2009年10月07日

■神戸・裁判員裁判マスコミ・コメント(下)


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 神戸新聞に、神戸地裁の第1号裁判員裁判を傍聴した感想を掲載する機会をもらった。次のようなものである。

■「真実を聞く場に近づいた」ー神戸新聞09年09月09日(夕刊)ー
 市民が主役の裁判で、分かりやすい立証に変わった。検察官の供述調書朗読は見事だった。モニターで視覚的に主張を示し、リズミカルに物語を読むようだった。裁判員の胸に響いたと思う。
 一方、弁護側は旧来の刑事弁護の枠を超えておらず、工夫の余地がある。検察と違って、弁護は当番や国選により個人で事件を受け持つ構造的な弱点がある。組織的研修で力量を高めてほしい。
 検察も弁護側も、どのような刑が妥当かを正直に裁判員に伝えるようにしないといけない。「(判決は求刑の)8がけ」という司法の常識はわかりにくい。時間に追われる「効率司法」の裁判も避けてほしい。
 裁判員は、厳しく叱るように、優しく諭すように、市民の目線を活かしながら本質を突いた質問をし、被告人の本音を引き出していた。
 判決後の裁判長の説諭は、市民による賢明な評議、思いをくんだ味わいのあるものだった。被告の立ち直りにも有効では。保護観察を付けた判決は、社会全体で被告人を見守ろうとした市民の英知が生かされ、画期的だ。
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■神戸・裁判員裁判マスコミ・コメント(上)


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神戸地裁の初の裁判員裁判。3日連続傍聴した感想について、マスコミが取り上げてくれたので、整理して掲載しておく。
それぞれ掲載の機会を提供してくれたマスコミ各社には感謝したい。

 ショートコメントではあるが、学者としての責任で考えた上で発言させてもらっている。そうした機会を通じて、裁判員裁判制度をみる目をさらに深めることもできる。
 また、マスコミ各社の取材記者の鋭い質問にたじたじとなることもある。これもまた学者としてのものの見方を深めていくのに大変参考になる。

 繰り返しになるが、こうした取材の際に、声をかけていただいていることに深く感謝する。
■■審理について■■
■1:09年09月09日ー朝日新聞(朝刊)ー「(裁判員法廷/兵庫/ドキュメント:中)被告の心情、迫る問い/兵庫県」
「傍聴した甲南大法科大学院の渡辺修教授は『社会の側から事件を見た検察側と家庭内の事件と見る弁護側の意見を、裁判官と裁判員が評議の中でじっくり議論をしてほしい』」。

■2:09年09月09日ー読売新聞(朝刊)ー「◇裁判員法廷から」
 ◆市民感覚の質問評価/専門家 
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「市民目線の質問が相次ぎ、裁判員が真剣に事件を考えている様子がうかがえた」と話した。一方で、検察側については「視覚に訴える手法などは見事だったが、求刑は従来通り判決を見込んで重めにした印象」とし、弁護側については「最終弁論で量刑に対する考え方を示した点は、これまでになく評価できる」と述べた。

■3:09年09月08日ー産経新聞(朝刊)ー「神戸地裁/裁判員裁判/殺人未遂/弁護側証人で出廷/被害の父被告かばう」
 こうしたやり取りに、傍聴した甲南大学法科大学院(刑事訴訟法)の渡辺修教授は「裁判員はまさに市民の目線での質問をした。普通の裁判官がしないような質問で、強い感動を覚えた」と話した。


■■判決について■■
■4:09年09月09日ーNHKニュースよりー
「今回の裁判を3日間、傍聴した甲南大学法科大学院の渡辺修教授は、判決について、『今回のようなケースは従来の裁判でも執行猶予はついたと思うが、社会の中で被告を更生させる『保護観察』はつかないことが多い。被告の更生と家族の今後の幸せを願う裁判員の気持ちが反映されていると思う』と述べました。
 そのうえで、『市民の良識とプロの裁判官の法律知識をうまく組み合わさった判決で、裁判員裁判ならではの画期的で素晴らしい判決だ』と述べ、今回の判決を高く評価しました」。

■5:09年09月09日ー朝日新聞(夕刊)ー
 傍聴した渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「執行猶予判決で保護観察をつける例は少なく、裁判員ならではの判断だ。罪を犯した人を市民社会で見守る『人情裁判』とも言える」と話した。

■6:09年09月10日ー読売新聞(朝刊)ー
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「プロの裁判官だけの場合、最初の執行猶予に保護観察を付ける例は少ない。家庭ではなく社会が被告を見守らなければならないという裁判員の思いが、保護観察付きの判決に鮮明に表れた」と高く評価した。

■7:09年09月09日ー朝日新聞(夕刊)ー「(裁判員法廷)弱さ克服し家族と幸せに/神戸地裁、裁判員ら話し合い説諭文」
 ◇保護観察、裁判員ならでは
 3日間すべて傍聴した渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 量刑はプロの裁判官でも同じだったかも知れないが、最初の執行猶予判決で保護観察をつける例は少なく裁判員ならではの判断だ。罪を犯した人を市民社会で見守る保護観察の仕組みを採用した「人情裁判」とも言える。市民の力が加わったからできた解決方法ではないか。

*写真は09年09月09日の神戸地裁と神戸地検の風景。
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2009年09月09日

■神戸「裁判員裁判」ー「効率司法」から「人情裁判」へ

■ 神戸地裁で、2009年9月9日、午前9時50分すぎ、裁判員裁判初の執行猶予付判決の宣告があった。

 ところで。
 最高裁が作成した裁判員裁判宣伝用の映画『評議』。やはり殺人未遂で起訴された若者とその友人でもある被害者と、被害者と一度だけ不倫をした美しき恋人。
 結論は、執行猶予付であったが、最後に、裁判長が次のように被告人に語る。
 「この判決には、あなたが更生することを信じ、これからは二度とこのようなことがないようにしてほしいという私たち9人の切なる願いが込められているということをどうか忘れないでください」
 全員一致の思いをこめたものです」と高らかに訴えかける名場面がある。
 今日の判決公判は、まさに『評議』の再来であった。
 
■ 裁判長が被告人を証言台に呼び寄せて、「では、判決を言い渡します」と告げて、主文を朗読する。
 「主文。被告人を懲役3年に処する。この裁判確定の日から4年間、刑の執行を猶予する。但し、保護観察に付する」。

 裁判長は、まずすぐに釈放されて社会に戻れることを告げ、但し、保護観察に付されるので、保護司のもとで月に何回か相談にいって仕事面のことなど話をして、指導監督を受けることになると説明をした。
 むろん、保護観察の遵守事項を守らないと、執行猶予が取り消されることもあるし、また、執行猶予期間中に別の犯罪を犯して裁判になると、今回の執行猶予も取り消されて今回の刑も一緒に服することになるといった説明を分かりやすくした。

■その後、「では、理由を述べます」とし、裁判員裁判ならではの執行猶予を付けた理由を説明した。
 まず犯行態様の点では、検察官はガラス細工の灰皿で2度思いっきり殴った点に「強い殺意」があると主張したが、「さらに攻撃を加えようとはしていないこと、包丁など持ち出していないこと等を指摘して、強固な殺意が合ったという点は賛同できないとした。
 また、父親が証言台で、被告人を甘やかしたことを認め、自分も加害者かもしれないと告白していること、その父親が被告人がはやく戻ってくることをねがっていることを指摘し、さらには、18歳、14歳の子供達も同じ思いであることを指摘した。

 「こうした家族の気持ちは最大限尊重するべきであり、今、被告人を刑務所に入れることは、家族の心に与える打撃はかなり大きく、これは避けるべきである」。

 本人の反省、前科のないこと、40才と若いことなど考慮し、被告人を立ち直らせるのには、服役させて厳しい規律のある生活をさせることも考えられるが、むしろ、父の監督とともに保護司、保護観察官の監督に服させて、社会で更生する機会を与えるのが相当である、という。

■裁判員裁判の妙味が表れたのは、判決宣告後の説諭であった。
 刑訴規則221条は「裁判長は、判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる」とされている。
 プロの法律家同士の裁判では、こうした訓戒がないことも多く、なにかひと言あっても、ごく杓子定規な味気ない一般論であったりする。
 しかし、今回は違った。

 「あなたに対して、裁判長、裁判員、裁判官はどのようなことばをかけるか、話をするか、話し合いました。その内容は次のようなものです。
 人間誰しも弱さはある蹴れとも、あなたも自分の弱さがあると自覚をもち、それを克服してほしい。
 生まれ変わるほどの気持ちになって欲しい。あなたにはプライドがあるようであるけれどもなりふりかまわずに立ち向かって欲しい。
 お父さんがあなたのことを大事に思っていることは痛いほどよく感じます。
 また長女、長男が思春期にあってこれからいろいろ大変な苦労、困難があると思いますが、家族を大切にし、みんなで幸せに活きていってほしい、というのが、みんなの思いです。
 あなたが拘束されていたのは夏の暑い間でしたが、今日は青い空、秋空です。空気も澄んでいます。
 秋の空気を思いっきり吸って、新しい生活に進んでください」。

 執行猶予の宣告とともに、勾留の効力はなくなる。傍聴席にいた父親が、弁護人に促されて法廷側に入り、被告に近づく。腕をなで「よかった、よかった」と頷く。息子である被告も深く頷き返していた。

 「人情裁判」。

 テレビドラマのような世界を実現したのは、補充裁判員を含めた8人の市民と、彼らの良識を十分に活かせるように配慮した裁判長ではなかったか。
 みごとな裁判であった。
 裁判員裁判は、我が国社会に定着すると思う。

*写真は、今回導入されたリストバンド方式の傍聴整理券と、傍聴券そのもの。


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posted by justice_justice at 15:39| ■裁判員裁判ー神戸 | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

■神戸「裁判員裁判」ー「法律家中心主義」から「市民中心主義」へ

■法壇に裁判官と並んで市民が座る裁判員裁判。いよいよ関西でも始まった。全国で4番目、関西では第1号の事件は、昭和43年うまれ、父母と同居(但し、母は病気入院中で、認知症も進行中)する、長年無職・無為に過ごしてきた被告人の殺人未遂である。数年来職場を失って無職ですごし、パチンコで小遣い稼ぎをしてはしのいできたが、借金が170万円弱になり、返済のめども立たず、ついに将来を悲観して自殺を決意した。事件当日、自殺準備を始めたところ、今後は、残す父母と、実子ふたり(高校3年の娘と中学2年の息子)が気になる。まず、自分が実は無職でバイトもなかったことが父親にばれる。借金もばれる。隣近所の宇沢になる。世間にいろいろ言われる。父母も、そしてとくに子供もかわいそう。子供は学校でいじめられる。そんなことを慮って、無理心中をしようと決意。
 凶器には、自室にあったガラス細工の灰皿を使うことにする。まず、1階で寝ている父親を1度殴った。これでテレビドラマであれば苦痛を観ずることもなく死ぬはず、、、と被告人は信じていたという。案に相違して、父親はよつんばいになって「まさお、まさお」と自分を呼ぶ。むろん、父親は犯人が息子とは思ってもいない。助けを求めるつもりでいた。しかし、被告人は死ぬはずの父が起き上がりしかも自分の名を呼ぶのにうろたえて、また灰皿でなぐったものの、粉々に砕けた。あわてて逃走、、、緊急配備を敷かれた検問にひっかかり、検挙されたものだ。罪名は殺人未遂罪。
■公判前整理手続段階で、被告人の説明を踏まえたものだとは思うが、罪体については弁護側も争わないことにした。情状のみの事件となる。わかりやすく言えば、弁護側は、室猶予が付くか付かないかを争点にしたようだ。
 もっとも、事件全体をみたときに、「ケース・セオリー」がこれでいいのか幾分の疑問がある。というのも、ガラス細工の灰皿を凶器とする3人の殺人計画。どこか違和感がある。しかも、自殺の準備中に一家心中を思いついたという唐突さ。父から殺すつもりになったというが、次に、実の子二人を本当に手にかける決意がついていたのかどうか、、、執行猶予を求めるとしても、そのポイントとなる理由は何と裁判員に説得するのか、、、すべてあいまいなままに審理が始まった観がある。
 ともあれ、裁判員制度。
 法服姿の3人の裁判官の横に、男性2名、女性4名合計6名の裁判員が座る。ポロシャツ、スーツ、ブラウスにカーディガンなどなど普段着の市民が座る。「法服の裁判」から「普段着の裁判」が始まった。
■20世紀の刑事裁判の主人公は法律家であり、市民は傍聴席で見守るしかなかった。だが、21世紀は政治・経済・社会・福祉すべてにわたり市民が主体となって我が国の構造改革をすすめなければ国が衰退に向かう時代となっている。司法改革も国家日本を立て直す大切な改革のひとつ。事実認定、法律適用、量刑と正義を実現するプロセスの主人公を市民とする「市民主義」の時代の幕開けである。
 プロの法律家には、大量処理すればよい事件の一つでも、今回の事件の被告と被害者そして家族にとっては歴史の残る一大事である。その被告の目線で事件を見るのが裁判員達だ。そして、二日の審理はみごとに裁判員裁判に期待したものが実現されていたといえる。
■ささやかな例であるが、被害者でありながら被告を思う父親が証言のときに、「自分も加害者なのかもしれない」と述懐した。その真意は、証言の時にはわかりにくかった。
 ある裁判員が問いかけた。
 「あなたの心境を勝手に憶測で理解することはできないし、私はあなたと同年代のようなので尋ねたいが、『自分も加害者である』とはどういう意味ですか」
 証人は、被告人が幼い頃、ほとんど単身赴任しており十分に面倒をみれなかったといった事情をとぎれとぎれに話した。
 被告人が「自分で頑張ってなんどか仕事を見つけて、家族を支えたい」といった話をしたのに対して、ある女性裁判員は「甘い」と叱りつけるように質問を発した。また、父親は捜査段階で検察官に起訴してくれるなと頼んだのに結果的に起訴されたが、「検察官が起訴したことに怒っているか」と水を向けると、「怒っています」とひと言。
 証人にも、被告人にも、裁判員ならではの質問が続く。裁判官に遠慮したり、法廷の雰囲気の飲まれている様子などない。
 ある裁判員が被告人に問いかけた。
 「貴方の生活の今後に問題がないのであれば刑を軽くすることもできる。我々もそこに責任を持ちたい。無責任なことはしたくない。」。こんな前置きをして、再度、就職してきちんと収入を得なければならないができるかどうか、と問う。「自分をすてるつもりで、甘えをなくして、自分で頑張るつもりです。こんなことは二度とやらない、、、」。裁判員がさらに諭す。「その気持ちがないようだと、被告人にはかなり重いことになります」。裁判官では聞けない質問の内容を、裁判員はさらりと突っ込む。
■真剣に、市民としての目線で、しかも自己の体験に照らし合わせながら、証人への尋問、被告側への質問を重ねる裁判員たち。
 信頼できる刑事裁判のあたらしい「かたち」。市民主義への構造変革は、確実にはじまった。


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*写真は09年09月07日と08日の傍聴券
posted by justice_justice at 16:18| ■裁判員裁判ー神戸 | 更新情報をチェックする
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