2015年08月03日

福島原発事故と刑事責任 事件か,事故か 刑罰か予防か

 このブログの目的は,おりおり新聞などに掲載を認められるコメントをまとめておくためのものであるが,つい怠って時間を空けすぎた。なにかと気ぜわしい日常ではあるが,折角コメントの機会をもらったのに,蓄積しないのももったいないと思う。また再開してみよう。

 直近のコメントは,東電幹部に対する検察審査会の起訴強制決定に関するものである。共同通信配信記事でとりあげられている。
 事件の経過については,例えば,静岡新聞では,「表層深層=市民感覚「想定外」認めず 予見可能性 判断が鍵−東電旧経営陣 強制起訴へ」として紹介している(2015/08/01 静岡新聞・朝刊)。

 「発生から4年以上が経過した東京電力福島第1原発事故が、東電旧経営陣3人の強制起訴を決めた検察審査会の判断により、刑事裁判という新たな局面を迎えることになった。膨大な資料、証言から企業トップの「予見可能性」を検証する裁判は、これまでの事故調査や捜査とは別次元の複雑な審理が必要となる。事故は防げたのか。市民が抱き続けた重大な疑問の解明は、法廷に委ねられた」。
 市民の判断を記事は次のようにシンプルに整理する。
 「『放射能は人類の種の保存にも危険を及ぼす。原発事故は一度起きれば、取り返しがつかない』。31日に公表された東京第5検察審査会の議決は原発事故の『特殊性』をこう言い表し、原発事業の責任者には万が一の事態を想定する『高度な注意義務』があった、と言い切った。
 巨大津波の恐れを示す調査結果と『15・7メートルの津波』を実際に東電が試算していたという事実。これらを前提にすれば勝俣恒久元会長らに予見可能性があったのは当然で、停止を含めた予防策を講じなかったことで業務上過失致死傷罪は成立する−。市民感覚のにじむ議決の論理は明快だ。」
 識者の見解が並ぶ。そのひとつがブログ編者のものだ。

○「検察官役の弁護士にとって、見通しは暗いだろう」。元東京地検特捜部長の宗像紀夫弁護士は話す。「未曽有の危険にまで対策を取れば、コストは無限にかかる。飛行機は飛ばせないし、日本中の沿岸部の自治体が防潮堤をかさ上げする必要が出てくる。それでいいのか」
○市民感覚に沿う−船山泰範日本大教授(刑法)の話
 検察審査会の議決は、東京電力の旧経営陣は「万が一にも発生する可能性のある津波災害に対しても備えておくべきだった」と指摘した。具体的な予見ができなくても、漠然とした危機感を持っていれば管理責任を問えると判断しており、高く評価したい。原発事故の責任の所在を明らかにしたいという被災者の気持ちをくみ取り、強制起訴への道を開いたのは、市民感覚に沿った結論といえる。
○個人責任問えぬ−渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 大規模な自然災害による原発事故は会社組織として防ぐべきで、幹部とはいえ個人に刑事責任を負わせるのは妥当ではない。何より将来の事故防止策を企業と社会とが一緒に考えていくべきだ。東京電力旧経営陣の刑事裁判は長期化するとみられる。被告側は無罪を主張し、責任を免れるため事故原因の解明につながる情報提供を控えざるを得なくなり、再発防止にそれまでの経験を役立てることができないだろう。

*記事のバージョンは異なるが,コメント自体は同じものが,京都新聞20150801朝刊,西日本新聞20150801朝刊などにも掲載されている。
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2014年05月01日

■長野・松本市柔道事故事件ー検察官の起訴独占の壁を破る市民の良識

 朝日新聞Digital は,「柔道事故、強制起訴で有罪/元指導者の過失認定/長野地裁」と題する記事を配信した(2014年5月1日05時00分)。

 長野県松本市の柔道教室で2008年5月、当時小学6年生だった被害者(現在17歳)が,指導者の投げ技で傷害を負い,今も重い後遺症に苦しむ日々を送っている事件で,裁判所は,被告人を業過致傷で有罪を認定した。「安全に配慮せず、手加減せずに投げつけた」というのが結論で,被害者の求刑禁錮1年6カ月に対して,禁錮1年執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
 柔道の指導者だった被告人は,「片襟体落とし」という投げ技を被害者にかけたという。頭は打たなかったものの,投げられ畳に倒れるいずれかの動きの中で急性硬膜下血腫となり、一時意識不明になった上,その後も四肢まひの重い後遺症を負ったという。
 記事によると,判決は、柔道指導者には「技量・体格に配慮しながら、手加減する注意義務がある」と指摘したという。「未熟な者が強い力で投げられ、畳に打ちつけられれば、身体に何らかの障害が発生することは十分に予見可能だ」。被害者は,「受け身の習得も十分ではない、発育途上の小学生だった」一方,証拠に基づいて被告人が強く投げていたことを認定。
 判決は「ダッシュではなくウオーキングのような感覚」で投げれば充分に防止できた事故として柔道専門家である被告の業務上過失を認めた。柔道のプロが小学生に投げ技の稽古をつけるなら頭部・身体に無理な力がかからないように注意するべきで,これを怠れば事故になることは市民の常識でも予測できる。有罪判決は当然だ。
 むしろ,注目するべきなのは,今回の事件が,検察審査会の起訴強制によって起訴された事件であることだ。
 プロの法律家であると同時に,官僚機構として存在する検察庁は,この事件について「嫌疑不十分」で不起訴とした。犯罪を構成できないと判断したものであろう。
 おそらく,傷害発生の機序が特殊なものであったことから,被告人の「結果の予見」ができないと争われて,裁判で無罪になるのを回避したものと推測できる。
 しかし,検察審査会は,2度の検討を踏まえて,起訴強制を決定した。指定弁護士が被害者役を務めて判決に至る。
 いままで起訴強制によって裁判がはじまった事例は8件だ。うち4件で一審無罪。3件が控訴または上告中。1件は免訴。1件は公訴棄却。逆に,裁判所が有罪を認めたのは1件だけであった。
 今回の判決は,市民が構成する検察審査会の判断を是認し,業務上過失傷害を認めたもので,市民良識によっても過失の成否を的確に判断できることを示している。
また,今も起訴権限は検察庁・検察官が独占する(起訴独占主義)。法律のプロである検察は,官僚主義の弊害であるが,裁判で無罪判決がでるのを嫌って起訴しないことがある。慎重と言えば慎重なのだが,逆に,刑事裁判こそ真相を解明する場であるという本来の司法の機能が歪められてきた。今回の場合,これを批判して,検察審査会の審査員である市民が検察官に代わり起訴強制を決めた。法律判断を含めて,検察審査会が充分に機能することを示している。その点で,画期的と言っていい。
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2013年12月15日

■奈良・警察官発砲事件ー控訴審も無罪指示

朝日新聞平成25年2月1日(夕刊)
「発砲警官、再び無罪 奈良で逃走男性死亡 大阪高裁」
以下,記事引用。
*************
 奈良県大和郡山市の国道で、逃走車の助手席の男性(当時28)が警察官の発砲を受けて死亡した事件で、殺人と特別公務員暴行陵虐致死の罪に問われた警察官2人に対する付審判(ふしんぱん)=キーワード=の控訴審判決が1日、大阪高裁であった。森岡安広裁判長は殺意や発砲の違法性を認めず、無罪(求刑懲役6年)とした一審・奈良地裁の裁判員裁判の判決を支持。検察官役の指定弁護士による控訴を棄却した。
 事件は2003年9月10日に発生。県警の自動車警ら隊巡査長だった東(ひがし)芳弘被告(36)と機動捜査隊巡査部長だった萩原基文(もとふみ)被告(36)は、車上荒らしに関与した疑いのある逃走車を止めるため、別の警察官と拳銃を8回発砲。うち2人が撃った計2発が助手席の高壮日(そうじつ)さんの頭と首に命中し、死亡した。
 森岡裁判長は、2人が発砲した助手席側の窓には黒い遮光フィルムが貼られ、被害者の姿は見えていなかったと指摘。昨年2月の一審判決と同様、至近距離から運転手の左腕を狙った発砲で、殺意はないと判断した。指定弁護士側の「至近距離からの発砲で照準を外すことはありえず、殺意は明白」との主張は退けた。
 また、車が前進や後退を繰り返しながら逃げようと暴走し、一般人に危害を加える恐れがあったことなどを挙げ、「逮捕するには、すぐに拳銃を使用する以外になかった」と判断。警察官職務執行法が定めた拳銃使用の条件を満たし、違法性はないと結論づけた。
 事件をめぐっては、高さんの遺族が殺人と特別公務員暴行陵虐致死の容疑で奈良地検に告訴。不起訴処分となり、公務員の職権乱用を審理する付審判を奈良地裁に求めた。地裁は10年4月、「発砲は違法」と判断し、審判の開始を決めた。
 ◆キーワード
 <付審判>
 公務員に職権乱用があったとする訴えを検察官から不起訴とされた告訴・告発人が、法廷での審理を求め、裁判所が妥当と判断した場合に実施される裁判のこと。裁判所が審判開始を決めると、起訴と同じ効力を持ち、検察官役は、裁判所が選んだ弁護士が担う。最高裁によると、現行の刑事訴訟法が施行された1949年以降、地裁の付審判開始決定は、奈良の事件を除いて計20件(今年1月30日現在)ある。9件で有罪、10件で無罪・免訴が確定。1件は一、二審が無罪で上告中。

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2012年03月15日

■「起訴強制」−検察審査会のあらたな機能?

■昨日、検察審査会が二度の審査を経て、起訴議決をした事件について、はじめての裁判所の判断がなされた。結論は、無罪であった。毎日新聞配信ニュースによると、概要は、次のようなものだ(毎日新聞/2012年3月14日/13時22分(最終更新3月14日/20時39分))。

「詐欺罪:強制起訴の会社社長に無罪判決 那覇地裁
 上場の見込みが薄い未公開株の購入を持ちかけて現金4800万円をだまし取ったとして、詐欺罪で強制起訴された沖縄県南城市の投資会社社長、(白上しらかみ)敏広被告(60)に対し、那覇地裁(鈴木秀行裁判長)は14日、一部を公訴時効で免訴としたうえで、無罪(求刑・懲役7年)を言い渡した。検察官役の指定弁護士側は控訴する方向で検討している。・・・・指定弁護士側は、白上社長は02年4〜5月、上場する見込みが少ない企業の未公開株の購入を持ちかけ、沖縄県内の男性3人から4800万円をだまし取ったとした。白上社長側は「上場を果たす可能性があった」などとして無罪を訴えた。・・・・
 判決は「当時の投資家の間では注目企業と評価されており、知識経験を有する投資家でも上場に相当な期待を寄せる状況にあった」ことなどから、白上社長にだます故意はなかったなどとして、詐欺罪の成立を認めなかった。3人のうち男性1人との1200万円の取引については、公訴時効が完成しているとして免訴とした」。

■検察庁は、被告人を当初不起訴にした。しかし、検審が投資詐欺を疑い、二度目の審査でも起訴相当とした。その結果、通常の審理が行われて、無罪判決に至った。こんなふうに考えている。

 今回の裁判は、市民で構成する検察審査会が二度目の審査で起訴議決をしてはじまったが、ベンチャー企業が株式を上場するタイミングの判断を巡る投資家間の争いが争点となっている。
 事前調査を怠った被害者にも落ち度があり、商売の駆け引きの範囲なのか悪質な詐欺か「合理的疑い」が残る以上、市民が始めた裁判であって「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に従い、プロの裁判官が無罪としたのは妥当だ。
 検察審査会は、政治家を起訴して民主主義を守り、交通事故など検察庁が見逃しがちな小さな被害に光をあてて市民生活を守るなど検察庁の補完機能を果たしてきたが、今後も市民目線で正義を実現する多様な役割が期待される。
 それだけに、審査員になる市民は、起訴強制の強い権限を持つ以上、証拠を社会良識に沿って点検し「犯罪の合理的疑い」があると確信する場合に限り、起訴議決をしてほしい。

共同通信にこのコメントを提供し、編集作業の上、シンプルなものに修正して配信していると思う。


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2011年06月02日

■小沢「陸山会」事件ー「政治家」と「政治リーダー」

■ネット配信ニュース、asahi.comは、「小沢氏側、全供述調書に同意しない方針/陸山会事件公判」と題する記事を、2011年5月19日、5時0分に配信している。
 次のような内容である(以下、引用)。
***
. 民主党元代表・小沢一郎被告(68)の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、小沢氏の弁護側は18日、小沢氏本人や元秘書らを含む捜査段階のすべての供述調書について、証拠採用に同意しない方針を、東京地裁と検察官役の指定弁護士に伝えた。小沢氏の強制起訴を決めた検察審査会の起訴議決の有効性も争う姿勢を示した。
 検察審査会が昨年10月に起訴議決を公表したのを受けて、指定弁護士が今年1月に政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で小沢氏を起訴した。公判前に争点や証拠を整理する手続きが進んでおり、指定弁護士が公判で調べるよう求めた163点の証拠に対して、弁護側がこの日、初めて意見を明らかにした。初公判は秋以降になるとみられるが、同意しない供述調書が多ければ、証人が多数出廷することになり、公判は長期化することになる。
***
 この件について、すこし古いが、検察審査会で起訴強制が決定されたときに次のコメントをいくつかの新聞で採用してもらっている。

■「小沢元代表強制起訴/識者の見方は―渡辺教授「市民主義」新たな原理」
 ー2011/02/01信濃毎日新聞(朝刊)ー
 小沢一郎元代表が強制起訴されたことは「市民主義」が刑事裁判で正義を実現する新たな原理になったことを物語っている。
 これまで検察官は「必ず有罪にできるかどうか」を基準に起訴か不起訴かを決めてきたが、今回のような政治家の犯罪では、必ずしも市民の期待に応えてこなかったのではないか。
 検察審査会は、これまで主に身近な犯罪に対応してきた。しかし、今後は政治家の犯罪のように民主主義社会をゆるがせにする重大事件でも刑事裁判に持ち込ませる力を持つことになった。
 再三、小沢元代表を不起訴にした検察は市民主義が理解できていなかったのだろう。政治家の犯罪は、検察が事前に判断するのではなく、法廷で有罪か無罪かを決めるべきだ。
 公判では、小沢元代表が政治資金収支報告書の内容を認識していたかが焦点になる。検察官役の指定弁護士は通常の事件と同様に、刑事裁判の鉄則である「合理的疑いを超える証明」を尽くさなければならない。
 一方、小沢元代表は、法廷では黙秘権が保障される被告になるが、市民が納得できる説明をする政治家としての倫理上の責任がある。政治資金の不明朗な処理を「秘書の責任」と簡単に言い逃れることは許されない。
  2011/02/01 東奥日報朝刊/2011/02/01 中国新聞朝刊/2011/02/01 西日本新聞朝刊/熊本日日新聞朝刊 2011/02/01など。

■ 政治家も、被告人たる地位にある限り、防御権を駆使して刑事裁判の鉄則の枠内でしか有罪とされない権利を十分に保障されるべきである。
 他方、「金」にまつわる不始末は、「政治家」としては現在の日本では、嫌われる。
 そうした人間に、政権を委ねる機運はもりあがらない。
 政治の駆け引きの世界を市民はひややかに見ている。
 ことに、今、日本は、未曾有の危機に直面している。21世紀に入って間もなく、歴史的には、国家日本の消滅の危機に直面しているとさえ言っていい。
 だが、「政治」に関わることのできるグループは、「駆け引き」政治に終始している。小沢氏の管政権打倒の姿勢もその程度のものだ。
 その目から、彼の裁判闘争の記事をみると、政治家(せいじ「か」ではなく、せいじ「や」)の駆け引きの一コマにしか映らない。

 「市民主義」の浸透とこれに基づく国家理念の提示、これを推進できる「政治リーダー」の登場。
 それを俟ちたい。
 

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2010年10月24日

■「荒れる現場」ー地域警察官の発砲事件

■読売新聞2010年10月22日(東京版、朝刊)は、「巡査長/付審判/銃口、下向いてた/目撃証言/被告の主張通り=栃木」と題する記事を紹介している。
 記事から推測すると、2006年に、中国人男性に対してH警察官が職務質問をしようとしたところ、相手が、石灯籠のあたまの部分(宝珠)を外して振り上げて抵抗し攻撃しようとしたので、やむなく発砲したものと理解してよい。
 しかし、裁判所は、いったんは、警察官の行為を
特別公務員暴行陵虐致死罪にあたり、裁判でその成否を問うべきだと判断して、「審判に付する決定」=付審判決定を決めた。 
 そして、今、裁判が始まっている。
 もっとも、記事を引用すると、次のような様子であったという。
 「証人尋問で証言した女性は、事件の現場となった民家の隣人で、H被告が発砲する直前までを目撃していたという。『男性が約1メートルの棒を損って警察官を激しくたたいていたので、やられてしまうのではと思った』としたほか、拳銃の構えについては、H被告の主張通り『銃口は下に向いていた』と答えた。その時の男性の様子について『男性は銃を構えられた後、どちらかの手を握った親指で、自分の胸を指した。私には撃てるもんなら撃ってみろという態度に見えた』と述べた」。

■職務質問の現場が「荒れている」、そんな感想を持っている。
 ブログ編者の前任校でのゼミからは、大阪、兵庫、愛知など各地で警察官として活躍している卒業生がいる。
 それだけに、市民と警察官との出会いの場面が気になる。
 「なんや、ポリ公、任意やろ。令状みせんかい」。
 こういった、いい加減な「権利意識」で対応する市民が多いのではないか。
 自由と安全は、責任感のある市民が作る社会が守る。
 自由には責任が伴う。権利には倫理が不可欠だ。警察官の職務質問には、市民は基本的に協力する市民的道徳意識が不可欠だ。

■記事によると、「閉廷後、報道陣の取材に応じた被告側の弁護士は「(被告)本人は適正な職務執行をしたと自信を持っている。証人の証言の内容は予想の範囲内で、反対尋問も確認という趣旨だった」と話した」という。
 ぜひ正々堂々と職務の正当性を国民に理解してもらう主張をしてほしい。
 我が国警察は、武器使用については慎重であると思う。その訓練も受けている。
 他方、暴れる容疑者がいるとき、万が一にも、対応する警察官が斃されたらどうなるか。けん銃が奪われるといった事態になったらどうなるのか。
 けん銃発砲による制圧は、警察官の個人の生命保護だけではなく、職務の安全、犯罪の拡大の防止、地域の平和と市民の生命と財産の安全の確保などなど重要な意味をもつ。
 しかも、相当のベテラン射撃手、それこそゴルゴ13でもない限り、近距離で暴れて動く相手の手足のみうまく狙ってあてることなど至難の業だ。それは、けん銃をうった経験があればすぐににわかる。

■記事をさらにひろってみよう。ふたりの識者が登場する。
 まず、、、
 「傍聴した大宮法科大学院大学の新屋達之教授は閉廷後、有罪なのか無罪なのかまだ予断を許さない。今後、検察官役の弁護士が、いかに証人尋問で切り込めるかが分かれ目となるだろうと話した。」
 ブログ編者のコメントはこうだ。
 付審判に詳しい甲南大法科大学院の渡辺修教授は「拳銃の発砲行為について、どんな場合を正当行為として認めるかという司法判断が問われる重要な裁判。県警はどのように拳銃の使用を指導し、運用しているかを法廷を通じて主張するべき」と語った。

■新屋教授と異なり、警察の立場と現場警察官の慎重さを信頼したい気持ちを込めた。

 現場にいる多くの制服警察官が、こんな事件があっても、我慢強く、忍耐強く、市民のわがままにも耐えつつ、治安維持の最先端にいてくれることを祈ってやまない。
posted by justice_justice at 06:26| ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

■小沢事件ー行政訴訟と起訴強制

■共同通信配信の記事が西日本新聞で採用されている。「強制起訴手続き停止/小沢氏の申し立て却下/東京地裁/「刑事裁判で判断」とするものだ(西日本新聞2010年10月19日(朝刊))。他に信濃毎日新聞2010年10月19日(朝刊)でも採用されている。以下、引用する。
**********
 資金管理団体「陸山会」の収支報告書虚偽記入事件をめぐり、民主党の小沢一郎元代表が求めた強制起訴議決の執行停止や、指定弁護士選任の仮差し止めの申し立てに対し東京地裁(川神裕裁判長)は18日、却下する決定をした。小沢氏側は「非常に遺憾だ」として即時抗告する意向。
 関係者によると、地裁は決定理由で「検察審査会は準司法機関であり、行政訴訟にはそぐわない。刑事訴訟法に基づいて刑事裁判の中で判断されるべきだ。議決の違法性を訴えるのであれば、公訴棄却を求めるなど起訴後の刑事手続きで十分に争える」としている。
 昨年5月の改正検察審査会法施行で導入された強制起訴議決の有効性が争われた初のケースで、起訴手続きを止めようとする弁護側の対抗措置を“門前払い”にした形。
 決定は、小沢氏が強制起訴手続きの差し止めなどを求め起こした行政訴訟に影響を与えそうだ。
 強制起訴へ向けた手続きは、東京地裁が22日までに在京の弁護士会から指定弁護士の候補者3人の推薦を受け、速やかに選任する見通し。
 決定に先立ち、地裁は双方の主張を聴く審尋(非公開)の代わりに、小沢氏側、国側双方から意見書を提出させていた。
 小沢氏は、陸山会の土地購入費約3億4千万円を2004年分報告書に記載せず、05年分に載せたとして政治資金規正法違反容疑で告発され、不起訴となった。東京第5検察審査会は今月4日に公表した2回目の議決で告発事実に加え、土地購入費の原資になった小沢氏からの借入金4億円を収支報告書に記入しなかった点も「犯罪事実」と認定した。
 新たな認定部分は1回目の議決に含まれておらず、小沢氏側は「告発にない内容を2回の審査を経ずに出した議決は、審査会の権限を逸脱し無効だ」と主張している。」

■もともと無理のある申立だ。刑事手続で処理すべき事項を、形だけ行政訴訟の世界に持ち込むことはできない。
 むしろ、市民主義の新たな原理に背を向けた小沢氏の政治的センスのなさをうきぼりにした形だ。
 こんなコメントを採用してもらっている。

●そもそも無理があった
 ▼渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 却下は当然の結論。刑事裁判の手続きを行政事件訴訟法で阻止しようとするのは、そもそも無理がある。今回の行政訴訟や申し立ては政治的な意味合いも持つはずで、提訴に踏み切った以上、小沢氏がその責任を負うことになる。検察審査会の結論に不満があるのなら、刑事裁判の場で正々堂々とぶつけて裁判官の判断を仰ぐべきで、市民もそれを期待している。
(共同)

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2010年10月17日

■検察の起訴基準/市民の起訴基準ー検察の非常識/検審の良識

■毎日新聞2010年10月13日(大阪本社版、朝刊)は、「強制わいせつ:アルゼンチン人「不起訴誤り」起訴/大阪地検また謝罪」と題する記事を掲載している。

 主な内容を引用すると、次のようになる。
「大阪地検は12日、強制わいせつ容疑で今年1月に逮捕され、不起訴処分(容疑不十分)としたアルゼンチン国籍の会社員(62)を、強制わいせつ罪で大阪地裁に起訴したと発表した。大阪第4検察審査会の「起訴相当」の議決(3月25日付)を受け、再捜査していた。大島忠郁(ただふみ)次席検事は記者会見で、不起訴処分とした判断が誤っていたことを認め、「被害者への配慮を欠いてしまった」と事実上、謝罪した」。

■ただし、被告人本人は2月1日に処分保留で釈放されるや、翌日には出国している。このため、郵便なり、在アルゼンチン大使館などの書記官が起訴状を手元に届けて日本法上有効な公訴の提起をおこなっても、彼が、日本の領海内に入らない限り、裁判の進行はありえない。
 ただし、有効な起訴状送達が行われれば、時効は完成しない。
 それにしても、気になるのは、次の点だ。
 「地検は同9日付で、被告の「合意の上だった」という供述を覆せず、不起訴処分とした。しかし、検審は「女性は恐怖感から硬直し、わいせつ行為を拒否できなかった」として、「起訴相当」と議決した。
■この3行に、今の「検察捜査」の本質を読み取れる。
 「被疑者密室取調べ→自白」。
 これがないと起訴できないし、起訴しない。
 だから、密室で自白を迫る。
 客観証拠から事実を推認すること。状況証拠で有罪を獲得すること。
 この事実認定の基本技が、身についていない。
 被疑者が、取調べで不合理な弁解をする状況も有罪証拠に組み込む方法を知らない。
 それが、こうした検察の処分となり、これに対する検察審査会の良識ある判断、そして、検察の起訴へとつながった。
 こんなコメントを採用してもらっている。

■客観証拠で立証をー渡辺修・甲南大学法科大学院教授(刑事訴訟法)の話(毎日新聞(大阪本社、朝刊)、2010年10月13日

 「そもそも検察が、わいせつ行為を受けたとする被害者の訴えを無視したのは疑問。被害の重みをとらえられない検察に対して、市民が参加する検察審査会が軌道修正を迫ったものだ。自供を得られず立件を見送った当初の判断は、自白偏重の裏返しであり、検察は客観証拠に基づく立証を心がけるべきだ。公訴時効を完成させないためにも起訴は当然だ。取調べ上京を 地検は再捜査の結果、被告の供述は信用できないなどと判断し、起訴に踏み切った」。

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2010年10月14日

■小沢一郎と検審の力ー市民良識と政治家

■信濃毎日新聞2010年10月5日(朝刊)は、小沢一郎民主党議員に対する政治資金規正法違反事件について、検察審査会が2回目の起訴相当、つまり起訴議決をしたことを報ずるが、これに次の見出しで、共同通信配信のコメントを掲載してもらっている。

「小沢氏強制起訴議決/渡辺教授に聞く/小沢氏は裁判の場で弁明を」[甲南大法科大学院教授 渡辺 修氏]

 民主党の小沢一郎元幹事長に対して、検察審査会が「強制起訴すべきだ」と議決したことは評価できる。政治資金規正法違反容疑について、小沢氏のこれまでの弁明は、もともと納得のいく内容ではなかった。
 今回の強制起訴の議決で、政治家の政治資金の不正利用についても、検察だけに任せるのではなく、市民の常識で起訴ができるようになった。
 起訴すべきかの判断基準は、検察は官僚組織なので有罪にできる事件しか起訴しないという側面を持っている。だが、そうではなく国民が監視する裁判の場で、真実を明らかにするという選択があるわけで、市民常識がそれをいま求めている時代だ。
 強制起訴の議決はその表れであって、市民が検察審査会によって検察と同じ力を持てるようになったことを示した。これは、新しい市民主義時代の象徴的な出来事だ。
 検察審査会の議決は2度にわたる審査の結果だったので、市民の慎重な判断が働いており、信頼してよいと思っている。小沢氏は、本当に無実だと言うなら、公開の裁判の場できちっと弁明をすればいい。
 検察審査会がいわゆる「感情司法」に流されるのではという指摘もあるが、市民は常識に従って、自分たちが見た範囲で証拠に基づく判断はできる。実際に裁判員裁判の成功が、市民が感情司法に流されないことを物語っている。「事件の刑事手続きはプロしかできない」と思っているのは一部の人の考え方で、正義の実現が市民の常識に委ねられる時代になったことを、素直に認めるべきだと思う。
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2010年08月10日

■あるひき逃げ事件の波紋ー検察審査会と検察庁の新たな関係

■先般来、福岡市で起きたある飲酒ひき逃げ事件の捜査と事件処理を巡り、興味ある展開が見られる。
 西部讀賣2010年8月7日(朝刊)は、「飲酒ひき逃げ/会社役員を一転起訴/検察審打ち切りへ/地検経緯説明せず」と題する記事で、概要、次のように報道した。
 「福岡市東区で2月に起きた飲酒運転ひき逃げ事件で、福岡地検は6日、危険運転致傷容疑などで逮捕後に不起訴としていた福岡県篠栗町篠栗、会社役員S・R容疑者(42)を一転して危険運転致傷罪などで福岡地裁に起訴した。事件を巡っては、検察審査会が不起訴の是非を審査する予定だったが、起訴により審査は打ち切られる。地検は判断を覆した経緯を明らかにしておらず、識者からは「国民の理解が得られない」との指摘も出ている」。
 被告人は、当初同乗していた知人を犯人として出頭させたもののようだ。しかし、警察は被告人を犯人と断定しいったんは逮捕した。だが、報道のトーンによると、こうなった背景は純粋に事件捜査の限界が問題になったものではないらしい。
 「事件は異動間近の検事が担当していた」という。このためなのかどうか、被告人は否認を続けている内に、嫌疑不十分で不起訴として扱われた。
 これに対して、被害車両に乗っていた側が検察審査会に処分の審査を求めた。
 流れとしては、これをきっかけとして、地検が再捜査を開始。まず、被告人を、犯人である自分をかくまうように知人に依頼した点で犯人隠避教唆で逮捕勾留し、捜査を遂げて、結局、当初のように、刑法の定める危険運転致傷罪と、道交法が定める自己が起こした交通事故の事後措置を怠るいわゆる「ひき逃げ」(道交法違反)で起訴した。
 同誌は、識者の見解として、次のような紹介をしている。「同地検で刑事部長を務めた牧野忠弁護士(福岡市)は『検察は、検審への申し立てをきっかけに捜査の内容を検証し、『処分がおかしい』となったのだろう。不手際があったとしても、謙虚な姿勢で経緯を説明しないと、国民の理解は得られないのではないか』と疑問を呈した」。
 ブログ編者は、次のコメントを掲載してもらった。

***□読売新聞2010年8月7日(朝刊)□***
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「起訴するかどうかを市民が決めることができる改正検察審査会法が施行され、検察はこれまで以上に市民目線での犯罪捜査の点検を迫られている。今回検察が再捜査したのは、市民が捜査を監視する新しい時代を反映したと言える」と話している。

■同事件について、毎日新聞2010年7月19日(西部版、朝刊)がすでに取り上げている。
 「福岡・飲酒ひき逃げ/不起訴の男ら逮捕/身代わり立てた疑い−東署」とする記事では、身代わりになった相手に、現金10万円を渡すなどしていたと報じた。この間、被告人は運転そのものを否定していたのだから、振り返ってみれば悪質な犯人であったと言える。
 その裏に、転勤間近の検事のずさんな事件処理、、、という事情があるらしい。
 ただ、学者がコメントできるのは、「事実」の憶測ではない。一定の事実を前提としたときに原理原則に照らして一定の事件をどうみるのか、という判断だ。
 今回の事件でも、転勤前の検事の拙速処理という事実があるのかどうかは、マスコミの取材力で明らかにするしかない。
 その責任を追及するような論調について、事実を踏まえることなく、研究者がコメントなどできない。
 他方、そうした紆余曲折があるのであれ、改正検審法の重みは、大局的法史的には、検察官僚が独占してきた公訴権行使のあり方、その前提となる捜査のあり方に間接的に影響を与えてきている。
 「市民中心主義」の時代。
 市民良識が納得できる捜査と事件処理をしなければ、公訴権不行使について、市民が自らの責任でこれをくつがえす。「検察の正義」を「市民の正義」が凌駕する。しかも、それが単なる「感情司法」への迎合ではなく、「市民良識」を踏まえた合理性のある選択であるとき、「官僚司法」が「市民司法」に置き換わる。
 こうした21世紀における刑事司法をめぐる「官僚」v「市民」対抗軸を踏まえたときに、これを法的にいかなる問題の枠内で捉えるかどうか、市民にも分かりやすい視線で文章にまとめるのが「識者談話」を用意する側の責務だ。
 毎日新聞には、そうした指摘を記者にはした上で、とりあえず、次のような内容でのコメントを掲載してもらった。

***□毎日新聞2010年7月19日(朝刊)□***
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「検察審査会の議決前に検察が再捜査に踏み切るケースは全国で増えつつある。市民目線の申し立てを重く受け止め、迅速に捜査を見直している。検察審査会を通じて間接的に市民参加型の捜査が進んでいるとも言えるのではないか」と指摘している。
posted by justice_justice at 00:03| ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

■ひき逃げ事件と検審ー検察庁の姿勢

■asahi.com(関西)、2010年7月14日は、「ひき逃げ死傷の不起訴を一転、起訴/大津地検が再捜査」と題する記事を配信。
 「滋賀県草津市で昨年11月、歩行者2人が軽乗用車にはねられて死傷する事故があり、車を運転していた女(31)=同県栗東市=について、大津地検がいったん不起訴処分(嫌疑不十分)とした道路交通法違反(ひき逃げ)罪で在宅起訴したことがわかった。自動車運転過失致死傷罪だけに問われた女は3月に有罪判決(検察側控訴)を受けたが、地検は遺族の求めなどを受けて異例の再捜査をした」。
■「ひき逃げ罪」は重い。
 運転者自身の運転に起因する事故について、負傷者の救護、措置義務に違反すると、10年以下の懲役、100万円以下の罰金で処罰される(道交法117条、72条)。
 記事では、「女は約1時間後に現場に戻って110番通報。ひき逃げと自動車運転過失致死傷の疑いで逮捕されたが、「人をはねたと思わなかった」と供述したことなどから、地検はひき逃げについて不起訴処分とした」という。
 被害者遺族は、大津検察審査会に審査を申し立てる一方、大阪高検などに起訴するよう申し入れていたという。
 これを受けて、地検は、検審の判断をまつことなく、再捜査の上、別途公訴提起をした。
 検審申立手続は、従来からも、交通事故にまつわる犯罪について、警察・検察の処置に納得できない市民が、再捜査、公訴提起、処罰を求めるときに頼ることのできた手続だ。
 今回の被害者遺族もこれを求めたものだ。従来であれば、検審の判断をまってから、再起、再捜査に入るのだが、一段早く検察庁が対応した形となる。
 そこに「市民主義」という21世紀刑事司法改革の原理の影響をみてよい。
 こんなコメントを寄せた。
*************
 今回の起訴について、甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「検察が被害者目線、市民目線で積極的に事件をとらえ直していこうとする変化の表れだ。改正検察審査会法に基づく強制起訴制度も少なからず影響しているのだろう」と話す。

posted by justice_justice at 11:06| ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする

2010年07月04日

■検審ー「直接民主主義」

■参議院選挙を前にマスコミが選挙情報で誌面を埋めているこの頃、旧聞に属する話題であるが、指摘し忘れのテーマがあるので触れておく。
 共同通信扱いで小沢元民主党幹事長に対する制止資金規正法違反事件について、検察審査会の不起訴不当の決定を受け、東京地検がはやばやと再度の不起訴を決めたニュースだ。
 例えば、西日本新聞2010年5月22日(朝刊)は、「小沢氏不起訴/野党/2回目検察審注視/あらためて証人喚問要求」と題する記事で、これを紹介する。
 以下、引用する。
 「野党各党は21日、東京地検が収支報告書虚偽記入事件で小沢一郎民主党幹事長を再び不起訴としたことに関し、検察審査会による2回目の審査を注視するとともに、あらためて小沢氏の証人喚問を求める考えを示した。
 自民党の谷垣禎一総裁は記者会見で「検察審査会の反応の推移を見ていく必要がある」と指摘。同時に「刑事面での進展とは別に、小沢氏は国会での説明が求められている」と証人喚問の必要性を強調した。大島理森幹事長は青森市で「小沢氏の主張と、起訴された秘書が言っていることに食い違いがある。堂々と説明することが取るべき態度だ」と語った。
 公明党の山口那津男代表は「国民は説明責任を尽くしてほしいとずっと感じている。政治倫理審査会での説明が現実的な機会だ」と主張した。
 共産党の穀田恵二国対委員長は記者団に「検察審査会には国民目線に基づく判断を期待したい」と要望。「国会の責任が重大だ。政治的、道義的責任の追及と真相解明が求められている」と訴えた。
 みんなの党の渡辺喜美代表は記者会見で「不起訴処分は予想されたこと。国会は検察とは別の観点で追及しなければならない。偽証罪の制裁があり得る証人喚問に応じてもらうのが一番いい」と述べた。

■検察審査会が起訴議決権を持つこと。
 これは、21世紀における統治機構に大きな変化をもたらしている。
 一種の直接民主主義、その変形である。
 選挙と別に、議員をコントロールするきわめて効果的な権限を市民がダイレクトに行使できるようになったのだ。
 こんなコメントを当時載せてもらっている(共同通信配信、西日本新聞前掲掲載)。
**************
 ●再議決 慎重に判断を
 ▼渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 わずか1カ月の補充捜査で、検察が検察審査会と逆の判断をする証拠とはどんなものか分からない以上、何とも言えない。しかし、選挙で選ばれた政治家が、検察審査会という市民目線でチェックされる新しい時代に入った。だからこそ「感情司法」では困るし、証拠は慎重に判断されるべきだ。一方、市民が納得できるような説明ができないのは小沢氏の責任でもある。審査会は、今や市民主義の時代に選挙とは別に政治家の不正をただす新しいシステムだ。

posted by justice_justice at 04:28| ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする

2010年07月02日

■付審判手続

■東京新聞2010年6月27日(朝刊)は「警官発砲死問題/付審判期日決定/低い有罪率/権限強化を」と題する記事で、次のような付審判決定に至った事件を紹介している。
 「西方町で二〇〇六年、中国籍の元研修生が県警の男性警察官に発砲され死亡した問題で、県内初の付審判による第一回審判が十月二十一日に宇都宮地裁で開かれることが決まった。付審判は捜査当局の“身内のかばい合い”を防ぐための手続きだが、有罪になるのはまれなうえ、罪を問う側の弁護士に権限が十分与えられておらず、「制度が本来の目的を果たすには、多くのハードルがある」と指摘する専門家もいる」。

■記事も指摘するように、付審判決定自体がなかなかでない上に、さらに有罪にいたる率は低い。無罪率のほうが高いのだ。
 むろん、理由の大半は、念のため刑事裁判の場で、警察官等の態度が権限濫用にあたらないか吟味したが、これを裏づけるべき証拠がないこと、そうした事実がないことが、理由であろう。

 もっとも、こんな問題もある。次のコメントを掲載してもらった。
******************
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は同制度を「権力犯罪の抑止効果はある」と評価する一方で「検察官役の弁護士が検察官に嘱託しなくても被告の取り調べや裁判所への検証令状請求ができるよう、権限を強化すべきだ」と指摘している。
posted by justice_justice at 21:39| ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする

2010年04月29日

■検審と市民生活ー交通犯罪を許さない

■10年4月25日の西部讀賣(朝刊)は「[ズーム]日田のひき逃げ略式起訴/「被害者置き去り」遺族憤り」と題する大分発の記事を載せている。
 こんな内容だ。
「◆裁判なく終結、地検の説明なし
 昨年4月、日田市田島の県道で自転車に乗っていた近くの高村進さん(当時84歳)が、同市内の男性(26)の軽乗用車にひき逃げされ死亡した事故は、26日で発生から1年を迎える。日田区検は、自動車運転過失致死について男性をいったん不起訴にしたが、大分検察審査会の「不起訴不当」の議決を受けて再捜査したうえで略式起訴した。裁判での真相究明を望んでいた遺族は、事件の終結に無念さをにじませている。
 「検察は被害者の味方ではなかった」。略式起訴が発表された今月15日、高村さんの次男、克彦さん(54)はそう言って肩を落とした。審査会の議決後、同地検から「改めて話を聞きたい。進さんの自転車も取っておいてほしい」と連絡を受けたが、略式起訴までに連絡はなかったという」。

■ 区検は当初、道交法違反(ひき逃げ)だけで略式起訴。自動車運転過失致死については嫌疑不十分として不起訴にした。これに対し、遺族は検察審査会に審査を申し立て、昨年12月、審査会は「不起訴不当」の議決をした。同区検は再捜査の結果、今年3月、日田簡裁に略式起訴し、今月2日に罰金30万円の略式命令が出された。
 こうした道交法違反は、立証が難しい。被害者の落ち度や過失の有無も否定できない一方、被告人の犯罪態様についても、もともと過失なのだから、不明確な点も少なくない。目撃者でもいれば別であるが、これも難しい。
 裁判にすれば、遺族は、「真相解明」が可能になると思いがちだが、刑事裁判は、被告側の行った事実にふさわしい刑罰のあり方が証拠で裏付けられればよく、かならずしも遺族が望む必罰感情を満足させることのできる「真相」が浮き彫りになるものではない。
 検察官も可能な捜査を遂げた上で、証拠にみあった裁判の形態を考え、被告の刑事政策上の配慮もして、処分を決める。
 再度の不起訴ではなく、略式起訴を検察官が選択せざるを得なかったのは、市民の声を無視できないからだ。そこに、検審の伝統的な役割がある。
 検審の多様な役割をまとめておこう。
(1)生活に根ざした犯罪から市民を守ること。例えば、交通事故に巻き込まれる被害者を守る、つまり、「小さいな事件」(と検察庁には見える)から市民を守ることは、伝統的に検審がもっとも活躍した場面だ。今回はここに属する。
(2)企業犯罪、公害犯罪、組織犯罪など、市民社会そのものを組織による脅威から守ること。
(3)そして、政治犯罪を見逃さないこと。
 起訴議決の権限をもった市民は、強力な監視団となる。市民社会を健全に発展させる、あらたな形の「市民警察」=「市民検察」と言える。
 21世紀は、[官僚主義」の時代に決別して、「市民主義」が日本の政治、社会、経済、文化、地域を支える構造を造る時代になる。まだ、未熟だ。これから成熟していく。
 その行く末を見守りたい。
 今回の事件について、ふたつの新聞に、こんなコメントを載せてもらった。
**********************************
■読売新聞10/04/25(朝刊)
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「審査会は(市民の目による検察の監視という)あるべき機能を果たしており、検察もバランスの取れた判断」と評価する。
■西日本新聞10/04/17(朝刊)
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「不起訴の事案が、検察審査会の判断で再捜査や略式起訴に至ったのは、審査会が起訴に持ち込めるように権限を強化した制度改正が奏功した結果」と評価する。
posted by justice_justice at 05:44| ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする

2010年04月27日

■「検審」の時代ー政治と市民の新しい関係

■ ASAHI.COMネット配信ニュース(10年4月27日15時37分)は、「小沢一郎氏「起訴相当」と議決/陸山会事件で検察審査会」として、「小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京第五検察審査会は27日、政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で告発された小沢氏を東京地検特捜部が不起訴(嫌疑不十分)とした処分について、「起訴相当」とする議決をし、公表した」旨、紹介している。

 検察庁は、小沢氏の元秘書で陸山会の事務担当者だった衆院議員・石川知裕被告ら3人を同法違反罪で起訴したが、小沢氏については「虚偽記載を具体的に指示、了承するなどした証拠が不十分で、共謀は認定できない」として不起訴にした。

 これに対して、手元の議決書は、わかりやすい。
 「(1)「秘書に任せていた」と言えば、政治家本人の責任は問われなくてよいのか。
(2)近時、「政治とカネ」にまつわる政治不信が高まっている状況下にもあり、市民目線からは許し難い」。

 審査会は、小沢氏の共謀を裏づける証拠もあるのではないかと疑問を投じ、「被疑者を起訴して公開の場(裁判所)で真実の事実関係と責任の所在を明らかにすべきである。これこそが善良な市民としての感覚である」という。

■ 検審は、市民主義時代の新たな「装置」だ。市民が、政治、経済、生活を守るとともに、その構造を変える場となっていく。
 市民の責任で、市民良識で、統治の機構を変えていくほどの力を持つ。おもしろい時代になったと思う。

 政治家、官僚、法律家、、、、「プロ」の「官僚組織」が支配する20世紀を脱却し、「市民」がそのまま統治をコントロールする時代に入った。

 政治は選挙を通じて間接的にしかコントロールできなかったが、検察審査会の場で市民の良識が政治の闇に切り込む時代になった。

 しばらく混沌が続くかも知れない。
 しかし、やがて落ち着く。
 そのとき、刑事司法の側面から、我が国が「市民主義」という構造改革を経て、「建設と発展」の方向に向かえばよい。

 共同通信にコメントを提供したところ、例えば、神戸新聞2010年4月28日(朝刊)が採用してくれた。
************************

■検察は堂々と起訴を

 政治家の疑惑は市民から見るとベールに覆われうやむやの内に片付けられてきた。
 今回は、最初の起訴相当の議決なので市民が疑問に思う点を検察に示せば十分で、「何があったのかはっきりさせてほしい」という分かりやすいものとなっている。
 市民は2度目の議決で起訴できる強い立場にいるが、市民の良識のバックアップがあるのだから、まず検察が政権党の幹事長であっても再捜査し証拠に基づき堂々と起訴すべきだ。

posted by justice_justice at 20:51| ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする
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