2009年02月01日

■裁判員裁判と控訴審ー「まだ最高裁が、、、」あるのか、ないのか by Gishu


tokyo_ct.jpg■1:「キョウの裁判員:制度の検証/裁判員裁判の控訴審はどうなるの?」
 毎日新聞09年1月28日(京都版)の連載では、こんなテーマで裁判員裁判を点検している。問題関心は、裁判員裁判を踏まえた上訴審、とりあえず、高等裁判所が管轄する控訴審のありかたである。
 裁判員裁判は、市民が参画する。しかし、控訴審は、従来通りである。裁判員裁判導入に関する一連の法律改正の中で、控訴審など上訴審関係の条文は動いていない。
 手続などはとりあえず従来通りなされる。
 つまり、市民の判断した一審判決を、プロだけの裁判官3名が点検することとなる。少なくとも、事実誤認かどうか、量刑不当かどうかを、ストレートに3名の裁判官が批判して破棄することは事実上不可能である。
 なぜなら、市民良識のよしあしをプロの裁判官3名で判断できるわけがない。
 そこで、なにが控訴審の主たる関心事になるか。裁判官が責任をもつべき手続に誤りがあり、裁判員の判断の土台自体の作り方を間違った場合、である。
 まず解りやすいのが、公判前整理手続のありかた、そこでの証拠の取捨選択のあり方であろう。
 過不足鳴く準備して、裁判員が安心して有罪無罪を判断できる材料を公判廷に出すこと。これができていないのであれば、あくまでも、「裁判員がみた証拠によれば、その事実認定は尊重すべきだし、量刑判断も尊重するべきだが、実は、もっとみるべきものがあったので、差し戻す」ということとなる。
 記事は、こうした問題関心を広島のヤギ事件に寄せつつ、次のように摘示する。
■2:以下、引用。
「◇従来通り、プロの裁判官だけで−−差し戻しなら市民負担増える
 最高裁司法研修所は昨年11月「1審判断を重視すべきだ」とする研究報告を出した。ただ、現場の裁判官が実際に1審を尊重するかどうかは未知数だ。特に、裁判官や検察官、弁護士だけで争点整理のために行われる公判前整理手続きについては、「審理不尽(審理を尽くさないこと)」として控訴審が異議を唱えるケースが出てきそうだ。
 広島市で05年、小1女児が殺害された事件の控訴審判決で広島高裁は昨年12月、審理不尽として広島地裁判決を破棄し、審理を地裁に差し戻した。同地裁で裁判を迅速に行おうとするあまり同手続きで証拠を絞り込みすぎたことに、控訴審判決が疑問を投げ掛けたのだ。
 裁判員裁判が始まれば同手続きが必ず行われるが、裁判員が判断をするには証拠が少なすぎるケースも出てくる恐れがある。
 1審に差し戻された場合には、新たに裁判員が呼び出され、同じ事件について審理し直すことになる。最初の裁判員とは別の裁判員が選ばれるとはいえ、市民の負担が増えることになる」。
■3:そこで、記事の途中に次のようなコメントを入れてもらった。
***************************************
渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「証拠が増えると裁判に時間がかかり、裁判員にも負担がかかるが、協力を求めるべきだ。そうでないと、プロたちが証拠を絞り込みすぎたために、控訴審が審理不尽として1審判決を破棄するケースが出てくるだろう」と話す。
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2009年01月31日

■裁判員裁判と責任能力ー運用上の手続二分 by Gishu


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■法廷の試み 朝日新聞09年1月27日(朝刊)は「責任能力、判決前に結論/2段階で審理/わいせつ事件、大阪地裁で公判」と題して、裁判員裁判をにらんだ、あたらしい公判廷の運用を紹介している。大変興味深いので引用して示す。
 事件は強制わいせつ事件。被告側が犯行当時の責任能力の有無を争点にしたようである。 これを受けて、大阪地裁(杉田宗久裁判長)は責任能力についてまず審理して結論を出し、後から有罪・無罪や量刑を判決で言い渡す異例の「2段階審理」を実施した。
 以下、記事を引用する。「被告の無職の男(33)は昨年5月2日早朝、大阪府八尾市の路上で20代の女性に背後から抱きつき、押し倒してけがをさせたとして起訴された。検察側と弁護側が争点を絞り込む『公判前(こうはんぜん)整理手続き』が適用され、弁護側は、男が統合失調症を患っていたことから『事件当時は善悪の区別がつかない状態で、刑事責任を問えない』と主張。公判前整理手続き中に精神鑑定が行われた。
 今月14日の初公判で、杉田裁判長は『裁判員裁判を控え、わかりやすい内容にするため通常と異なる審理をする』と表明。2段階で審理を進める方針を示し、検察側と弁護側に対し、公判の中で鑑定医が鑑定意見を示した段階で責任能力の問題に絞った『中間的な論告と弁論』をするよう指示した」。
 23日の公判廷では、鑑定人である医者は、新聞記事によると、ぶ厚い鑑定書を提出するのに代えて、当初から口頭での鑑定内容報告をおこなったという。その結論は、完全責任能力がある、というものであった。
■「中間弁論、中間判決」 これを踏まえて、検察・被告側双方が中間的な意見陳述をしたようだ。検察官の論告では「鑑定結果を尊重すべきだ」と主張し、被告側は「心神喪失または心神耗弱の状態」を主張した模様である。そこで、裁判長は、次のステップを踏んだ。
 記事、引用する。「26日にあった第4回公判の冒頭、杉田裁判長は『少なくとも心神喪失にはあたらない』と述べ、被告に刑事責任能力があったと認定。続けて刑の重さを左右する情状面の証拠調べに入った。この後、2月12日に最終的な論告と弁論が行われ、判決は2月中にも言い渡される」。
■事実と量刑の分離 今の裁判でも、裁判員裁判でも懸念している点がある。事実認定と量刑をおなじく裁判官と裁判員が行うため、手続上、有罪無罪の判断段階と量刑に関する資料を調べる段階が区別されていないことである。
 無罪を真剣に申告に争う被告人を前に、殺人事件の遺族が、被告人に向かって「被害者を返せ〜!」と詰め寄る、、、裁判員の混乱を招く大きな原因だ。
 責任能力も同じこと。「病気だった、だから無罪だ」。この主張ほど市民には納得できないものはない、と常々思っている。しかし、ここが刑法と福祉の分水嶺だ。
 心の病。だから犯罪に走った者を、刑務所に送る意味も意義もない。必要なのは治療だ。 その判断基準が、責任能力。
 ここでも、「反省してないのか」と被害者が詰め寄る前に、犯行当時、その反省ができるだけの精神的諸力があったのかいなかを見極めておかなければ、被告人も困惑するばかりだし、被害感情も宙に浮いてしまう。
 今回の試みは、その意味で、裁判員が直面する困難な課題を運用面で克服しようとする画期的なもの。裁判員の判断の混乱を招く手続の運用は避けたい。事実認定と量刑判断、このふたつを分ける手続の運用は定着させなければならない。
 そんな思いから、次のコメントを同誌に載せた。
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 ◇裁判員制度視野、画期的取り組み
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 裁判員裁判をにらんだ画期的な取り組みで高く評価できる。刑事裁判では被告の責任能力の有無と、被害者の処罰感情など量刑にかかわる事情とは分けて判断すべき問題だが、同時並行で議論すると、裁判員になる市民に混乱を招く恐れがある。まず責任能力に限って結論を出してから量刑を決める手法は、裁判員が評議するうえでも有効だろう。

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2009年01月05日

■裁判員裁判とヤギ被告事件ー拙速裁判禁止 by GISHU

■裁判員裁判とヤギ被告事件(上)ー公判前整理手続と「拙速裁判」禁止 by GISHU 
朝日新聞08年12月10日(朝刊)は小学校1年生の女児を殺害したヤギ被告事件について「「拙速な一審「無念」/遺族「苦しみ長引く」/広島女児殺害」と題する記事を載せている。
 05年11月22日、広島市安芸区で、下校中だった木下あいりさん(当時7つ)が殺害された事件。通学路に住むヤギ被告が、自宅アパートの部屋に連れ込んでか、そのアパートのある敷地でか(ここは、まさに控訴審が不備を指摘したところ)、殺害しつつ、強制わいせつ行為に及んだもの。
 起訴後は、裁判員制度の前提となる公判前整理手続のモデルケースとして全国的に注目された割に、その拙速さは進行途中からも目立った。
 特に本国から取り寄せ可能な前歴関連資料が届くのを待たずに公判前整理手続を終了したり、死刑求刑が予想される事件なのに、弁護側の鑑定請求を斥けたり、、、控訴審判決をみると、捜査段階の自白の取扱いも不分明なまま審理に入っていたことも明らかになった。
 「拙速裁判」。
 職権が強化された公判前整理手続。裁判官は「神様」に近い。裁判になってから、よく検討したい争点を、自分が整理する。有罪か無罪か判断するのに必要な証拠かどうかも自分で判断する。自分で書いたレシピと自分で集めた材料、、、どんな味になるのか概ね予想しつつも、実際に公判廷でカレーを作ってみせるだけ、、、
 それだけに、当事者の主張と証拠調べ請求を十分に尊重した争点整理と証拠整理が不可欠。その準備にたんねんに時間をかけることこそ、真相解明につながる。
 基本を忘れて、ともかくも「効率化」を心がけた進行。そのつけが回ってきた。そのつけの重みをもっとも強く感じるのは、市民ー被告という立場に置かれた市民と、被害者の地位に立たされた市民だ。
****朝日新聞08年12月10日(朝刊)
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「一審は、審理の充実をはかるためにある公判前整理手続きを急ぎすぎた。捜査段階の被告の供述を証拠から切り捨てたのは疑問。控訴審が審理不尽と批判したのは当然だ」と話した。さらに「『準備は丁寧に、審理は迅速に』というのが司法改革の精神だ。ラフな審理では被害状況も解明されない。裁判員となる市民も証拠が不十分だと分かれば、死刑以外にないと思っても死刑を選択することが不可能になってしまう」と指摘した。

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2009年01月02日

■裁判員と暴力団 by GISHU


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■裁判員の資格ー「暴力団員」は排除すべきか
 神戸新聞08年12月20日(夕刊)は「暴力団員も裁判員に? 法に規定なし/『反社会勢力』排除できず/捜査員、判決への影響危惧」と題する記事が載った。一部を引用すると、次のような懸念である。
 「開始まで五カ月に迫った裁判員制度で、暴力団組員が裁判員に選ばれる可能性があり、警察関係者らは懸念している。暴力団対策法で反社会的団体とする暴力団の情報について、警察庁は『裁判所から照会があれば対応は可能』とする。しかし、裁判員法が規定する排除対象には、暴力団組員が含まれておらず、最高裁は『個人情報を勝手に調べて排除することはできない』という立場だ」。「警察庁によると、二〇〇七年末現在、指定暴力団の組員は約四万人。試算では国民約三百五十人に一人の割合で裁判員の候補者になるとされ、裁判員候補者名簿に相当数が記載されているとみられる」。
 しかし、疑問だ。「暴力団」といっても実のところ、いろいろある。個人個人をみると、日常的に不法な事犯を繰り返している者ばかりではない。むしろ、江戸時代以来の任侠道に近い組織と意識の者もいる。
 通常は、それぞれ正業をまじめに営んでいる者のたくさんいる。
 一律に「やくざ」「暴力団員」というレッテルを貼って裁判員から排除することは妥当ではない。
 そうであるなら、破防法適用団体やこれに類似する組織関係者等、思想信条の点からまさに「反社会的」とみるべき集団などの組織員等など、、、、
 仮に、「反社会的勢力」というキーワードで「一律排除」をするのが妥当、といった議論をするなら、それこそ収拾のつかない混乱を生むだけだ。
 それに、「暴力団員」であることが、予断と偏見を生む可能性のある事件であれば、裁判員選任手続の段階で、「極道または暴力団の組織に入っているか」と質問すればよい。
 そうでないのであれば、例えば、保険金目的の放火殺人事件で共謀共同正犯でないと争う事件について、暴力団員であることが、裁判員になってはいけない理由などない。証拠によって判断する責務をまじめにやってくれればよい。
 「市民の良識」とはそうした多様性も含めたものである。
 そこで、次のようなコメントを掲載した。
***神戸新聞08年12月20日(夕刊)***************
▼排除必要ない 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 裁判員の選任手続きでは、裁判長が候補者に対し、事件との利害関係がないか、不公平な裁判をする恐れがないか、面接で質問する。支障があれば、そこでチェックできる。暴力団員というだけであらかじめ排除することなどできないし、する必要もない。
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2008年12月14日

■裁判員裁判にむけてー最近の事件、実験、時事問題 by Gishu

(1)ヤギ被告事件 広島女児殺害事件の控訴審が、一審の無期懲役判決を批判して「審理不尽」と断定。事件を差戻とした。「審理を尽くさず」などという一般的概括的抽象的な控訴理由はない。個々の証拠調べなどの手続についてひとつひとつ吟味して個別の控訴理由になるか否か判断するのが通常である。しかし、控訴審は、明文なき控訴理由で一審を破棄した。理由は、一審の公判前整理手続に臨む姿勢にある。
 一審判決文は、「核心的争点」を判決理由の冒頭にもってきたが、当然のことながら、”争点をしぼり、証拠を絞る”、これ自体が公判前整理手続の目的なのではない。
 「準備はていねいに、審理は集中して」。
 真相解明に必要な証拠は、時間をかさねたほうが明らかになることもないではない。「刻の重み」もある。その調和が大切だ。
 そこで、読売新聞2008年12月11日(朝刊)では、次のように発言した。
 「渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は『1審の『拙速裁判』を強く批判した、適切な判決』と控訴審判決を評価。裁判員制度では裁判員の負担軽減のため、裁判の迅速化が図られるが、『公判前整理手続きで、裁判官が必要な証拠を却下する恐れもある。真相を究明し、厳正な量刑を科すには、慎重な審理が不可欠』とした」。
なしとでも信じたのであろうか。被告側の
 また、朝日新聞08年12月10日(朝刊)では、「拙速な一審「無念」/遺族「苦しみ長引く」との乱して、事件の流れと判決文の特徴など紹介しているが、次のコメントを掲載した。
***朝日新聞(朝刊)08年12月11日********
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「一審は、審理の充実をはかるためにある公判前整理手続きを急ぎすぎた。捜査段階の被告の供述を証拠から切り捨てたのは疑問。控訴審が審理不尽と批判したのは当然だ」と話した。さらに「『準備は丁寧に、審理は迅速に』というのが司法改革の精神だ。ラフな審理では被害状況も解明されない。裁判員となる市民も証拠が不十分だと分かれば、死刑以外にないと思っても死刑を選択することが不可能になってしまう」と指摘した。

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2008年12月03日

■裁判員裁判と死刑ー神戸新聞アンケートから

■08年12月1日、地元の神戸新聞(朝刊)に「裁判員制度/県内意識調査/死刑判断、心に重く/事件次第ではやむを得ず/できればプロに任せたい/検察側求刑 半数、冷静に対応]と題する記事が載った。
 100名ほどのアンケートを分析したものであり、例えば、次のような分析結果が照会されている。
 「死刑を言い渡すことができますか―。神戸新聞社が兵庫県内で実施した意識調査で、裁判員として死刑に直面したら、どう対応するかを聞いた。多くの人は死刑を選択肢の一つとして検討する一方で、『精神的な負担が重い』『できればプロの裁判官に任せたい』という本音も垣間見える結果になった」。
 全体として、裁判員に「なりたい」かどうかという問いには消極的であるが、他方、「死刑判決を言い渡せるかを尋ねると、『積極的に検討する』が10%『残忍性や遺族感情を考え、場合によって検討する』も63%に上った。事件によっては、死刑もやむを得ないと考える人が多い」という。
 「自由選択」であれば、裁判員を辞退する人が続出するかも知れない。しかし、「市民の義務」として課された公務であるとされれば、多くの市民は粛々とこれに従うと思う。
 辞退の希望とその処理を巡り多かれ少なかれ議論や行き違いなどが起きる場面は予想されるが、制度の根幹を揺るがす否定的態度を圧倒的多数の市民が示すこと、、、はない。だから、いずれ落ち着いた運用になっていく。
 ただ、裁判員の任務は三つある。@事実認定、A法令適用、B量刑である。
 このうち、実は量刑がもっとも困難だ。それだけに、裁判員にわかる量刑をお膳立てする責務が、法律家にあろう。そんなことを考えながら、次のコメントを寄せた。
****神戸新聞(朝刊)08年12月1日****
 ▼適切な情報提供を 渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 死刑に反対の人も、裁判員になれば、自分の職責を考えて判断しようと考えている人が多く、良識的な結果。裁判官だけで審理を進めている現在と比べ、死刑判決が極端に増減するとは考えにくい。ただ、多くの人にとって身近にとらえることのできる刑罰といえないのも事実で、裁判員裁判では、死刑をはじめ量刑に関する適切な情報を裁判員に提供し、冷静に判断できる環境を整える必要がありそうだ。



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2008年11月22日

■裁判員裁判の意義ー施行半年前に byGISHU


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 先日、産経新聞の連載、「『裁判員制度』法施行まで半年(2−1)」(2008/11/21,朝刊)に次の記事を掲載した。
 来年始まる裁判員裁判はいろいろな意味で期待している。制度の安定した発展を祈っている。
***********************
□渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)
◆「市民主義」定着へ意識改革、わかりやすさ重視を
 裁判員はプロの裁判官と協力して市民の良識で納得できる裁判を実現する。裁判官のみの裁判も基本的には信頼できるのだが、21世紀の社会は市民が主人公になる時代を迎える。司法分野でも「市民参加」が不可欠となる。被害者が少年審判を傍聴し刑事法廷に参加するのもその表れだ。
 有罪事件に慣れた裁判官では無罪証拠を見逃すおそれもあり市民の新鮮な目で真相を解明することが正義の実現につながる。司法の世界で「市民主義」が定着すれば、社会のモラルの回復、犯罪の抑制、犯人の更生にもつながる。
 ただ、事実認定はプロしかできないという偏見も根強いから裁判官が強引に評議を誘導するおそれがある。プロが作ってきた量刑相場を押しつけるおそれもある。しかし、法律家のみの犯罪観や量刑相場が社会の納得できるものなのか確かめるのが裁判員裁判の意味だ。プロの権威にたじろぐようでは意味がない。
 重大事件の審理を裁判員に委ねる以上、容疑者の取り調べの全過程録音録画はぜひ実現すべきだ。取り調べの様子がよくわからないのに強制・拷問・約束などによると、被告が主張する自白を証拠にして、裁判員に死刑など重い刑罰を求めるのは無理だ。取り調べ「可視化」を急がねばならない。
 裁判官が市民の負担を心配するあまり公判前整理手続きで争点や証拠を絞り込みすぎると、かえって市民が事件の全体をつかみにくくなる。検察が公判廷で順に証人・鑑定人によって簡潔に事件全体を立証した上で争点となるポイントに絞って手厚く立証をするべきだ。その場合、法律家は法廷技術を磨いて市民にわかりやすい審理にしなければならない。例えば、弁護人が検察官と同じ尋問を繰り返す場面がよく見られるが、反対尋問は誘導尋問で証言の信用性をくつがえす機会だ。効果的尋問技術は研修などで身につけるべきだろう。冒頭陳述や弁論のまとめかたも「わかりやすさ」を基準に構成すべきだ。
 「市民主義」は社会全体が司法の担い手となるものだ。職場や学校など社会の側が裁判員となる人を温かく送り出す意識改革も急がなければならない。

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2008年11月21日

■裁判員裁判と手話通訳 by GISHU

■ 08年11月19日の朝日新聞朝刊に「裁判員時代」の連載の一こまとして「手話通訳士、どう確保/『障害で排除しないで』」と題する記事が載っている。
■ 一部を引用しよう。
 「来年5月に始まる裁判員制度に不安な思いで向き合っているのが、弁論や証言を直接聞くことができない聴覚障害者だ。手話通訳士の数は少なく、法廷では難解な専門用語が飛び交う。地域で登録数に格差がある手話通訳士をどう確保するか、法廷通訳の研修など解決すべき課題は多い」。
■ 実のところ、この課題の検証はなされていない。裁判員裁判は、公判廷での証拠調べがいわば勝負所となるが、手話通訳で十分にコミュニケーションを実現するのに必要な条件がなにか解明されていない。
 概括的な問題は摘示されている。記事から引用しよう。
 「福井県聴力障害者福祉協会の手話通訳士・石田稔さん(52)は『1人が集中して通訳できるのは20分が限界で、1日がかりの裁判だと4人は必要」と話す。裁判員裁判は全体の約7割が3日連続の審理、評議を想定している。手話通訳士のほとんどが会社員など別の仕事をしており、必要な人数を確保するのは難しい』」。
■ いくつかの局面で手話通訳保障が問題になる。
(1)裁判員候補に選任されたとき、採否が決定されるまでの面接段階。
(2)裁判員に選任されたとき、法廷と評議における裁判員のための通訳保障
(3)被告人および証人等が聴覚障害があるとき、法廷通訳の保障。
■ 心配な点はいくつかある。
 (1)聴覚障害を理由に裁判員から除外される事例が増え、制度自体が障害者差別的運用になるのではないか。(2)手話は、同時的に行なうのが特徴であるが、通訳の同価値性(音声言語と同じ意味内容を伝えること)、同次元性(話者の文化を反映した語感を伝えること)を守れる質の高い通訳をできるのか。(3)主尋問では誘導が許されない結果、抽象的概括的な質問になるが、証人は理解が可能か。(4)連続的開廷とこれに続く評議、判決について質の高い手話通訳人を十分な数、時間について確保可能か。
■ 従前も、裁判員対象事件で、被告人が聴覚障害であった事例は現にある。外国人被告人について想定される数よりも少ないとは言え、逆に、通訳人の確保の点では、かえって相当の困難が予想される。近畿でも、大阪、京都、神戸など諸地域・諸組織の協力が必要ではないかと思う。
■ そうした体制の検討と模擬裁判員裁判による問題点の洗い出しが必要ではないか。とりあえず、差別裁判にならない工夫を用するが、この点について次のようなコメントを掲載した。
***朝日新聞(朝刊)08年11月19日***************
 <渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話> 裁判員の選任手続きでは、検察側と弁護側は理由を公にせずに候補者について選ばれないよう求めることができる。障害を理由にした排除であれば不当な差別だ。障害者が参加した場合はどのような点に配慮するべきか、模擬裁判で検証し障害に関係なく誰もが参加できる制度を整える必要がある。



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2008年05月30日

■裁判員裁判への道(4・完)ー公判前整理手続と「拙速裁判」の危険

■拙速裁判禁止
 05月05日のサンケイ新聞は、「あと1年 あなたが裁く/迫る裁判員制度」(2)で「公判スリム化」というタイトルで記事を載せている。
 裁判員裁判は、「裁判の長さ」の問題に、従来にない異質な問題を加えることになる。「市民の負担」である。市民が裁判に加わる以上、その市民生活を著しく圧迫することのない制度運用が不可欠になる。

 ここに、あらたな問題が生じる。我が国の「きまじめ裁判官」の存在だ。
 日本の裁判官は、「裁判員の負担軽減」という政策目標を与えられると、忠実に、効果的に、一律に、これを実現しようとする。
 官僚組織としての「裁判官」、最高裁を頂点とする裁判官官僚組織の「評価」基準もここに置かれる。
 このため、いびつな事態が生じる。

 「公判前整理手続」。
 裁判員裁判実施をにらみ、公判審理を迅速に継続して連続的に行うため、あらかじめ、裁判所と検察官、被告側(主には弁護人)が事前に、どんな事実や法律上の問題点を取り上げるのか、どの程度の証拠を調べるのか、その範囲や順序などをどうするのかを決めておき、公判審理はこの設計図にしたがって進行させるやり方である。

 「殺意の有無」が争点であって、ナイフで刺した事実は争わないのであれば、争点に絞った証拠の取調べに時間をかけることとなる。

 しかし、裁判所は、この公判前整理手続で、争点と証拠の整理に必要な範囲で、実は、事件に関する見通しを立てている。
 そうでなければ、公判前整理手続ができない。当事者の提出する審理計画をみて重複や冗長なものがないかのみをチェックする意味での整理をするのではない。
 法律規定上も、そして、運用上も、裁判所は積極的に当事者の審理計画に介入する。争点を絞り込ませる、証拠を少なくさせる、証拠調べの時間を制限する等々など、、、
 それは、「拙速裁判」という形でのえん罪の潜在的な温床になる。

 公判前整理手続はじっくりと時間をかけてやるべきだ。裁判所は、争点と証拠が整理できて、審理計画が立てられればよい。当事者の判断に委ねてよい。
 事件によっては、審理に長時間を要することはやむをえない。それに耐えられる裁判員を選任することとなる。
 そうしなけれ場、裁判長が評議室で「これ以上評議に時間をかけても、みなさんの御負担になるだけですから、このあたりで結論をだしてしまいましょう」という進行指揮を誰も止められない。
 そこで、こんなコメントを載せた。

***<引用、サンケイ新聞08年05月05日(朝刊)>*** 「裁判員に負担をかけないということを重視するあまり、裁判官が公判前整理手続きで自分たちの視点で争点を絞り込み、公判の設計図を作る危険性が考えられる。そうなると、有罪か無罪かの前提が初公判前にできてしまう」
 そう指摘するのは、甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)。
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2008年05月29日

■裁判員裁判への道(3)ー専門用語のこと

■「わかりやすい公判審理」と「わかりやすい説明」
 5月6日の読売新聞(西部版、朝刊)は「難解法律用語、かみ砕き過ぎ!?/専門家「逆にあいまい」、市民「回りくどい」」という記事が掲載された。
 日弁連が、裁判員裁判に向けて、難解な法律用語を裁判員にわかりやすくする、「かみ砕き作業」をまとめた本を出版するなど、最近、市民の加わる裁判員裁判での「わかりやすさ」を意識してか、専門用語をともかくもく「かみ砕く」試みがなされている。

 例えば、記事はこんなエピソードを紹介する。
「福岡地裁で4月に行われた殺人事件の模擬裁判では、検察官が読み上げた起訴状に『殺意』という決まり文句がなかった。『未必の故意』による殺意があったとされたケースで、事前の打ち合わせで法曹三者が知恵を絞り『死亡するかもしれないことがわかりながら、これを意に介さないで』と言い換えたためだ。
 宮崎地裁で3月に行われた強盗致傷事件の模擬裁判では、強盗罪の要件である『相手の反抗を抑圧する程度の暴行、脅迫』の説明がポイントとなった。裁判官は『相手から無理やり奪う状態』とかみ砕いて表現した」。

 市民である裁判員が公判廷に居るとき、彼らが飲み込みにくい用語、用法を避けて、わかりやすい表現にするのが適当である。
 例えば、「員面」などという隠語を使わないのは当たり前だろう。「警察官作成の供述調書」とでも言うべきだが、この場合にもさらに「供述調書」についてはひと言裁判長の説明があってしかるべきであろう。「警察官が取調べをしたときに、被告人が話した内容を警察官がとりまとめて文書にして、被告人に内容に間違いがないか確認した書類です」。
 これらは、「もの」を指し、できごとを記述する事実の置き換えなので、その事実を摘示すればよい。
 逆に、そのルールさえ裁判員が飲み込めば専門用語を使ってもなんら問題はない。
 「殺意」や「反抗抑圧程度の暴行」は、「かみくだく」作業によって、これらを事例に適用する最初の抵抗感は薄らぐであろう。だから、意味はある。
 しかし、これらは、「価値概念」であり、法規範そのものである。「事実」の記述ではない。一定の事実状態を観察して、法的にみて「殺意」や強盗というべき「暴行脅迫」があったと「評価」するための概念だ。
 だから、法的原理、法的価値の理解と享有、共感がなければ裁判員は使えない。
 かみ砕くことは、場合によっては、かえって混乱を招く。
 上記記事でも、こんな専門家のコメントを紹介する。「宮崎地裁の模擬裁判を見学した荒武善斉弁護士(宮崎市)は「『反抗を抑圧する程度』の判断は専門家でも難しい。言葉を平易にすれば様々な意味に解釈される恐れがある」と感想を述べた」。
 そこで、編者は、次のコメントを掲載してもらった。

***<引用、読売新聞08年05月06日(朝刊)>*********
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)も法律用語を日常生活で使う言葉に置き換えることについて、「意味が不明瞭(めいりょう)になり混乱を招く」というデメリットもあることを指摘。そのうえで、「多くの市民が知っている用語はそのまま使い、難解な用語は事件に沿ってわかりやすく説明することが必要」とする。
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2008年05月28日

■裁判員裁判への道(2)ー長崎市長射殺事件と死刑/「一人」が担う民主主義社会の重み


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■1:この事件について共同通信にコメントを配信した。数社が採用してくれた。うち、なじみの深い「「道新」(北海道新聞)の5月27日付け朝刊から裁判の模様を紹介したい。

 タイトルは、「長崎市長射殺に判決*被害者1人でも死刑」となっている。死刑を扱うとき、今の日本のマスコミのトレンドだ。「被害者の数」にことさら読者の注意を向けて、一人か複数か、という単純な問題に置き換えて事柄を整理する。
 だが、そもそも誤っている。

■2:事件自体は、周知のように、07年4月に、長崎市長選に立候補して戦っていた伊藤前市長が選挙事務所の前で、被告人に拳銃2発を撃たれて死亡したものである。市に対する理由のないクレームをつけた上でその対応の悪さを口実に市長への恨みを募らせたというのが、長崎地裁の判決の事件の整理である。

 自治体トップを選ぶ選挙期間中にその候補者、しかも当選が見込まれていた候補者を殺害することは、単に個人の生命を奪うだけではなく、その犯行態様自体が、民主主義への重大な威嚇である。
 なくなられた元市長の一人の命の重みが、他の同種事件の被害者より重いのではない。
 「結果の重大さ」という点では、遺族の悲しみも含めて、年令性別社会的身分や地位に拘わらず、「命の重み」は平等である。
 むしろ、本殺人事件固有の事件を取り巻く事情が、「被告人の行為の悪質さ」をより大きなものとしている。
 この点は、事件毎に慎重に事実をみて、量刑に反映させるべきである。
 しかも、拳銃を使った公道上の殺害行為という態様の悪質さも見逃せない。
 端的に「政治テロ」としての殺人事件である。
 それにふさわしい断固たる処罰が必要ではないか。
 
■3:日本の刑法は、各個別の犯罪に科すことのできる量刑の幅ーあらかじめ法律が定める刑という意味で、法定刑というが、これがきわめて広い。
 殺人罪であれば、死刑、無期懲役、5年以上20年以下の有期懲役の中から選ぶ。
 法律が定める減軽、加重事由があれば、これに従って、法定刑を修正して当該事件について言い渡すことができる量刑の幅を計算する。例えば、正当防衛ではないが、過剰防衛であれば、減軽できる。こうして計算した刑の幅を当該事件を処理するために使える幅、という意味で、「処断刑」という。
 最後に、当該事件の個性ー被告人のこと、被害のことなどなど考慮して、言い渡す刑を決める。これが宣告刑である。
 法定刑の幅が広い以上、「量刑基準」は、総合的総括的でしかありえない。死刑選択の基準に関する最高裁の永山基準も、要するに、すべての事情を考慮して死刑がやむをえないかどうか相当性の判断を求めるものだ。

■4:ただ、最近の裁判例では、適用にあたり、まず被害の重みを重視するようになっている。
 また、被害も、社会的国家的な影響度も含めた当該犯罪行為の悪質性を十分に検討するものとなる。
 他方、被告人本人に焦点をあてたときに、社会からみても酌むべき事情があり、改善更生、反省悔悟の態度顕著につき、なお死刑を科すのを控えるのが妥当といえる特別な事情がないかどうかを検討する。
 その場合にも、再度、社会全体に与える影響、とくに同種事件への悪影響、犯罪抑止の観点からの相当性を考慮して減軽に歯止めをかける。
 こうして、被害の重みに対応した正義の実現を中核にして、被告人の改善更生などの事情と社会に対する一般予防の観点からのバランスをはかって刑を選ぶことになる。

その幅があまりに広い。
 幸い、今まではプロの裁判官のみが量刑を仕切っている。
 本来の正義の基準にあうかどうかは別として、「量刑相場」がある。
 しかし、裁判員裁判が始まれば、その事件のその裁判員の個性を活かした判断を尊重すべきこととなる。そうでないと、裁判官が経験的に積み上げた量刑基準をさも正しいものであるかのように、裁判員に押しつけることとなる。

 できれば、犯行態様、結果の重大性、計画性の程度などを基準に、量刑を犯罪類型毎に分けるか、法律でもうすこし細かな量刑基準を定める方が、市民は自信をもって量刑ができると思う。
 
■5:将来の裁判員裁判のことも考えながら、こんなコメントを掲載した。

**********<引用、08/05/27, 北海道新聞朝刊全道版>*********
「甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「命の重みだけでなく、民主主義社会を恐怖に陥れた悪質さを重視したのは妥当」と判決を評価。裁判員でも死刑を選択したはずだとした上で「殺人罪は法定刑の範囲が広い。殺害手段と結果を目安にして量刑基準を法律で定めていくべきだ」としている。


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■裁判員裁判への道(1)ー自白と取調べ可視化

■被疑者取調べ可視化と適正自白の確保
「江崎派選挙違反事件――自白の立証に課題」。こんなタイトルで、日経08年5月15日の名古屋版夕刊が記事を掲載した。
 「愛知県扶桑町議の選挙違反事件で、十五日の名古屋地裁判決は、捜査段階の自白調書の証拠能力を評価し、有罪の結論を導き出した」という。
 記事によると、「今回の事件も、支援者らを接待した会合の趣旨を裏付ける直接的な物証がなく、審理の大半は自白調書の任意性や信用性の争いに費やされた」というのであるから、将来裁判員裁判対象事件の場合に、これと同じ審理がなされたとすれば大問題だ。
 警察、検察は、自白した被疑者について、これを調書にとりまとめる段階で部分的に録音録画を実施することを提案し実施もしているが、これは「取調べの可視化」ではない。「自白調書作成過程の録音録画」であって取調べによる証拠たる供述が引き出される過程を客観的に記録するものではない。
 とくに公選法は物や金員の授受の趣旨、会合などの目的が争いになり、物的証拠や状況証拠よりも取調べによる供述が証拠の基本になる。それだけに、審理に至ってから、いかなる働きかけが取調べでなされたのか客観的に確認できない状態で、自白の任意性を認めるのは問題だ。裁判員裁判成功の第一歩は、適正な自白を確保しておくこと、つまりは全過程の録音録画ー取調べにおける「可視化」の実現である。
 裁判員裁判もにらみながら、次のようなコメントを掲載してもらった。
***<引用、日経08年05月15日(夕刊)>****************
 刑事裁判に詳しい甲南大法科大学院の渡辺修教授は「捜査当局は取り調べの可視化を進める一方で、多方面の証拠を集める努力が必要だ」と話す。
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2008年05月07日

■「人質司法」からの脱却ー裁判員裁判を成功させるもの

■毎日新聞08年5月3日(西部本社版)に「福岡地裁/公務執行妨害容疑を認めた男性会社員、検察の拘置請求却下」と題する記事が掲載されている。事件自体は記事によるとシンプルなようで、公務執行妨害罪で現行犯逮捕した会社員について、検察官が勾留請求をしたところ、裁判所がこれを却下したというものだ。
 記事は、事件について、次のように紹介している。
 「関係者によると、男性は3月、福岡市内の路上で、検問中の警察官と押し問答となり、警察官の顔をひっかいたなどとして、公務執行妨害容疑で逮捕された。当時、かなり酔っていたという」。
■記事からは、会社員の情状関係の事情は不分明であるが、これくらいの事件では、今までの感覚では、むしろとりあえず勾留を認めて、この期間を使って取調べを行い、自白調書をまいて処理するのが通常である。
 が、そんな事件でも、検察官の勾留請求を認めない姿勢は、令状審査の厳格化を伺わせる。
 事件を起こしたと疑われる者が、勾留しなければ、逃亡したり、罪証隠滅をする危険がどれくらいあるのか、、、、その見極めは難しいが、今までの運用上は、そうしたおそれがないとは言えない状態であれば、これを認定する姿勢ではなかったか。
 が、法は、逃亡の相当の理由または罪証隠滅の相当の理由と規定する。
 証拠によって、「相当の理由」の存在が個別的具体的に立証されることを求めている。法の原則が活きていると思える運用が望ましかったところ、裁判員裁判の導入を前に、裁判所の姿勢に変化がうかがえる。
 そこで、同誌に。次のようなコメントを掲載した。
*****<コメント引用>*****
厳格審査の証し
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 拘置請求の却下率の高まりは裁判所が厳格に令状審査している証し。拘置は捜査当局の事実上の支配下に置かれ、自白の捏造も懸念される。裁判員裁判ともなればスピード審理となり、被告人は弁護人との綿密な打ち合わせで防御権を行使する必要がある。
 拘置は防御権の侵害につながる恐れがあり、不要な身柄拘束を避ける流れは加速化されるべきだ。


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2008年02月15日

■韓国の「国民参与裁判」、日本の「裁判員裁判」


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■この写真は、平成20年2月13日の朝日新聞から転載したものである。韓国で、市民が裁判に関与するあたらしいかたちの運用が始まったという。事実認定と量刑評議に関与できるらしい。他方、韓国も2009年4月から法科大学院が始まる。全国で20校と聞く。法科大学院総定員や地域別設置など混乱も残ると聞くが、日本と同じ時期に、新たな法曹養成システムを構築し直すこととなる。
 市民が刑事裁判に関与すること、法曹養成を大学が担うこと、そして市民社会により多くの法律家を配置すること。これらは、韓日共通のテーマのようだ。
 市民参加の裁判は韓国が先行し、法科大学院は日本が先行する。それぞれどう発展し、なにが問題になるのかを見極めて、それぞれの制度設計と運用に役立てることができる。
 その意味で、韓日の司法改革は、大局的にはアジア史の中で、スパイラル状態で進むのが望ましい。むろん、相互に学ぶことを前提にして、であるが、、、。

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*写真は05年09月に、全州の、とある韓国料理店で撮影したもの。
posted by justice_justice at 12:20 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする
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