2014年04月23日

免訴維持ー高裁,控訴棄却について

デジタル朝日新聞2014年4月23日13時48分は次の記事を配信した。
「強制起訴の元副署長、二審も免訴/明石歩道橋事故」

 事件は,今から15年前になる。兵庫県明石市の歩道橋で,夏の恒例行事であった花火大会の見物客が滞留し,転倒する雑踏事故が発生。11人が死亡、247人が重軽傷を負った。警備の責任を担当する市役所の幹部,民間警備会社社長と明かし警察署の現場の責任者であった当時地域官らがすでに起訴されて有罪となっている。罪名は,業務上過失致死傷罪。
 これに対して,当時の明石警察署長と今回の事件の被告人,元明石署副署長の榊和晄(さかきかずあき)被告(今,67才という)について,神戸地検はとうとう起訴しなかった。
 署長はやがて亡くなるが,被害者遺族らは,検審法改正をまって,検察審査会による起訴強制決議を得た。
 その一審は,結局,5年の公訴時効が完成しているから,有罪無罪を表に出さないで,手続を打ち切る免訴とした。
 そして,今日,控訴審もこれを支持した。指定弁護士側の控訴を棄却するというのが主文であるという。
***以下,引用***
 検察官役の指定弁護士側は控訴審で、元副署長は現場指揮官として同罪で有罪が確定した元同署地域官とは連携して事故を防止する立場にあり、共犯関係にあたると主張。共犯の公判中は時効が停止するとした刑事訴訟法の規定により時効は成立しないとした。被告側は「2人は地位や配置場所が異なり、共犯ではない」などと反論していた。
***********
 公訴時効をどう捉えるか。
 学者としての見解は,簡単だ。国家が刑罰権を放棄する制度は例外的でなければならない。刑訴法254条は,「時効の停止」を認める。
 まず,「時効は、当該事件についてした公訴の提起によつてその進行を停止し、管轄違又は公訴棄却の裁判が確定した時からその進行を始める」。次に,「共犯の一人に対してした公訴の提起による時効の停止は、他の共犯に対してその効力を有する。この場合において、停止した時効は、当該事件についてした裁判が確定した時からその進行を始める」。
 上記のように,元地域官等は起訴された。つまり,「当該事件」とみるべき社会的な事実ー明石歩道橋の雑踏事故ーは,裁判の俎上に乗ったのだ。であれば,国家は,この事件を裁判にして処罰する意思表示を客観的にした以上,後で,共犯が分かってもよい,公訴時効はその裁判進行中は停止する。
 「共犯」関係にある事件で,共犯の一名が起訴された場合にも,その者が関わる事件への処罰の意思を国家があきらかにした以上,その裁判が決着がつくまでの間は,共犯関係にある者に対しても時候を停止し,その間に捜査を遂げて,国家は急いで起訴するべきだ。
 今回の事件で,明石警察署は,組織を挙げて,歩道橋の異常事態を認識するべき注意義務を負っていた。予見は容易であった。安易に市民の滞留はないと即断すること自体が軽率であった。同じ軽率さを異なる立場から,地域官も署長も副所長も犯した。彼らは組織を同一にする。指揮命令権限もある。部隊を動かせた。そうすれば,容易に規制線をはり,市民を北に誘導し,迂回路を作って歩道橋の混雑を簡単に解消できた。結果予見は可能であるし,予見できれば結果回避措置もまた容易であった。「共同過失」と見るべき組織の不注意だ。
 一審も,控訴審もそう捉えなかった。納得はできない。
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2014年01月29日

■「免訴」−手続を打ち切る裁判と検察審査会の起訴強制(終わり)

■「(壁を越えて 歩道橋事故・強制起訴判決:下)遺族活動、「時効」動かす【大阪】」
朝日新聞2013/02/18(朝刊)

JR朝霧駅東側にある歩道橋。そこで,2001年,21世紀に入った歳,明石市主催の夏祭りで群衆雪崩が起きた。小さな子ども達が犠牲になった。かれらの楽しみのために,開かれた夏祭りであり,花火大会であったのに。警備のプロが居た。駅北側のバスロータリーに機動隊の部隊がいた。署長,副署長あるいは現場の責任者である地域官が,
 「すまん,しばらく,歩道橋の通りをよくするから,規制線をはってくれ。
  いったん入場者を駅北側方向に大きく北上させて迂回させる。それから,歩道橋を  中央で分けて一方通行にする。橋上が込みすぎないように流入規制をする。」
 こんな素人でも思いつく規制をすれば,なんというとこもなくスムーズな人の流れができた。むろん,3名ほど警察官を歩道橋南側に配置して,滞留をさせないようにすればよい。
 ルミナリエ警備で兵庫県警はこの程度の雑踏規制はお手の物なのに,,,。
 それだけに,署長,副署長,地域官と揃っていながら,歩道橋に人がつまる状況を放置したことは,あきらかに警備の手抜きと批判するべきである。お粗末すぎる。
 その事件を,公判廷に持ち出すのに,法改正をまたいで長い年月がかかった。その一端を新聞がドキュメント風に追った。
それが表題の記事だ。

***引用***
 降り続いていた雨がやんだ。事故からちょうど5年後の2006年7月21日。業務上過失致死傷罪の公訴時効が成立するとされた午前0時、神戸市垂水区の下村誠治さん(54)は現場で犠牲者11人の慰霊碑に手を合わせ、2歳で逝った次男智仁(ともひと)ちゃんにわびた。
 「法廷に持ち込めなかった。力不足で、ごめんな」
 事故の遺族は、神戸地検が元明石署長(故人)と元副署長を嫌疑不十分で不起訴としたため、検察審査会に申し立てた。検審は04年4月と05年12月の2度、「起訴相当」と議決。地検が起訴した元地域官の裁判で神戸地裁も「2人が機動隊に出動を命じ、強制的な規制をしていれば、事故を防げた」と指摘した。
 06年3月、下村さんらは最高検に起訴を求める要望書を出すため上京した。しかし事務官は待合室で立ったまま要望書の提出を求め、遺族の発言をメモすらしない。当時の検事総長は「『被害者とともに泣く検察』という言葉があるが、本当に泣いてきたのかとの声もある」と陳謝したが、6月の神戸地検の3度目の処分はまた不起訴だった。
 やりきれなさを募らせる下村さんだったが、知人から思わぬ助言を受けた。
 「刑事訴訟法によると、共犯者の裁判中は時効が停止するようだ」
 保険代理店の仕事の合間や帰宅後に、法律書を読み込んだ。学生時代に学んだ渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)にも相談。裁判中だった元地域官との共犯関係が証明できれば、時効は完成していないことになる、と教えられた。「可能性はまだある。やれることはやろう」。遺族たちは、動き出した。
 ●全国初の適用
 09年5月。司法制度改革の一環で、検察が不起訴処分にしても、検審が2度続けて「起訴すべきだ」と議決すれば、必ず起訴される制度が始まった。遺族は再び審査を申し立てた。市民11人でつくる検審は「元副署長と元地域官は共犯と言える」と認め、全国初の強制起訴が決まった。渡辺教授は「市民の力が発揮された裁判」と後押しする。
 9歳の娘と7歳の息子を亡くした明石市の有馬正春さん(53)は愛する者を守れなかった自責の念に苦しんだ。「これだけの事故が起きて、どこに責任があるのかという話。納得のいく起訴をしてほしかった」
 当時の検察幹部も「あれだけの事故で、誰の責任も問わないわけにはいかなかった」と回顧する。ただ、「我々は刑事責任を問えるか問えないかの一点で判断する。元副署長らは、問えないと判断した」。
 元副署長の弁護側は共犯関係を否定し、時効が成立したとして裁判を打ち切る免訴を主張している。
 ●元副署長が涙
 昨年1月に始まった公判では、被害者参加制度を使い、遺族が直接裁判にかかわった。7月の被告人質問。詰め寄る遺族の前で、榊和晄(さかきかずあき)・元副署長(66)が涙ぐむ一幕があった。
 「私にも小さい孫がいます。ご遺族の心中を察する時に、悔やみきれない悔しさ、わびしさに包まれているのかと、申し訳ない思いでやってきました」
 1969年に警察官に。各地の警察署や自動車警ら隊などを経て事故前年に明石署副署長に就いた。事故後の05年に辞職。大手小売会社に再就職したが、強制起訴後に退職した。高血圧と糖尿病を患い、通院しながら投薬治療を続ける。
 質問に立ったのは下村さんだ。「どうして遺族と会わなかったのか」「副署長としてやるべきこととは」。無罪主張には到底、納得できない。けれど質問を直接ぶつけるうちに、複雑な思いにとらわれた。
 元副署長は言った。「私は小さな子どもが好きで、智仁ちゃんがどんな目をしていたんだろうな、と思います。『わしらの気持ちが分かるか』と言われるかもしれませんが、私なりに悩み、苦しんできました」
 下村さんは、用意していた質問を途中でやめた。
 「目と目を合わせてうちの子の名前を言ってくれた。気持ちは受け取れた」
 事故から11年。初めて、元副署長と向き合えた。
******

 下村さんとは勉強会でも御一緒している。ブログ編者も折ある毎に歩道橋に足を運んでいる。いろいろな思いと重なる事件だ。
 そして,検審起訴強制第1号。「市民主義」の時代の幕開けとなったことも確かだ。
 時代を画する事件であった。
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2014年01月28日

■「免訴」−手続を打ち切る裁判と検察審査会の起訴強制(続報)

■「明石市歩道橋事故・解説=「市民起訴」課題残す/専門的判断担うべきか」
2013/02/20 静岡新聞 夕刊 2ページ 917文字 PDF有 書誌情報
 「免訴」。
 滅多に表に出てこない表現だ。
 検察官が起訴した事件について,有罪・無罪の判断をせずに,裁判手続を打ち切る「形式裁判」と分類される。免訴の場合と,公訴棄却の場合がある。どんな場合に打切りとするのかは法律に定めている。
 分かりやすい例が,被告人がなんらかの理由で死亡したとき。裁判を継続する意味がなくなる。だから,死亡を確認する書類が裁判所に届いた段階で,わざわざ公判を開いて確認するまでもなく手続を打ち切る(この場合,「公訴棄却」決定による)。
 公訴時効が成立したかどうか。これは,争いになる。
 今回の事件のように,検察官役に任じられた弁護士は,公訴時効は不成立と判断し,これを支える解釈論と証拠を揃えて,起訴状を作成して公訴を提起する。
 これに対して,被告側が,公判の中で,起訴された事件について,公訴時効が成立している旨争う。
 この場合,他方で,有罪・無罪の争点についても,双方主張と立証を尽くすこととなる。
 裁判所の判断は,公判廷の審理を経てから言い渡すので「判決」の形式を採る。
 「免訴の判決」である。
 今回,裁判所が免訴にしたことに関連して,検察審査会のあり方を批判する向きが表れてくる。が,困ったことだ。
 そもそも刑事裁判は,被告側の十分な防御の結果,無罪になることもある,公訴時効の解釈次第では,これが成立することもありえる。
 この大原則を我が国社会は,重視しない。官僚機構としての警察,検察,裁判所ともに「必罰主義」を組織原理とする。
 社会も,「無罪」を容易に受け入れない。
 おなじく,しろうとが起訴を決める制度を,社会そのものが受け入れようとしない面がある。驚くべきことだ。市民の良識ある判断を,市民こそ支えるべきなのに。
 次の記事も,批判論である。
 
***引用***
 元明石署副署長に対する神戸地裁判決は、有罪無罪を判断する前に、時効の成否を検討し、刑事裁判を開く要件を欠いていると結論付けた。検察官役の指定弁護士は当初から極めて難しい立証を迫られ、強制起訴制度に課題を残した。
 業務上過失致死傷罪の時効は当時5年。既に経過しており、指定弁護士は、実刑が確定した元明石署地域官との共犯関係を立証する必要があった。「共犯者の起訴」に伴い、時効進行が停止するという刑事訴訟法の規定を適用させるためだ。
 だが、殺人や窃盗など故意の犯罪と違い、怠慢や不注意を罰する過失の罪で共犯関係を認めた判例は少ない。限定的なケースにしか成立しないと解釈されている。元副署長と元地域官では立場が違い、事故当時は別々の場所にいたため、さらにハードルが高かった。
 検察審査会は、2人が共犯関係にあると判断したが、こうした専門的な法律判断を検審が担うべきなのかどうか。検証すべき「市民起訴」の新たな課題だろう。
 約1年の裁判を通じて、警備計画策定のやりとりが明らかになったことは公判を開いた成果となったが、強制起訴で職を失い、体調も崩した元副署長の不利益にも目を向ける必要がある。
******

 しかし,この記事が掲載した識者は見識があると(自画自賛も含め)思う。

■公開の審理に意義−諸沢英道常磐大大学院教授(被害者学)の話
 今回のように有罪か無罪かはっきりしない事案については、公開の法廷で白黒をつけるというのが強制起訴導入の目的。免訴という結果よりも、公判が開かれ、遺族が参加したこと自体に意義を見いだすべきだ。これまで日本では、検察が公訴権を独占しており、異常な状態が続いていた。そこに風穴をあけ「市民の起訴」第1号となった点も評価すべきだ。
■判決納得できない−渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 元副署長は当日の警備責任者であり、元地域官と密接に連絡を取りながら歩道橋の様子を見守っていた。危険を察知したら相互に連絡調整することで、容易に事故を防げたはずだ。予見、結果回避の義務があった上、権限と責任を分担共有していたのだから、過失の共同正犯に当たる。単独の過失も共同過失も否定した判決は納得できない。
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2014年01月27日

■「免訴」−手続を打ち切る裁判と検察審査会の起訴強制

■「無罪」こわばる遺族 子犠牲「報告しようがない」 明石歩道橋事故、判決 【大阪】
2013/02/20 朝日新聞 夕刊 11ページ 2460文字 書誌情報
 2001年7月21日、JR朝霧駅と海岸を結ぶ歩道橋に,花火大会の見物客が殺到。見物に格好の場所である歩道橋が,帰る人と行く人の交錯する中,滞留してしまい,やがて人が折り重なって倒れる「群衆雪崩」が発生。
 子ども9人と70代女性2人の計11人が死亡、247人が負傷した。
 神戸地検は翌年、現地警備本部指揮官の明石署元地域官と警備会社支社長ら計5人を起訴した(有罪確定)。
 しかし,署内にいた元署長と元副署長も書類送検されたが、不起訴とした。市民らが検察審査会に申し立てを行い,法改正がなされて,2度の不起訴に対する審理で,市民らは起訴議決をした。裁判所が指定する弁護士が,この決定に従い,公訴提起をした。
 その判断が示された。

「被告人を免訴すべきである」。

 聞き慣れないことばが,その日の法廷に響いたことと思う。
 判決は,もう1年ほど前になる,神戸地裁でのできごと。
 事件も,さらに一回り昔の季節も夏。明石市が開く夏祭りの会場がこの年からであったと思うが,市役所前広場周辺から,人工的に創られた大蔵海岸公園に移された。
 場所の移動をみて,怪訝に思ったことを今も覚えている。
 というのも,人の流れが悪くなるからだ。
 市役所前なら,明石駅からもすこし遠いが散歩のつもりで,屋台の並ぶ通りで,歩行者天国にした通りを歩いていける。それに,途中からもぬけたり,はいったりできる。いわば,穴だらけの風船と同じで,空気がいっぱいになりそうになれば,途中で適当にぬけられる。
 ところが,朝霧駅前の大蔵海岸公園は,第2国道で囲まれ,朝霧駅とは狭い歩道橋でつながるだけで,人の逃げ場がない。あぶない場所だと何気なく思ったことを記憶している。
 そんな場所にある歩道橋上で起きた群衆雪崩。
 残念ながら,元副署長を起訴した時点では,業過致死傷罪の公訴時効が完成している,というのが裁判所の判断であった。
 だから,「免訴」。つまり,有罪無罪の判断をするまでもなく,裁判を打ち切るというのだ。
 
***引用***
兵庫県明石市の歩道橋事故から11年7カ月。明石署の元副署長榊和晄(さかきかずあき)被告(66)に20日、裁判を打ち切る免訴の判決が言い渡された。検察が4度も不起訴を繰り返すなか、真相解明のために警察署幹部の裁判を求め続けた遺族は、厳しい表情で「実質無罪」の判決を聞いた。▼1面参照
 うどん店を経営する明石市の有馬正春さん(53)は、検察官役の指定弁護士の席の後ろに座った。免訴が言い渡された瞬間、裁判長を見ていた表情がこわばり、何かつぶやいた後、みけんにしわを寄せて口を真一文字に結んだ。
 あの日、9歳で小学4年の長女千晴さんと7歳で小学2年の長男大(だい)君を亡くした。家族4人で花火大会に出かけ、JR朝霧駅から大蔵海岸に向かう歩道橋に入ったが、半分を過ぎたあたりで四方八方から押し込まれ、足が浮き上がった。とっさに壁と手すりの間に子ども2人を入れ、腕をつっぱってかばったが、数分もたたないうちに夫婦とも人波に押し流された。「子どもが、子どもが」。妻の友起子さん(43)が叫んだ。
 2人がいる場所に戻ると、大君の上には子どもが折り重なっていた。抱きかかえたとき、もう意識はなかった。千晴さんが頭から血を流しながら、機動隊員に運ばれているのを見た。それが、最期だった。
 裁判には遺族8人が被害者参加制度で加わった。有馬さんは昨年9月の論告求刑公判で、A4判用紙3枚にまとめた意見を法廷で読み上げた。「事故は未然に防げたはず」と言い、「本来裁かれなければならない被告が厳罰に処されることが、一番の再発防止になると思う」と訴えた。
 なぜ事故は起きたのか。それを追い求めてきた11年だった。「よく『宿題』って言うんです、子ども2人からのね。やらなあかん、その思いだけですよね」
 しかし判決は、裁判を打ち切る免訴だった。「がっくりきました。有罪か無罪かはっきり聞きたかった。(子どもにも)報告しようがない」と語った。
 (篠健一郎)
 ●否認貫き 元副署長一礼
 榊被告は証言台に手をつき、硬い表情で判決を聞いた。免訴が言い渡されると、裁判長に軽く一礼し、口を結んだまま席に戻った。
 「今でも、深夜に目が覚め、亡くなられた11名の方々の悲鳴が聞こえるように感じることがあります」
 昨年11月の最終陳述で、自身も事故の傷を引きずって生きてきたと吐露し、「防止できなかったことは、残念で申し訳なく、おわびを申し上げます」と遺族に頭を下げた。ただ、刑事責任については「署長ならともかく、私に過失があると言われても、それはおかしい」と、一貫して否定してきた。
 閉廷後、榊被告は「私なりに事故の再発防止について考えていきたい」と報道陣に語った。
 ある県警幹部は「事故を境に警察の雑踏警備に関する意識は大きく変わった。危機感と責任の重さを忘れることはない」と話した。
 ◇強制起訴見直しを
 <元東京高検検事の高井康行弁護士の話> 当然の判決だ。今の強制起訴制度が人権侵を招く恐れがあることを示しており、これを機に制度を見直すべきだ。対象を証拠が足りない「嫌疑不十分」でなく、証拠はあるが起訴を見送った「起訴猶予」の事件に絞るべきだ。対象を絞らないのであれば、有罪の確信を得た時しか起訴できないように基準を明確化する必要があるのではないか。
*********
 ブログ編者は,「学者」の視点で,法を解釈する。
 この事件では,共犯者と実質的にみてもいい,元地域官ー現場の警備実施の責任者が起訴されて上告審まで争った。その間は元副署長に対する公訴時効は停止したとみるのが妥当だ。
 だから,検察審査会法改正をまって行われた起訴強制手続は,じゅうぶんに,公訴時効期間内のものである。
 だから,そもそも免訴にした地裁の判断に疑問を感じている。
 また,結果として,免訴になったー処罰できなかった,だから,しろうとである市民が行なう検察審査会の起訴議決を疑問とするのは,もっと疑問だ。
 民意に基づく公訴提起について,プロが再度責任をもって刑事裁判の場で判断する,その役割分担が21世紀型の正義を実現するものとなる。
 そこで,起訴強制制度ー市民による公訴権への介入を嫌う見解が多く表明され始めたこの頃に,とりあえず,次のコメントを出した。

◇解明の場ができた
 <甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)の話> 元副署長も元地域官も協力して事故を防ぐべき義務があったと考えていたが、判決では認められなかった。それでも検察審査会は今回のように、検察が不起訴にした警察官による犯罪や政治家の犯罪などを拾う役割がある。強制起訴制度と市民の判断によって、闇に包まれていた事件が起訴され、真相解明の場ができたことは評価できる。

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2010年02月10日

■明石歩道橋事件と検察審査会ー「起訴議決」の意義(続)


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 2010年2月5日の各紙に、明石歩道橋事故で、検察審査会が2度目の起訴相当判断をしたことを踏まえて、裁判所が兵庫県弁護士会に検察官役弁護士の推薦を依頼していたところ、この度、3名が正式に裁判所から選任された旨、報道されている。一人は、元裁判官の安原浩氏。リベラルな裁判官であり、すぐれた見識をお持ちである。期待したい。
 さて、少し古くなるが、起訴議決に関して、次のコメントを共同通信配信で掲載してもらっているので、収録しておく。
 なお、写真は、今年10年1月1日元旦、大蔵海岸で初日の出をみるとともに、事件現場を再訪したときのものである。
 今年こそ、この歩道橋で命をなくした方々の思いの一端が満たされることを祈念したものである。
 ただ、これから一定の捜査を行い、起訴状をまとめ、公判前整理手続を経て一審の公開裁判が始まるのには時間がかかるし、数々の法的な問題がある上、過失を認定する証拠調べが続く。上訴も考えれば、元副署長の刑事裁判が終局するのには、相当の年月を要すると思う。

■市民目線の判断/渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
ー東奥日報10年1月28日(朝刊)ー
■法改正の精神生かす
ー西日本新聞10年1月28日(朝刊)ー
 市民の責任で起訴を決める改正検察審査会法の精神を生かした判断だ。今回の事故では、警備のプロである警察が組織全体として注意を怠り多数の市民が犠牲になっただけに、検察庁が起訴しなかったのは納得できない。審査員となった市民は、ずさんな警備計画と事件当日の注意を怠った対応全体が、警察の責務違反であると理解して警察幹部の怠慢を認めた。過失を市民の目線で再構成したもので納得できる。

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2009年10月04日

■明石歩道橋事件ー市民が公訴を提起する日

■共同通信のネット配信記事をみた(09/10/04/19:44/【共同通信】 )。
「神戸地検「危険性認識ない」/花火大会事故で遺族に説明」との見出しで、次の記事となっている。
 「2001年に兵庫県明石市で11人が死亡した花火大会事故で、業務上過失致死傷容疑で書類送検された当時の県警明石署榊和晄副署長(62)を4度目の不起訴にした神戸地検は4日、遺族ら11人に処分内容を説明した。
 遺族らによると地検は、元副署長が同署の元地域官(59)=業務上過失致死傷罪で有罪判決を受け上告中=に当日の警備を委ねていたほか、現場の危険性も認識していなかったと説明。過去3度と同様、嫌疑不十分で不起訴にしたことを明らかにしたという。」

 次のように思う。

■副署長の過失は十分に構成できる/警察の組織ぐるみの「過失」は明白
 検察庁の説明は納得できない。副署長は警備計画策定段階から歩道橋対策の不十分さを認識し計画の見直しを指示すべき責任があったし、事故直前にも警察署内で自らモニターで現場の状況を確認し、通信などの報告の検討を通じて事故の危険を容易に予測できた。だが、これをしていない。この点こそ重大な過失である。しかも、事故の危険を察知した上で署長や現場の地域官に的確な助言をし、場合によりみずから現場の部隊に命令を出すなど事故を防止するためにとることのできた手段はいくらでもあった。雑踏事故を警察組織として防ぐべき立場にある責任者の姿勢としてなにもしなかった副署長の態度はずさん極まりない。これを過失に問えないとする検察庁の判断は不当である。

■二度目の検察審査会、「起訴議決」への期待/市民良識が活きるとき。
 今後、二度目の検察審査会が開かれて再度不起訴処分を市民が検討することとなる。11名の市民の多数が再度「起訴相当」と判断すれば、今度は「起訴議決」を行なう。この市民の判断がそのまま公訴提起と同じ効力を持つ。
 検察官が長年独占してきた「公訴」の壁を市民の判断で破るときが近づいている。裁判員裁判と並ぶ市民の新しい重責を果たすことが期待される。「市民主義」時代の第2の幕開けといってよい。

■「組織犯罪」で市民が犠牲になることは許してはならない。
 2度目の検察審査会では、プロの法律家と異なる視点で過失の成否を検討してほしい。
 その場合、市民が警察組織に期待するものがなにかという視点も是非加えてほしい。検察官も官僚機構の側にいる法律のプロである。このため、警察内部の権限配分や署長と副署長の間の上下関係、地域官に現場指揮を委ねたことへの配慮等など「組織を守る側」特有の視点で組織犯罪ー組織の「過失」を見る癖がついている。
 しかし、市民社会が期待するのは、「組織としての警察が一丸となって雑踏警備を防ぐこと」である。これをしなかった事実がある以上、副署長の責任は重い。
 当日の歩道橋の状況を写したビデオが紛失した事実も重く見るべきだ。警察官を犯人とする犯罪捜査で迅速で適切な捜査がなされたのかも考慮した上で検察庁が嫌疑不十分とした判断が妥当か検討すべきだ。

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2009年07月31日

■明石歩道橋事件と「起訴相当」決議


Akashi_Hodokyo00.jpg 明石歩道橋事件に関して、画期的なできごとがあった。
 当時、雑踏警備について、明石警察署副署長として責任を分担していたS氏について、検察庁の不起訴処分について、遺族らが検察審査会に審査を申し立てていたところ、今般、申立人の申立を根拠にした上で、 「起訴相当」
とした。
 実は、改正前の検審法の下でも、起訴方向への意見を表明するときにも、起訴相当の議決は珍しいものであり、多くは不起訴不当に留まるものであった。
 今回は、旧法のもとですでに2度も起訴相当の議決を検察審査会がおこなったのに、検察庁はこれを無視してきた。
 そして、改正検審法のもと、万が一にも、検察庁が3度目の起訴相当を無視したとき、再度の起訴相当の判断は、「起訴議決」として行われ、これは裁判所に対して公訴提起を行なう責務を負わせる効力をもつこととなる。
 裁判所は、指定弁護士に起訴状をとりまとめさせてこれを提出させて、審理を始めることとなる。
 ともあれ、検察庁は、直ちに自らの責任で、起訴すべきである。そこまで市民良識を無視するべきではない。
 21世紀の刑事手続は、「市民主義」を原理とする。市民の監視、参加、納得がない限り、正義の実現はない。
 検察庁の公訴権行使のあり方を正面から批判した今回の判決は、今後とも参考になろう。
 そこで、讀賣新聞09年7月31日(朝刊)に次のコメントを掲載した。
*********************
「市民良識が生きた議決で高く評価できる。市民は3度も起訴を求めており、検察庁は直ちに自らの責任で起訴すべきだ。議決が共犯関係を認めた理由は説得力があり、市民が感情に流されず冷静に判断できることを示した。市民が刑事裁判の主人公になる時代。今後は裁判員として参加するだけでなく、検察官の起訴・不起訴を監視する役割も大きくなるだろう」

Akashi_Hodokyo02.jpg
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2009年05月24日

■裁判員と市民ー検察審査会のこと

■検察審査会と市民ー明石歩道橋事件によせて
 5月21日からもうひとつの司法改革が静かに動き始めた。改正検察審査会法である。長年の市民参加型の手続がさらに進化した、といっていい。

090521_hodokyo.jpg 有権者から選ばれる11名の市民だけで、検察官の処分の当否を決める審査を行なう場。
 今までは、その判断は検察官に送られるだけで、直ちには法的な拘束力、検察官の義務は発生しなかった。
 しかし、検察審査会が起訴相当と判断した事件について、検察官が再度不起訴にしたとき、この判断は必ず検察審査会に再度送り返される。検察審査会も、必ずもう一度審査をしなければならない(但し、もともと申立人がいて、同人が不起訴でいいと判断したときは審査をしなくてもよい)。
 そして、やはり起訴相当の事件と市民が判断したとき、今度は「起訴すべき旨の議決」をする。これが法的拘束力を持つ。
 つまり、この議決は、審査補助員である弁護士の助けを借りて、起訴状類似の議決書にまとめられる。これが裁判所に送付される。裁判所は、指定弁護士を選任する。指定弁護士は、検察官の役割を負う。事件について起訴するのがその任務である。
 この手続の間に、裁量の余地はない。裁判官も、指定弁護士も、議決書に従い、公訴の提起手続をするべき責務を負う。その意味で、起訴議決に法的拘束力が発生する。
 市民が、検察官に代わって公訴の提起を実質的に決める。
 この制度は画期的だ。近代国家日本が登場して以来、検察の責務には市民が介在することはなかった。検察審査会も、検察官を間接的に監視するのに留まる。
 しかし、5月21日以後、検察官は、事件処理にあたり、常に市民の目を意識することとなる。市民良識が起訴相当と判断しないかどうか、、、検察官の独善による処理になっていないか、他の公務員、官僚組織特に警察と政治家に遠慮した判断ではないか、、、といった点をよく吟味して処分を決めねばなるまい。
■明石歩道橋事件
 2001年の夏、ブログ編者の住む近くで起きた悲惨な事件ー市の夏祭り、花火大会の会場に押し寄せる市民が朝霧駅から海岸へ抜けるほぼ唯一のコースである歩道橋(JR線、山陽線をまたがる陸橋)で滞留。往路、帰路、滞留、、、と市民の動きがばらけた上に詰まってしまった。そして転倒事故、、、子供を含む11名が死亡、247名が負傷。
 明石警察署は、100名近い警察官をその歩道橋のすぐ側に配置しておきながら、そして、署長も副署長も、歩道橋の危険な状況を署内のモニターで確認しているのに、なにもしなかった、、、その無策、無責任、市民の安全軽視、、、その姿勢は、業務上過失致死、致傷罪で個人責任としても非難に値する。
 そうした立場にいて責務を負うことの代償に、給与と地位と権限、退職後のことなどもふくめた生活利益を得ているのだから、、、。プロたる責任を放棄した不注意は咎めなければならない。
 なのに、神戸地検は、あろうことか、2度も検察審査会が起訴相当と判断したのに、なお不起訴とした、その間に、元署長は亡くなった。
 5月21日に、遺族等が副署長に対する不起訴処分について、3度めの申立を検察審査会にしたという。
 申立ー受理がなされるかは、法律の規定上やや疑問であるが、検察審査会は職権でも審理を開始してよい。そして、この事件は、まさに検察官がもっとも苦手とする対警察関係の事件であるだけに、2度の起訴相当の判断を考慮した適切な処置が望まれる。
 兵庫県明石市で01年7月、11人が死亡し247人が負傷した花火大会歩道橋事故をめぐり、遺族らでつくる「明石歩道橋犠牲者の会」は10日、改正検察審査会法について考えるシンポジウムを神戸市内で開いた。講演を担当したが、その内容は簡単ながら、新聞記事で次のように紹介されている。
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■「明石歩道橋 事故遺族らが勉強会 検審申し立て3度目控え」09年5月11日神戸新聞(朝刊)24頁。基調講演した渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「副署長の過失は、事故の危険性の予測や、容易に防止策が取れたことから十分に成立し、二度の『起訴相当』は妥当。三度目の申し立てでも、改正法のもと審査会で取り上げてほしい」と述べた。
■「兵庫・明石歩道橋事故、起訴求めシンポ/改正検審法巡り遺族ら」朝日新聞(朝刊)5月11日(朝刊)22頁
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「法改正で起訴権を市民も持つことになる」と講演・・・・
■「兵庫・明石の歩道橋事故:元副署長起訴求め、3度目申し立てへ 」毎日新聞(朝刊)09年5月11日24頁。甲南大法科大学院の渡辺修教授は「神戸地検の判断は司法制度改革の流れに逆行する」と指摘した・・・

*写真下は、明石歩道橋事件の現場となった、JR朝霧駅から海岸へ抜ける歩道橋の西側隅に置かれている記念碑。


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2007年04月08日

■明石歩道橋事件控訴審判決ー組織責任、個人責任

■4月6日に、大阪高裁は、2001年7月に、明石市の夏祭りの際、朝霧駅から急ぐ会場の海浜公園へ歩道橋を急ぐ市民がすし詰め状態となり、滞留中に転倒事故がおきた事件で、被告側の控訴を棄却した。
 こうして、元地域官・金沢常夫(57)、元警備会社幹部・新田敬一郎(65)の両被告を禁固2年6月(ともに求刑・禁固3年6月)の実刑、明石市の元幹部2人を禁固2年6月、執行猶予5年の有罪とした神戸地裁判決が維持されたこととなる。
■この事故で、花火大会と夜店を楽しみにしていたであろう子ども達9人、そして、老人2人の計11人が死亡している。さらに、247人が重軽傷を負った。
 神戸地検は、結局、現場に居た責任者5人を起訴したが、もっとも問題なのは、明石警察署で、歩道橋の危険な状態を、少なくとも容易に認識することができたし、そうすべきであった職責と権限を有していた当時の署長と副署長が刑事訴追を免れたことだ。
■この事件は、いろいろな意味をもつ。 
 まず、「子供を犠牲にする社会」という20世紀末に顕著になった日本の構造的歪みがシンボリックに表れた。「祭」、花火、夜店、、、、地域社会が崩壊した日本で、自治体が提供せざるを得なくなった一種の「和」の場であって、地域であればおよそ危険・事故・犯罪から無縁に近かったイベントで、子供を守れない状態が生まれた。
 次に、組織犯罪の広がりだ。「組織犯罪」。言葉を広げて使うことにはまだ抵抗感があるのかもしれない。しかし、「警察署」という強い権限の主体が、「過失」で犯罪を犯す時代なのだ。個人としての署長の資質もあるのかもしれないが、同時に、組織としての警察が、社会のリスクに対応しきれる能力のなさ、粉飾決済など故意に会社ぐるみの犯罪を行っているのと同じように、署長も副署長も、そして現場の指揮官もさらには現場臨場の個々の警察官も、歩道橋の密集状態について、結局は、無感覚で、無責任に、放置した。そんな組織が、日本の治安維持を委ねられているのだ。
 最後に、希望を持てるのが、遺族等被害関係者のアクティブな活動だ。市民が「公訴権」に介入するはっきりした姿勢。検察審査会が、署長らについて2度も起訴相当の決議をした事実。「正義」のかたちを市民が関与して作り出す時代を作りつつある、節目となる事件群のひとつである。
■ この事件の関与者は、現に起訴された。事件は、国家刑罰権を発動すべき対象であることが承認されたこととなる。この事件について公訴時効は問題になる余地がなくなった。署長は、もっとも責任の重い共犯として関与している。「過失犯」も共犯とともに行われることはある。例えば、外科手術を行なう医師団・看護士団はそれぞれの責任を果たしつつ他のメンバーのミスもカバーする責任を負う。
 歩道橋の密集状態。群衆事故の危険。その予測はしろうとでもできた。流入規制。これもしろうとでも思いつく簡単な方法があった。機動隊などの警察力も現在していた。しかし、署長は、なにもしなかった。
 市民が納得できる事態ではない。
■「組織責任」と「個人責任」。 
 どちらにどれだけ比重を置くべきか、決めるのが困難なケースはある。しかし、今回の事件は、容易に防止できた。朝霧駅前のロータリー周囲と、北側方向に走る道路沿いの歩道を利用して大きな迂回路をつくり、流入規制をすればよかった。10人程度の警察官を派遣して、その指示をすれば、市民はごく冷静にその指示に従ったはずだ。
 神戸ルミナリエ会場では事故がおきないのは、こうした迂回路と滞留禁止をくまなく徹底しているからだ。
 組織の注意力の問題とともに、その職責と権限を委ねられた個人たる当時の警察署長の刑事責任は重い。これを公開の裁判の場で判断する機会を提供しない検察庁の判断は、やはり疑問だ。
■現場責任者の過失責任を認めたのは、やむをえない。ただ、「組織責任」と「個人責任」の区分けが困難であることも事実だ。
 今回の事件は、組織が主人公になって、個を押しつぶし始めた特異な時代の過失犯罪として長く記憶に留めなければなるまい。
posted by justice_justice at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ■(ケース)明石歩道橋事件 | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

■明石歩道橋事故ー共犯事件と公訴時効

■もう数年前のこととなるが、明石市の夏祭りの会場が、人工海岸のある狭い地域で開かれたとき、会場へ向かう大勢の人が詰めかけた朝霧駅横の海岸へつながる歩道橋で、人が混み合いなだれ現象が起きて、子供達などが死亡する痛ましい事故があった。
 警備の不備は明白であり、市役所の警備担当者、警備を請け負った警備会社とともに、当時明石警察署の地域官で夏祭り会場現場で警備の現地での指揮権限を有していたN元地域官ら5名が起訴された。
■署長は当日署に詰めており、モニターで歩道橋の状況把握をすることはできた。警備に回せる警察官らも付近にいた。歩道橋へ急ぐ市民をいったん迂回させる導線の確保は、しろうとでも思いつくし、警察官を配置すれば容易にできる安全措置であった。ルミナリエの会場でもやっていることだ。
 しかし、暴走族対策重視の警備計画を策定した署長は、事態の正確な把握と機敏な対処を怠った。彼の過失は明白だ。
 神戸地検は、動かなかったー2度も、検察審査会が起訴相当の議決をしたが、過失を構成できないし、公判を維持できないという判断のもと、起訴はしていない。副署長についても立件されていない。
■ところで、事件当時、業務上過失致死傷罪の公訴時効は5年であったためか、06年7月頃、一部の新聞が、この月で公訴時効完成と報道した。 
 すこし不思議であった。というのも、すでにこの時点では起訴された5名に対して、神戸地裁は禁固2年6月の実刑判決を宣告し、控訴審が継続中であった(07年4月6日判決予定)。また、検察庁が公訴時効は完成したとの判断を示したという新聞記事はみつからない。
■警察署長の過失は、地域官らの過失と競合して今回の事故を招いたものであり、いわば警備のチームワーク全体の乱れが人災とみるべきこの事故の原因だ。
 その一部について、すでに検察庁が公訴権を行使して、犯罪が成立するとして起訴した。
 そうであれば、この事故について、刑罰権を発動するという国家の意思表示はなされたことになるから、共犯者として関与している者についても、もはや公訴時効の利益をあたえる必要はなくなる。
 刑訴法254条が共犯者が一人でも起訴されればその事件に関与したであろう共犯者全員の関係で公訴時効を停止させると規定しているのは、当然のことである。
 そこで、今年1月に、明石歩道橋の遺族の方々が主催するシンポジウムが東京で開かれた際に、上記のごくあたりまえの法解釈・法適用について、次のように説明した。
ー産経新聞07年1月15日(大阪、朝刊)ー「甲南大法科大学院の渡辺修教授は『判例によると、明石署元地域官らが起訴された時点で時効は停止している」と指摘」。
 ー朝日新聞07年1月15(朝刊)ー「渡辺教授は、共犯者の公判中は時効が停止するという刑事訴訟法の規定をもとに、大阪高裁で公判中の同署元地域官と元署長らが共犯関係にあるとして『時効は完成していない』と指摘。『検察審査会に3度目の申し立てをし、司法に判断を委ねることは可能だ』との考えを示した」。


posted by justice_justice at 08:04| ■(ケース)明石歩道橋事件 | 更新情報をチェックする
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