2008年03月15日

■甲南大生「痴漢デッチ上げ事件」(2)−悪質犯罪と日本の刑事司法

■新聞報道から事件のその後を拾ってみる。
 ○08年3月14日付け産経新聞(大阪版、夕刊)は「痴漢でっち上げ認める/甲南大生『示談金目当て』」として、「大阪市営地下鉄での痴漢でっち上げ事件で、虚偽告訴容疑で逮捕された甲南大4年、M容疑者(24)=○○市▲▲区=が、阿倍野署の調べに「示談金目当てで計画した。金がほしかった」と容疑を大筋で認める供述をしていることが14日、分かった」と報じている。
 ○08年3月14日付け毎日新聞(大阪版、朝刊)では、「同署によると、M容疑者は今年1月下旬に大阪・ミナミで女に声をかけ、翌日から一緒に暮らし始めた。数日後に事件を起こし、その日のうちにけんか別れ。女は2月7日になり「『示談で金をせしめよう』と持ちかけられた」と自首した。同署は女についても同容疑で書類送検する方針だ」と報じている。 
■新聞報道で事件を語るのには限界がある。刑事裁判上、被疑者・被告人たる地位には防御権があり、弁護人依頼権があって、主張弁解を十分に述べる機会を保障するべきである。痴漢でっち上げの被害者であるK氏も密室取調べによる虚偽自白の危機に直面したが、これと同じく虚偽告訴等の被疑事実で勾留されているM被疑者もまた共犯関係、余罪、犯行態様などについて警察のストーリーを押しつけられる危険に曝されている。
 女性が主犯なのか、男性が主犯なのか、どこまでのことを打ち合わせたのかなど詳細も不明だし、女性が自首した経緯と理由も詳らかではない。一般には、主犯が立場の弱い共犯に責任をかぶせることもないではない。
 だから、裁判になって事件が思わぬ展開を見せることもあり得る。このことを留保しつつ、当面は報道されている経過を前提とすると、、、
■刑法172条、「虚偽告訴等」の罪は次のように定めている。 
 「人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴、告発その他の申告をした者は、三月以上十年以下の懲役に処する」。
 有期懲役刑のみ定められている。特に罰金がない。理由は次の点にある。
 犯罪の性質上、他の市民に対する刑罰権または懲戒権の発動をもたらす。公権力の公正な行使自体を損なう。次に、市民の社会人としての一生を台無しにする。社会の公権力に対する信頼を揺るがせにもする。
 かくして、犯罪の悪質性は甚大だ。
 しかも、今回のように、痴漢えん罪をでっち上げた場合、破廉恥な犯罪の犯人としてのレッテルを貼られた人はこれを一生ぬぐえない。今回の被害者には娘さんがおられたようだが、その方々の人生にも影響を与える。被害者の人格と生活に対する被害の大きさ、深刻さは言うまでもない。
 さらに、痴漢犯罪は現にある。ところが、「痴漢」でっち上げが公然と行われた事実がこのように明らかになると、被害女性が「痴漢です」と声を上げても、周りは「金目当てのやらせやろ」と冷ややかな反応しかしなくなる素地を作る。防ぐべき犯罪、処罰すべき犯罪が司直の手を逃れる素地を作る。
■ 法律上有期懲役刑のみ法定刑として定められている以上、検察官の事件処理としては、有罪証拠が固まるのであれば、正式起訴、公判請求となると推測する。
 起訴猶予の余地もないではない。だが、新聞記事から拾える今回の事件の特徴点として、共犯事件、当初の否認、事件自体の悪質性、社会的影響、関係者の処罰感情などを指摘できる。そうであれば、他に特段の事情がない限り、起訴猶予にはしにくいと推測する。
 なお、刑法173条は、172条の虚偽告訴等の罪に関する「自白による刑の減免」として、次のように規定している。
 「前条の罪を犯した者が、その申告をした事件について、その裁判が確定する前又は懲戒処分が行われる前に自白したときは、その刑を減軽し、又は免除することができる」。
 ただ、今回の事件は、新聞報道によると、共犯関係にある女性の自首によって発覚した。そして、捜査機関の独自捜査によってK氏は釈放されている。M容疑者の自白によって裁判確定に至る事態が防止されたものではない。
 したがって、仮に、新聞報道にあるように自白をこの段階でしていたとしても、本条を適用して刑の減軽または免除とするこが相当な事案とは思えない。その点からも、起訴猶予相当性は少ない。自白しても現段階では一般情状として量刑の1事由になるのにとどまる。
■ 他方、痴漢でっち上げの被害者であるK氏が、名誉毀損で告訴する余地もある。刑法230条1項は、次のように定める。
 「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する」
 ただ、名誉毀損罪で検察官が起訴するのには、被害者の告訴が必要である(親告罪という。刑法232条)。事件の悪質性、社会的影響の大きさと深刻さを考えれば、痴漢でっち上げの被害を厳しく断罪するため、K氏が告訴することは然るべきことと思う。また警察・検察が告訴するようにK氏を説得したとしてもこれも然るべきことであろう。

編者は、いつも思う。
「手続は適正に、処罰は厳格に」の原則で刑事手続は運用されるべきである。

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2008年03月14日

■甲南大生「痴漢デッチ上げ事件」−悪質犯罪と日本の刑事司法

■全く残念な事件が起きた。甲南大法学部学生による「痴漢デッチ上げ」、「示談金ねらい」の事件だ。
 大阪読売新聞08年03月12日朝刊は「示談金目当て痴漢被害でっち上げ/容疑で男子学生を逮捕/女と共謀/大阪府警」と題して、次のように事件の経過を紹介している。
 「調べでは、M容疑者は当時交際していた女と共謀。2月1日午後8時半ごろ、動物園前―天王寺駅間の地下鉄・御堂筋線の電車内で、女が男性から尻を触られたとするうその申告をし、M容疑者は女を知らないように装い、『男性が尻を触った』と虚偽の証言をした疑い。
 男性はM容疑者らに天王寺駅の駅長室で同署員に引き渡されたうえ、府迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕されたが、否認。同署は3人の供述や証言が食い違うなどしたため、約22時間後、男性を釈放した。
 同7日夜になって、女が同署に『金に困っていたM容疑者から持ちかけられた。自分の方から男性に体を近付けていった』などと自首してきたという」。
■刑事弁護の世界にいる人間は、この経過の「恐ろしさ」に慄然としていると思う。いくつかある。
 (1)痴漢デッチ上げの被害者Kさんの一生が台無しになる寸前であった。
 仮に、女性が最初のうそがばれるのが怖くて、自首せず、むしろ被害者を装い続けた場合、Kさんは間違いなく勾留される。しかも否認しているため、20日の勾留がなされた上で、起訴される可能性が充分にあった。
 報道では、会社サイドはKさんを信じてくれていたというが、これも、万が一にも「私がやりました」と自白でもしていたなら、風向きは変わったかも知れない。その場合、失職、社会的信用の失墜、家族への風あたり、、、などなど彼が一生をかけて築いてきたものが一瞬にして崩れ去る。
 (2)「虚偽自白」強要の寸前であった。
 新聞報道では、Kさんの釈放にあたり、担当署では「同署の署長らから「私らもだまされた。申し訳ありませんでした」と謝罪を受けた、という」とされている。警察の率直な態度を評価したいが、実は、そんなに甘くはない。
 3月13日の大阪読売新聞が、Kさんのインタビュー内容を記事にしているが、今の警察の体質を表す言葉がある。
 「天王寺駅で下車し、駅長室へ。阿倍野署から3人の警察官が駆けつけた。追及は厳しく、『白状したら向こうも許してあげると言っている。どうや』『目撃者がおるやないか』とどなられた。否認を続けたが、腰縄と手錠をかけられ、同署に連行された」。彼は、言う。「『話を全く聞いてくれない。どうなるのか』と一睡も出来なかった」。その通りだと思う。
 「自白中心捜査」。もっとも効率的でしかも確実に有罪にできる捜査手法がこれだ。逮捕勾留と23日あまり密室に閉じこめてがんがん取調べをする、、、精神的に耐えられなくなって自白する事例が少なくない。Kさんは、家族と会社の支えがあったようだが、それも限界が来る、、、それほど「密室取調べ」は恐そるべき場なのだ。
 (3)「痴漢えん罪」がうまれる危険性がきわめて高かった。
 そして、うその自白調書ができあがる。次の地獄が来る。裁判所だ。
 「やっていない者が自白するはずがない」、「被害女性が、嘘をつく理由がない」。
 今度は、きまじめな日本の裁判官の、きまじめなドグマの前に、えん罪事件の被告人は絶望を感ずることとなる。裁判所の「二元主義」と編者は密かに揶揄しているが、このドグマのために、えん罪で有罪とされる事例は少なくないと思っている。
 「自白⇒ほんとうのこと」、「被害⇒あったこと」
 証拠構造に基づく、立証状態を、客観的公正に見極める、その前提となる事実評価の価値判断にあたり、日本の裁判官は、上記ふたつの前提に立っている。
 「性犯罪の被害を受けてもいない女性が、その後警察に届けたり、弁護士に相談したりするわけがない。そうする理由も証拠上見いだせない。だから、信用できる」。
 うそつく理由、嘘を守り通す理由など幾らでもある。そんな社会常識を裁判官は証拠を見るときに捨て去ることにしている。
 だから、今回の事件は怖いのだ。起訴されたらーそして、起訴は容易にできた。デッチ上げ共犯ふたりの証言があるから、、、そうしたら、確実に、Kさんは、有罪になったと思う。
■「有罪の説明とも矛盾しなければ、とりあえず有罪にしておこう」。
 刑事裁判の事実認定の鉄則は「合理的疑いを超える証明」なしには有罪にできない、というものだ。これを否定する裁判官はいない。
 しかし、その水準が問題だ。裁判官が裁判官として受け継いでいる「ふつうのルール」を外から眺めると、上記のようになる。
 「これはおかしい、被告人が犯人で、被害者が被害者なら、そんなことにはならない、こんなことがないとおかしい」、、、これが合理的疑いだ。それが残るのであれば、無罪にしてはならない。鉄則の意味はここにある。
 しかし、我が国の裁判官は、治安維持と犯人必罰という価値を守る官僚組織の規範を体質的に身につけている。合理的疑いとは、有罪だという説明がおよそなりたたないような証拠しか残らない状態、をいう、これが裁判官の感覚だ。
 しかも、検察官が提出した証拠のみをみて判断し、「あるべき証拠」「集めるべき証拠」の欠落には目をつぶる。
 刑事裁判のこんな構造的な欠陥を知っている刑事弁護経験者は、今回の事件をみて、安堵の胸をなで下ろすとともに、かかるでっち上げを平然と行った犯人に対する強い憤りを感じていると思う。
 もっとも、本件虚偽告訴事件も、刑事事件である以上、これもこれで刑事手続の処理上、「無罪推定」、「疑わしきは被告人の利益に」という原則に従うべきことは当然である。
 その意味で、報道内容を裏付ける証拠が揃うことを前提にして、という留保を置きつつ、そうであれば、かなり厳正・厳格な処罰をすべきだと考える。
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2008年02月27日

■「犯罪企業」ーある新聞記事から


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■朝日新聞(朝刊)に「内部告発」という連載記事が載っている。読みのがすこともあるが、なるべく朝食を取りながら目を通す。「ミートホープ」社を内部告発した人の記事が載っていた。記事の最後の行に目がとまった。

 「身を粉にして押し上げた会社は、いつの間にか
  『犯罪企業』になっていた」

■「犯罪企業」。
 この言葉は、21世紀の日本社会では、すっかり定着した。「企業は犯罪を犯して、利益を追求するものである」、という認識が市民社会で共有されている。
 「業を企てる」、そこには、社会を建設する「ただしさ」が本来はあったはずだ。
 それが、「資本主義」「市場主義」の構造の中で「目先の利益」追及至上主義に体質が変わったと思う。そのきっかけは、結局は、バブル経済のころと思う。
■ 確かに、内部告発に踏み切った良心的な市民がいたことに安堵感はある。
 だが、もっと恐そるべきことは、より大勢の社員は不正工作を知りながら、これを放置したことだ、
 テレビニュースで、工場閉鎖、会社休業の説明を聞いた後、会社を出る従業員の姿が映っていたが、そうあることを知っていた人がそのなかに交じっていた可能性は否定できない。
 一人でできる不正ではないから、、、
■「モラリティーの回復」。
 これを、日本社会あげて取り組まなければ、どうにもならない、、、そんな感想をもった記事であった。
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2007年11月07日

■平成の「さむらい」の堕落ー耐震構造偽造事件と少年事件調書流出事件


aneha_bokupapa.jpg■ネットからふたつの記事を拾った。
 第1:読売新聞07年11月2日17時28分配信。
「奈良の少年調書流出事件、鑑定医を起訴…著者は不起訴」というタイトルだ。『僕はパパを殺すことに決めた』(草薙厚子著)は、奈良の医師方で起きた放火殺人事件の犯人である同家の長男の鑑定を担当した医師から、供述調書などの提供を受けてこれらを大量に引用して作成されたものだ。医師の捜査資料提供について、少年の父が秘密漏洩罪で告訴し、2日付けで起訴されたものだ。記事を引用しよう。
 「起訴状によると、崎浜容疑者は昨年8月に奈良家裁から鑑定医に選任され、同10月5日〜15日ごろ、自宅などで計3回、鑑定資料として受け取った長男の供述調書の写しなどを草薙さんに見せた。崎浜容疑者は動機について、『広汎性(こうはんせい)発達障害への誤った認識を解きたかった』などと供述をしているという」。
 第2:毎日新聞07年11月7日15時57分配信。
「<耐震偽装>姉歯秀次被告に2審も懲役5年の実刑/東京高裁」というタイトルで、「 耐震データ偽造事件で、構造計算書を改ざんしたとして建築基準法違反などに問われた元1級建築士、姉歯秀次被告(50)に対し、東京高裁は7日、懲役5年、罰金180万円とした1審・東京地裁判決(昨年12月)を支持し、被告側控訴を棄却する判決を言い渡した」という。
 記事によると、「姉歯被告側は耐震偽造を全面的に認めたが、偽証については『記憶に従い誠実にお答えした』と無罪を訴えた。だが判決は、『正直に述べると立場がなくなる』と述べた捜査段階の供述などを理由に姉歯被告の主張を一蹴(いっしゅう)。『偽証で実態解明と適切な行政指導が遅れた。自己保身のために木村建設に責任を転嫁した』と厳しく非難した。その上で『重大な犯罪であり、建築士の資格を取り消されるなど社会的制裁を受けたことを考慮しても、1審の量刑はやむを得ない』と述べた」。
■ふたつの事件は、同根の問題を社会に提起した。
 第1。「さむらい」のモラリティーの低下に対する警告。
 医「師」は、医「士」に通ずる。建築「士」と共通のプロ性を期待されている高度職業人だ。社会は、そのモラリティーに期待するところが大きい。何故なら、彼らの専門技術に、市民は、生命、自由、財産、健康、そしてプライバシーを委ねているのだから。21世紀に入り、平成の「さむらい」達のモラルの低下をはっきりと示す事件が相次いでる。その中で、患者のプライバシーを平然と出版社に暴露し、他方、金儲けのためマンションの耐震構造の偽造を図る建築士が登場する、、、。
 本来、社会のコンプライアンスをもっとも厳格に守るべきプロの倫理逸脱は、厳しくとがめだてしなければならない。一方が起訴され、他方が実刑になるのも当然だ。
 第2。「ルール」遵守の重要性の摘示。
 「規制緩和」、「自由競争」、「グローバル化」といった社会の構造変化は、あらたな市場のありかたを破壊する犯罪を厳正に処罰することを求める。その根幹は、ルール違反自体を見逃さないことだ。実害につながるか否かを問わず、あるいは、実害につながる前に、ルールを守らないこと自体が、社会秩序を乱すこと、社会の発展と建設を阻害することを社会自身が認識するようになってきた。
 第3。ルール作りの「場=公共のフォーラム」の重要さの提示。
 自由競争は、紛争の事後救済を要する。自由競争は、ルールの事前提示を求める。司法の場、条例・法律を作る議会と国会の場の重みが、護送船団方式で企業活動を守っていた時代よりも、はるかに増す。
 偽証罪での処罰といえば、どこか形式犯を無理に処罰する感覚を法曹界も社会も持っているのかも知れない。しかし、それは誤りだ。時代と社会は動く。モラルの低下した我が国社会を再生させるのには、「さむらい」達ー弁護士、公認会計士、税理士、司法書士、行政書士、、、等などーが、さむらい商法をすてて、情報化社会にふさわしい厳しいプロの規律を自らに課すべき時代なのだ。
■21世紀型の刑罰のあり方は、20世紀とは異なる。ひとことで言えば、広い意味での「企業」活動に対する刑罰権による事後救済を十分に厳正に行わなければ、国家の枠組み自体が崩壊しかねない。プロは、平成の「さむらい」商法をすてて大儀につくことが求められている。
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2007年10月07日

■コンビニ店員刺殺事件ー万引き犯と社会の教育力


neyagawa_robbery.jpg■寝屋川で起きたコンビニ店員を被害者とする「強盗殺人事件」の犯人2人が逮捕された。
 07年10月7日0時47分配信の毎日新聞ネット記事は、「<コンビニ強殺>19歳と15歳の少年逮捕/大阪府警」と題して、事件の内容を次のように紹介している。
***<引用>***
 調べでは、2人は6日午前0時50分ごろ、寝屋川市高宮1のコンビニ店で、缶ビール12本セットやアイスクリーム、菓子などの商品を万引き。このうち、19歳の少年は逃走した際、追いかけてきた上内さんともみ合いになり、左胸を持っていた刃物で一突きに刺して殺害。15歳の少年は店から約130メートル南の路上で止まっていたワンボックス車に乗り込んで逃走。車の前のナンバープレートは外されており、車中には仲間の別の少年が乗っていた。
 19歳の少年も上内さんを刺殺した後、この車に乗って逃走したとみられる。捜査本部は、最初から車に乗っていた少年が万引きの事情などをどの程度知っていたか慎重に調べている。
************************
■前任校にいて、まだ社会のしくみがよくわからない学部の学生に、刑法を教える講義の折、やや脱線めいた話として必ず次のような話を繰り返していた。
 「若いときには、つい魔が差して万引きなどやることがあるかもしれない。仲間とコンパの帰りに騒いでいてつい調子に乗って本とかお菓子を取ってこようということがあるかもしれない。
 しかし、小学生なら見逃されることでも大学生では重い責任を問われる。そうした冗談半分なことをやっては絶対にならない。
 また、万が一、ついそんなことをしても、必ず、はっと我にかえるはず。そのときに直ちに謝りにいけ。
 もし、見つかったらそれこそ幸いだ。いい反省の機会をすぐにもらえたのだ。そのとき『しまった』と思って、すぐに謝れ。
 まちがっても、抵抗するな」。
 この説教をしているときに、頭に思い浮かべている条文がふたつある。

 第238条(事後強盗)
 窃盗が、財物を得てこれを取り返されることを防ぎ、逮捕を免れ、又は罪跡を隠滅するために、暴行又は脅迫をしたときは、強盗として論ずる。
 第240条(強盗致死傷)
 強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の懲役に処し、死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。
neyagawa_robbery00.jpg
 *左の店の写真は上記ネット配信記事から引用。
■遊び半分の万引き。
 しかし、これは、社会からみれば、健全な流通システムを破壊する重大な犯罪なのだ。まず、このことを若者達が認識できない。
 膨大な数の商品がならぶコンビニの一品、二品を「自分たちがとってもたいしたことがない」と思う、そんな若者が、毎日、100人ずつでも店に押し掛ければ、小売業は崩壊する。
 ささいな万引きは、数千匹でうごめくピラニアに襲われる牛が味合う「一咬み」なのだ。この重大さを、我々は若者に「教える」責任がある。
 次に、物を盗んだ者が後で暴力をふるって奪った物の取り返しを防ぎ、捕まるのを防ぐことと、暴力をふるって物を奪うことは、社会からみたら、同じ重さの犯罪なのだ。
 「事後強盗」。
 社会が、法律を通じて、世に警告している、この罪名が案外知られていない。
 もし、かれらふたりの気持ちの中に、「ビールやプリンでがたがた騒ぐな!こんなものかえしてやる!」といった軽い気持ちでもあったなら、それはとんでもない誤解だ。
■ こんな記事をよみながら、思うことは、若者に対する公教育のシステムのありかた、である。
 社会の側が、「窃盗の悪さ」を教育しきれていないのではないか、この疑問である。
 さらにもっと怖いのは、「ではどうすべきか」を教えていないのではないか、という危惧感である。
 つまり、危機管理教育だ。言葉を換えれば、責任の取り方、の教育だ。
 窃盗をすることがいいことだ、などとはまったく思わない。
 しかし、「魔が差す」ことは不思議にある。大の大人でもある。
 大切なのは、「自己の非」をどう処理するのか、後始末、事後処理、、、要するに、事態に応じた「責任の取り方」だ。
 そして、それが適確に教育されていないことこそおそろしいことはない。
■「個人主義」「個人の自由」「選択の自由」。 
 こうした価値観が社会の主たるイデオロギーであっても社会が健全に発展するのは、実は、「重い責任、厳しい制裁」が伴うからだ。
 自由と責任、この両者をバランスよく教育し、市民が自覚していることが求められている。
 19歳と15歳の万引き後の殺人。
 こうした事件報道を読むと、胸が痛む。かれらの教育は適切であったのか、と。
 残念だが、社会に対する責任は追及せざるを得ない。記事の限りの情報では、なんとも言えないが、相当重い刑罰を選択せざるを得まい。
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2007年09月05日

■光市母子殺人事件の余波ー刑事弁護の本質

■07年9月4日の毎日新聞(朝刊)に「山口・光の母子殺害/「弁護人懲戒を」3900件/殺意否認に反発?]と題する記事が掲載された。
 山口県光市で99年4月に起きた母子殺害事件で殺人や強姦(ごうかん)致死などで起訴された被告人に対する裁判では、死刑の当否が問われることとなっているが、上告審段階で、あらたな弁護人がつき、差戻後の控訴審では、報道によると、殺意の否認など新たな方針を軸に弁護活動を行ったようだ。
 これに対して、ワイドショーなどで活躍する弁護士が、出演番組で聴衆にむかって広く懲戒請求をすることを訴えた。
 上記新聞報道によると、「懲戒処分を求める請求が、全国で少なくとも3900件出されている」という。さらにこの事態に対して、弁護団のうち広島弁護士会所属の弁護士4人が懲戒処分を呼びかけた弁護士に対して、この請求に対応する時間などやりくりするためであろうが、業務に支障が出たとして「1人当たり300万円の損害賠償を求める訴訟を広島地裁に起こした」という。
■「刑事弁護」は、ことの性質上、悪質な犯罪者と事実上認めるべき被告人についても、国家の品位の問題としても、また、当該被告人の利益のためにも、保障すべきものであるし、その質の高さこそその国家の文化度を測る尺度になる。
 当該被告人の利益には、いくつかのものが含まれる。
 刑事裁判は、公正・適正な手続として実施されなければならない。これを監視し実現させるのが刑事弁護人の役割だ。
 次に、実は無罪の者が起訴されている場合があることは、法律家であれば当然認識すべきことだ。これを救済するのもまずは弁護人の役割だ。
 被告人が犯人であっても、その事件の重み、被告人の立場、人格、性状に応じて適切な量刑が要る。
この角度から事件と被告人を見返す任務を果たすのが弁護人だ。
■警察・検察は、被害の重みを十分に吟味して、公正適正な手続によって証拠を収集し、被告人が犯人であること、一定の刑罰に値することを立証する責務を負う。
 弁護人は、被告人の立場から、犯行関与の有無と、仮に有罪でも、その改善更生の観点からの適切な量刑の有り様を検討する材料を裁判所に示すのがその任務だ。
 両者の視点を合して、裁判所が事案にふさわしい判断ができる。
■最高裁が、特段の事情がなければ死刑を選択することが妥当であるとの判断を示した上で、事件が差し戻されたとき、無期懲役の判決を前提にしていた弁護活動では、不十分になるおそれは一般的に考えられる。
 殺意といっても階層的段階的重層的な心理構造から成り立つ。それまでの審理では強調しなかった面を証拠に照らして主張しなおすことは、それ自体一般論としても合理性がある。
 弁護人の役割は、被告人の立場にたって事件がどう見えるのかを徹底的に明らかにして裁判所に提示することにある。
 弁護人の本質的な機能はここにある。
 これを否定することは、警察・検察の専権によって刑罰権を実現することにつながる。裁判所は、警察・検察の主張を追認する機関となる。それは、専制・独裁国家の刑事裁判を意味する。
■現代国家の品位は、刑事弁護の充実度が決める。刑事手続の適正さのレベルが決める。
 その上で、「手続は適正に、処罰は厳正に」という運用こそ望ましい。
 そんな思いを次のコメントに託した。

*******<毎日新聞07年9月4日(朝刊)******
 ◇死刑廃止に利用するな−−渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 最高裁が死刑を選択させる方向で高裁に差し戻した以上、弁護団が新たな主張をするのは弁護活動として当然といえる。しかし、事件を死刑廃止キャンペーンに利用することがあってはならない。今回のことは分からないが、それでは弁護活動ではなく社会活動になってしまうからだ。


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2007年08月19日

■さらば『白い恋人』ー「巨神兵」よ、滅びよ


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■腹立たしい思いで読んでいた記事がある。「白い恋人」事件だ。賞味期限改ざん。社長自らの指導のもとに10年前から観光客を裏切る商売を平然とやりながら、みずからは札幌財界をリードする活動を平然とやっていた、、、
 個人がオーナーの企業。しかし、組織が、組織自体の論理の中で、単に利益追求という価値観に支配され始めたその大局的な歴史の一こまだ。
 組織が、意思を持ち始めている。個人には、もはや止めようがない、、、ただ、こうして不正行為が偶然にも明らかになったとき、企業をつぶしていくしかい。あたかも、次々と転移するガン細胞を必死になってレーザーで死滅させるように。

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■札幌。実は、ブログ編集者の故郷である。中学のときにここを出て「内地」へ来た。しかし、「ふるさと」としての札幌への思いは、今も消えない。
 数年に一度、仕事の関係で訪れることがある。
 なつかしさがこみ上げる。実のところ、ありふれたお土産であった「白い恋人」も、そのなつかしさの一端を形作っていた。
 それが、なんのことはない、聞くも腹立たしいいい加減な商品管理をしていたとは、、、。
 偶然にも、家族が札幌に帰った。千歳空港でお土産を買った。「白い恋人」であった。
 そして、これが最後の箱になると思う。空港の土産品店から、品物はすべて撤去されたのだから。
 皮肉な思い出に、このブログに写真を掲載しておきたい。
 「07年11月30日」。
 賞味期限を記すスタンプ。いまさらながら、白々しい印字だ。
 本来なら、8月から9月ころに指定すべきものであったのだろう。仮に、事実上はさほど味を落とさず食べることができる、としてもだ。

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■ 日本の企業が、『誠実、良質、信頼、安全』、こんな言葉で評価された時代は、終わった。悪いことに、これから質を高める右肩上がりの時代の中の悪質性の摘発ではない。
 一旦、高みまで登った、その後の、堕落だ。
 この堕落に歯止めをかけるのは、容易なことではない。
 今、企業で働く個人が、「良心」に従って企業活動を進めること以外に、悪質化した「組織」の健全化はできない。
 「モラル」の再生、、、、
 「巨神兵」は滅ぼさなければならないと思う。
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2007年07月31日

□枚方市談合事件ー異様な「組織犯罪」

■ネット配信の記事に、「談合容疑で枚方市長を逮捕 元警部補も収賄容疑で 」と出た(共同通信2007年7月31日14時8分)。記事を引用しよう。
 ***<引用>*******
『大阪府枚方市の清掃工場建設工事をめぐる談合汚職事件で大阪地検特捜部は31日、談合容疑で市長中司宏容疑者を逮捕。枚方市の市長宅を家宅捜索した。これまでに副市長ら11人が逮捕され、談合や贈収賄の罪でうち5人が起訴された事件は市トップの刑事責任が追及されることとなった。特捜部は1000万円の収賄容疑で元府警警部補平原幸史郎容疑者(47)=談合罪で起訴=を再逮捕した。』
 ******************
■異様さを3点感じている。
 (1)警察官が組織犯罪を組織した異様さ。
 現役の警察官、しかも2課の課員が、みずから談合の中心に長年板と推測される事実。だから、相当の金銭を得ていて、その生活は通常の警察官の給与では説明できない状態であったはずだ。だが、大阪府警は長年放置した。消極的に賄賂を受け取るのではなく、みずから上場企業を組織して枚方市に食い込んでいく、、、凶悪な組織犯罪のオーガナーザーが警察官である構図。組織としての警察が、組織犯罪を組織しはじめている。
 (2)大林組など企業組織が枚方市という自治体組織を食い物、被害者にした組織間犯罪の異様さ。
 大林など大手中堅の建設会社が、個人の仲介を介して、枚方市から多額の不正利益を支出させる構図ができあがったこと。自治体という組織が容易に組織犯罪の格好の舞台になり、また餌食にもなる事実。組織が、組織を食いつぶす光景。
 (3)「改革派」政治家が、まじめに談合に加担する異様さ。
■「組織犯罪」が日本を浸蝕する、、、組織という癌が、健全な日本の活動を食い荒らしつつある、、、氷山の一角の恐怖。しかも、警察も信頼できないおそろしさ。「社会」の暗黒化が確実に着実に進んでいる。
 これを自浄できない組織のぜいじゃくさ、、、
 いつも使う言葉をまた掲げる。
 「巨神兵の時代」が始まっている。

posted by justice_justice at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ■事件ー捜査から起訴まで | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

■職務質問の効用ー「社会構造」の変容

■ネット配信のニュースをみていると、おりおり大変気になる記事が載る。例えば、毎日新聞6月11日午前2時35分配信の次の記事もそのひとつだ。
*********<引用>*****************
<車逃走>職務質問から逃げ、衝突 署員が威嚇射撃 津市 (毎日新聞)
 10日午後9時40分ごろ、津市白塚町の白塚漁港でタイヤ交換をしていた数人の男に三重県警津署員2人が職務質問したところ突然2台の車で逃走した。署員はパトカーでうち1台を追跡。車は同町内を10分ほど走ったところで同市久居新町の会社員の男性(25)の運転する車と正面衝突した。男性は頭を打つなど全治1週間の軽傷。逃走した車は横転したが、運転手の男はそのまま徒歩で逃走しようとしたため、署員は空に向けて1発、威嚇射撃をした後、男を道路交通法違反(当て逃げ)の容疑で現行犯逮捕した。ひき逃げの疑いでも調べる。
***********************************
■職務質問は、法学部・法科大学院で法律を勉強すると、「捜査の端緒」と分類される項目に掲げられるもので、警察官が不審な事由があるとき、そこに犯罪が絡んでいないかどうか確認するために、発問をする権限が警職法で認められている。
 その際、「停止させる」権限もある。
 「地域」「おまわりさん」「交番」「駐在所」、、、地縁・血縁を含めて土地と人が密着し、職業も土地を基盤にすることができ、縦横の人間関係の中で、社会の秩序が維持されていた時代が本当にあったのかどうか、、、歴史的事実はさておき、かかる
社会構造の中では、おまわりさんの職務質問もおだやかで、市民との対話の場となり、必要があれば「叱り置く」くらいで済む、そんな「出会い」の一こまであった。
■しかし、社会の都市化。核家族の崩壊ー一人家族の定着、地域性の崩壊、職住の完全分離、組織の肥大化、、、などなど個人と秩序、治安をとりまく基本条件が21世紀になってますます変質してきている。
 警察官の職務質問も、市民との対峙の側面が強くなる。自ずから、「協力」に基づく情報交換ではなく、「実力」による制圧支配の先行が必要になる。
■ その意味で、この事件のように、警察官の安全を確保しつつ、過剰かつ異様な反応を示す相手を確実に停止させて身柄を確保し、職務質問によって犯罪関与の有無を問い質すのには、拳銃使用も含めた強い権限行使が必要になる。
 記事は次のように続く。
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 津署によると、運転していた男は津市愛宕町、会社員、S容疑者(27)。S容疑者の車に同乗の男性も顔を打って軽いけが。同署は逃走した理由などを調べている。
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posted by justice_justice at 07:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ■事件ー捜査から起訴まで | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

■「3才のお使い」ー窃盗の小道具

■ネットニュースにこんな記事が配信された。タイトルは、「万引き一家逮捕 3歳長男が「実行犯 (スポーツ報知)」。話の内容は、簡単だ。3歳の長男に指示してビデオ店からDVDを盗ませていた母親、伯母、祖母の顛末だーとんだ「万引き一家」だ。
 3才と言えば、幼稚園の年少さん。ものごとの善し悪しを判断できはじめる頃だが、母親の命令に対して「母上、そのようなこと、拙者はできませぬ」と断れる訳もない。
 内心「???」と思いながらも指示に従い、おやつをもらってほっとしていた、、といったことなのではないか。
■記事は次のように続く。
「富山県警黒部署などが11日までに窃盗の疑いで逮捕したのは、同県入善町に住む長男の母親でパート従業員の伊林美喜子容疑者(29)と伯母で無職の佐知子容疑者(29)、祖母の長野文子容疑者(55)の3人。
 調べでは、伊林容疑者らは3月18日午後9時40分ごろ同町のレンタルビデオ店で見張り役、受け取り役などの役割を分担し、長男に販売用の中古DVD3枚(計9200円相当)を盗ませた疑い。」
■「間接正犯?直接正犯?」ー理論的には一応こんな角度からいったんは問題を捉えて、背後の母親等の犯人性・犯罪性に問題がないかチェックをするのだが、むろんなんの問題もなく、母親等が3才の子供を道具につかって自己の犯罪を実現しただけの直接犯罪だ。
 現場に全員が揃っていたのであれば、実行共同正犯。おばあちゃんだけ家にいて、出発前に今日の計画を相談していたのであれば、彼女は、共謀共同正犯。
■ただ、なんとも情けない話だ。
 「子供を守れない社会」「子供を犠牲にする社会」、、、こんな時代が20世紀の末に日本にやってきた。その極限が、池田小乱入事件。
 類似の事件がおりおり新聞を賑わす。この一家窃盗事件も同じこと。「社会的責任」を学ばせるべき親たちが、社会を破壊する道具に子供を使うーーーその異様さに我々は驚かなければならない。
 この小さな国、、、少子化・高度高齢化のまま滅びていくのではないかー内部崩壊を起こして、、、、 
posted by justice_justice at 11:40| Comment(1) | TrackBack(0) | ■事件ー捜査から起訴まで | 更新情報をチェックする

2007年03月21日

■関電原発事故と社員個人の刑事責任

■「関電美浜原発事故、社員ら5人略式起訴」。
今朝の新聞はこう伝えている。2004年に関電の原発で事故が起きて、11人が死傷したものだ。28年間未点検だった配管の破損が事故につながった。長期間にわたり、原発の重要な構造の点検が放置されていた事実自体納得いかないが、他方、事故が発生したときの現場と現場に近い社員の個人としての責任を問うことに意味があるかといえば、実はない。
■「組織犯罪」ー少し前までは、暴力団など社会から逸脱した不法集団の犯罪をいう語であった。しかし、バブル崩壊を境に、実は、今や我が国の合法的な会社・企業・公企業体・自治体など「組織」すべてがいつでも「犯罪組織」として行動する時代になっていることを認識しなければならない。
 「個」が喪失されて、「組織」が生命体をもって日本社会・日本国家を牛耳っているといっていい。むろん、その組織を動かすのは、個人だ、という説明は可能だ。
 しかし、個人が組織の歯車に組み込まれて、人としての個人の生き様と異なる組織の行動原理を支える細胞にされている事実を否定はできない。
■ ところが、刑法の世界は、あいかわらず「個人責任主義」に基づくー組織の論理で行った、組織の犯罪を、個々の人間の刑事責任に置き換えるのでは、もはや限界がある。オーナー社長の小規模会社での犯罪とは異なる。関電電発事故を、事故時の社員の業務上過失責任で処理することは、きわめて不合理である。
 むろん、そのときに、ある社員が通常であれば考えられない、とんでもない失敗をしたというのであれば別だが、会社が組織運営として放置した欠陥が事故につながったとき、犯罪の主体は、「会社」そのものだ。個々の社員に刑事責任をおわせて、前科者にしても逆に会社は生き残る。
■ 数名の社員の略式罰金では、遺族の方など被害関係者は納得できないと思う。その無念さにも深く思いを致したい。
 といって、まじめに関電のために働いていた社員について、個人として会社から切り離してその刑事責任を追及し処罰をしても、「組織の犯罪性」は放置されたままだ。それはそれで不適切極まりない。
 21世紀に入り、社会構造は、ここ日本においていびつな変容を遂げていることがよりはっきりしてきた。
 個の喪失と、組織の跋扈。個人の存在基盤の喪失については、また別な機会に検討するが、組織が生命体として犯罪を行っている現象は、それ自体として正確に捉え、その組織犯罪、組織の事故を制裁し、防止する手だてを考えなければならない。
posted by justice_justice at 10:04| ■事件ー捜査から起訴まで | 更新情報をチェックする
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