2013年12月26日

■「組織犯罪」「組織罰」−JR福知山線事故異聞

■「『組織罰』創設へ署名/JR西元3社長無罪/遺族ら活動へ」
読売新聞(朝刊)2013/09/28
***引用***
 「JR福知山線脱線事故で業務上過失致死傷罪に問われた井手正敬氏(78)らJR西日本の元社長3人に対し、無罪を言い渡した27日の神戸地裁判決は、企業の事故で被害者らが望む刑事責任を問う難しさを浮き彫りにした。遺族からは企業を罰する「組織罰」導入を求め、署名活動を始める意向も示された。(黒川絵理、本文記事1面)
**********
 こんなリードではじまる記事である。福知山線事故で,会社幹部等の刑事責任が問われなかったことに対する遺族等の怒りが,このような方向へ向かっているようだ。
 賛否両論があろう。刑事政策として,独禁法違反のように多額の課徴金を支払わせるのと同様の制裁金や業務停止など企業活動に沿ったある種の刑事罰は考えられる。
 ただ,その前に,「事件」と「事故」の線引き,事故は対策を講ずるべきで,処罰で対処しない冷厳な政策が前提でなければならない。
 ある識者はこのように言う。
***引用****
 ◆導入慎重論も根強く 
 「刑法の処罰は個人が対象だ。同志社大の川崎友巳教授(刑事法)によると、企業活動が活発でない明治時代に制定されたことが根本にあるという。川崎教授は「現代では企業活動中に事故が起これば被害は甚大になるが、会社の罪は問われない。法が時代に合わない」と組織罰導入を主張する」。
*********
 ブログ編者は,慎重論だ。
 「また、甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は『企業に刑事罰を問うのであれば、経営幹部は企業利益を守るため口を閉ざす。真相解明につながらない』と指摘する」。

 但し,今は少し異なる。
 まず,事故と犯罪は異なる。組織ぐるみの犯罪がある。個人で言う「故意犯」さらには「確信犯」だ。
 この場合には,個人責任と同じく,法人責任を問い,法人の役職者についても個人責任としてではなく,役職者責任を問うことは別途検討してよい。住友重機のデータ改ざん,各地のホテルの材料偽装などなどがそれにあたる。企業の過失と故意の線引きは,証拠に基づけばよい。コンプライアンスの守れない企業は存続させるべきではない。その結果,いわば善意の社員が犠牲になろうとも,刑罰としての会社閉鎖も含む「企業社会のための刑法」の策定は考えてよい。

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2012年01月22日

JR西日本もと社長「無罪」−巨神兵の笑い

 JR西日本の元社長に、無罪判決が宣告された。やむをえない結論と思う。「業務上過失致死傷罪」。」刑法211条1項は、「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする」と定める。
 言葉だけみれば、宝塚線のカーブ工事実施時の鉄道本部長でなんとなく安全な運行のできる工事を計画して設計して施工させて運行を監督するような責任あるポジッションに居たから、その後の事故について責任を負わせてもよいような気もする。
 しかし、今の刑法の構造、原理を考えておこう。
 まず、「自然人」が犯罪の主体だ。但し、まさにこの条文が予定しているように、「業務上」人の生命や身体に危険を及ぼす社会活動をするのであれば、そんな事故で他人に迷惑をかけることのないように細心の注意を払って欲しい。注意して事故にならないことを社会が期待していい範囲がある。その範囲のことは、まさに注意して事故にならなにようにするべきだ。
 不注意で事故が起こることを予想せず、これを防ぐ行動をしないことーーー車の運転手が、携帯電話に気を取られていて、赤信号を見逃して、歩道を歩く人をはね飛ばすこと」ーーこれは、その人の責任だ。重い刑事責任を問うべきだ。
 しかし。
 人の生命、身体の安全に危害を加える仕事に携わっているからと行って、「もしかしたら、なんらかの事故が、なんらかの形で、いつかは起きる」という漠然とした危険の不安があるからといって、この不安を完全に除去しないのに、そうした業務をしてはならない、、、これは、今の社会が求めるものではない。
 他方、実は、社会公共のサービスは、企業が提供するのが資本主義社会の基本となっている。個人の集合ではあっても、巨大な「組織」としての企業体が、一定の意思をもって行動する、、、その結果、事故が起きる。
 刑法は、自然人の能力を前提にする。一定の職業などにあれば、業務特有のプロフェッショナルとしての責任を加える。しかし、これとても、自然人の能力を超えることはできない。「予知能力」を期待することは不可能だ。「個人としての予見」と、神仏の世界に属する「予知」を混同することはできない。何故なら、刑罰を科すからだ。その個人の人格と生活を国家が刑罰でぶちこわすことになる。それには、それなりの条件が要る。
 基本は、「故意の犯罪」である。
 これを超えるとき、「過失」と評価できる規範的な心理状態に限り処罰する。しかも、どんな犯罪でも過失を処罰するものではない。「過失窃盗罪」の規定は現にない。「過失住居侵入」も犯罪にしていない。
 では、過失とは?
 結局、自然人が職業上必要な知見に基づく洞察力を含めても常識的に予見できる範囲内の危険を防ぐこと、、、これに留めざるを得ない。
 特定のカーブを急カーブにしたこと。数年の間にダイヤが修正されること。運転手があるときオーバーランをすること、それを気にしてそのカーブで速度超過のまま運転すること、ダイヤ全体の運行管理責任者もオーバーランを知った駅の駅長も、そして、同乗する車掌もなんら運転手に「気を取られないように注意するように!」と声をかけることもしないこと、運転手がいわゆる「日勤」教育をいやがって車掌に見逃すように相談すること、、、等などを予想して、その結果、速度超過による電車転覆が起きる危険性を、数年前から予想できた、、、等と非常識なことは言えないし、こんなことを根拠に「刑罰」を科すという非常識もできない。
 無罪はやむを得ない。

 処罰されるべきは、組織体としてのJR西日本なのだ。
 しかし、これを有効適切に「処罰」する方法が、ない。
 会社解散命令、巨額罰金、監視監査強化命令と監視体制の司法命令、、、、、
 そのさらなる前提として、秒単位の精密さで、電車が到着するのが当たり前のサービスを社会が諦めることができるのかも問われる。「スロー社会、スロービジネス」に耐えられるかどうか、、、、。
 
 今回の無罪判決は、事件の終わりではなく、「終わり」に向かう「始め」にすぎない。
 「スロー社会」。そんな言葉も流行る中、社会公共サービスのあり方も問われることとなる。

「巨神兵」が生き延び、個人が破壊される、、、そんな時代の刑法のあり方を抜本的に考え直すべきだろう。
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2011年05月20日

■JR宝塚線脱線事故公判ー公判中心主義

■これも旧聞に属することであるが、朝日新聞(朝刊)2011年3月31日は、「元常務ら調書、主要部採用/地裁「信用性、公判で検討」/JR脱線裁判」と題する記事で、JR西日本前社長の間矢崎氏の公判廷で、検察官が密室で作成した調書の採否について、紹介している。

 ********
 JR宝塚線(福知山線)脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長の山崎正夫被告(67)の第14回公判が31日、神戸地裁であった。岡田信(まこと)裁判長は、同社元常務の池上邦信氏(65)ら3人の捜査段階の供述調書各1通について、主要な部分を証拠として採用した。
 岡田裁判長は22日の前回公判で、別の元社員ら4人の調書8通の大半を「信用性が低い」などとして証拠採用していない。岡田裁判長は今回の採用理由について、池上氏らの公判での証言態度や内容には疑問があり、捜査段階の取り調べの方が信用できると判断した。一方で「調書の信用性を積極的に認めたわけではない」と指摘し、最終的な判断は今後の公判で検討する方針を明らかにした。
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■裁判所が、検察官作成供述調書を採用しながら、敢えて、信用性判断は公判での証言をまじえて公判で検討する旨、断った点が異例だ。
 従来であれば、検面調書採用⇒有罪心証という図式で捉えて間違いがなかったが、その流れが変わったことを示す。
 こんなコメントを掲載してもらっている。

■ 刑事裁判に詳しい甲南大法科大学院の渡辺修教授は「22日と31日の決定から今後の公判の行方を見通すのは難しい」と指摘。そのうえで、信用性を積極的に認めていない調書を証拠採用した裁判長の決定について「証人尋問など、法廷でのやり取りを重視する『公判中心主義』を基本に据えつつ、検察側に有利な材料も不利な材料も全部見渡すことで山崎前社長の過失の有無を判断しようとしているのではないか」と話す。

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2011年05月18日

■過失のかたちー個人過失か役職責任か

■少し古いことになるが、西日本新聞2011年3月22日(夕刊)は「検察官調書/採用せず/尼崎JR事故公判/神戸地裁『内容抽象的』」と題するを載せる。
 全JR西日本社長の山崎氏に対する裁判で、検察側請求証人は次々と検察官作成供述調書とは異なる証言をする異常さを示していた。
 検察官は、検察官作成供述調書の証拠調べを請求。
 しかし、裁判所がその多くの不採用を決めた。
 以下、引用して紹介する。

 「全面的に不採用となったのは2人の調書計4通。このうち山崎前社長が安全対策室長だった当時の部下が「自動列車停止装置(ATS)の設置基準は安全対策室が決めていた」などと供述した調書1通を「内容が抽象的」として却下。取り調べの際の供述を信用すべき特別の事情(特信性)を認めなかった。」

■どうみるか。こんなコメントを掲載した。

 ●「調書裁判」の回避

 ▼渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 公判での証言を重視して事実を認定しようとする裁判所の姿勢が明確に示された判断だ。有罪か無罪かの認定に使う材料を増やすために調書の一部を証拠に組み込んだ形で、検察官による密室での取り調べを全面的に信用する「調書裁判」を明らかに回避した。検察官調書の取り扱いについて、裁判員裁判で市民が公判に参加する時代にふさわしい慎重さが見て取れる。

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2010年11月07日

■JR宝塚線脱線事故ー公判近づく

■神戸新聞のネット配信記事がアップされた。2010年11月7日、午前6時30分発となっている。
 タイトルは、「JR脱線初公判 起訴状朗読で全被害者名読み上げへ」というもの。
 予定されている公判審理のひとこまを紹介するものだが、21世紀の刑事裁判の「ありかた」を知る上でちょっとおもしろい。
 こんな内容だ(以下、引用)。

「2005年の尼崎JR脱線事故で業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長、山崎正夫被告(67)の初公判で、起訴状朗読の際、検察官が乗客の死亡者、負傷者計599人全員の名前を読み上げる方針であることが6日、神戸地検関係者への取材で分かった。」

 次のコメントを載せてもらっている。

 初公判は12月21日だという。

*************
 甲南大2件法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「尼崎の脱線事故の公判は、市民が納得できる過程を踏むことが重要だ。全被害者の名前を読み上げ、それぞれの悲しみや苦しみを公判に反映することの意義は大きい」と話している。
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2010年05月01日

■JR西日本元社長起訴ー起訴議決のゆくえ

■JR西日本の元3社長が検審の起訴議決に基づき、起訴されたが、産経新聞10年4月24日(朝刊)は、「公判長期化は必至/JR西強制起訴/聴取・補充捜査進まず/被害者の声どう反映」というタイトルでその問題点を報道している。
 「JR西日本の歴代3社長が強制起訴され、指定弁護士の活動は今後、公判へ向けた準備に移る。公判では3社長は起訴内容を否認するとみられ、指定弁護士側は公判維持に多くの困難を抱える。また、公判の長期化は避けられないとみられ、起訴議決制度における指定弁護士の負担の重さが早くも課題として浮上している」。
 記事を参考にしながら、整理しておきたい。
 まず、すでに二度目の起訴相当と判断されて起訴議決がでている前社長の山崎正夫被告は、無罪主張を前提にして公判前整理手続が続行中。おそらくこれに相当の日数を要しよう。第1回公判期日の指定は当分先のこととなるのではないか。この事件自体でも、交通事故などの身近な個人犯罪として捉えられる過失と同程度に、事故の具体的な予見可能性を本件事故に及ぼすことができるか疑問だ。
 ましてや、3代続く歴代社長について、その地位にあったことが予見可能性と結果回避可能性の根拠であるとする「過失」のとらえ方は、厳密には、現代社会構造を無視する暴論に近い。たまたま社会が「許さない!」と決めつけた組織の長がスケープゴートになる不平等訴追、不平等処罰を生むだけだ。自動車事故の多くは、メーカーの責任であり、歴代社長、副社長、工場長、技術関係者はあげて処罰されるべきこととなる。
 「役職責任」を「刑事責任」に置き換えることはできない。
 事故と事件は区別すべきだ。
 組織犯罪、企業犯罪を許さない、再発をさせない企業風土は、刑事罰では生まれない。
 市民社会の過剰反応は、社会経済の停滞につながる。市民社会が、21世紀の国際社会の中にある日本の現状をリアルに理解しながら、なお市民良識による統治を浸透させるためには、多様な社会病理に対応できる多様な手段と権限、手続と措置をてもとに置かなければならない。
 「刑罰一元主義」のままでは社会はもたない。市民社会は自壊する。

 そんな思いのまま、次のようなコメントを産経新聞で掲載してもらい、またNHKの取材に応えている。

********************
■産経新聞2010年4月25日(朝刊)
 ◆「過失責任広げ方、行き過ぎ」
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「市民の良識で罪に問えるかどうかを判断する検察審査会の制度改正は評価できる。ただ、今回の起訴状を読むと『社長であれば事故を予見しなければいけない』と言っているようなもので、過失責任の広げ方としては行き過ぎだ。現代社会の企業活動が過失を問われる可能性は無数にある。だが、歴代社長に過失責任を問うという今回の判断を今後の事件に当てはめると、企業の長が常に責任を負わなければならない社会になってしまう。過失責任について、法律のプロが国民の納得いく基準をきちんと出すべきだ」
**********************
■NHKニュース

 ■NHKニュース、「歩道橋事故・強制起訴/刑訴法専門家/組織として不注意の責任負うべき」(2010/04/20)
 「きょうの起訴について、刑事訴訟法が専門で甲南大学法科大学院(コウナン)の渡辺修(ワタナベオサム)教授は、「警察というプロの組織の不注意が原因で起きた事故に対し、個人としてではなく、組織として責任を負うべきだとの遺族らの思いが反映された内容だ」と評価しています。
 また、検察審査会の2度の議決を受けて強制的に起訴する制度については、「裁判員裁判と同じように市民の良識を刑事裁判に生かし、市民と法律家が協力して正義の実現を進める新しい時代の幕開けだという点で高く評価できる。一方で、今後、ほかの事件でもこうした展開は増えることが予想されるが、法律の専門家ではない市民の判断には限界があり、必ずしも正しいとは限らないので、裁判の中で、慎重に真相解明を進める必要があると思う」と話しています」。

 ■NHKニュース、「JR西歴代社長・強制起訴 専門家 裁判では過失認定の範囲見極めを」(2010/04/23)
 「元社長3人の強制起訴について、甲南大学法科大学院(コウナン)の渡辺修(ワタナベオサム)教授は、「たくさんの人が亡くなったこの大きな事故の処罰をどうするのか、市民が考えが反映されたという意味では、評価できる」と話しました。その一方で、「3人には、社長としての責任はあるが、犯罪として罰していいのかは疑問が残る。裁判では法律の専門家が、過失として認定できる妥当な範囲を慎重に見極めなければならないと思う」と指摘しています。
posted by justice_justice at 07:45| ■(ケース)JR福知山線事故■ | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

■JR西日本の福知山線事故ー「組織過失」と「個人過失」

■JR福知山線脱線事故。
 兵庫県尼崎市のJR福知山線で2005年4月25日午前9時18分で事故が起きた。
 快速電車が制限速度70キロの右カーブに時速約116キロで進入して脱線。乗客106人と運転士が死亡した。他に485人が重軽傷を負った。
 事故の原因は複合的であったとみてよい。なによりも運転士がブレーキをかけるのが遅れた人為的なミスが大きい。また、現場には旧型の自動列車停止装置(ATS)が設置されていたが、これを新型に置き換えていれば事故が防げた可能性が指摘されている。運転士の不注意の原因として、ささいな失敗にも加重・過剰な指導を行う「懲罰的な日勤教育」があるとも言われた。
 これについて、検察審査会は、1992年〜1997年の元社長、その後98年3月までの元社長、それを引き継いだ2003年までの元社長の3人について、二度目の起訴相当を決める判断をした。これは、「起訴議決」となり、法的には裁判所に検察官役弁護士を任命して公訴提起を行わせる義務を発生させる。一般には、公訴時効が今年4月25日に成立することとなろう。そう解釈するのであれば、裁判所は、急いで指定弁護士を任命し、公訴提起の準備をさせなければならない。
 指定弁護士は、場合によって、とりあえず予見可能性、結果回避に関する注意義務の大枠をまとめて公訴提起を急ぎ、起訴後補充捜査を行って、公判前整理手続までに訴因変更を行うこととなろう。
 もっとも、今回の事件で問うべきは「組織過失」である。先に起訴された元社長も含めた歴代社長の「共同過失」とみる余地もあるが、その場合には、すでに元社長一人が起訴されているので、公訴時効は停止しているとみてもよい。この場合、公訴提起までまだ時間がある。ただし、故意犯の共同正犯はありえるが、過失犯の共同正犯は認めない、という考え方が学界でも有力だ。過失共同正犯で起訴した例もあまりない。リスクは避けるべきだろう。

■「組織過失」と「個人過失」
 大規模事故が起きたとき、犠牲になったひとりひとりの市民の怒りは大きい。
 「組織」が相手であるとき、誰に怒りをぶつけられるかさえわからなくなるのもその一因だ。
 ただ、残念なことに、資本主義・自由主義・世界主義の原理で社会が動いている。巨大「組織」は、それ自体の論理と行動ルールに従って動く。その歯車になっている個々の人間の個性は「組織」の中に埋没する。
 確かに、事故原因に責任があるとみてよい立場、地位、業務にある「個人」がいるときもある。
 今回の事件では、死亡した運転手がそうだ。
 では、あの態様の事故と被害を予見すべきであり、予見可能であり、さらにあのような事故があのように発生することを回避するべきであるし、その権限など回避方法をとることが事実上も法令上も可能であった「個人」は、他にいるか、、、、、、、 
 個別的、具体的な予見可能性と結果回避可能性によって、「過失」の限界を設定する。これが、刑罰権の限度だ。この枠内であれば、故意犯と同等に「非難」してよい。
 「組織犯罪」の場合、だから、事故現場に近ければ近いほど、かかる非難を受け、逆にトップは知らないこととなる。それが市民の「怒り」の原因となる。
 だが、これは、『「近代刑法」で現代社会の「組織犯罪」を処罰する』、という無理な問題解決を求めるからだ。
 その意味で、今回の事故について、歴代社長を被告人の地位に置いてみる、さらけ出す、さらし者にする、、、そんなこととなる市民の決断も長い目では、組織の体質改善にはつながるのかも知れないが、やはり「個人過失」の枠を超える。
 今回の歴代社長起訴相当が「過失」の標準になるのであれば、こんなことになる。
 第1。我が国の法定最高速度を超える運転によって交通事故が発生し人が死傷した場合、その自動車メーカーの歴代社長は業務上過失致死傷で処罰されてよいこととなる。
 第2。プールで溺死事故が発生したとき、これを運営する自治体などの長は当然に業務上過失致死罪で起訴されるべきこととなる。
 第3。交差点では赤の表示となる車線には停止壁がせり出てくる装置をつけるべきで、これがないまま交差点を運用する自治体、国、信号機設置を決める公安委員会などの長は、交差点進入事故について刑罰を免れない、、、。
 要するに、「個人過失」が無限に広がる。
 だが、これは市民社会自身が拒否するはずだ。

■ 「組織犯罪」の規制と事故防止
 その意味で、今の社会経済構造を基本的に是認しつつ、なお強大化した「組織」による「犯罪」で人間個々人の社会生活がだいなしにならないようにするには、すくなくとも次のふたつのシステムが要る。
 (1)社会にサービスを提供する組織・企業・経営体・集団なんであれ、これに伴う「リスク」が市民に被害を及ぼすことのない運用を目指すコンプライアンスの徹底。ここでは、組織を構成する個々の市民の意識が重要な意味を持つ。
 (2)これに違反したとき、直ちに「個人の責任追及⇒犯罪と刑罰」と短絡的に処理せず、「事故」は「事故」と割り切り、被害関係者も参加する事故防止の「フォーラム」で対策を検討すること。ここでは、市民社会が、例えば、一定期間はJR福知山線の運行休止をがまんする、といった「痛みを分かつ」ことを覚悟してでも、「組織と企業」から「市民社会と個人」を守らなければならない。

 そこで、各紙に次のコメントを掲載してもらった。
 
■毎日新聞2010年3月27日(朝刊)
法律解釈超えた
 過失責任の取り方としては行き過ぎで、法律解釈を超えた判断だと思う。自動列車停止装置の未設置をとらえ、刑事罰を行使するのは問題だ。ただし、こうした判断が出ても、検察審査会自体が否定されるものではない。法律の手続きに従い市民の怒りが表面化したのは意義があり、市民からの問題提起ともとれる。今は試行錯誤があっていい。今回は、市民の怒りが法律の枠を超え処罰を求めたと言えるが、法律の専門家である裁判官に改めて判断してもらうしかない。

■読売新聞2010年3月27日(朝刊)
議決は行き過ぎ
 従来の個人の過失責任のとらえ方を大きく踏み越えており、行き過ぎだと思う。ただ、市民が法の枠を超えてまでも処罰すべきと判断した事実については、重く受けとめなければならない。こういう大規模事故を防ぐために市民参加型フォーラムをつくるなど、市民の意思を反映させられるような新たな施策が必要ではないか。

■神戸新聞2010年3月27日(朝刊)
法律の枠組み超えた判断
 これまで大規模災害の際、再発防止の手だてを市民が参加し、前向きに検討する場がなかった。議決は法律の枠組みを超え、企業の経営者責任を問う市民の怒りを表した。司法の市民参加が目的の改正検察審査会制度の意義とも一致する。ただし、プロフェッショナリズムの法律家から見て、議決は個人過失を踏み越えた処罰を求めるもので、納得しかねる。裁判では、個人過失の枠組みを超える部分を冷静に判断するべきだ。また、公訴時効が4月30日に迫る。指定弁護士は業務上過失致死傷罪の成立に必要な注意義務を見いだすため、困難な作業を強いられる。

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2009年07月20日

■役職責任と起訴の不当さー産経新聞09年07月09日(朝刊)コメントから

JR福知山線脱線事故で元社長が起訴された事件について、産経新聞09年7月9日付け朝刊で次のコメント掲載の機会をもらった。
******************
責任押しつけ/極めて不当
「今回の地検による山崎社長の基礎は極めて不当だ。事故はそもそも運転士の過失が直接の原因となるなど、さまざまな過失が複合的に競合して発生した事故であるのに、山崎社長だけにを起訴した今回の知見による処分には法的にも無理がある。特定の時期に特定の役職についていた人物に責任を押しつけることが果たして妥当なのか」
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2009年07月13日

■JR福知山線・元社長起訴に思うー事故と事件


JRfukuchiyama00.jpg
■「裁かれる「安全」/JR西社長起訴(中)地検の遺族・負傷者対応 被害感情に十分配慮/「過去の苦い経験」背景」。
 こんなタイトルの連載記事が、09年7月10日、四国新聞(朝刊)に掲載された。
 「神戸地検幹部は、山崎社長の起訴について「遺族感情が厳しいからと、無理に起訴したわけではない」と断りつつも「心情に応えたいという思いはあった」と語る」。
 記事の結びが、今回の起訴を巡る社会の雰囲気を表しているのかもしれない。
■ しかし、と思う。96年から98年にかけて鉄道本部長の職にあった、そのときにカーブを急勾配にしたこと、その時点で、遅くとも9年後または7年後に、運転士が無謀運転をすることも含むカーブで減速しないまま走行する暴走運転で多数の死傷者が特定の箇所で発生することが、具体的、個別的に予見可能であったと言えるのだろうか。
 そして、線路側にATSを設置しさえすれば、今回の事故は防げたし、それをする権限と責務は山崎元社長にしかなかった、、、はたしてそんなことが言えるのか。
 事故が起きたことを是認するつもりもないし、JR西日本の関係者が、社会的な責任をとるべきであることも確かだ。
 ただ、JR西日本という「組織」の体質が一人の運転士の暴走を招いたのだ。
 その事故の責任を、「個人の刑事責任」に置き換えても、正義の実現にはならない。
 例えば、かかる事故現場の状況を認識していた、または認識すべき関係者は無数にいる。本部長の後をついだ歴代の幹部もそうなのだが、要するに、組織としてのJRの犯罪なのだ。
■ そんな思いから、共同通信の取材に応じた。下記のコメントは、中国新聞が配信記事を載せてくれたものだ。

************************
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「無謀な運転など複合的な要因で生じた今回の事故について、当時の幹部一人に責任を負わせることは不当で、起訴は行きすぎ」と批判した上で「被害者とともに捜査を行うという流れが徐々に定着してきている。起訴に踏み切った背景には遺族感情への配慮があるだろう」と分析する。
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2009年07月11日

■山崎社長起訴ー事故と事件

7月8日に、福知山線の脱線事故勾留で山崎社長が起訴されたとの第1報告がマスコミサイドから入ってきた。東西線が新設されるのに伴う工事の際、線路にATSを設置しなかったことが、今回の事故を防げない状態にした理由だというのが検察側の主張のようだ。
 複合的な原因で起きた過失事件について、遡ること数年前に、こうした態様の事故の発生もありえると予測した上で、これを防ぐのに必要な箇所に必要な時期までにATSを設置すべきであったのに、しなかった、、、言葉で書けばこんな過失の内容になるのであろう。
 しかし、無理な話だ。そんなことを予見できるわけもない。ATSのみが事故防止策とは言えないし、必ず防げた訳でもない。鉄道本部長は、事故直後まで、こうした状態を引き継いだことになるが、かれらもまったく同じ過失の構造の中にある。ひとり山崎社長の過失のみが大きく寄与しているのではない。
 なにより、かくして、JR西日本は、事故の刑責を問われる立場=事実上の被告人になった以上、不当な処罰を防ぐために、徹底的に防御活動をすべきこととなる。
 事故を社会とともに受け止めて、防止策、安全策を地域、遺族、会社、経済界も含めて考えてみる、必要な対策を取る、、、そんな開かれたフォーラムによる前向きの対策はとれなくなる。せめて起訴猶予で処理すべきであったと思う。
 これも、被害者救済の大きなトレンドの中において理解すれば、検察官の決断の意味も分かる。ただ、無理な過失の構成をあえてすることはなかった。検察審査会があるから、起訴相当であれば、二度目の審査で起訴議決をするか否か、市民の判断に委ねてよかった。
 そんな思いを抱いたまま、NHKの取材には概ね次のように述べた。
********************
福知山線脱線 甲南大・渡辺教授 社長だけ起訴は不適切
2009/07/08 NHKニュース 184文字 書誌情報
 今回の検察の判断について、甲南大学法科大学院(コウナン)の渡辺修(ワタナベオサム)教授は、「JR西日本で鉄道の安全に関わっている人がたくさんいる中で、なぜ、山崎社長だけが起訴されたのか。当時の山崎社長には予見可能性はなく、起訴は不適切だと思う。責任を1人に負わせることは、本当の意味での解決にはならず、会社全体で正面から問題に向き合わなくてはならない」と述べました。

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2007年10月08日

■福知山線脱線事故ー「組織犯罪」と個人責任の限界


fukuchiyama00.jpg■JR福知山線列車事故の後始末はまだ終わっていない。
 07年9月22日の読売新聞((朝刊))は「JR西脱線事故/元安全推進部長を聴取/さらに上層部も検討/兵庫県警」と題する次の記事を掲載した。
**<引用>******************
 107人が死亡した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、兵庫県警捜査本部(尼崎東署)が、当時、JR西日本の安全推進部長だった村上恒美・元常務執行役員とその前任者から事情聴取していたことが、わかった。また、事故現場を管轄する大阪支社長だった橋本光人・元執行役員を再聴取しており、8月以降、相次いで行われた役員クラスへの参考人聴取は、当時の鉄道本部長徳岡研三・元専務とその前任者を含め計5人となった。県警は今後、供述内容を精査し、さらに上層部への聴取が必要かを検討する。
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■確かに、運転士が事故のときに死亡している以上、「過失責任」という枠で、刑事責任を追及するとすれば、なんらか管理的地位にいたものに矛先を向けるしかない。
 例えば、列車速度をチェックして設定速度まで減速させる自動列車停止装置「ATS―P」の導入の遅れを事故の原因と見て、そうした経営計画を策定したときの責任者を追及したり、急カーブになっている現場にあわせたATSーSWを設置しなかったこと、さらには、福知山線宝塚―尼崎間の過密ダイヤを組んだ責任を追及する等など、、、
■しかし、結論から言えば、どれも無理だ。
 刑法は、自然人の個人として負うべき刑事責任を追及する。かれらが、予見可能な範囲内の事故であって、注意すれば防げた事故なのに、こうした予見、回避の義務を十分に尽くさないこと、これに対して、刑罰で臨むものだ。
 今回の事故は、「JR西日本」という組織が、起こしたものだ。
 組織を組成する個人の意思は「組織の意思」の前に押しつぶされている。組織の活動が起こす大規模災害は、個々人の予見や回避の枠をはるかに超えている。
 要するに、現行刑法は、自然人の日常生活の範囲内で起こる事故については、責任を問うものだが、広域にわたる大規模施設を使う組織的営業に伴う矛盾が集約して発生した今回の事故を、個人の責任 に収めることはできない。
 そんなことをすれば、かえって不正義になる。
■「組織の犯罪」。
 これを直接対象とする厳しい制裁手段を法律で定める一方、大規模災害は「防止」の観点から調査をし、原因を突き止め、再発防止策を講ずることに力点を置くべきだ。その中で、組織の中で、まじめにこつこつと仕事をしてきた個々の社員を「スケープゴート」にしてはならない。
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2007年07月01日

■JR福知山線脱線事故ースロー経済への道を!!


JR_fukuchiyama.jpg
■JR福知山線脱線事故に関する事故調の最終報告書が完成したという。
 直接的には、運転士が直前のオーバーランに関する車掌と司令室の無線連絡内容に気を取られてしまい、注意が散漫になって、ブレーキをかけるタイミングを逃したということらしい(サンケイ新聞07年6月29日(朝刊))。
 これを受けて、兵庫県警は、今回の事故について、刑事責任を問うことが可能か最終判断をすることとなろう。 
 しかし、以前から思っていることだが、結論として、無理だと思う。巨大組織の金属疲労の小さなひびが、一運転士のある瞬間の小さな行動を生んだ、、、これを個々人の刑事責任の置き換えて捉えなすことなどできない、、、
■「スロー経済」。
 最近、「組織」に押しつぶされる個人、のイメージが頭を離れらない。残業の多い企業。しかも、トップランナーだけでなく、末端社員まで社長なみの忙しさ。余裕のない仕事のテンポ、疲れのたまる日常、ストレスを発散する場のない孤立。
 「組織」なる生命体が、「個人」を食いつぶす時代になっている。家族、地域、学校、、、人が生まれて成長し、死ぬ、そのペースにあわせたスローのペースが要る。そうでなければ、「組織」の金属疲労が起こす大小の事故のため、大勢の市民が死ぬ。そして、「組織」のみが生き残る。それは防ぎたい、と思う。次のようなコメントを新聞に出した。
*******<サンケイ新聞07年6月29日(朝刊)************
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は歩道橋事故と脱線事故を比較し、「(歩道橋事故では)雑踏警備のプロとしての警察、警備会社などが現場の混雑状況などから重大な事故が起こりうる可能性を予見しながら、適切な回避措置を取らなかったために起きたことが明らか。そのため、過失責任の所在を特定することは容易だった。しかし、脱線事故は運転士以外の関係者に具体的な予見可能性や注意義務はなく、被疑者を特定することができない」と話す。
 そのうえで、「大事故で個人責任を追及するという従来の刑法の考え方には限界がある。組織の責任を追及するため新たな法制度を整えるべきだ。個人に責任を分散するだけでは本質的な解決にはならず、今後も同様の大事故を繰り返す可能性がある」と指摘した。
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*写真は「西日本旅客鉄道株式会社 福知山線における列車脱線事故に関わる鉄道事故調査について(経過報告/H17.9.6)」より引用。
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2007年04月26日

■「巨神兵」の時代ーJR福知山線事故

■『風の谷のナウシカ』に登場する「巨神兵」。火の7日間で世界を焼き尽くした旧世界の兵器として作品に登場する。マンガでは、自我をもちナウシカを母親と思っているが、映画では、トルメキアのヴ王の第四皇女クシャナが残存する巨神兵を再生させようとするが、オームの襲撃を防ぐために急ぎすぎた活性化が腐敗を早め、崩れ去っていく。
■昨日4月25日、JR福知山線の事故から2年。
 107名死亡、562名負傷。巨大な事故。
 この事故を思うとき、いつも「巨神兵」を思う。
■21世紀の日本。この国を歴史的に、巨視的に見通したとき、日本列島を我が物顔に支配し、動かし、そして、破壊しつつある巨大生命体が、うごめいているのが見て取れないか。
 「組織」。
 人間の積み上げでできあがる巨大生物。独自の構造と意思と思考をもち、「組織の利益」という本能に従って、構成物=人を動かす。
 その中に、たとえば、JR西日本のように、日本のインフラを支える大切な役割を支えつつも、一旦「過失」「故意」で犯罪を犯せば、個々の人間の存在感を一瞬にして吹き飛ばす巨大な破壊力を持つ。
 ナウシカの世界での「火の7日間」。
 シンボリックな期間の設定だ。21世紀の前後に、この「7日」が始まっているのではないか。
■ 福知山線事故に関する調査委員会報告書(案)が机上にある。
 事故に至る物理的科学的メカニズムの解明の点で、わかりやすく、詳細である。我々素人もゆっくり読めば、専門性に関わる計算式などはさておき、事故の概念把握はできる。
 しかし、それは、自然法則的な側面での分析だ。
 「人為的なもの」。表現を変えると、JR西日本に潜む「巨神兵」に化する危険性の分析はない。
 速度超過、脱線、、、これを関知するメカニズム、それをコントロールする危機管理体制、事故直前にこれを防ぐためのフェイルセイフの有無、、、、
 その解明はない。
■「組織」が巨大化し、人間の人間らしい生活が組織存続のための歯車にされている。その時代背景の中でおきた巨大過失犯罪。
 これを、組織に組み込まれた一人一人の「人」の刑事責任として捉えることは、意味がない。
 「組織」への制裁。場合によっては、安全が確保できる措置がとられていると判断できるまで、JR福知山線を停止する強い措置がいる。組織がこの国を滅ぼす前に、組織の犯罪を断固として防ぎ、小さく、か弱い一人一人の人間の生命と生活を守る大胆さが必要ではないか。
■「法の世界」の常識とはかけ離れた夢物語の提言だが、巨神兵の時代をそう認識して、時代を読みきらなければ、この小さな国日本の1億の民は、巨神兵に滅ぼされるのではないか、、、、と思う。そんな思いを地元神戸新聞の記者と話していたところ、次のようなコメントにまとめてくれた。

***◆神戸新聞04月24日(朝刊)◆***
 甲南大法科大学院教授の渡辺修(刑事訴訟法)は、不祥事隠蔽(いんぺい)などが続発する日本企業全体の問題に重ね「刑法は個人の責任を問うものだが、企業も裁けるような法整備が必要。もはや企業のモラルには期待できない」と話し、「地域独占企業の体質を変えるには、利用する市民も痛みを共有する覚悟が必要」と続ける。
 例えばJR西が事故を起こした場合、再発防止策が確立されるまで全線運行中止などの罰が与えられる。安全な公共交通を手に入れるため、社会は不便さを甘受する―。

posted by justice_justice at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ■(ケース)JR福知山線事故■ | 更新情報をチェックする

2007年02月27日

□JR福知山線事故ー刑事責任の限界

■報道によると、2月1日に、JR福知山線脱線事故の原因究明のため、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会が意見聴取会を開いたという。公述人として意見を述べたJR西日本の丸尾和明副社長は、事故の原因として同社の安全対策、労務管理の不備を否定する見解を展開したという。
■JR西日本側は、会社の責任を否定する意見を表明した。新聞記事によると、丸尾副社長は「線区の利用状況などを勘案し、順次計画的に整備してきた。事実調査報告書に記述された設置時期は、決定事項ではなかった」と主張したという。また、「福知山線の整備遅れは、計画の精査や図面整備などを慎重に行い、施工の万全を期したためだ」とし、事故は本支社間の連携や経営判断上のミスによるものではないという。
■確かに、事故と犯罪(過失)の区別は難しい。科学技術に守られる生活は、それにともなう事故の危険とも隣り合わせだ。事故を防ぐよい手だてを考えることが先決である場合も否定できない。そこで、この点について、次のコメントを出した。
読売新聞(朝刊)ー07年2月2日ー 「大事故を起こした企業は、再発防止策を練ることこそ社会的責任だが、やはり刑事訴追は避けたい意思が働く。事故調の報告書が、最終的に刑事事件の捜査に使われるため、JR側も立件を意識し、自己防衛を優先させるのだろう」。

posted by justice_justice at 20:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ■(ケース)JR福知山線事故■ | 更新情報をチェックする
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