2014年02月04日

ハワイの神々ー”Ku"

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 ハワイにビショップ博物館がある。ハワイの歴史を簡単にみることのできる小さな博物館である。ややお粗末な観もあるが,カメハメハ大王の一族がいかにハワイを支配し,またアメリカの進出に対して平和を維持しつつ合併を決めたのか簡単にわかる。最後の苦労しながら,リリウオカラニ女王(Queen Liliuokalani)が自らクーデター(?)を指揮するが,大陸系アメリカ人に敗れアメリカ軍の圧力のもと,王家の支配が終了,議会の力でアメリカ併合が決まる。カメハメハのハワイが終わり,アメリカのハワイがはじまる。「クー神=多神教」の世界から,「キリスト教=一神教」の世界へ,海洋文化から西洋文化へとハワイが変容する,その一端を簡単に学ぶことができる。

http://www.bishopmuseum.org/

 クー神について,博物館の説明を以下引用する。「海洋の観音」とでも理解すれば分かりやすい。すべてに宿り,すべてを支配する神。怒りと戦いの形でよく土産物屋にならび,そのおどろおどろしい姿に奇怪さを感じるが,その本質は,穏やかな顔立ちで表れる日本の観音と同じである。
 そのクー神の宿るダイアモンドヘッドを一周するジョギングをしながら,再度,アメリカに併合された「ハワイ」を考え,アメリカとの機動部隊間の海戦を堂々と繰り広げた「日本」を考える。
 戦艦同士の海戦はヨーロッパでも闘われたが,機動部隊の編成と両国機動部隊の海戦は太平洋で日米間でしか行われていない。高高度の技術を用するからだ。
 今も,中国,ロシアであっても,アメリカ海軍と機動部隊決戦を行なうことはできない,と素人ながら判断している。軍事力が圧倒的に差があるだろう。
 その日本が,かつてのハワイにならない工夫が要る。中国に併呑されるのを避け,アメリカの51番目の州になることも避けて,信頼される先進国として評価されつづけるかどうか,,,。
 そんなことを考えながら,ハワイの最後の時間をホテルで過ごしている。
 ここには,休暇でも仕事でも,また来ることであろう。
・・・・
"Kū"
For hundreds of years prior to 1819, Hawaiian society was governed by the ‘Aikapu, a system of religious, political, and social laws. In this system, the role of religion in political and social organization was paramount; the ‘Aikapu itself was conceived by the kahuna (priest) of Wākea, an Akua (God) often referred to as Sky Father. In the philosophy that informed the ‘Aikapu system, nothing in Hawaiian life occurred without the will and recognition of the Gods. The sun rose and prayer was chanted. The crops were planted and an oli (chant) was performed. A battle was waged and the chiefs made appeals to the Akua. A child was born and religious ceremony abounded. It can be said with certainty that every aspect of Hawaiian life was imbued with a deep sense of spirituality, from the very mundane to the extraordinary.
As a polytheistic society, Hawaiians worshipped nearly 40,000 Gods under the ‘Aikapu. These Gods presided over the various tasks of life, including childbirth, agriculture, war, fishing, family structure, and chiefly rule. The Akua, like the kānaka, were of various ranks and power. ‘Aumākua or ancestral Gods guarded and guided members of their family and were honored by those who were genealogically linked to them. All Akua had earthly nature forms known as kinolau, literally, “many bodies”, and each God often had more than one kinolau. The pueo (owl), the falling rain, a palapalai fern, the ‘ōhi‘a lehua blossom, and the manō (shark) were among the thousands of kinolau of the Akua. In this understanding, the Akua are not distant or ephemeral, but familiar and real, sharing the earthly realm with kānaka.
Earthly manifestations of Akua are also found in the ki‘i (God images). Ki‘i have been exotified through American “tiki” culture, and the Akua most often misrepresented in this context is Kū, the male God of war and politics. Carved to inspire a sense of fear and severity, Kū stands as tall as the human warriors who worshipped him and likely resided in a heiau or temple dedicated in his honor. There are literally dozens of manifestations of Kū including Kūkā‘ilimoku (Kū Snatcher of islands), Kūolonowao (Kū of the deep forest) Kū‘ula (Kū of the abundance of the sea) and many others. These Kū forms presided over a myriad of tasks such as fishing, the gathering of hardwoods for carving, as well as the catching of birds for feather work.

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2014年02月03日

■ハワイーパールハーバーにて(3)

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■ハワイーパールハーバーにて(3)
 アリゾナ記念館。戦艦アリゾナが海に沈んでいる。油もまだ浮かぶ。ガイドを兼ねた若き海軍兵士が誇らしげに,しかし,荘重に説明する。ここは,真珠湾攻撃の記念碑でもあるが,同時に,大勢の海軍兵士,海兵隊兵士の墓地そのものでもある,と。だから,その気持ちで敬意を表してほしい,と。英霊が眠る場を大切にするのは,その国の国民の義務だ。国を守るために命を捧げた市民をその国の政治家,官僚,民間会社,市民誰であれ,無視し放置し知らぬ顔をすることなど許されるわけがない。靖国神社に刻の為政者が参拝することをこれほど小馬鹿にされ,外交的に利用されるのは,日本の「外交下手」の性である。狂信的軍国主義への反省を込めてこそ,堂々と政治家は靖国神社に参拝するべきだ。むろん,共産党の議員も足を運ぶべきだと思う。もちろん,宣戦布告が正式にアメリカ政府に届く前に,火ぶたをきった真珠湾攻撃をそのまま正当化することはやはりできぬが,ここで大勢のアメリカ軍人とともに,日本の若者達も命を落としていることも思い出しつつ,海の底に沈むアリゾナの姿を波間に眺めてみたことであった。
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2014年02月02日

■ハワイーパールハーバーにて(2)

空母赤城の模型が真珠湾に至る歴史博物館においてある。空母からの発艦・着艦の技術を持てた国であった日本が,他方で,「神の国」イデオロギーで戦争に臨んだ自己矛盾。零戦を作る技術と神の国の戦闘機乗りに信念で敵の弾を外すように命ずる無謀さ。科学と神話の同居の中で,道を誤った国,,,,。せめても,機動部隊を育てた科学性・技術性・合理性・戦略性は,神秘的軍国主義からも空想的平和主義からも冷静に批判し切り離して,受け継ぎたい。
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2014年02月01日

■ハワイーパールハーバー

■ハワイーパールハーバーにて
 所用でホノルルにいる。午後にパールハーバーに寄った。アリゾナ記念館にボートで渡る。その前の30分ほどの簡単な紹介映画。真珠湾攻撃に至る簡単な歴史がドキュメントとして映像化されている。奥にはフォード島から渡れるミズーリが浮かぶ湾内にアリゾナが沈む。スコールが来た後の曇り空。一角に青い空が浮かぶ。淵田 美津雄海軍中佐の乗る九七式艦攻から見えた空の一角もこんなのであったかと思いつつ,空を見つめていた。
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2011年06月01日

■2011年3月ハワイ(3)ー真珠湾

 2011年3月13日、はじめて真珠湾を訪問する。地名、できごと、その意味、、、はそれなりに理解している。『真珠湾攻撃』。20世紀をふたつに分けるできごと。フォード島側からオアフ島の上に広がる蒼穹と雲を眺めつつ、ここを日の丸をつけた飛行機群が蔽った日を思う。

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2011年05月31日

■2011年3月ハワイ(2)ーアソールト・ライフル、ショットガン

 この機会に世界の名銃といわれるM16と、AK47も試射した。比較してなにか云うレベルではない。ただ、M16のほうが、反動がやや少ないかと思われた。ショットガンも撃った。これはヘビーであった。肩にあざが数日残った。
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2011年05月24日

■2011年香港旅情(3)ー男人街の一角

 香港の初日、2日夜。前に香港に来たとき、男人街をぶらついてふとみつけた健康茶の店にまた立ち寄る。軒先に数種類のお茶の釜を並べている。そのときは、1人。適当に指を指して、「これもらう」。女主人は、中国語であれこれ親切に教えてくれていたが、むろん、分からず。今回は、調査のために通訳人を同行。遅めの夕食がてら、彼女もさそっての散策。女主人の説明を訳してくれる。一番苦いのを選んだ彼女に同情してか、最後に甘みのあるお茶をいっぱい我々にご馳走してくれた。

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2011年05月23日

■香港旅情2011年(2)ー金魚街

2011年5月3日の夜、旺角(モンコク)地区、女人街をさらに北に足を運ぶと、「金魚街」と呼ばれる一角がある。文字通り、一ブロックの両サイドに金魚店が並ぶ。店の軒先に、一匹ずつ金魚を入れたビニール袋が所狭しと下げられている。壮観である。

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2011年05月22日

■香港旅情(1)ー女人街の一角

 5月2日の夜、香港入り。事件調査がメイン。その合間を縫ってわずかの観光。3日の夕食はホテル近くの女人街を散策して、屋台のおでんなどつまんでから、お粥を食べた。
 町中に活気があふれている上、少し離れると町の雰囲気が全く違っているのも面白い。

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2010年03月09日

■「蛇の道は蛇」−台湾の司法通訳、新動向(台湾、韓国その1)

今、台湾にいる。
司法通訳の実情をざっと調べるための渡航である。昨日は、台北地方法院検察署の検察官、張氏にあって、特に「契約通訳人」の制度について教えてもらった。
法律に定められているいわゆる「通訳」は、台湾では、北京語と他種類ある台湾語(広い意味で中国語)、客家語との通訳を担当する公務員である。
他の外国語については、基本的に事件毎に外部のものに依頼する。
これをシステム化し、能力の高いものを集めたものが、2年毎に更新する「契約通訳人」システムである。
現在、法務院ー裁判所が整備されたリストをもち、検察サイドも類似のリストを準備している。
台湾でも、アジアからの外国人労働者の受け入れを始めているから、徐々にであろうが、刑事裁判の場面で、中国語内の通訳と異なる外国語通訳の需要は高まるであろう。
その変化にどう対応していくのか今後とも見ていきたい。

 
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 さて。
 台北での宿題の一つは、蛇スープを食べること。
 昨日、龍山寺に参詣した足で、専門店に行く。少し勇気が必要であったが、蛇スープを注文。念のため、デザート(甘味)もあわせて注文しておいた。
 あつあつのスープは、あっさりしており、数片入っている蛇の肉も、さっぱりしている。味も肉のうまみを出すためかあまり濃くはしていない。

 納得の一品であった。

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2009年07月19日

■福岡と「博多三館」ー博多ラーメン『一蘭』


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所用あって、福岡へ足を運んだ。用向きはうまくいった。
 午前中やや早めに博多駅へ到着。勝手に「博多三館」と名付けている最初の訪問先に行くのに、わざと西鉄バスを使うこととした。福岡市博物館である。いわずと知れた、『漢委奴国王』の金印が飾ってある場所である。地下鉄で西新駅まで行き、そこからタクシーか、徒歩で行くのがてっとり早い。しかし、すこし目論見があって、バスにした。
 というのも、博多駅から西鉄バスで博物館まで行く途中、天神北のICから西公園まで高速を通るのだが、しばらくだけ博多湾を一望することができる。これが、みたかったのだ。
 案の定、博多駅から天神に向かう渡辺通りはまったく車が進まなかった。が、天神北まで抜ければスムーズに走る。椅子にすわってややイライラしながらも、午後の用向きまでは十分に時間をとっているので、天神辺りの店や行き交う人のファッションに目をやりながら、ノンビリとバスののろのろ運転に身を任せていた。
 高速道路からの一望。わずか5分ほどかと思うが、北に広がる博多湾と、福岡の鮮魚市場などを望む港部を両側にみることができた。
 そして、博物館へ。
 ここに来るのは、実は2度目だ。博多には、それこそ何度も足を運んでいるから、自分なりの土地勘があるのだが、博物館には、前任校のゼミ旅行で来たうちの二度目の訪問時に博物館もスケジュールに組み込んだ。確か、それが前任校時代の、そして、「渡辺ゼミ」としての最後の旅行になったのではなかったか。
 とまれ、金印。二度目の印象も、「小さい!」に尽きる。
 最初の訪問のときには、「えっ!」と絶句したほどにその小ささに呆然としてしまった。
 というのも、この金印には、思い入れがある。30年以上の前、札幌の郊外の田舎とまだいっていい新興地域にある小学校の社会科の教科書で、はじめて、この金印の白黒写真を見た。必死になって暗記した。『漢、委、奴、国王、、、』教室で、友人と黒板に書いたり、ノートに写したり、、、その基本知識は、中学の日本史の学習にも引き継がれ、そして、東京に場所を移してすることとなった大学受験向け日本史の学習でもふたたび小学生の時に暗記した金印に出会うこととなる。 
 しかも、今度は併行して学ぶ日本史ーアジア史ー中国史、そして、日韓の歴史と、壮大なスケールの中の一こまに位置付けて学んだことを記憶している。朝鮮半島の楽狼群の設置。朝鮮半島への中国の進出。紀元1世紀の九州に割拠する勢力が後漢の後ろ盾を得るために朝貢して、金印をもらった、、、その国王印をもらった土豪はその後どうなったのか、、、
 弥生時代にアジア的視点で自己を位置付けることができた国王が居た、、、しかし、中国に正当性を求めなければならない脆弱性を背負っていた。
 『金印』は、長く心の中でアジアの中の日本を考えるシンボルになっていたのだが、実物を見たのは、今回が2度目。1時間ほどの博物館滞在時間のうち、すくなくとも20分は金印の周りをうろうろとしていたので、係員も怪訝に思ったのではないか。
 次回出かけるときこそ、1回の博物館ショップで売っているレプリカを買ってこよう。
 午後、所用をすませてから、大濠公園へ。目指すは、福岡市美術館。九州に縁のある日本人画家の作品とともに、ヨーロッパの著名画家の作品の幾点かあると案内に書いてある。
 大濠公園も、博多に来るときにはジョギングコースにする定番なのだが、美術館は初めて。荷物をロッカーに預けて、ここでも小1時間をかけてゆっくりとまわった。
 ルオー、シャガール、ダリといった作家の作品も1点ずつ展示されている。日本人画家の作品群をざっと眺め、松永家の壺のコレクションを見て、ふたたび地下鉄へ。
 中洲川端でおりてから、まず、松屋菓子店で鶏卵素麺を1箱買う。300年続く老舗の味を今回のお土産にすることとした。

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 そして、「博多三館」の最後、こここそ、何度も足を運んできている博多の定番中の定番、『福岡アジア美術館』へ。常設展200円で、アジアが分かるし、感じ取れるし、見て取れる。だから、好きだ。
 ミャンマー、タイ、インドネシア、中国、韓国、さらにモンゴルなど、身近でありながら、案外、『触れる』機会のない文化圏の一こまをここで見る。常設展は、フラッシュを使わなければ写真撮影が許されているのもありがたい。イメージを心に留めるだけでなく、デジカメでデータに収めておける。
 常設展のおおむね半分は、定番の作品の展示。前にも見た、その前にも見たし、初めて来たときに大変に感動したモンゴルの神の絵は、いつものように、いつもの場所に飾ってある。そして、半分はいつも新しい。
 今回は、アジアの人形と、アジアの自然を描いた絵画。韓国、モンゴル、中国、インドネシア、、、「自然」を捉える対象と視点の違い。

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 もう日本にはなくなった、「人工」のない、むき出しの自然。「ものの見方」が揺さぶられる作品にいつも、確実に出会う場所だ。
 東の定番が、西洋美術館。学生の頃から通う場所だが、ここは「心の安定」を確認する場所。そして、西の定番が、福岡アジア美術館。ここは、「ものの見方」を常に広げるための場所だ。間違いなく、ここには何度も足を運ぶだろう。
 むろん、博多の決めは、博多ラーメン。
 今回はいつも出向く『一風堂』をやめにした。前回、キャベツ入りスープに閉口したからだ。
 そこで、天神近くの『一蘭』へ。
 混むのは嫌なので、わざと時間を外して、3時半頃へ。驚いたのは、カウンターしかないことと、それも、客1名毎に仕切り板を置いていて、隣の客の顔をみないし、食べてるスープが飛んでくることもないようにしている。

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さらには、正面の店員がラーメンを運んでくるスペースも、料理を出し終わると、のれんをさげる。
 なるほど旅行ガイドに、「味集中カウンターでじっくり堪能」と書くわけだ。納得した。
 そして、うまかった。
 基本のラーメンにのりと半熟卵のトッピングを注文し、これも編者の癖で必ずご飯も一緒に注文して、ラーメンが届くのを待った。
 「うまい!」 一気呵成に食べてしまった。次回は、もうすこし固めにゆでてもらうことにしよう。


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2008年03月26日

■十三商店街ー刑事事件調査と買い物1000円


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■これもごく最近の話。
 阪急十三の駅。東にも西にも商店街があるが、ともに阪急岡本の商店街とは全く雰囲気が異なる。いわば庶民の町ー下町風というべきか。
 そんな街の一角にある、とある事務所を訪問する必要があって例のごとくデジカメを片手に調査活動。
 ことのついでに、商店街を散策。
 ついつい買い物をしてしまった。
 (1)今回2度目の調査だが、前から気になっていたジャンボなおはぎ。「花ぼた餅」という。2個で320円。
 (2)これも前回にもどうしようかと迷っていた、通りの角にあるお総菜屋さんで売っている揚げたてのコロッケとミンチカツ。コロッケ50円を2個、ミンチを1個。合計180円。
 (3)もう十三の駅が見えるその北側の角で、店じまいセールをしているカバン屋さんの店頭で「牛革」のベルトを発見。いつもは百均ショップの安物しか使わないが、ふと目にとまって一本購入。500円。
 かくして、元気な商店街、十三で、ちょうど1000円の買い物をして、調査活動を終えた。
 今度は、散策がてら足を運んでみようと思う。


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2007年12月11日

■「ホンコン」旅情ーHKSAR司法調査


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■「例えば人を逮捕するとします。証拠があれば、我々はすぐに彼に対する告発手続をおこなわなければなりません。次の日に告発手続をおこなうのです。24時間以内です」。
 こう説明してくれたのは、香港警察本部広報担当官の女性警察官。堪能な英語で香港警察、香港司法の特徴を淡々と語ってくれた。
 2005年3月のこと。香港の司法制度調査のため、訪問。警察、裁判所、検察庁と弁護士、短期間に次々と面接調査をこなし、3泊4日の短い滞在であったが、充実した調査旅行であった。
■「文武廟」。
 旅行ガイドでは、「マンモウミュウ」と呼び名が記されている。
 香港の古い道教の寺院。
 道教そのものが我が国ではいまは珍しい。それを信仰の対象とする文化もない。ただ、倫理の中に道教の教えが浸透している面がある。
 それだけに、この廟に参ることが香港旅行の欠かせぬテーマであった。
 天井には、渦巻き状になった巨大線香が無数に垂れ下がり、日中の強い日差しが外では刺す中、廟の中は香の煙でもやがかかったようであった。
 関羽を武の神として崇め、文の神もあわせて祭る文武両道の寺院。
 香港ならではの、「公け」を守る神の存在に手をあわせて、この日の夕方の便で日本に戻った。
■マジストレイト・コート。
 これも香港ならではの裁判所。むろん、起源はイギリスである。
 女性警察官の説明、続く。
 「例えば、まだ我々が捜査したい内容があるとします。私たちは被疑者に対する告発手続をしなくてもいいわけです。そのまま釈放します。そして証拠が集まった時点で彼を裁判所に連れてゆくことができます。
 裁判になったとしても、裁判所は休廷(中間休廷)を告げることが出来ます。捜査官にそれ以上の証拠を集めるために。
 香港ではすべての事件はまずマジェストレートコートに行きます。どんなに重大な事件であってもです。もしそれが殺人事件であったら、そのままハイコートに行きます。
 マジストレイト・コートは裁判を中間終結し、捜査官に証拠を追加させます。それでその事件を地方裁判所に上げます。地裁で再度裁判が始まりますよね。
 マジストレイト・コートでも刑事裁判を行います。但し、科刑権に制限があります。二つの容疑が重なっても科刑できる範囲は自由刑3年以下という制限があります。一容疑では2年がリミットです。これを超える処罰を用するときには、地方裁判所に送ります。ここでは最高刑で7年です。7年以上の刑が相当な場合はハイ・コートに送ります。
 マジストレイト・コートが行なうもう一つの手続きがcommittal proceedingsです。身体拘束を継続するか否か判断する手続です」。
■そのマジストレイト・コートのひとつも訪問した。庶民の裁判所といっていい。少額訴訟など扱う一方、軽微な刑事事件はここで処理される。
 また、重大事件の勾留か保釈かの判断もここでなされる。陪審裁判にするほどの証拠があるかどうかの振り分けもここでおこなう。
 その後、検察側、被告側それぞれがバリスターをやとって法廷で、それぞれ代理して主張を行なう。
 「イギリスコモン・ロー」をそのまま法源として尊重する、と基本法で謳う地域、香港。
 謎は尽きない。
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2007年12月10日

■昭和の終焉ー「滅び」への警鐘ーエキスポランド休園


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■12月9で、エキスポランドが休園になった、と新聞が報じた。
 1970年の大阪万博で開設され、その後も営業を続けた大型レジャーランド。日本型の遊園地のマックス。
 ブログ編者は、数年前に障害のある児童との交流ボランティアに参加したとき、はじめてここに来た。一度来てそれっきりで、もう入ることがなくなった。
 「マシーンの正常な作動が与える恐怖感」が売りものであるはずの遊園地の遊具が、「いつこわれて本当に死ぬかも知れない不安と恐怖」に置き換わったとき、客は来ない。家族連れが足を運ぶわけがない。
 どんな簡単な遊具でも、危険と隣り合わせだ。ジェットコースターの安全管理をしない遊園地が、メリーゴーランドをきめ細かく点検するわけもない、と考えるのは、筆者だけだろうか、、、。
 「組織」が組織自体の論理に負けて、自分を滅ぼした。ガンがガンの寄生する生命体を滅ぼすのと同じように、、、
■「エキスポランド」。大阪万博。昭和の繁栄の極地を示すできごととその跡地。
 そこが、シンボルの意味を放棄した。技術と革新を土台にして経済の繁栄と安全な国家を作ってきた日本。
 今や、モラリティーの低下は「組織」の通常の生理になっている。「もうかればよい」、これだ。
 安全より効率。命より金。汗より楽。
 今の企業の価値観がこんなレベルの低さで動きつつある。それをはっきりと示した、象徴的な出来事だ。
 「昭和の終わり」、これが続く。そして、それが、日本の滅びへの道、ではないことを祈りたい。
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2007年11月28日

■「ホンコン」司法ー"one country, two systems”の不思議


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■『ホンコン特別区法入門』。
Introduction to Law in the HKSAR
by Ian Dobinson & Derek Roebuck
(Sweet&Maxwell Asia,"nd. 2001)
 これを読み終えた。不思議さを前から感じていた国(?)のひとつ。イギリスの長い植民地であり、1842年の南京条約でイギリスに割譲された地域と、その後99年間租借された地域が、1997年に中国政府に返還された。このとき「基本法」が制定される。そこに「一国、二制度」の原則が明言される。
 香港特別行政区の誕生であるーHong Kong Special Admistrative Region-HKSARーである。
 基本法5条は、次のように規定する。
「社会主義の制度と政策は、香港特別行政区において執行しないものとする。従前の資本主義の制度と生活様式は50年間変更してはならないものとする」
■社会主義と資本主義の併存。19世紀半ばから世界を二分したイデオロギーを平然と両立させた国が中国である。
 刑事裁判では、イギリス型の陪審裁判が行われている。その法廷は、ロンドンのオールド・ベイリー(中央刑事裁判所)と同じ仕様である。
 被告人は、"dock"に坐る。
 バリスターは、ウイッグを被り、ガウンを羽織る。国王の名の下に成立した法廷秩序とガウンの制度が、社会主義の国家の枠内に組み込まれている不思議さ。

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■ 基本法9条は次のように定める。
「香港特別行区の行政、立法、司法の各機関においては、中国語に加え、英語を公用語として用いることができる」
 一国二制度の上に、一国二公用語も維持する。
 言語は、文化と価値観を表す。異質の言語をそのまま共存させていることにも、驚異と脅威をともに感じる。
■21世紀は、まちがいなく「中国の時代」になると思う。それがどんな世界史を描くのかはまだわからない。「中華」の国が描く世界史。はっきりしているのは、その中国との適切な距離感をとることができなければ、島国国家・日本は、滅ぶ。
 そうならないためにも、中国を知り、学ぶ必要がある。

 香港の法律制度。といっても、刑事裁判の世界だけのことだが、前に調査したことがあるので、すこしまとめておこう。旅行記とともに、、、、

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2007年11月18日

■「公け」を敬うー愛知県護国神社とある青年警察官


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■11月のある土曜日、名古屋の護国神社に参拝した。「護國の神霊(愛知県ゆかりの御英霊)」を御祭神とする神社であり、以下の通り、ホームページで縁起が紹介されている。
http://www.aichi-gokoku.or.jp/index.html
「明治2年5月尾張藩主徳川慶勝が、戊辰の役に戦死した藩士等二十五柱の神霊を、現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、その後、先の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱を、護國の大神としてお祀り申し上げております」。
 神社名は、明治8年「招魂社」と称したという。夏目漱石の「我が輩は猫である」にも東京の招魂社の名がでてくるが、これと同じであろう。
 そして、同34年「官祭招魂社」、昭和14年「愛知縣護國神社」、戦後一時「愛知神社」と称し、同30年「護国神社」へと復称したという。
■ 本殿で「二礼二拍手一礼」の作法に従い、参拝。
 その後、境内を一巡すると、ふたつの石碑が目に止まった。マリワナ戦戦没者5万人の霊を慰める碑がそれだ。

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「渇死」。
 5万人「戦死」ではなく、「渇死」とある。
 その一語に、太平洋戦争の無謀さが尽くされている。
 が、同時に、そうであっても、「国家」のために死に向かわざる得なかった大勢のふつうの市民達の思い、そして残された遺族の気持ちもこもる。
 碑に込められているのは、「公け事」への真剣さがもたらした、無念ではあるが、厳かな死の記念碑である。
■ 拝殿に向かって左手奥に、二基の大きな石碑が建つ。そのひとつに「殉職警察官の碑」と銘が打たれている。内大臣松方正義の揮毫による。
 「殉職」。
 この二語の意味も重い。 
 先日、警視庁の警察官が女性にストーカー行為を繰り返した上、射殺しみずからも自殺した異様な事件があったが、他方、今年5月にはここ愛知県長久手で起きた人質事件では、まさに「殉職」警察官が出た。
 「闇を切り裂く銃声。倒れた同僚を救う際に、新たな凶弾が機動隊員を襲った。愛知県長久手町の民家で17日に起きた立てこもり事件。午後の静かな住宅街で交番の巡査部長ら3人が撃たれて傷つき、夜に入ってさらに1人が撃たれて死亡した」(朝日新聞07年5月18日(朝刊)より)。
■ 実は、この日の午後、神社拝殿で、とある青年警察官の結婚式が挙行された。
 相手の女性も警察官である。しかも、ともに「デカ」。刑事事件の捜査を担当する課にいるらしい。
 護国神社での結婚式を選ぶふたり。
 神社の由来をどこまで意識していたのか確認はしなかったが、自ずから覚悟するところはあったのだろうと思う。
 披露宴での上司の言葉に「まじめに真剣に仕事に取り組み、なんにでもチャレンジする姿勢がある」と紹介されていた。
 これからは、夫婦で「公け」の仕事に取り組むのだろうと思う。

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■そして、と思う。
 このブログのテーマである「刑事裁判を考える」とき、ブログ編集者が担当した前任校のゼミから関西を中心に各地で警察官として活躍している卒業生たちが大勢いることをいつも思い出す。
 この国の刑事裁判の形を日々支えているのは、彼ら第1線にいる警察官であることを忘れることはない。
 まじめで真剣に仕事に取り組む青年警察官群像。
 その元気な姿をおりおりゼミ会でみることができる。
 彼らが誇りをもって仕事ができる刑事裁判の基本を定めるのが法律家の仕事である。
 取調べ「可視化」もそのひとつだ。
 有能な第一線の刑事達は、仮に被疑者取調べが全過程録画されても、粛々と取調べに携わり、整然と必要な供述を確保し、そして多くの事件で、自白に至ると思う。
 取調べの場面を巡り、「言った、言わない」、「殴られた、殴っていない」といった不毛の議論を避け、そのために現場から警察官を法廷に呼び出す無駄を避け、そして、警察官らの取調べに無用な非難と批判が集中せず、半面、密室の場を無理な取調べに利用する気持ちを抑制するためにも、、、取調べ「可視化」は不可欠だと思う。
 守旧派の法律家が自白率の低下や有罪率の低下をおそれるまでもなく、現場の警察官は全取調べ過程の録音録画に迅速に効率的に対応することと思う。「案ずるより産むが易し」。
■ 「最近、現場があれてるね。職質も危険な場面が多くなっているから、充分気をつけて、怪我したりさせたりしないよう、注意して仕事を!」
 そんな言葉を、披露宴の隣の席に座った、これもゼミ出身の先輩警察官に声をかけて名古屋を後にした。

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2007年11月12日

■「国を壊す」−朝日新聞のすぐれもの記事からー


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■朝日新聞(朝刊)、「国を壊すージンバブエの場合」と題する連載が11月10日、16回目で終了した。
 新聞記事を読みながら、額に汗を流し、固唾をのみながら読むことなど滅多にないのだが、この連載を読みながら、迫力のある取材内容に、何故か「焦り」を感じながら、読んだ。その一節をやや長いが引用する。
********<朝日新聞07年11月10日(朝刊)6頁>********
 「ジンバブエだけではない。アフリカの多くの国で、指導者は利権や権力の維持に腐心し、国づくりを放置している。明治学院大学の勝俣誠教授はその状態を「公(おおやけ)の欠如」と呼ぶ。
 かつてアフリカの多くは農産物輸出国だった。しかし、指導者は農業などに関心はなく、育成策を取らなかった。その結果、ほとんどの国で農業はやせ細った。
 農業だけでない。ジンバブエでは水や電力も不足していた。リンポポ、ザンベジという大河に恵まれながら、公共用水や電力確保の努力をしなかったためだ。
 産油国のナイジェリアは、原油高で年に500億ドルの外貨収入があり、国内総生産(GDP)の成長率は7%にも達している(05年)。しかしその多くは政府の中で使途不明のまま消え、国民の大多数は貧困にあえいでいる。
 警察は治安に関心がなく、教師の給料は遅配が当たり前だ。スーダン、赤道ギニア、アンゴラ……。アフリカ産油国ではどこも同じような現象が起きている。
 南アフリカの「アフリカ民族会議」(ANC)政府も例外ではない。汚職で失脚した副大統領や州知事が平然と次期大統領候補に名乗りを上げる。その陰で黒人貧困層は相変わらず貧しく、治安は悪化を続ける。
 現代アフリカの最大の問題は、新植民地主義や累積債務などではない。「公の欠如」なのだ。」
*********************
■「公」。「おおやけ」。
 今の日本の文化現象は、「公」を馬鹿にし、批判し、揶揄し、嘲笑し、破壊することに意味があるという価値観で支配されている。
 その前提は、国は安定し強靱ですこしくらいわがままをいっても大丈夫、、、という「甘えの構造」である。

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 だが、「甘えの構造」は、今、抜き差しならぬところまで来ている、と表現すべきではないか。
 「企業」の悪質さを紹介する記事に事欠くことはない。「船場吉兆」「山田洋行」「加ト吉」、、、11月10日の朝日新聞(朝刊)のトップページには、日本を代表する各分野の企業の「犯罪」記事が並ぶ。
 「公け」をつぶしてまでも、各個別の企業の利益を図る体質が、国家・日本に染み渡っている。
 ガン細胞が、除去不能なほど蔓延し、転移し、満身創痍になっている。これが、21世紀初頭の「この国のかたち」ではないか。
■「国を壊す」。おそるべきタイトルを、朝日新聞は選んだ。戦慄を感じながら、連載を読んだ。市民の日常の積み重ねと権力者の権力闘争、、、両者がともに、国家の破壊、公の秩序の攻撃に向かっている状態。日本も、緩慢な「国家破壊への道」を市民を挙げて歩み始めているのではないか。
■ 話が変わる。
 ブログの編者の専門領域で、この「公け」への市民の力を試す時期が迫りつつある。
 2009年5月に始まる、裁判員裁判だ。
 市民が「正義」を担う司法を創る、、、これが、モラリティを失いつつある国家日本の再生へのひとつの道筋だ。
 市民がどう反応するのか。それが、司法の分野からみた、「国家破壊への道」か「国家再建への道」かの岐路になる。
 そして、裁判員裁判は成功させなければならないと思う。粛々と市民が法廷にすわり、おごそかに事実を認定し、量刑を測り、判決を宣告するべきだと思う。

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2007年10月09日

■台湾・台北日誌(7)ー国父紀念館と太極拳の朝


taiwan_kokufu03.jpg■07年8月の台湾調査旅行の補足をいくつか。
 そのひとつ、台湾、台北の旅で欠かしてはならないこと。
 「国父紀念館」。孫文をまつる中山公園に足を運ぶことだ。しかも、早朝でなければならない。
 朝。
 夜が白々と明け始める頃、中山公園を目指して、近隣のそこかしこから次々と人々が集まり始める。
 初老の人が多い。思い思いにスポーツウエアを着込んでいる。
 ただし、赤と白の上下やその逆、黄色のTシャツなどなどコスチュームの色を決めた集団がそこかしこにできあがる。
 ラジオを使って集団毎に思い思いのテンポの音楽を流しながら、ゆっくり太極拳をするグループ、軽いロックにのってエアロビをするグループ、、、、

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■「元気」。
 これをそのまま感じさせてくれる朝の光景だ。
 はじめて台湾を訪れて、例のごとく早朝ジョギングに出たところ、偶然にも出くわした光景。
 最初は、呆然と見つめるだけであった。そして、見慣れた。なんだか台湾、台北の元気さの秘密、お年寄り達が元気な理由がわかった気がした。
 そして、数年前にここ国父紀念館正面に向かって左手で、棒術の鍛錬をしていた中年の男性。かれが、この8月の台北訪問のときにも、同じ場所で同じ棒を手にして、棒術の演舞を披露してくれていた。
 申し訳ないが、さほどシャープとも思えない棒術、、、、まねはできないが、この数年で進歩はなかったか、と勝手に苦笑した。
 ただ、同じ場所で同じ人に出会えるのは、旅人にはなんとなくほっとするひとときだ。
 相手は、日本からきた刑訴法学者が、ジョギングの途中で自分に注目してこそっと写真を撮っているとは知らないのだろうが、、、
 でも、また今度台北を訪れるとき、同じようにジョギングコースに中山公園を入れる。そして、同じように、元気な棒術おじさんに出会いたい。

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■ 台北駅南に中正紀念堂とかつて名のついた蒋介石を祭る堂と高大な公園がある。
 不思議なことに、ここには2002年の台北調査旅行のときにも、早朝に集まる人はほとんどいなかった。
 中山紀念堂でさえかなりの人なのだから、ましてや蒋介石を祭る公園には相当の人だかりがあるものと思ってでかけたところ、案に相違して逆であった。
 人は、いなかった。
 「中正」。
 蒋介石の名を冠した地名などは次々と姿を消し、中正紀念堂でみられた国軍の警衛もみられなくなった。衛兵交代式は見物であったのだが、、、
 今、名称は、「台湾民主紀念館」と名を改めている。
 そういえば、「中正国際機場」も「桃園国際機場」に名称を変えていた。「中正」=蒋介石を懐かしむ時代を台湾は終えつつあるのだろうか。
■ 当たり前だが、台北も変わる。発展する。
 前には工事中であった『台北101』も完成。大勢の市民を集めるコスモポリタンな名所になりつつあるのだろう。
 台湾の元気。
 それは、早朝の太極拳で始まる。

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2007年09月06日

■台湾・台北日誌(6)ーランチのお薦め、『紅岩村』


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■8月27日の昼。午前中の司法関係の調査を終えた後、今回の調査の下準備をしてくれた日本台湾交流協会のO氏の案内で「紅岩村」と日本的にも読める台湾料理の店に出向いた。
 料理の選択も、先達のO氏にお願いし、料理の趣など教えてもらって注文したのが、少し辛めの麺と、鶏肉料理、鶏のスープなどなどであった。

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■台湾日本交流協会のホームページから協会の概要を引用すると、次のようになっている。
 「1972年、日台間の外交関係の終了に伴い、実務レベルでの交流関係を維持するため、台湾在留邦人及び邦人旅行者の入域、滞在、子女教育並びに日台間の学術、文化交流等について各種の便宜を図ること、わが国と台湾との間の貿易、経済、技術交流等の諸関係を円滑に遂行すること等を目的として、設立されました」。
 詳しいことまでは知らないが、外務省を窓口にしながら、各省庁の関係官僚が派遣されている。
 今回の台北調査でも、刑事司法に関連する機関からの派遣で出向された官僚の方が、きわめて綿密なスケジュールを用意してくれた。

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■台湾料理をつつきながら、、、中華の諸文化がここ台北に凝縮されているのかな、と思った。
 料理がその典型だ。大陸各地の料理はすべてここ台北にも集まっている。
 その上、台湾の原住民の文化に根ざした料理も今再評価されている。
 「中国語」もここにはいくつかある。いわゆる北京語としての国語、福建の南部と共有されている閩南(みんなん)語=台湾語、台湾人の2〜3割で話される客家語(はっかご)が主なものだ。
 また、屋台で食べるぶっかけ飯からホテルのレストランで食べる高級な中華料理まで、、、にぎやかな食文化を台北が集約している、といってもいい。
 「食べる」ことは「活きること」だ。
 台北の元気さは、この食文化の豊かさがささえているのではないだろうか。


 さて。食の台北旅行記はこれで終える。
 次回から、台北、シンガポール、香港の3つのアジアの拠点と、3国刑事司法について、検討をする。

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2007年09月05日

■台湾・台北日誌(5)ーお粥の店


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■台北市、復興南路二段にお粥街があった、というべきか。2002年初めて台北を訪れて、台湾出身の留学生に案内してもらったときには、大安駅から南にかけて数件のお粥の店があったと記憶する。
 2005年に来たときにもまだ選択の余地のある程度に店があったはずだ。
 今回きたとき、お粥専門店らしき店は2件ほどしかなかった。
 食べ物にもはやり廃りがあるのだから、やむをえない。101もできて、客足が遠のいたのかもしれない。
 筆者も次回は、101の地下で各種、各地の料理を手軽に楽しむことを計画している。
■さて。
 1階にビュッフェ風に各種の小皿が並ぶ。小鍋ものもあれば、冷や奴もあるし、各種の野菜を炒めたり湯田足りしたものなどなど。魚、肉、卵など豊富な食材を色々と調理したものを自由にお盆に載せていく。
 そして2階のテーブルへ席を取ると、鍋にどっさりと芋がゆを入れて持ってきてくれる。
 後は、お粥にいろいろなおかずを乗っけて食べる。
 「うまい」、と思う。
 そして、安い。
 もっとも、旅に来ているので、ことさら安さを追求しているつもりもない。高ければそれはそれでいいが、気軽に、自由気ままに、台湾の味を楽しめるのがいい。高級店の窮屈さがないのがいい。
 地元の夫婦が子連れで合い席になって、向かいあわせでおかずをつついているのがいい。
 しあわせなひとときである。
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2007年09月03日

■台湾・台北日誌(4)ー陪審員裁判ものの旅読書ー『Color of Law』


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■海外調査にでたとき、空港の本屋の安売りコーナーなどで英語の小説ーほとんどが犯罪もの、刑事裁判ものなのだが、これを買い込んで、順繰りに読むこと。また、時間があれば市内の本屋でその国の作家かその国を舞台にした小説を紹介してもらって買い込むこと、、、これを繰り返している。
■”Color of Law"、、、日本語訳をつけにくいタイトルだが、今回、台湾・台北調査の間、カバンにほうりこんでいたのがこの小説である。
 舞台はダラス。貧しい白人家庭に生まれた主人公ーA.Scott Fenneyが、母親の支えでSMU(サザン・メソディスト大学)に入り、フットボールの選手として名をはせることで、上流階級への道を開き、さらに法科大学院でトップ10に入り、ダラス有数のローファームに入る。
 ダラス一帯の開発会社の社長の顧問にもなり、チアリーダーであった美人の妻との結婚、高級白人住宅街の大きな邸宅、4台の外国車、、、順風満帆の金持ちローヤーの生活が続く、、、。
 あるとき、連邦判事が、大統領候補の上院議員の息子をセックスの最中に射殺した黒人女性売春婦の国選弁護人に専任するまでは、、、。
 事態が一変する。被告人シャワンダ、24才。彼女を無罪にするためには、大統領を夢見る上院議員の期待を裏切って、殺された息子の強姦魔としての過去を暴かなければならない。
 ローファーム所長のダンフォードは、「色々世話になっている。将来、大統領の顧問弁護士になれば、事務所は大もうけできる。だから、ちょっと便宜をはかってくれ」。
 "a little favor"は、黒人売春婦の死刑宣告をもたらす。主人公スコットは、"gut check"に直面する。
 そして、、、正義の道を選ぶ。妻との離婚、邸宅の売り渡し、そしてビッグローファーム解雇、、、生活が一変する中、一人の刑事被告人を救う弁護活動と法廷での弁論。陪審を前に、明らかになったのは、実は、上院議員のボディーガードが、息子の再度の不祥事を防ぐために密かに行動監視をしていたところ、シャワンダとのトラブルを起こした息子を小馬鹿にして喧嘩になり、シャワンダが落としたけん銃を使って射殺した事実、、、。
 陪審員ならではのどんでん返し。売春婦は無罪の評決を受ける。しかし、数カ月後、長年の薬物中毒を克服できず、リハビリ施設に入所していたが、密かに手に入れたコカインを注射しそのまま死ぬ。
 高級住宅街の南に位置する小さなオフィスでかつての同級生とやはりビッグローファームを辞めた女性弁護士の3名で新たな事務所を開いて活動を再開する。
 上院議員は大統領選立候補をとりやめやがて癌であることがわかる。ダンフォードのローファームはますます栄える、、、
■スコットの最終弁論で、陪審員に次のように訴える。
 "The color of law has changed. It's no longer black-and-white...the color is now green....Everwhere in the law, it's all about money--except one place.
Right there where you're sitting, in that jury box. You're not here for money. You're here for the truth."
■刑事裁判の理念は、真実と正義にある、、、そんなことをスリリングな小説の展開を通して学んだ台湾旅行であったーーー飛行機の往復と台北滞在中の空いた時間では読み切れなかった小説を、日曜日の夜に読み終えたところである。
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2007年09月01日

■台湾・台北日誌(3)ー「前を向く文化」


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■ビーフンを食べながら、台湾について考えている。例のごとく、店先で、中国語と日本語の会話をしながら、品定めをして座った食堂。
 注文票兼伝票を渡されても、麺と米粉がちょっとつくくらいの理解力では、おぼつかない。
 結局当てずっぽうに、店先の鍋と食材を指さしながら、日本語で「ご飯はないかな〜白いご飯?」。通じないのでメモを取り出して、「飯」と掻いてみると、×印を手で示される。
 なるほど、この店は、麺とビーフン専門か、、、。
 では、と思い直して写真の組み合わせで頼んでみた。
 今から思うと、「鮮魚羹」を重ねて注文してしまった。スープだけとうどん入りの違いなのだが、わくわくしながらの注文。うまくはいかない。

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■「ここ、いいですか」と合い席の断りを先に着席してなにかつまんでいた初老の客に言う。
 もっとも、日本語なのでそれ自体は通じないが、状況から考えてこちらの伝えるべきことは伝わる。
 「・・・」という。「どうぞご自由に」といった趣旨のあいさつなのだろうと勝手に解釈して座り込む。
 庶民の街の熱気。活気があふれると言ってもいい。「まだ発展する」活力が街にみなぎっている。
 「気」のことなので、捉えようによる。しかし、早朝から大量のオートバイではじまる台湾の一日をみていると、ともかくも元気だ、という感想を持つ。

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■ そういえば、MRTに乗っている女性乗客があまり濃い化粧をしていないのではないか。高校生の少なくない層が、アイライン、マスから、ヘア・カラーと色濃く化粧に地肌を隠してしまう日本に比べて、女性の化粧と服装がシンプルに見える。
 また貧しいから、ではあるまい。文化観・価値観の違いではないか。3才くらいの子供の手を引く母親をふとみると、「おや?高校生?」と思える若さだ。
 活き活きとした街、と観ずる光景は、個々の若さの積み重ねが作り出しているのかもしれない。

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■デザート代わりに飲んだ「仙草水」の屋台の切り盛りをしていた女性も、もう小学生高学年の娘がいるわりに、20代前半くらいにしか見えない。
 下町がこれだけ明るく生活感と躍動感にあふれているとすれば、台湾大学はじめエリート大学に学ぶトップランナー達はなおのこと「前向き」なのではないか。
 大陸との関係を含めて、これからの台湾を自らが切り開く、そんな気概が若者にみなぎっているのではないか。

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2007年08月31日

■台湾・台北日誌(2)ー屋台の食事


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■龍山寺は、台湾でも古い寺院のひとつと聞く。多くの人の信仰を仰いでいる。昼夜、年中大勢の人がお参りに来るのだろう。
 そして、筆者が出向いたときにも、そこここに熱心に祈りを捧げる人々の姿がある。そして、、、占い。
 台湾の寺の占いは、おみくじを引く、という消極的なやり方だけにとどまらない。
 一対の卦を手に握り祈りを捧げて石畳に放る。その組み合わせで、仏が「笑っている」、つまり「おまえの祈りの程度では無理だよ」となるのか、「熱心な気持ち、受け入れよう」となるのかが決まる、と聞く。

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 裏と表の組み合わせが3回連続ででるのがいい、と物の本で読んだ記憶があるのだが、確かかどうか。
 とりあえず、私事の願いと、法科大学院院長の立場上「合格者○○名以上」の願いに分けて、ご本尊と裏本尊でそれぞれ試してみた。
 偶然にもそれぞれ1回目は「笑われた」のだが、2度目に裏表がでた。「日本から御参りにきたのだから、これくらいで勘弁して、よろしくお願いします」
と自我偈を唱えながら心で祈る。
 祈りかた、仏との交渉、、、台湾的というべきかはさておき、主体的で積極的で商人的でわかりいい。
 仏に通ずる祈り方をせよ、自分の根性で、運を開け、とでもいうような占いの方法だ、と自分で勝手に思いこんでいる。蘊蓄を知る人には笑われるかも知れないが、、、。
 そして、だから、好きだ。また来なければならない。

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■さて。むろん、参拝を終えたあとは、精進落としの料理を食べなければならない。
 といって、高級料理を食べるつもりはまったくない。龍山寺の門前町ー浅草門前町にやや似た雰囲気の屋台街が食事どころとなる。

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 むろん、英語も日本語も通じない庶民の世界。
 筆ペンとメモ用紙と店の看板と鍋、材料を指さすジェスチャーで、注文。「魚メシ」と「とろみのあるえびスープ」がメインディッシュとなる。
 「魚メシ」。なんの魚のどこなのかわからないが、脂身と肉が半々のきれが白飯の上にかかっている。要は、吉野家の牛丼の龍山寺版と思えばよい。
 最後は、えびスープの中にぶっ込んで、おじや風にして掻き込む。これが、うまい。

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■サイドディッシュは、別の屋台でやっている「臭豆腐」である。
 5切れで40元。揚豆腐なのだが、独特の臭みがある。臭臭鍋ほどではないが、ホテルの部屋まで臭いー香り(?)を持って帰ることとなるが、うまい。
 屋台のおばちゃんが山盛りの揚豆腐から数切れをとなりの油鍋に抛り込むのをみながら、屋台のならぶこの一筋に眼をやった。
 洒落たショッピングモールも、街の西に次々と広がっていくのを初日に見た。『101』のタワービルもあるし、その周辺のブランド店も眺めた。
 が、それらはコスモポリタンとしての台北の機能であって、台湾・台北ではない。
 なぜなら、そうした現代型モールは、別に台北ではなくても、東京、大阪にもあれば、シンガポールにもある。
 台湾らしさをどこで感じてみるか、、、これも、人それぞれでよく、ベストもマストもない。自分は自分流で。
 ただ、僧籍のある自分はなんとはなくここ「龍山寺界隈」が一番親しみを覚える。

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 そんなことをとりとめもなく考えていると、おばちゃんが皿をもってきてくれた。
 辛みのあるソースをつけて、キャベツと一緒に熱々の5切れを食べながら、他の屋台の様子を眺めてみる。「食」の気軽さと多彩さを感じさせる一角。
 旅行ガイドでトップページを飾ることはないが、確かに台湾・台北らしさを体感できる場所。
 それでも、このときも、日本人の若者グループがむこうの屋台で料理を注文していた。「ホテルに持って帰ってみんなで食べよう!」などなど相談しながら、これも手ぶり身ぶりで注文をしていた。「ガンバレ!日本の若者!」

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■この日のデザートは、豆を各種使ったあんみつ。掻き氷で食べている客もいたが、そうはせずに、「綜合豆花」なる品にした。
 少し氷を載せたあんみつ風の仕立て。3〜4種類の豆がゆでて入っている。味付けもしているのかどうかは、味オンチには不明。
 ともあれ、満腹。
 納得の台北フルコースを終えて、MRTでホテルに戻った。体についた臭いか、ただ口に残る後味だけか、臭豆腐の味と香りが一晩気になった。

 朝から1日調査活動をし、その後ホテルで夜まで報告書をまとめて一段落してから出かけてみた、台湾・台北らしさを感じたひとときであった。

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2007年08月30日

■台湾・台北日誌(1)ー『龍の眼』を食べる


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■8月28日夜10時頃、、、。
 といっても台湾、台北での時間なので、日本時間では午後11時をまわっている頃か。
 ここ龍山寺近くの夜市は、まだまだ人がたくさんでている。屋台が通りに所狭しと並び、お土産、雑貨、日用品の他に、おやつや果物そして食事の店と様々な業種が並ぶ。携帯電話の本体も売っている。シムカードを入れ替えればいいのだから、自分の好きな型を買って帰るのだろう。
 筆者も海外携帯電話はノキア製だが、今のところボディーの買い換えはまだチャレンジしたことがない。ちょっと勇気が要る。もっとも、次回台北に来たときには試してみよう。
■台北には、例のごとく、刑事裁判に関する調査研究で来た。その報告は、法務省提出後に、HPの方でアップする予定である。
 ここでは、またしばらく台北旅行記を載せることとする。
 おそらく主に「食」について照会することとなる。
 といって、食通自慢ではない。旅行ガイドに載るような豪華絢爛たる食事はしていない。ちょこちょことうろつきまわり、中国語を理解しないまま、店と交渉して食べているドタバタ劇である。
■『龍眼(りゅうがん)』。
 ライチとともに有名なのだろうか???筆者はその有名度自体よく知らない。前々から、不思議に思っていた果物(と推測していた。なぜなら、マンゴーなどと一緒に並んでいるから)。
 それが『龍眼』という名であること、果物であること、剥いて食べること、ライチに似ていること、味はライチよりさっぱりしていること等などを知ったのは、今回の台北調査に通訳として動向したT.M.さんのガイドによる。
 「・・・・」と屋台の老齢の主人が龍眼を指しながら、筆者に声をかけてきた。むろん、中国語はわからないから、日本語で応答する。「すこしだけ、買いたいんや」「いやいやそんなに食べられない」「ほんのしょっとだけでいい」と交渉(?)した結果、枝に4個実のついた枝を10台湾ドルで分けてくれた。
 ホテルの部屋で一休みしながら、剥いて食べた。上品な味がした。

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 『龍』の眼を食べる、という発想方法。龍といえば、神聖であり皇帝になぞらえるべきもの。その眼を食する、というのはどのような捉え方をしているのだろうか。神聖さにあやかる、龍の強さをみにつける、そんな意味だろうか。
 とまれネットで調べてみても、「薬膳」に使われる果物でもある。
 日本では中国発のライチが有名のようだ。台湾から『龍眼』が市場に出回るほど輸入されている様子はない。
 だが、帰国前のホテルで調査報告をまとめながら、台湾の味を楽しむのには手頃な果物であった。
*下は、龍山寺の本尊。お盆の時期に重なり、お飾りもみごとであった。

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2007年08月16日

■シンガポールの3日(6)ーおわりに


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■今回のシンガポール調査は、むろん、専門である刑事裁判に関連することである。
 とくに司法通訳のシステムの確認。ここシンガポールは、英語、タミール語、中国語、マレー語が公用語でる。ただ、主に英語が行政語として使われる。法廷では英語が主だ。だから、当然、英語の理解が不十分なシンガポール国民のためにも、通訳人が不可欠。
 そこで、日本では考えられないシステムが導入されている。「法廷通訳人」制度だ。
 名称は日本にもある。しかし、シンガポールの法廷通訳人は、公務員たる身分をもつ。63才の定年まで勤めることのできる身分保障がある。
 高校または短大を出て、全国一斉考査で一定以上の成績を取り、通訳人公募試験で採用されると通訳人候補となる。1年間、公務員大学校での訓練を経て、通訳人となる。
■シンガポールの法制度は、もともと植民地本国であったイギリスを原型とする。これに、刑事裁判らしく、シンガポール独自のものをとりこんでいる。陪審はかなり前に廃止した。小規模国家だけに、重大事件は、最高裁判所に設置される高等裁判所部門が管轄する。軽微事件は、"Suboridinate Court”に設置されている地区裁判所とマジストレイト・コートだ。 
 そのSubordinate Court"は、MRTのチャイナタウンの北側すぐにある。中国語と英語の表示をたどれば、改札を出てすぐに建物がみつかる。

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■05年に調査に来たときには、高等裁判所で、2名の外国人メイドによる、女性社長殺害事件を傍聴した。法廷の基本構造は、イギリスと同じ。被告人は、"dock"と呼ばれる文字通りの隔離された空間に座らされる。審理の主人公ではない。そのために、代理人である弁護士がいる。
 通訳人は、"dock"のよこに立って、ささやき声で審理の進行を説明通訳する。被告人への説明は、記録に留める正式の審理の一部ではない。
 むろん、証人について通訳が必要なとき、逐次通訳が行われ、すべて記録される。
 多言語・多民族を前提とした通訳システムの整備。モノリンガルな国家=日本が直ちに参考にするべき必要性はないであろう。ただ、言語に対する機敏な対応が可能な教育の基盤があることはうらやましい。
 法廷をささえる裁判官も、弁護士も若手が多い。女性も多い。法廷のやりとりをみていると、シンガポールの国家としての活力が感じられさえする。これもうらやましい。また、シンガポールに来たい。

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2007年08月11日

■シンガポールの3日(5)ーリトルインディア

■リトルインディアの街。ヒンドゥーの寺院に人が集まり、祈る。仏教徒が数珠で参詣することが許されるのかどうかさておき、ここスリ・ヴィラマカリアマンの寺院には不思議な宗教的雰囲気が漂う。いずれインドにも足を運ぶことを考えているが、むしろ、ここコスモポリタン都市シンガポールにあるヒンドゥーの寺院こそ尊いのかもしれない。金の宝石店、カレーの並ぶ屋台、そして、ヒンドゥーの寺院。シンガポールに来る度毎に、この街に足を運び、ひとときの祈りの時間を持つことにしよう。

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■シンガポールの3日(4)ーリー・カン・ユーの奇跡


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■シンガポールの歴史はほとんど知らない。ただ、一人の偉人の名前だけが昔から頭にこびりついている。
 Lee Kuan Yew
間違っていたら、御容赦を、、、
マレー共和国から、シンガポールのみ独立させ、資源もなにもない海上都市国家を、アジア金融と貿易のメッカに発展させた人物。そんな認識だ。
教育立国によるエリート養成、多民族国家の一元化、分散主義を克服してシンガポールの国家的統一を果たす、、、。
今の日本が真似たい政策をもう50年近く前に実現した人物。先見の明があったのだと思う。

■シンガポール。
 この街とマーライオン(MerLion)象も切り離せない。
 かつて太古の頃、この地に冒険と開拓に入った王子が、3色の動物ーSingaーに出会った地。それが、ここシンガポールという。
 Pura、つまり町。この組み合わせが、シンガポールという、発音しやすく、覚えやすく、しかもどことなく情緒のあふれる名の街を作った。

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■ジョギングは、旅の一部。
 ホテルから、マーライオン公園まで往復で約3.5キロか。ここを早朝にゆっくり走る。
 初日、リーカンユーのことを思い、また、はじめてこの地に足を踏み込んだ勇気ある王子の冒険を思いながら、高層ビルの夜景がまだきれいなシンガポールの海岸沿いを走った。

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2007年08月10日

■シンガポールの3日(3)ーMRTと"Singlish"

■シンガポールでは、地下鉄とバスを使う。地下鉄=MRTは東西線、南北線、北西線など数ラインがあって、主要な官庁、ビジネススポット、観光スポットを結ぶ上、EZ-LinkCardが発行されているから、乗り降りが非常に楽である(日本のイコカカードと同じ)。そのMRTに乗るとき、駅名の看板やあちこちにある警告版に注意をはらうと結構おもしろい。
■まず、基本的な警告版として車内にある看板。「電車と駅のプラットホームの間が空いておりますので、お降りの際には十分にご注意ください」という大変親切なJRの車掌のアナウンスを耳にすることはないだろうか。
 英語で表現するとシンプルになる。
 ”Mind the gap.”
 ロンドンの地下鉄ーTubeはこの一行で済む。しかし、ここシンガポールの公用語は4つある。英語、中国語、タミール語、マレー語である。だから、地下鉄の看板も2枚*2言語が必要になる、、、、
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■シンガポールの地下鉄はきれいだ。理由のひとつ。車内での飲食は犯罪とされるー罰金が科される。実際のところ、日本と異なり、車内でペットボトルを開けて飲んでいる姿はない。そして、駅には、禁止事項を示す看板がある。
 実は、この看板をみて、しばらく前に立って考え込んでしまった。
 "no durians"
と右下に表示がある。これだけは罰金の記載がない。まずこの"durians"の意味がすぐに飲み込めない。どう発音するのか、意味は何か、なぜMRTでは禁止されるのか、なぜ罰金は科されないのか、、、
 これが文字と絵の通り、「ドリアン禁止」と理解するのに、しばらくかかった、、、それほどシンガポールの人は、ドリアンが好きなのだろうか、、、
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■さて。
 "Singlish"という言葉がある。その定義を次のWEBサイトから引用しておこう。
**************
Put succinctly, Singlish is a Singapore brand of spoken English. It is basically English with Chinese grammar and spoken with a distinctive Singaporean and/or Malaysian accent. Sometimes words from Hokkien, a Chinese dialect, creep into the sentence structure and strong overtones of the Malay language often accompany Singlish.
**************
cited from http://math.nie.edu.sg/kcang/personal/singlish.htm
 「ことば」。コミュニケーションの基本。言葉は文化を伝える。文化を伝えるのには、言葉が要る。
 繰り返すが、我が国のコミュニケーションに関する文化度は、世界全体の発展を念頭にいれれば、いまだ江戸時代並みだ。"Singlish"は、世界に認知された英語であるが、"Jananish"なる独自の英語はまったく影も形も、ない。
 大阪環状線、東京丸ノ内線の延長線に、シンガポールMRTがあって、日本語からすかさず英語に切り替えて会話がスムーズにできる文化力、、、これを公教育の基本にするほどの覚悟がなければ、日本の国力は衰微するしかないと思っている。
 と言って、悲観論を言いたいのではない。
特に若い世代はもっともっと世界にふれるべきだし、そうすることで、英語=コミュニケーション力の必要性を体感するべきで、そこから学習と交流の道を見いだしてほしいと思う。
 実のところ、その意味で結構外にでていくわかもの達が大勢いることも知っている。それを国はもっと支援すべきだと思う。

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posted by justice_justice at 07:55 | TrackBack(0) | ●観光(世界) | 更新情報をチェックする

2007年08月09日

■シンガポールの3日(2)ーリトル・インディアのカレー

■リトル・インディア。シンガポールの一角にそう呼ばれる地域がある。MRTの同名の駅を降りると、そこはインドの人と文化の町になる。ヒンドゥー教の寺院もある。そして、金のアクセサリーを売る店が軒を連ねる。数件の宝石店をまわって、お土産の金のネックレスを探す。あまり値段がわかっているわけではないが、ともかくも値切り交渉は懸命にやってみることにする。2点買って、1000シンガポールドルを目標に交渉して、1010ドルまで下げたところで、"Then, I will take them all. Thtat's the deal."singa_curry.jpg

■シンガポールでの食事は、「ホーカーズ」で済ませる。といって、色々なおかずを選ぶことができるから、栄養のバランス、味の変化など考えても、旅行者にはかえって便利だ。
ただ、手元にある旅行ガイドをみても、『ホーカーズ』としてこぎれいでやや高級感のある場所ー例えば、Mホテルの近く、ビジネス街の真ん中にあるラウパサなどは紹介されているが、リトルインディアのホーカーズは載せていない。
 しかし、インド人の活気、カレーの香と種類、集まる人々の息吹、、、それを感得するのには、ここがいい。リトルインディア駅を降りてすぐにある大きな市場と接した屋台街。
 ゆっくり歩いていると、店の呼び子がすぐに声をかけてくる。ここではカレーを食べる予定。
 いくつかみて、結局チキンカレーとインドの飲み物を注文。
 何度も使われたと思われる草の葉の皿に大盛りの炒めご飯と大きなチキンそしてカレーがテーブルにのる。
 "This is it!" と心の中で喜びながら、かぶりつく。
 MRTで町を巡っても、インド系の人は大勢いるし、シンガポールの政治・経済・文化を支えている。インド自体の発展の力が、シンガポールのインド人街にも力を与えているのだろうか。
■ さて。だから、という訳でもないが、犯罪の世界にもインド人が登場する。
 あるインド系起業家の家に、インドからの留学生が押しかけて殺人未遂事件を起こした事件。その裁判の報道があったのも、8月7日のこと。 
 他にも被害者がいる。この家で雇うインド人とインドネシア人のメイド二人。
 シンガポールの法廷はすべて英語で運営される。
 となると、この事件で将来、被害関係者が証言などすることになると、インドーヒンドゥー語やタミール語などの通訳人がつくこととなる。
 犯罪の世界でも、シンガポールはコスモポリタンである。そして、「公務員通訳人」制度がこれを支えている。今回の現地調査の目的は、その制度と運用を知ることにあるが、こちらは、報告書完成後、そのエッセンスをホームページの方に載せる予定である。

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posted by justice_justice at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ●観光(世界) | 更新情報をチェックする

2007年08月08日

■シンガポールの3日(1)ーコスモポリタン国家と日本

■8月6日、KIXをでて、チャンギへ。午前11時の便がシンガポールに到着したのは夕方4時。シンガポールの地下鉄、MRTで市内に入る。今回予約したMホテルは、Tanjong Pagarの近くにある。有名なマーライオン像から南へ2キロほど。チャイナタウンの南西といえばある程度地理感覚がわかるだろうか。
 6日に入国し、7日は仕事、8日早朝の便で帰国。実際にシンガポールらしさを満喫できたのは、1日半程か。6日〜7日の午前中と今回の調査報告のまとめのための準備のため、ホテルの部屋に籠もっていたからやむを得ない。
 シンガポールを体感したのは、7日昼から、リトルインディア、そしてチャイナタウンにあるSubordinateCourtでの調査、その後のチャイナタウン散策くらいか。
 ここでは、ヒンドゥー教の有名なスリ・マリアマン寺院にお参りし、ここで、前々から入手しようと考えていた「ガネーシャ神」の像を意を決して購入した。
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■象の顔、太公望のような体型、4つの手、手に持つ様々な器物、足下のネズミ、、、。
 ガネーシャ神は、ヒンドゥー教のいわば千手観音のようなものだろう、、、という位のいい加減な理解しかないが、「象」が神聖な存在としてインドで崇められていること位は知っている。
 観音信仰が、我が国では、宗派を問わずに庶民に広がっているのと同じように受けとめている。
 少し調べてみても、現世利益をかなえる神のようだ。障害の克服を助ける力ももつのも、観音と同じだろう。
 であれば、我が家のミニ仏壇の仲間入りをしてもらってもよかろう、、、
 そんなことを考え考えして、スリ・アリアマン寺院に参詣、参拝。持参の数珠とともに。仏式の祈祷と読経を重ねて寺を一巡。入ってすぐ右手にあるお土産屋にならぶガネーシャ神の中で表情がおだやかなものを選んた。
■シンガポールに来ると、違和感をまったく感じない、という違和感を感じる。文字通りの「コスモポリタン国家」なのだ。
 MRTに乗っても、中国語で話している中国人らしい若者グループが、携帯電話には英語で応答し、タミール人、マレー人が各母語とともに英語で自由自在に生活をしている。そこに、日本人がまじっても、実際のところ居心地はいい。ロンドンに居るときとは異なる。
 6日の夕食は、報告書とりまとめの作業があるため、簡単に済ませようとホテル近くのオープンカフェで済ませる、、、
 日本でスタバに入ってサンドイッチを注文するのと全く同じ感覚で、「そのパスタのコンビネーション、辛い?そんなでもない?じゃ、それで。コーヒーは薄めにしてほしいんだけど、、えっっとじゃ、一番大きなカップみせて。じゃ、それで3ショットにしてくれる?」とよく日本のスタバでやるのと同じ話を英語でしているだけだ、、、。
■そのカフェで、この国に来て思うことを心で繰り返した。
 「シンガポールが真の意味でコスモポリタンになっている。これと比べてたとき、数時間前までいた『日本なるもの』は、結局江戸時代の鎖国のままと同じ文化感覚、閉鎖感覚が続いている。
 コミュニケーションの力さえ若者は持っていない。要は、英語ができないのだ。それは、今では『滅び』の哲学とさえいる。これを捨てて真の国際化を目指さなければ、、、」。
■そんなシンガポール3日間の見聞録をしばらく続けたい。
posted by justice_justice at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ●観光(世界) | 更新情報をチェックする
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