語の伝授を続けているのに留まる。
 EUの実験と対比しつつ、「アジアの中の日本において、世界から孤立しないで世界の人々と共存するためには何が必要であろうか」、この問いに「英語のプロセス教育」という具体的で日常的でしかも生産的な答を示しているのが、中村教授の本だ。
nakamura.jpg "global literacy"と"cultural diversity"。このふたつの価値観を若者が具体的に自己の情報として身につけることーそれに対応できる英語力を付けること。これなしに、21世紀における日本の生き残りの道はない。ーーーそれを、甲南大の岡本のキャンパスの小さな教室から始める教育実践。
 社会現象を批評し問題点を摘示するのは容易だ。これを変える取り組みは大変だ。その道筋を示した本がこれだ。
 ーー夢中になって読んでいて降りるべき明石駅を通り過ぎ終点西明石まで運ばれてしまった。
■ 法科大学院とローヤー。
 これを育てる法科大学院の責任者として、今伝えなければならないと思うことがふたつある。
 (1)「社会的責任」。これを伝える法曹教育の必要性。要するに、法科大学院の教員は、「君たちは、正義を実現する商売をしなさい」と語るべきこと。
 (2)「国際性」。その正義を世界規模で実現しなければ、国際社会の論理の前に、日本が滅亡する危機ーだからこそ、その克服の第1歩として、異文化コミュニケーション能力(そのまた第1歩としての英語力)を身につけるべきこと。
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 胸にバッチをつけるときは、正義の味方でなければならないーしかも、国際的視野と歴史的視野をみにつけた正義の実現ーそれがローヤーだと思う。
 連休の「いやし」の刻を使って、今回は甲南のキャンパスから発信された知識に大いに刺激された。
posted by justice_justice at 23:20| Comment(1) | TrackBack(0) | ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする
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