2012年03月04日

■「無罪破棄」−高裁の暴挙『必罰主義』(続)

■1: 前回紹介した、毎日新聞のネット配信記事、「覚醒剤密輸:裁判員の無罪判決を破棄、差し戻し…大阪高裁」(2012年3月2日 22時5分 更新:3月3日 0時41分)について、更に論ずる。
 記事の後半を引用して紹介する。

「◇控訴審の在り方・最高裁が示した後では初
裁判員裁判の無罪判決が控訴審で破棄、差し戻されたのは、最高裁が先月、控訴審の在り方に初判断を示した後では今回の大阪高裁判決が初めてだった。
高裁判決は最高裁の判断を引用しながらも、客観証拠の通話記録などから被告の関与は強く推認でき、1審の事実誤認は明らかと指摘。差し戻す理由については「事実認定や量刑判断に国民の意見を反映させるという裁判員制度の趣旨を鑑みれば、高裁が自ら量刑などを判断せず、再度裁判員を含めた合議体に判断を委ねるのが相当」と述べた。
 これに対し、弁護側は記者会見で「高裁は被告や証人から直接話を聞かず、書面だけで判断した」と指摘し「裁判員制度の趣旨に逆行する」と批判した。」

■2: もともと、この事件は、平成21年7月に、トルコから覚醒剤約4キロを密輸したとして日本人4人と本件被告人が起訴されたものだ。
 うち重要な仕切役とされた日本人の裁判は、本件のアブディ被告と同じ裁判官が裁判長となった裁判員裁判で有罪とされている。そこでは、むろん、アブディ被告は共謀に参加していると認定された。
 これに対して、アブディ被告本人の裁判員裁判では、無罪となった。参考のため、当時の記事を紹介する。

<参考記事>「覚醒剤密輸の裁判員裁判で無罪判決/大阪地裁」(11/01/28 22:27 日本経済新聞電子版ニュース)。「覚醒剤約4キロの密輸を指示したとして、覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)などの罪に問われたイラン国籍のアブディ・スマイル被告(42)の裁判員裁判で、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)は28日、「被告以外に密輸を指示した第三者の存在が強くうかがわれる」として、無罪(求刑懲役18年、罰金800万円)を言い渡した。裁判員裁判での全面無罪は4件目。事件では計5人が起訴され、アブディ被告は捜査段階から無罪を主張。4人のうち、同罪などで実刑判決が確定した山口哲男受刑者(37)は「同被告から指示を受けた」と証言したが、判決は関係者の通話記録などを根拠に「信用できない」と指摘。「同被告の犯罪の証明がない」とした。山口受刑者の裁判員裁判では同被告との共謀を認定していた。(以下、省略)」

■3:おそらく高裁の裁判官達には、これが納得できなかったのであろう。 「事実の合一的確定」。
 「官僚司法」の価値観が生んだ事実認定論だ。これに沿わない状態を是正すること、しかも、「疑わしきは、罰する」原則に従うこと、これが、無意識に働いている価値観であり、今回の有罪認定、無罪破棄の前提になっている。
 だが、証拠の評価には巾がでてくるのはやむを得ない。「合理的疑い」の認定も裁判員と裁判官のチーム毎に異なる。それを含めて、事実認定を裁判員に委ねた。
 日本人仕切役の裁判を担当した裁判員たちと裁判官は、「合理的疑い」は残らないと、すれすれのところで判断したのであろう。が、今回の被告を裁いた裁判員たちは、さらに突っ込んで検討して、被告ではない、第三者の存在の可能性を伺わせる証拠状態であると判断したものだろう。
 その判断に不合理さはあるまい。
 控訴審の判断は、「市民=裁判員」による「市民主義」に対して、「プロ裁判官=職能主義」のイデオロギーに基づくものであり、裁判員裁判の趣旨を損なうものだ。
 
■4: 同日付の毎日新聞朝刊では、ブログ編者の次のコメントが採用されている。

「制度の趣旨に反する可能性
 一審判決は専門家ではない裁判員のみが決めたものではなく、裁判官との協働で事実認定しており、市民の良識も生かされたものだ。そこへ高裁の職業裁判官が新たな証拠調べをほぼせずに自分たちの心証を示した形で、裁判員制度の趣旨に反するのではないか。ただ破棄して自ら有罪判断をしなかった点では一審が裁判員裁判だったことを踏まえて(一審の認定に誤りがないかを点検する)事後審の立場を守った」。
posted by justice_justice at 08:18 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年03月03日

■「無罪破棄」−高裁の暴挙『必罰主義』

■「覚醒剤密輸:裁判員の無罪判決を破棄、差し戻し…大阪高裁」、こんな衝撃的なタイトルの記事がある。ネット配信記事、毎日新聞(2012年3月2日/22時05分/最終更新/3月2日/23時01分)に依る。以下、少し引用する。

「別の男に指示し覚醒剤の密輸を主導したなどとして覚せい剤取締法違反などの罪に問われたイラン国籍のアブディ・スマイル被告(43)の控訴審で、大阪高裁は2日、1審・大阪地裁の裁判員裁判の無罪判決(求刑懲役18年、罰金800万円)を破棄し、審理を差し戻す判決を言い渡した。松本芳希裁判長(異動のため米山正明裁判長代読)は「客観証拠を見れば被告が別の男らと共謀したと認められる」と述べた。弁護側は上告する方針」。
 「1審判決は、被告の指示を受けたとされる男の供述が携帯電話の通話記録と合致しないとして信用性を否定した。しかし、高裁は「(通話記録は)覚醒剤の受け渡し時期に集中し、通話の多くが密輸入に関する内容だったと強く推認される」と指摘。男の供述の信用性は高いと判断した。被告以外の関与が疑われるという1審判決の指摘についても「あまりにも(論理の)飛躍がある」と一蹴した」。

■ こんなふうに思う。

 なによりも、、、「裁判員裁判制度を否定する不当な判決」だ、ということだ。

 無罪判決破棄は不当である。
 一審では公開での審理を経て、裁判員・裁判官が共犯による被告を巻き込む証言について「合理的疑い」を抱き無罪とした。
 だが、今回の裁判で職業裁判官3人が密室で記録を読み込んで「有罪の可能性」を見つけて破棄した。
 これは裁判員裁判の精神を踏みにじるものだ。
 国際的な薬物事件の場合、黒幕が闇に隠れていることが多い。共犯が真の黒幕を庇う動機もある。検察側は被告が黒幕ではないとすれば説明できない犯罪関連事実の立証もしていない。
 裁判員が共犯の供述が虚偽である可能性を否定できないので無罪としたのは「経験則・合理則」に沿った判断だ。
 控訴審は「疑わしければ、処罰する」必罰主義の目で証拠を見て「有罪の印象」を押しつけたもので、刑事裁判の鉄則である「合理的疑いを超える証明」の原理も踏みにじるものだ。

 最高裁では、高裁の判決を破棄するべきだ。

posted by justice_justice at 00:06 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年03月02日

■付審判事件/警察官「殺人罪」事件ー「控訴」放棄へ

■1: 警察官の発砲行為が、市民の参加する裁判員裁判で無罪となった。指定弁護士は、検察官役として控訴する権限を行使できる。
 しかし、控訴は控えるべきだ。
 事実認定に証拠に照らして明らかに市民良識に反する箇所があるとは思えない。「経験則、合理則」に照らして、「ありえない事実認定」はなされていまい。そうであれば、控訴審は、一審の事実認定を尊重することとなる。
 むろん、検察官役弁護士も、有罪につながる証拠は提出している。
 だから、プロの裁判官だけで、「有罪の作文」を書くことはいくらでもできる。だが、裁判員裁判は、これを許さない。市民良識に照らして、「殺意のある助手席にいる共犯者も視野にいれた発砲行為」があったかどうか、「合理的疑い」があるのであれば、刑事裁判の鉄則に従うこととなる。
 今回の無罪判決がこれを物語る。
 そして、証拠の見方について、非良識なものの見方をしているのでなければ、控訴審は一審の事実認定を尊重する。
 本件はその枠内にある。
 「念のため、上級審の判断も仰ぐ」といった20世紀的発想法は捨てるべきだ。21世紀は、刑事裁判における「市民主義」の時代だ。一審の事実認定を尊重するべきだ。

■2:確かに、法令適用は問題にしうる。
 これは、事実に対する法令の適用の当否を問題とするのであるから、法律家固有の領域であり、確かに、控訴審にいるベテラン裁判官の法解釈、法適用のスクリーニングに値するようにも思う。
 しかし、控訴審はこの面でも事後審にとどまるべきだ。法適用についても、市民良識が働くからだ。
 警察官職務執行法7条の精神と原理にしたがって、本件事実を評価して、法令による正当な業務と判断して、一審は無罪とした。
 そうであれば、事実認定における合理則経験則違反と匹敵するような、法令解釈と法適用の誤りが顕著である場合でもなければ、かかる理由で、控訴審が一審の無罪判決をくつがえすことは許されない。
 例えば、条文は以下の規定となっているが、明白に「相当な理由」を認定できない事実状態であるのに、この要件を認めている場合や、1号に記載されているように、凶悪犯人が抵抗または逃走していると規範的に評価できる状態を明白に見誤っている場合などである。もっとも、本件ではそうした疑を持つ余地はない。

<警職法7条>
 「第7条(武器の使用) 警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法(明治四十年法律第四十五号)第三十六条(正当防衛)若しくは同法第三十七条(緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。
一 死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。

 
■3:大阪讀賣新聞2012年2月29日(朝刊)、「奈良/2警官無罪/市民目線/発砲は正当/「逃走車 悪質で危険」」の記事には、次のコメントを採用してもらったが、地域の防犯力が弱まる中、警察が最後には実力部隊としてのプレゼンスを堂々と示せるように、指定弁護士は、控訴を断念するべきだと思う。

 ◆殺意なく当然 
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 「発砲は逃走する車を止めるためで殺意があったわけではなく、当然の判決だ。ただ、警察は無罪判決を過大評価せず、さらに付審判決定を受けたことにも萎縮せず、引き続き市民の安全を守る役割を果たしてほしい」
posted by justice_justice at 05:07 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年03月01日

■奈良付審判事件・殺人事件「無罪」ー市民良識の場

■産経新聞2012年2月29日(朝刊)、「市民は治安維持への期待示した/発砲警察官2人に無罪」とする記事に次のコメントが付されている。

◇警察への期待示した
 渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「市民社会を代表する裁判員が、治安の最前線を守る警察官への期待を明確に示したものだ。警察官は運転手の腕のみ狙う慎重な態度をとっており、助手席の共犯者に対する殺意を認める余地はない。殺人だけでなく、特別公務員暴行陵虐致死罪でも無罪としたことこそ、重要な意味を持つ。警察官による拳銃の使用は慎重でなければならないが、警察官が治安を維持するため断固たる措置に出たことを市民社会も是認したということだ」 120229_nara_police_s.jpg
posted by justice_justice at 06:44 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年02月28日

■奈良・付審判事件/殺人事件ー『無罪』判決

「奈良の発砲警官2人に無罪判決/裁判員が正当性を初判断」

 2012年2月28日、17:25、共同通信のネット配信記事を引用する。
*****
 奈良県大和郡山市で03年、警察官が逃走車両に発砲、助手席の男性が死亡した事件の裁判員裁判の判決で奈良地裁は28日、殺人と特別公務員暴行陵虐致死の罪に問われた県警の巡査部長東芳弘被告(35)と警部補萩原基文被告(35)に無罪(それぞれ求刑懲役6年)を言い渡した。
 検察が不起訴とした事件を付審判決定を経て裁判員が審理した初の裁判。警察官の発砲を殺人罪で審理した例も過去になく、争点は殺意の有無と発砲の正当性だった。
 橋本一裁判長は「殺してもやむを得ないという動機はほとんどなかった」と殺意を否定。「他に手段がなかった」とし警察官職務執行法に抵触しないと判断した。
*****

■ブログ編者のコメントは以下の通り。

 警官が無理に逃走する犯人らを取り押さえるためでも人に向けてけん銃を撃つときには無意識の「ためらい」が伴う。
 着弾点がずれるのは自然なことで、複数の警官が乱射せずに車の同じ箇所を狙い同じ所に着弾した事実は、冷静な対応を示す。
 市民も慎重な姿勢を評価し殺意を否定した。
 その結果、覚せい剤を使用した犯人車両の停止に成功しており、被害の拡大を未然に防いだ措置を裁判員らが法令に基づく正当な職務と判断したことも当然だ。
 武器使用の限界を見極めるのにはテクニカルな法的判断が必要であったが、市民が裁判官と協働して、自らの地域の治安を守るために警察に期待することを冷静に見極めて無罪としたものだ。これは、我が国の裁判員らの水準の高さも示す。
 被害に対しても「感情司法」にならず、警察官の行動にも、「感情司法」が作用せず、市民は冷静に証拠に基づき、法令の原理を理解して、「正義」を実現した。

 歴史的な判決と言える。
posted by justice_justice at 19:58 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

■けん銃と「ためらい」効果ー「奈良付審判、殺人罪」裁判員裁判のゆくえ

奈良の付審判事件ー警察官「殺人罪」裁判が気になる。

■ 明日、判決を迎える。今、27日の午前11時といえば、裁判員と裁判官は、評議室で評議をしている真っ最中なのであろうか。

 さて、「反応遅れ」について気になる。
 新聞報道では、被告側は、照準した場所と、弾痕が残った場所との食い違いを説明するために、「反応遅れ」という身体反応に関する分析を持ち出している。
 これもそれなりの合理性があるようにも思う。
 ただ、もうひとつ、インパクトに欠けているは、「人に向けて実弾を発射する心理」の分析だ。この点は、アメリカ警察の各種研究を参照にするべきではなかったか。
 いわゆる「ためらい(hesitation)」効果である。

nara_gun01.jpg■ 例えば、2005年のネット配信論文、
 COMBATING CONDITIONED HESITATION
 To survive confrontations in the kill zone, officers must overcome second-guessing and act quickly and decisively.by Michael Andrew Lord VanBlaricum
は、次の点を指摘している。
 なによりも、けん銃を人に向けて発砲するときには、「複雑な心理状態」に置かれることが指摘されている。次の文を引用する。

Complex Emotion
 Fear is a completely normal human emotion that can be used to either motivate us or undermine our actions. It can be broken down into two categories: natural fear and conditioned fear.
 Natural fears are those elements of life that act as a psychological mechanism, mostly at a subconscious level. This fear type often also includes one’s mindset and beliefs, such as fear of one’s own death or of causing the death of someone else. Through mental discipline and regular, rigorous training we can learn to use the natural emotion of fear to our advantage and come out on top.
 For example, most cops are apprehensive about pulling the trigger and firing upon another human being. As a trainer, I even see this during Simunitions training where the officers know their “attackers” will be OK. Through additional training and regular practice, this hesitation to pull the trigger disappears.
 On the other hand, “conditioned fear” is fear that we have been taught. It is fear perpetuated by secondary factors outside an officer’s control, but that still has a significant effect on his or her actions and, therefore, affects job performance. Officers who “fear” losing their job if they do the wrong thing exemplify this type of fear.

■ 今回の事件で、現に発砲した3名の警察官の心理状態そのものに関する検証がどこまでなされたのかは新聞記事ではうかがうことができなかった。おそらく、建前主義の日本では、警察官が、「ほんとうに撃っていいかどうか、あたったら相手がどうなるかと思うと、一瞬躊躇した」などと告白することはないのかもしれない。
 ただ、今回の場合、身体反応としての「反応遅れ」と別に、潜在的、無意識的な意味での「人の身体を確実に傷害する発砲」を確実に行わなければならない状況下での「反応遅れ」が働いていた可能性もある。

■ とまれ、被告側が主張する照準点と着弾点がかなりずれている事実は確かだ。
 ただ、車の動き、心理的な「ためらい」、意識的な慎重さ等などまさに、アメリカの専門論文の指摘する「複雑な心境」が作用した可能性が否定できない。
 少なくとも、刑事裁判の事実認定の原則、「合理的疑いを超える証明」と「疑わしきは被告人の利益に」に従えば、照準点ー着弾点のずれが多様な可能性をもつ以上、検察官役弁護士の主張する「故意に、助手席にいる共犯者の死亡も認容して射撃した」という認定はできまい。

■ なお、日本の警察が使うけん銃は、例えば、アメリカであれば容易に入手できる「コルト・パイソン .357(ポイント357)」の2インチモデル、4インチモデルと並べると、三歳児と成人男性ほどの違いがある。
 ニューナンブも、エアーウエイトも38口径、つまり9ミリ弾を使う。コルトパイソンも、実は、銃の口径としては38口径。弾の直径がポイント357。9ミリのマグナム弾を使う。ボンネット越しにnara_gun02.jpgエンジンに着弾させる程度の威力はあるのではないか。

 奈良県警の警察官らは、それに比較して威力の劣るけん銃を手にして、執拗に逃走を試みる凶悪犯人に立ち向かった。
 その勇気と責任感ある行動は、地域社会から選出されている裁判員の責任において、裁判官を説得してでも、社会において是認するべき範囲内にあったと判断するべきではないか。

posted by justice_justice at 11:24 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年02月26日

■最高裁、動くー「合理的疑いを超える証明」刑事裁判の鉄則が活きる時

■朝日新聞(朝刊)12年2月25日は、「死刑求刑事件、無罪確定へ/最高裁、検察の上告棄却/広島・母娘殺害」と題して、最高裁第1小法廷の決定を伝える。

 こんな内容だ。以下、記事を引用する。

 「広島市で2001年、母親と娘2人を殺して保険金をだまし取ったとして殺人などの罪に問われ、一、二審で無罪とされた元会社員・N・K被告(41)の上告審で、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は検察側の上告を棄却する決定をした。22日付。検察側は死刑を求めていたが、決定により無罪が確定する。・・・検察側は、N被告が01年1月17日午前3時ごろ、保険金を得る目的で母親の○○さん(当時53)を絞殺した▽その後、○○さん宅に灯油をまいて火を付け、自分の長女▲▲さん(同8)と次女△△さん(同6)を焼死させた▽さらに、3人の保険金など約7300万円をだまし取った――として、殺人や現住建造物等放火、詐欺などの罪で起訴していた。
 N被告は06年6月に別の詐欺事件で起訴された直後、殺人や放火を認める供述をしたとして再逮捕された。裁判が始まってからは一転して全面的に否認。犯行と被告を結び付ける唯一の証拠である捜査段階の「自白」が信用できるかが裁判の争点だった。
 決定で第一小法廷は「自白の中で詳細に動機や犯行が語られ、変遷もしていない。捜査官からの押しつけや誘導も考えがたい」と指摘。「自白の信用性は相当高いとの評価も可能で、犯人が被告の疑いは濃いというべきだ」と述べた。
 そのうえで、一審・広島地裁、二審・広島高裁が無罪の結論を導く理由とした点を再検討。被告が母親の生命保険の内容を漠然としか認識していなかった点や、5リットルの灯油をまいたと「自白」しているのに衣服や車内から油分を検出した証拠がない点について、「一、二審の判断は経験則などに照らして不合理とは言えない」と結論づけた]。

■ 同誌には、次のコメントを採用してもらっている。ただし、版と地域によって、異なる識者のコメントが掲載されているようだ。ブログ編者のものは、大阪を中心とする地域に配布された朝日新聞には掲載されている。

 「刑事裁判の鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」に従って事実認定をした画期的な決定だ。検察側が「合理的疑いを超える証明」をしない限り無罪とする原則を守ることを明言。
 証拠を直接調べる一審の事実認定に、明確に論理則、経験則に反する誤りがない限り、控訴審や上告審はその判断を尊重すべきことを確認した。
 冤罪(えん・ざい)を生まない刑事裁判であってはじめて市民の信頼が生まれる。」

■ ただし、もう一行付け加えたかった。(-_-;)「残念!!」

 「最高裁も、上級審裁判官の『有罪の印象』より一審の証拠に基づく事実認定を優先する刑事裁判の原理に立ち返った」、、、と。
 
 要するに、上級審は、「公正な裁判官」であるよりも、「日本の治安機関」の意識、間違っても犯人を逃さないという意味での「必罰主義」のイデオロギーが強すぎる。
 個々の裁判官は、その官僚機構の中に生息している。
 だから、「善意」で自分たちの判断が、刑事裁判の鉄則にしたがっていると主観的に信じている。それだけに、やっかいだ。
 幸い、官僚司法の頂点にある最高裁が、最近、動き始めた。
 であれば、下級審も動く。
 それまで、一審が無罪にした事件について、上級審は、単なる「心証の比較」、「有罪の印象」、「有罪も説明できる証拠状態の確認」によって、平然とこれを破棄して、みずから有罪を認定したり、差戻としてきた。
 ここにきて、ようやく最高裁は、一審の公判中心主義、当事者主義による事実認定を尊重すること、上級審は、その事実認定が、合理則・経験則に違反していることを、個別具体的に指摘できない限りは、一審の判断を尊重すべきことを指示した。
 
 これで、「有罪再生産工場」の流れがとまるだろう。
 刑事裁判の事実認定が、ふたつの大原則によって動く時代になった。すわわち、、、

  「『合理的疑いを超える証明』なき限り被告人は無罪となる。」
  「『疑わしきは被告人の利益に』に従って事実を認定する。」

 その意味で、この判決は、画期的だ。


posted by justice_justice at 09:47 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年02月24日

■「トミカの世界」裁判員裁判異聞ー奈良付審判事件と治安維持

nara02.jpg


■1:奈良地裁で、奇妙な裁判員裁判が進行している。

 自動車を暴走させて逃走する窃盗犯人2名を停止させるため、警察官が発砲した結果、助手席の共犯者が死亡した事件について、特別公務員暴行陵虐致死だけでなく、殺人罪にも問われているものだ。

 2003年に、車上荒らしを繰り返していた男性2人の乗る乗用車を、警察車両が発見して停止を求めたが、逃走。夕方のラッシュ時期に、ハリウッド映画にもでそうなカーチェイスが国道24号線上で繰り広げられたようだ。
 最後に、車列先頭で逃走車を遮る最後のパトカーに追突して押し上げて逃走するスペースを作ろうとする車両に向けて、警察官が、8発のけん銃を発射して停車に成功する。
 3名の警察官が8発を発砲したが、うち6発は車体に当たったのみ。
 制服警察官甲が撃った2発のうち1発が運転席に居る運転手Hに、もう一発が助手席にいた共犯者Kにあたった。私服警察官乙の発砲した1発もまた助手席のKにあたった。
 この結果、運転手Hが負傷のため運転できず車はその場で停止した。
 むろん、Hは直ちに病院に搬送される。
 そして、助手席のKも、、、。が、残念なことに、Kは、被弾が原因で死亡する。

 かくして、犯人2名の逃走とこれに伴う各種の被害の拡大の危険、市民生活と社会秩序に対する予想できない範囲の脅威は除去された。念のため、運転手Hの尿からは覚せい剤が検出されている。逃走開始前に使用したものだろう。

■2:Kの被害関係者が、まず、警察官4名に対する特別公務員暴行陵虐致死罪について裁判所に審判に付することを求める申立をした。
 奈良地裁は、Hに向けられた6発については、身体に命中した分も含めて、正当な業務として審判にかける必要を認めず、申立を棄却した。
 しかし、私服警察官乙の発射した第6発砲と、制服警察官甲が発砲した第7発砲について、現にKが死亡したことを重視したものか、上記犯罪の疑いがあるので、さらに慎重な判断をするため、これを通常の公判で審理することとした。
 ちなみに甲が最後に発射した第8発砲がHの体に命中して、停止させることができた。

■3:さて、審判に付すことが決まったら、検察官役指定弁護士は、これに「殺人罪」の訴因を加えた。
 新聞報道その他からみて、概ね、次のようなことになるのではないか。

 「両警察官は、Hの運転を止めさせて身柄を確保するため、両名が乗車している自家用車(ニッサン、セドリック)の助手席側の窓から各1回発砲したが、そのときに、助手席にいるKの身体にあたることもやむをえないと考えながら、ふたりでその意思を通じ合って、発砲して、現にKに弾丸が命中した結果死亡させた」

nara01.jpg

■4:しかし、疑問が尽きない。
 審理の状況は新聞から概要を知るしかない。むろん、証拠そのものには触れることもできない。だから、実際には以下の感想の前提ないし根拠がないのかもしれない。それは機会を改めて、訂正しよう。
 とりあえず、次の疑問と感想がある。

(1)なによりも、警察官らは自動車を停止させたかった。助手席にいる共犯の存在は認識していた。だからこそ、むしろあたらないように慎重であったはずだ。なのに当たった状態は、「過失」であって、「故意」に分類できようはずがない。
 未必の故意論など机上の空論だ。
(2)警察官2名が助手席に向けて異なる場所から一斉に複数回発砲していない。助手席にいる共犯者に怪我させずに発砲できる地点は限定されていたからであろう。つまり、慎重な発砲をすることについて、現場にいる警察官は、暗黙の裡に、合意を形成していた。
 殺人罪の共謀ではなく、「慎重な対処への共通認識」で行動していた。
 犯罪性のある主観的状態など読み取りようがない。
(3)犯人等は、車上狙いを繰り返していた。運転手Hは、覚せい剤を使用していた。残りを車内に隠匿所持していた。執行猶予期間中でもあった。しかも、友人に連絡して、逃走先で待機して、逃走を手伝うように携帯電話で連絡していた。現に、強引な運転を続けて、なにがなんでも脱出する意思を明確にしていた。
 市民は、この状態を外からみて、警察官になにをしてほしいと思うのか。
 市民こそ、責任のある答を、警察官に示すべきだ。
 「それでも、市民の人命が大切なので、その後、逃走犯人がどんな凶暴なことをするか予想など付かないが、警察官は、尾行を根気よく続けるべきだ」
 そう言いたいのであれば、そのメッセージを出すべきだが、それがいかに無責任な判断かも一目瞭然としている。
 市民社会は、警察官の制止を押し切って車で逃走を図る犯人等に対して、断固たる措置を採ることを期待するべきである。
(4)警察官らが所持していたけん銃が新聞ではよくわからない。制服警察官はニューナンブ38口径、私服警察官は、S&W M37 エアーウェイトで同じく38口径ではないか。リボルバー式、弾丸の貫通力はさほどない。セドリックのドア部分は打ち抜けないのではないか。助手席窓ガラスを割って運転席側窓ガラスを貫通していくのは大丈夫か。
 それで、運転を止めるためには、ガラス越しに運転手にダメージを与えるしかない。
 警察官らは、自らがもつ武器の限界も心得ていたはず。
 それは、市民社会も理解するべきだ。
(5)弁護側は、「正当防衛」によって最終的に無罪を構成したようだ。それも当たっていないわけではない。しかし、警察官は職務として、危険な世界に飛び込む。「急迫不正の侵害」が向こうから来るのではない。こっちから、それを防ぎに行く。
 ならば、彼らの行動を正当化するのは、刑法35条の「正当行為」であるべきだ。
(6)市民たる裁判員には、日本的な調和のとれた判決ープロ裁判官ならば考えそうな選択は控えて欲しい。
 つまり、「殺人、無罪」、「特別公務員暴行陵虐致死、有罪」。
 そして、執行猶予をつけて、「一層慎重な職務執行を望む」といった説諭をつけること。

 本件は、警察官らが市民社会を守り、秩序を維持し、他方で、いかなる凶悪行為にでるか予想できない犯人等を制圧する「正義」実現のため、慎重に判断して、やむなく、選択した行動だ。

 完全無罪。
 これを望む。

nara03.jpg 

■5:、、、という状況判断をするために、「トミカ」のミニカー達に活躍してもらった。そして、エアーガン・シリーズにも登場を願った。
 おもちゃが、プロの法律判断を支えてくれた。
posted by justice_justice at 23:57 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年02月23日

■姑息な検事ー「検察の本分」なき検察


2012年2月18日、西部読売新聞(夕刊)、「『検事、録画停止後に威圧』/福岡地検取り調べ/被告側が抗議」が紹介する事件は、被疑者取調べ「可視化」が進行する過程で、どの国もが経験するものだ。そして、乗り越えていかなければならない事態である。  
 記事によると、こうだ。
「福岡地検の検事が1月、現住建造物等放火罪に問われている男性被告(21)の起訴前の取り調べで、録音・録画を止めた後に「有罪になる」「真剣に思い出せよ」などと発言したとして、弁護側が地検に抗議したことがわかった。弁護側は「証拠が残らないように威圧した。都合のいい部分だけを録音・録画する可視化のやり方は問題」と主張。事件は裁判員裁判の対象で、取り調べの妥当性が争点になる可能性も出てきた。
 弁護側によると、被告は昨年11月に福岡市の住宅兼倉庫に侵入し2階に放火した疑い
で、同12月に逮捕、送検された。
 担当の男性検事による取り調べは今年1月5日に行われ、午後2時半から録音・録画が始まった。被告は「酒を飲んでいて記憶がない」などと主張。午後3時半頃、検事から「取り調べは終了」と告げられ、撮影も止められた。
 この後、検事は「この事件で有罪になると思う。いや有罪になるけど、君の今後に影響することだとわかっているの?」などと発言し、約20分間取り調べを続けたという。同12日にも撮影終了後に「もっと真剣に思い出せよ」と強い口調で告げたとしている」。

■「検事の本分」。この言葉、「官僚検察」には通用しないようだ。【事件処理」のための官僚機構。「正義」を公正にしかし厳正に実現する「覚悟」はもはや育たないのであろうか。
 取調べの全面録音録画がなされていても、堂々と、被疑者を説得して真相に迫る迫力、技量、人間力はないのか。
 地検の対応も、官僚的だ。
 「福岡地検の新倉英樹次席検事の話 『個別事件の捜査に関するコメントは差し控える。捜査は適正に行われたと承知しており必要に応じて公判で明らかにする』」

 これに対して、次のコメントを掲載してもらうこととした。

 ◆「可視化」精神に反す
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「録音・録画をやめてから容疑者を威圧して自白を迫ったのであれば、適正な取り調べを実現するための『取り調べ可視化』の精神を踏みにじり、虚偽自白と冤罪(えんざい)を生みかねない捜査手法だ。裁判員裁判では市民が信頼できる証拠の確保が不可欠なのに、倫理観が欠如していたと批判されても仕方がない行為ではないか」
posted by justice_justice at 16:28 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年02月16日

■最高裁の決断ー裁判員裁判尊重と控訴審有罪判決破棄

■2012年2月13日、最高裁が、口頭弁論を開いた上で、判決により、控訴審の有罪判決を破棄して、一審の無罪判決を是認した。
 「刑事裁判」という小さな世界の歴史の中では、大きなできごとになる。

■事件と判決の概要について、2月14日付け朝日新聞(朝刊)から引用して紹介しよう。
 「事件は2009年5月の裁判員制度導入後、市民が加わった一審で初めて全面無罪の判決が出たケース。裁判員裁判の控訴審のあり方は導入前から論点となってきた。最高裁判決により、裁判員らの結論を尊重する流れが強まりそうだ。
 無罪となるのは09年に覚醒剤約1キロを缶に隠してマレーシアから営利目的で密輸したとして起訴された会社役員・安西喜久夫被告(61)。一審・千葉地裁の裁判員裁判で無罪とされた後、二審・東京高裁で懲役10年、罰金600万円の判決を受け、上告していた。
 第一小法廷はまず、「控訴審は一審と同じ立場で審査するのではなく、一審判決を事後的にチェックすべきだ」とした刑事訴訟法の原則を改めて示した。そのうえで、裁判員制度の導入により、一審では調書などの書面ではなく、法廷でのやりとりを中心に事実認定する方針が徹底されるようになったと指摘。控訴審で一審の判断を覆す条件として「経験則などに照らして不合理な点を具体的に示す必要がある」と明示した。
 この考えに基づいて今回の事件を検討。「缶は土産として預かっただけで、違法な薬物と認識していなかった」とする被告の主張について「『弁解は信用できなくもない』とした一審判決のような評価も可能で、控訴審判決は、被告の弁解の不合理な点を十分に指摘できていない」と述べた」。

■何が画期的か。
(1)ひと言で言えば、必罰主義の抑制である。
 一審の無罪判決については、控訴審の3名の裁判官は、有罪にできる可能性を証拠から読み取って作文を書けると思えば、これを破棄して有罪の自判をする「運用」が定着しているが、これに歯止めがかかる。
 つまり、控訴審の必罰主義への大きな警鐘である。
(2)次に、「市民主義」の尊重である。
 裁判員裁判の尊重を明確にしたことである。裁判官の中にも、法律のプロの中にも「市民」なるものへの警戒感と不信感があるのか、「感情司法」になるとか、難解事件には対応できない等などの批判があるが、最高裁の今回の判決は、証拠から推認可能な事実の範囲内で、市民と裁判官が協力して認定した事実、特に、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、「合理的疑い」が残るから無罪とした場合、プロの裁判官が介入することを禁止したものである。
(3)最後に、薬物事件における「自白中心捜査」への重大な警鐘である。
 善意または悪意、その中間くらいの「運び屋」が日々日本に向かっている。カバンの中に、覚せい剤が入っていることはいくらでもある。
 国際犯罪組織が仕立てる善意あるいは悪意の運び屋に対して、日本の捜査は、つかまえた末端の被疑者に対する集中的な取調べによって自白を引き出すことにエネルギーを注ぐ。本格的に、国際犯罪捜査を展開している様子が国民からはうかがわれない。江戸時代以来の密室取調べで、お上に自白させて反省させるいつもながらのパターンを、現代型組織犯罪にあてはめることに無理がある。それが露呈したものだ。
 組織の側が、「運び屋」にしようとしている日本人に、こう説明したとしよう。
 「このコーヒー缶に約1000グラムの覚せい剤を隠している。お土産だと思って、日本に運んでくれ。クアラルンプールに居る間に見つかったら死刑になるかも知れない。注意して。見つかるなら、日本についてからにしたほうがいい。無期懲役刑が定められていても、10年から13年くらいで済む。ついては、報酬として、30万円上げる」。
 引き受けるとも思えないし、そんな説明をするとも思えない。組織が仕立てるのは、むしろ、「善意の運び屋」である。そして、お人好しの日本人なら、二,三度めしでも食わせて「ちょっと頼む、持って行って」と言えば、断れなくなる。
 そんな実状に沿った組織的国際的捜査の展開が力強くなされているとは思えない。
 残念だが、捜査力の弱さを見せつけられた判決でもある。

■とまれ、刑事裁判の世界に戻る。
 市民良識は健全に働く。裁判官の一定の協力を得ながらであれば、かれらに裁けない証拠関係、適用できない法律関係、判断できない量刑事由などない。そう思うのは、プロの「おごり」、「焦り」、「怒り」に留まる。無視して良い。これからの法律家の役割は、市民のよきパートナーとなること、に尽きる。
 それが、刑事裁判の世界における21世紀型の構造改革ー市民主義の展望につながる。
posted by justice_justice at 11:41 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

■警察官の治安を守る「犯罪」−市民社会こそ責任の自覚が要る

 奈良地裁ではじまった、これも裁判員裁判時代に相応しい事件ー付審判決定事件の裁判員裁判で、警察官が殺人罪でも追起訴された裁判が始まった。2012年1月23日の夕刊二誌の記事を紹介する。

■大阪読売新聞(夕刊)「奈良/付審判/発砲の是非/裁判員が判断/警官「車を止めるため正当」」120123_police.jpg    
***
 警察官の発砲の是非を審理する前例のない裁判員裁判が23日午前、奈良地裁で始まった。「治安を守る行為はどこまで認められるのか」「市民の目でも判断してほしい」。撃たれて死亡した男性の母は真実を明らかにと法廷に臨み、被告となった奈良県警の警察官2人は硬い表情を崩さなかった。〈本文記事1面〉
 被告の東(ひがし)芳弘巡査部長(35)、萩原基文警部補(35)はスーツ姿で出廷。罪状認否ではともに、はっきりした声で「文書を読み上げます」と告げて書面を取り出し、「(高さんの頭を)狙って発砲したのではありません」「暴走を繰り返す車を停止させるための発砲で、正当だったと考えています」などと無罪を主張した。
 冒頭陳述の間は、東被告は膝の上に手を置いて前を見据えた。萩原被告はうつむいていることが多く、時折目をつぶって疲れたような表情を見せていた。
 事件当時、東被告は県警自動車警ら隊の巡査長で、萩原被告は機動捜査隊の巡査部長だった。現在、両被告は県警本部刑事部の部署に在籍している。
 付審判について、県警監察課は「係争中なのでコメントできない」としている。しかし、県警内部では、「殺人罪で有罪判決が出れば、治安を守れなくなる」「必要な発砲も萎縮するようになる」と懸念の声も聞かれる。
***
 識者コメントとして次の2記事が掲載された。
◆地域の治安どう守る
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「殺人罪を認定した場合、警察官の発砲は今より困難になる。権力乱用は許されないが、治安維持の役割も担ってきた地域社会が崩壊しつつある中、警察が消極的にしか動けないなら、治安をどう守るのか。市民一人ひとりに治安維持のあり方を考えさせる裁判になる」
◆警察への監視不十分
 新屋達之・大宮法科大学院大学教授(刑事訴訟法)の話「警察官の行為は行き過ぎてはならない。発砲が許される行為について、警察官職務執行法などの規定は抽象的で、警察に対する第三者の監視もまだ不十分といえる。警察権力をチェックする制度について、議論が深まることを期待したい」
 
■産経新聞(夕刊)「奈良発砲付審判/「市民の目」に思い複雑/「ひるむな」警察に激励の電話も 」
***
 警察官の発砲行為をめぐって、23日に始まった奈良地裁での裁判員裁判は、今後の警察活動に大きな影響を及ぼすことも予想される。市民から選ばれた裁判員らによる計16回の公判と5回の評議で、発砲の正当性や殺意の有無を争点に審理されるが、前例のない裁判に関係者らの反応はさまざまだ。 
 「過去20件開かれた付審判の中でも、殺人罪に問われた例はなく、裁判員裁判の対象となるのも初だ。開廷前に行われた傍聴券の抽選には228人が列を作り、同地裁での裁判員裁判としては過去最多の傍聴希望者数となるなど、関心の高さをうかがわせた。
 警察官の発砲について8年越しで訴えを続けてきた遺族も、被害者参加制度で初公判の法廷に入った。死亡した高壮日さん=当時(28)=の母親(74)は「このような形で子を失った親の気持ちを理解して、本当に警察官の発砲行為は正しかったのかどうかを判断してほしい」と語り、一般国民の目による審判に期待を寄せた。
***
■同誌は、警察関係者思いや社会の反応も紹介する。
 ○「ある県警幹部は「発砲をためらえば、無関係な市民に危険が及ぶ可能性があった。それだけ差し迫った状況だったのに、違法かと問われると…」とポツリ。裁判は裁判員らの判断に委ねられたが、県警には平成22年4月の両被告の付審判決定以降、警察官を激励・支援するメールや電話が全国から寄せられている」。
 ○「職務にひるむな」「支援したい」などといった内容が多く、延べ100件以上に上るという。別の警察関係者は「発砲に至るまでには、相応の理由がある。発砲行為までの経緯を、裁判員にはしっかりと知ってほしい」と話していた」
***
同誌には、次のコメントを出している。
 ◆「裁判員裁判にふさわしい事件」
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「窃盗犯が逮捕を免れるため、凶悪な犯罪に走る危険はある。執拗(しつよう)に車で逃走しようとする2人組を迅速に制圧することは警察の緊急の責務であり、現場警察官の断固たる措置は是認されるべきだ。拳銃発砲は『殺意』を伴う行為であるが、市民社会を防衛する緊急の必要があれば、警察官の正当な業務として犯罪にはならない。刑事裁判を通じて正義を実現するのは市民の義務であり、これを誠実に果たそうとする良識ある市民は多い。そうした裁判員が法律のプロである裁判官と協力して、治安維持のため警察官の職務に期待することを真剣に検討することになるが、今回は裁判員裁判にふさわしい事件といえる」
posted by justice_justice at 06:30 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

■裁判員裁判の役割ー市民社会の側の責任「治安維持」

■毎日新聞(朝刊)2012年1月20日は「奈良・大和郡山の警官発砲:「社会の正当防衛」に注目/「付審判」23日初公判−奈良地裁」と題する記事で、「警察官の職務中の発砲が殺人罪に当たるのか――。一般市民がその是非を判断する「前例のない裁判」が奈良地裁で23日から始まる。公務員の職権乱用などが対象の「付審判」で、審判開始の決定が出た21件目の裁判。付審判では初の裁判員裁判となる。殺人罪の審理も初めて。主な争点は殺意の有無と発砲行為の正当性だが、専門家は「社会への正当防衛」が成立するかに注目している。判決は来月28日の予定だ」と紹介する。

記事は、事件そのものについて次のように説明する。
******
 「『ガシャーン』という車同士が当たるすさまじい音と、『パン、パン』という発射音が今も耳に残っている」。8年以上前の事件にもかかわらず、ある目撃者は今月中旬、取材に対し、当時の現場の緊迫した雰囲気を生々しく語った。
 事件は03年9月10日、奈良県大和郡山市の国道24号で起きた。窃盗容疑で追跡され、パトカーや一般車両に衝突しながら逃走していた乗用車に向け、奈良県警の警官3人が計8発、発砲。このうち、警部補(当時巡査部長)の萩原基文被告(35)と巡査部長(同巡査長)の東芳弘被告(35)の各1発が、助手席の高壮日さん(当時28歳)の後頭部と首に当たり、高さんは翌月、低酸素脳症で死亡した。
******

■刑事裁判は、若干の紆余曲折を辿る。死亡した犯人の遺族は告訴したが、不起訴。特別公務員職権乱用致死罪にあたるので、いわゆる付審判請求が申し立てられた。裁判所は、これを認めて、審判に付する決定、つまり、事実上の公訴提起を認めた。その際、検察官役は、裁判所が指定する弁護士があたる。そして、その弁護士は、記録を精査した上で、訴因を変更した。殺人罪を追加したのだ。
 かくして、警察官が治安を守り、市民の安全を確保し、凶悪犯を制圧するため、採られた措置が「殺人」のレッテルをはるに値するものかどうか問う裁判が始まる。
■検察官役は、要するに、車の渋滞する交差点付近で停車せざるを得なかった状況になっていたのであるから、発砲までの必要はないし、至近距離での発砲は不要で、過剰で、単なる「人殺し」と同じだ、と主張するもののようだ。
 これに対して、被告側がどのような法理論で弁護方針を貫くのか不明であるが、いくつか考えられる。
(1)殺意性の否定。至近距離からとは言え、運転手の腕など逃走防止のための打撃を与えることを意図したもので、身体枢要部を狙ったものではない、、、
(2)制圧にあたる警察官らの身に危険が及ぼうとしていたので正当防衛が成立する、、、
(3)直近にいる市民の生命と身体、財産を守るためにしたやむをえない行為で、状況により、正当防衛または緊急避難にあたる、、、
などなど。
■しかし、正面から論ずるべきなのは、社会を守るための「正当防衛」であり、治安悪化の中、必要に応じて、断固たる措置をとる警察官の業務の正当性そのものだ。「社会秩序」を守る、、、これこそ正当防衛の骨格になるべきだ。
 市民である裁判員が、もし警察官が犯人を取り逃がしたならば、恐怖と不安とそして場合によっては更なる被害にさらされる危機を未然に防いだ警察官等の行動を、どう評価するのか。
 これを殺人と断じたならば、警察官になにをせよというのか、その答を自らの責任で出すべきである。
 「権力」の権化のように警察官をみて、リベラルな視点から、凶悪犯人の無謀な逃走行為を制圧することも、「権力犯罪」とみるのは、慎むべきであろう。
■こんなコメントを掲載してもらっている。
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「車が逃走した場合、警官個人ではなく、一般市民など社会に及んだかもしれない危害を、発砲によらなければ防ぐことができなかったと証明できるかどうか。そこで発砲の正当性を判断することになる。社会を守る正当防衛と言えるかどうかがポイント」と指摘している。
posted by justice_justice at 12:26 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

■市民社会を守る警察の発砲ー殺人か、正当防衛か

■ 昨年12月3日の毎日新聞(夕刊)は「奈良・大和郡山の警官発砲:裁判員裁判、来月初公判/警官の行為、市民が判断」と題する記事を載せる。引用する。
***
◇逃走車両に発砲、男性死亡 母「撃つ以外なかったのか」
 「本当に撃つ必要があったのでしょうか」――。奈良県大和郡山市で03年、窃盗事件で追跡中の乗用車に発砲して助手席の高壮日(そうじつ)さん(当時28歳)を死亡させた事件で、殺人罪などに問われた警官2人に対する奈良地裁の裁判員裁判を前に、高さんの母・■ ■ さん(74)=東大阪市=が息子を失ったつらさと警察への疑念を語った。付審判決定による全国初の裁判員裁判の初公判は、来年1月23日。警官の発砲行為を市民が初めて判断する。」

 この事件は、指定弁護士の判断で、訴因が追加されて、殺人罪でも裁かれる。
 この裁判員裁判の意味をこう考えている。

<コメント>
 執拗に逃走する犯人は凶悪犯罪を引き起こすおそれがあり、現場警察官の断固たる措置は是認するべきだ。けん銃発砲は「殺意」を伴う行為であるが、市民社会を防衛する緊急の必要があれば、警察官の正当な業務として犯罪にはならない。本件でも結果としては、運転席にいた者が覚せい剤を使用していたこと、車内に覚せい剤を隠匿していたことが明らかになっている。
 逆に、もし犯人を逃したとすれば、警察は極めて大きな非難を浴びたことと思う。
 ところで、この裁判員裁判も長期化する。しかし、広く市民に協力を求めれば、長期裁判でも参加できる人は確保できる。刑事裁判を通じて正義を実現するのは、市民の義務である。これを誠実に果たそうとする良識ある市民達が、治安維持のため警察官の職務に期待することを真剣に検討することとなる。
 裁判員裁判にふさわしい事件だ。
 市民生活を脅かす犯罪者に対して警察官がどう対処すべきか、市民自ら責任ある回答を示すことが求められる審理となる。この点こそ、裁判員裁判にふさわしい側面だ。

posted by justice_justice at 13:54 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

■聴覚障害者と裁判員裁判ー「音のない世界」の犯罪

■記事紹介■
「大阪・都島区の3人殺傷:聴覚障害、情状鑑定へ/大阪地裁、成育歴など考慮」
毎日新聞2011年12月22日(朝刊)

 大阪市都島区で今年4月、男女3人を殺傷したとして殺人などの罪に問われた無職のT・S被告(60)について、大阪地裁(N裁判長)は21日、情状鑑定を行う方針を固め、検察、弁護側に伝えた。聴覚障害者のT被告が同じ障害のある被害者を殺害した異例の事件で、弁護側が被告の成育歴や生活環境を考慮する必要性があるとして実施を求めていた。
 T被告は今年4月27日、知人男性(当時44歳)とその元妻(同39歳)をナイフで刺して失血死させ、別の男性の首を刺して重傷を負わせたとされる。亡くなった男女2人も聴覚障害者だった。弁護側によると、T被告には幼少期から聴覚障害があり、交友関係はこの男女ら数人程度に限られていた。
 弁護側は「動機に了解困難なところがあり、裁判員が疑問を持ったときに備え、専門的知見が不可欠」と主張。事件当時の被告の心理状態や生い立ちを調べ、量刑判断の参考にするため情状鑑定を実施するよう意見書を出していた。T被告は、男女への殺意を認める一方、けがをした男性への殺意は否認する方針。弁護側は「死刑求刑の可能性もあり、裁判員には聴覚障害者の特性や背景を踏まえ、量刑を適切に判断してほしい」と話している。

posted by justice_justice at 06:25 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年12月24日

税関職員の人権感覚欠如ーグルーバル時代の「鎖国」意識

■讀賣新聞11年12月21日(朝刊)、「税関職員/検査同意を強要/覚醒
剤公判で被告が主張へ」が興味深い。
 記事を一部引用する。

***(引用)***
 ◆「早く書け言うとんじゃ、おら」  
 覚醒剤取締法違反容疑の取り調べ時、大阪府警捜査員(当時、特別公務員暴
行陵虐罪で有罪確定)の暴行を受けたウガンダ国籍の男性被告が、逮捕前にも
関西空港の大阪税関職員から乱暴な言葉でエックス線検査を強制された、と自
らの公判で主張することがわかった。税関側のICレコーダーには、職員が
「(検査の同意書を)早く書け言うとんじゃ、おら」などと迫る様子が記録さ
れていた。この検査を機に体内から覚醒剤が見つかったが、弁護側は「手続き
が不当で、結果は証拠採用すべきでない」と訴える方針だ。
 タマレ・フレッド・ケリー被告(38)で、5月、小分けした覚醒剤1・1
9キロをのみ込み、密輸したとして逮捕・起訴され、大阪地裁で公判前整理手
続き中。「覚醒剤との認識はなかった」と否認している。
・・・
 記録には、別の職員が「おい、サイン、早くせいや、おい」などと約10分
にわたり、大声で検査の同意書への署名を求める様子や、通訳の職員が「強要
したり叫んだりしたことを謝罪する」と被告に伝えた場面も収められていたと
いう。
******

■とりあえず、次のコメントの掲載が認められた。

 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話「職員の発言は、被告を
威嚇する内容だ。裁判の証拠となりうる以上、税関でも警察・検察の捜査同
様、手続きの公正さが不可欠。被告が嫌がるなら、令状を取り、検査すべきだ
った」

■確かに、覚せい剤を発見する手続がどうであっても、現に覚せい剤が発見さ
れたのであれば、真相は解明されたことになる。
 だから、最高裁も、証拠が押収される手続が違法でも、証拠価値は同じなの
で、原則として証拠にすると考えている。
 しかし、刑事裁判は、手続の公正さ適正さ、人権擁護も加味して正義を実現
するプロセスである。
 処罰する国の側がどんなに汚い手を使ってもいい、とは言えない。
 どこかでバランスが要る。
 令状主義の精神を没却する重大な違法であって、裁判所からみても、将来同
じような捜査が繰り返されるのを防ぐ上でも相当と言えるのであれば、証拠排
除を認める。

■本件では気になる点がいくつかある。
 まず、税関職員の差別意識だ。ウガンダ国籍の外国人。おそらくは、ブラウ
ン色の肌ではないか。「黒人」と日本では総括する人々。日本文化に潜む一種
の差別意識が強く働いていないか。
 それを踏まえた上で、「人権感覚」「手続の公正さ」への感性の乏しさが浮
き彫りになっている。
 通訳の意味のはき違え。通訳とは「意味の等価性」を確保する言葉の置き換
え作業だ。プロの技がいる。原語の「恫喝」を通訳を介してターゲット言語で
でも恫喝にするのは、難しい。しかし、音声言葉は、話者の言動全体で意味を
伝達する。本件でも、原語よりも穏やかな通訳であったとしても、恫喝の効果
が消えることはない。
 全体として、日本は江戸時代以来の鎖国的感覚を払拭仕切れていないのではないか。
 独りよがり国家日本の独善的な官僚意識、お上意識が伺える記事だ。
 
 証拠は排除してはどうか。
 

posted by justice_justice at 09:01 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年12月17日

■被告人の服装ー裁判員裁判の一側面

■信濃毎日2011年12月(朝刊)「県内の裁判員裁判―髪形や服装、様変わり/被告の見た目気遣う弁護士/『印象変わり得る』」 が興味深い。

 ***(引用)***
 県内で2009年12月に裁判員裁判が始まってから間もなく2年になる。裁判員裁判が行われる長野地裁、地裁松本支部では3日までに、審理中の公判も含め計41件の公判が行われ、市民から選ばれた246人が裁判員を経験。裁判員の多くは日ごろは司法関係の仕事に関わっていないため、弁護士たちは弁護する主張の分かりやすさに加え、被告の印象づくりにも配慮。手錠と腰縄を裁判員の入廷前に外させたり、服装に気を使ったりし、以前の刑事裁判とは様相が異なっている。
 刑事裁判ではこれまで被告は手錠と腰縄を付けて入廷し、裁判官入廷後に外すのが一般的だった。服装は自殺や逃走の防止などを理由に、ひものないジャージー姿にサンダル履きが多かった。これに対し、日弁連は裁判員制度開始後の09年6月、改善を求める要望書を最高裁と法務省に提出。それを受けて裁判員裁判では、事前に裁判所から弁護人に入廷時の手錠などについて打診が行われている。
 地裁松本支部でことし5月、殺人未遂事件を審理した裁判員裁判では、被告の男はスーツ姿で入廷。逮捕時にパンチパーマだった髪形は短く刈っていた。弁護人を務めた松本市の弁護士は公判前、被告に「さっぱりした格好をするように」と助言したという。弁護士は「どうしても最初は見た目の印象から入ってしまう。判決に影響があるとは思わないが、やれることはやるべきだ」と話した。
・・・
 一方、ことし10月に自宅への放火事件を審理した長野地裁の裁判員裁判では被告の男は緩めのジャージー姿で入廷し、裁判員の前で手錠、腰縄の取り外しが行われた。被告の弁護人によると、公判前に同地裁から手錠と腰縄を事前に外すか照会があったが断った。弁護人は取材に「被告は起訴内容を認めていた。(手錠と腰縄を)着けない方が裁判員から見て違和感があると考えた」と話した。この被告に対し検察側は懲役5年を求刑、判決は懲役2年10月だった。
 判決後の記者会見で裁判員を経験した男性は「目の前で(手錠と腰縄が)外されるのは初めての光景でびっくりした」と話した。ただ、量刑について「見た目ではなく、公判で出た証拠に基づいて判断した」とした。
***(引用終了)***

 この件に関して、次のコメントを掲載してもらっている。

■甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「陪審員制度を導入している欧米などでは服装や話し言葉が判決に影響するとの実験結果がある」と指摘する。ただ、日本の裁判員裁判では「見た目が量刑に与える影響は分からない」とした上で、「服装などは裁判員に予断や偏見、不快感を与えないようにするのが主目的だから、きちんとした服に導くのも弁護人の責任になるだろう」としている。

posted by justice_justice at 06:36 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年12月08日

■裁判員裁判と実子虐待死ー語らない被告人

■YomiuriOnLineは、 「障害ある16歳長女を折檻死、母親に実刑判決」と題する記事を配信している(2011年11月25日21時29分・ 読売新聞)。裁判員裁判の判決内容の紹介である。以下、記事を引用する。
***(引用)***)
 岡山市で今年2月、知的障害などのある長女(当時16歳)を全裸で浴室に閉じ込め死亡させたとして、逮捕監禁致死罪に問われた同市北区、無職清原陽子被告(38)の裁判員裁判の判決が25日、岡山地裁であった。
 森岡孝介裁判長は「しつけの限度を超えた仕打ちで、死亡という結果は重大」として、懲役3年6月(求刑・懲役5年)の実刑判決を言い渡した。弁護側は即日控訴した。
 判決によると、清原被告は、長女が近所の民家で盗み食いをしたと思い、反省させようと2月28日夜、手足をひもで縛ったうえ、室温13、14度(推定)の浴室に裸で約5時間立たせて、低体温症で死亡させた。
 判決で森岡裁判長は「養育が難しい被害者を、苦労しながら愛情を持って育て、事件については後悔しているものの、真摯に向き合って反省しているとは評価しがたい」とした。」
***(引用終了)***

 判決前にマスコミの取材を受けていて一番気になったのは、母親である被告人が、子育ての苦労、社会の支援の欠如、孤立、悩み、不安、、、、などなどなお貧困な福祉の狭間で苦しんだあげくの犯行であることを、裁判員に語った様子がなかったことだ。
 次の一行がその理由を物語っているのかもしれない。「清原被告は事件後、ショックから「解離性障害」と診断された。5回の公判では一言もしゃべらなかった」。
 別のネット配信記事も、判決公判の日の被告人の様子をこう紹介している。「清原被告はこの日も車いすで出廷。森岡孝介裁判長が判決を言い渡す間も、これまでの公判と同様、帽子で顔を覆い、両手で耳を塞いだ。弁護側によると、逮捕後に解離性障害と診断されたという。」(asahi.com 2011年11月26日配信)

■上記asahi.com(2011年11月26日) は、「16歳監禁致死/裁判員「話聞きたかった」として、判決後の裁判員の記者会見の模様を語る。
***(引用)***
 障害のある長女(当時16)を浴室に閉じこめて死なせたとして、逮捕監禁致死罪に問われた清原陽子被告(38)の裁判員裁判。25日に岡山地裁で懲役3年6カ月の判決を受けたが、被告は最後まで口を開かなかった。審理に参加した裁判員は「母親から話を聞きたかった」と話した。
・・・
 判決後の会見には、裁判員3人が出席。20代の男性会社員は「本当のことを話してもらえば、もっとわかったと思う」と話し、もどかしさをのぞかせた。「反省しているのか、それを一番聞きたかった」
 別の男性裁判員も、清原被告が話さなかったことについて「何をもって証拠とするのか、非常に難しかった」と吐露した。」

■山陽新聞2011年11月26日(朝刊)は、「岡山・長女監禁致死/母親に懲役3年6月/被告の心境未解明/解説」とする記事で、裁判の意義と限界について、解説していて興味深い。
***(引用)***
 5日間の公判で、被告が一言も発しなかったという異例の展開をたどった今回の裁判。判決後、複数の裁判員が「本当のことを話してほしかった」などと話したように、犯行に至った被告の複雑な心境は法廷では十分には解明されず、消化不良の感は否めなかった。
 執行猶予付きを予想する声もある中での懲役3年6月の実刑判決。この結果をめぐり、岡山弁護士会裁判員制度特別委員長の作花知志弁護士は「重いという感じはぬぐえない」。立命館大の野田正人教授(司法福祉論)は「非常に厳しい判決ではあるが、一方的な虐待事件の判例では5、7年の実刑となることもある。被告人の苦しみも読み込んだ印象がある」と思いを巡らせた。
 被告が障害児を育ててきた長い歴史とその間の苦しみ、社会の無理解など事件の背景への考察も、公判ではもっと問題となるべきだった。ところがその論議は深められず、甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「市民の生活感覚を交えて量刑を考える裁判員裁判の意義が生かされたか疑問が残る。判決は犯罪の成否と被害の程度しか考慮していない」と厳しく指摘した。
***(引用終了)***

■ 記事中に引用したようなコメントを採用してもらっているが、気は重い。「なぜ被告人は語らなかったか」。
 すこし複雑な心境だ。
 というのも、裁判員裁判一般について、ブログ編者は、「歪んだ運用の定着」と批判的に観ている。
 捜査段階の調書を受け継ぐ儀式。これが従前えん罪を生む基本構図であったところ、実は、今の裁判員裁判は、それをもっと悪しき形で引き継いでいる。公判前整理手続で、有罪立証の厚みが削りに削られ、他方、被告人質問は常態化している。
 つまり、検察側の調書による薄められた有罪立証の一方、被告人が公判廷で懸命に全力で弁解に努めて、これに失敗すると、相対的に、検察側の立証が信用できる扱いになる、、、比喩的に言えば、「証拠裁判」ではなく、「印象裁判」になっている。
 だから、無罪を争うときには、被告人は被告人席に座ってたたないでいればよい、と思っている。
 他方、日本の裁判員裁判は、量刑も判断する。そこに、実は妙味がある。
 プロの裁判官ではできない、やらない量刑を選ぶ度量を期待できる。
 今回も、材料次第では、裁判員は、執行猶予を付けたと思う。それだけに、なぜ語らないのかそこがわからなかった。被告人の病名は新聞誌上で知った。惜しいことと思う。殺したくて殺した、とは思われないが、これを裏付ける被告人の「ことば」が欲しかった。
 そんな思いを、上記コメントに込めたものだ。
 被告人は、即日控訴したという、せめて、控訴審で十分に事件について語る機会をもってほしいものだ。
posted by justice_justice at 05:27 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年11月08日

■裁判員裁判と死刑の合憲性ーパチンコ店放火事件の波紋(下)

絞首刑による死刑が違憲が合憲か争われた、パチンコ店放火事件。一審の死刑宣告を受けて、2011年11月1日毎日新聞(朝刊)では、次のコメントを掲載してもらっているが、どうか。

■議論深める契機

 詳細な証言に基づき、裁判員を含めて死刑の合憲性を判断したことは画期的。国会などで死刑の在り方について議論を深める契機になる。今後は検察側が刑の内容について情報提供し、裁判員が責任ある量刑判断をできるようにするべきだ。裁判員時代では執行方法の可視性も必要だ。


 官僚主義が支配する刑事裁判では、官僚機構の責任で、それぞれの職責を果たせばよく、死刑執行を含めて、行刑は、検察官の執行指揮のもと、法務省、矯正保護関連部局が担当するので、「官僚司法」はそこになんら関心をもつ必要もなかった。
 しかし、「一期一会」の裁判員が法廷に登場する「市民主義」の時代には、目の前に居る、その被告人について、いかなる刑罰を科すのかが問われている。
 科す刑罰の内容について、まったく知らない、分からない、、、それでは責任のある選択はできない。
 検察官は、求刑にあたり、刑罰の内容に関する立証もあわせて行うべきこととなる。
 その限りでの「可視化」は、市民に量刑を委ねる裁判員法の精神と趣旨に照らして、当然であろう。
posted by justice_justice at 05:48 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

■裁判員裁判と死刑の合憲性ーパチンコ店放火事件の波紋(中)

■西日本新聞2011年11月1日(朝刊)は、パチンコ店放火事件で、裁判員と裁判官が死刑を選択したことについて、「【解説】放火殺人判決/絞首刑適否/裁判員に負担/重いテーマ/情報公開必要」としてかなり長文の解説記事を載せている。
 解説の一部を引用する。


***********
 ただこの争点については、遺族から「事件と関係ない」「別の場で議論すべきだ」と強い反発があった。法廷では検察側が火だるまになった被害者の映像を、弁護側が模型を使い受刑者の首が切れてしまう実験映像を流すなど「残虐さ」を互いに強調。被害者参加人や裁判員ら、司法参加した市民が余分な負担を強いられた感はぬぐえない。
 2カ月の審理では、執行の実態や確定囚の処遇など、国民が知らされないまま続いている死刑制度の問題点がクローズアップされた。絞首刑を合憲とした最高裁判決から半世紀以上が過ぎ、裁判員裁判の死刑判決の数が2桁に達した今、市民が死刑について「何も知らない」現状はあまりに不健全だ。法廷では、死刑制度存置派を自ら認める元検事も秘密主義をやめるよう訴えた。証人尋問などを通じ、絞首刑執行の実態が垣間見えたのは確かだが、議論の前提となる情報が十分に与えられていたとは言い難い。
 死刑という重く、大きなテーマの議論には、耳をふさぎ、目を背けたくなるような情報も必要となる。今回の裁判を機に情報公開を進め、国会など「別の場」での議論を活発化させるべきだ。
***************
 
つまり、しろうとは、死刑の合憲性に口出しはできないという「愚民」論を前提にした、「負担軽減論」である。現代社会の市民は、死刑の当否を議論できる資質はないらしいが、それこそ、暴論であろう。このトーンは、裁判員経験者の記者会見の整理にもつながる。記事は、「裁判とは別で議論を/裁判員会見」という見出しでこれを紹介する。

************
 任意参加だった2日間の絞首刑をめぐる証拠調べにはほとんどの裁判員らが出席。ある女性裁判員は「弁護側が『全てを知って判断してほしい』と言っていた。最後まで聞こうと思った」と語った。
 別の60代の女性裁判員は「絞首刑の詳しい内容は知らなかった。今回携わった限り、実態を知っておく方がいいと思った」と振り返る一方、「この裁判とは違う場で、国民的に意見があれば議論すればいい」との考えを示した。
 また、40代の補充裁判員の男性は「遺族が言っていたように、事件と絞首刑の問題を同じテーブルで話すのは少し違うと思った」と複雑な気持ちを吐露。さらに「死刑求刑の事件を裁判員裁判で審理することが決して駄目とは思わない。しかし、刑が執行された時には感情の変化があるかもしれない」と不安を打ち明けた。
************

 以上の文脈に関連して、前回も紹介したブログ編者のコメントが採用されている。
 もともと共同通信配信のコメントなので、内容が修正されない限り、配置は、各新聞社の編集に委ねられる。再録する。

 ●今後につながる審理
 ▼渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 死刑の適用について判断する裁判員が、絞首刑の合憲性について議論するのは裁判員裁判ならではと言える。裁判員は、苦痛の程度など死刑の実態についての材料を与えられた上での責任ある判断ができたはずだ。死刑制度に不透明な部分がある中で、適正な刑罰であるかについて踏み込んだ情報提供があった。今後につながる素晴らしい審理だ。


 編者は、特定の事件で特定の被告人に死刑を科す前提として、裁判員は、常に、憲法36条の残虐刑罰禁止条項との対決を迫られていると考えている。
 その重い責務を負担することこそ、21世紀市民の「憲法上の義務」−第四の義務であると解釈できる。
 プロ=官僚の支配と裁量に委ねていては、市民社会の望む正義の形から大きくズレかねない危険、、、これを修正するために、司法改革が行われた。
 今更、死刑は難しい論点だの、60日は市民生活の負担で、やめるべきだなどという柔な議論の次元にはとどまるべきではない。
 全国から、応募すれば、100日に裁判員裁判でもこれに耐えられる市民はでてくる。そうしてはならない理由などない。
 「武士」の作った武士道と幕藩体制という倫理と組織、、、これが19世紀半ばまでの我が国の安定と植民地化を防止した。
 その後の、哲学無き官僚組織の支配が、太平洋戦争ー第2次世界大戦を招いた。
 倫理ある市民の介入ーーー市民主義による支配の構造改革が、21世紀の日本を再生させる。
 裁判員裁判は、司法の世界におけるその表れた。
 必ずや、西日本新聞の記事のように、この流れをつぶそうとするうごめきもでてくるが、これに名がされてはならない。

 今回、粛々と違憲論に関する審理に立会し、それを踏まえて、本件について、死刑を選択した市民に敬意を表したい。
posted by justice_justice at 18:04 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

■裁判員裁判と死刑の合憲性ーパチンコ店放火事件の波紋(上)

■パチンコ店放火殺人事件ー死刑の合憲性判断の波紋(上)

 2009年7月に、大阪市此花区のパチンコ店にガソリンを撒いて放火し5人を殺害、10人を負傷させる残虐な事件が起きた。その犯人として殺人、現住建造物等放火罪などで起訴されたのが、高見素直被告であった(43)。
 責任能力の有無とともに、絞首刑による死刑執行が憲法36条にいう残虐な刑罰にあたるか否かについて、オーストリアの法医学者、元東京地検特捜部の検事も勤めた刑訴法学者が専門家の立場から意見を述べる審理をまじえた異例の裁判員裁判が行われた。
 結果として、裁判官による合憲判断を、裁判員も事実上支持し、それを前提にして、事件についても、10月31日に、「残虐非道で、生命をもって罪を償わせるしかない」として検察官の求刑通り死刑を言い渡した。
 法廷では、「裁判員の意見を聴いて検討した」とした上で、「死刑囚はそれに値する罪を犯しており、多少の精神的・肉体的苦痛は甘受すべきだ。残虐な刑罰を禁じる憲法には違反しない」と判断した。

 これについて、いろいろな波紋がある。
 次の記事を全文引用して、検討の素材に供したい。

*****************
■四国新聞2011年11月1日(朝刊)
「遺族の『なぜ』答えなく/パチンコ放火殺人死刑/ただ償ってほしい/不可解な説明/徒労募る」
 過去最長となった裁判員裁判の結論は「死刑」だった。31日、大阪地裁で言い渡されたパチンコ店放火殺人事件の判決。「何を奪ったのか考えて」と背中を見つめる遺族を意に介さず、高見素直被告(43)は無表情を貫いた。絞首刑をめぐる憲法判断には裁判員も「初参加」。判決後には「裁判とは別の場で国民的議論を」と、疲れをにじませた。(1面参照)
 霊安室で対面した娘は、口から泡を吹き、真っ黒になっていた。「なぜこの子が殺されなくてはならなかったのか」。理由を知ろうと通った法廷で、被告の口から出たのは不可解な説明ばかりだった。
 15人が死傷したパチンコ店放火殺人事件。死亡した5人中、最も若かった店員延原麻衣さん=当時(20)=の母親は2カ月間の公判に欠かさず被害者参加し「死刑を求めたことを重荷として生きる。ただ償ってほしい」と訴えた。
 31日の判決は求刑通り。「一つのけじめがついた。被告は自分のしたことに責任を持って、判決を受け入れてほしい」。記者会見での語り口は静かだった。
 死から時間は止まったまま。生きていることが娘に悪いような気すらする毎日だった。「焼き殺された娘のための裁判」では絞首刑の合憲性も争点に。「事件と関係ないことで争うのはやめて」と思った。判決を聞いても気持ちは晴れないが「優しかった娘は『お母さん、そんなの気にせんとき』と言うかもしれない」。目に涙がにじんだ。
 パチンコ店で亡夫の知人に会うのを楽しみにしていた後藤春子さん=当時(72)=の次女は、当初「被告には何を奪ったか考えてほしい。簡単に死刑にしてほしくない」と慎重な立場だった。しかし、法廷で目にした高見素直被告(43)は遺族への謝罪を一切口にせず、妄想中の人物に「一矢報いるため火を付けた」と不可解な説明を繰り返すばかり。「反省などと言っていたのが甘かった」と、徒労感が強まった。
 事件そのものより憲法判断が注目されることに違和感を覚えながら、残虐性をめぐる議論を見守った。裁判長が「憲法に違反しない」と判決理由を朗読する中、ハンカチで涙をぬぐった。「はっきりと答えをもらえて、裁判員にも感謝を感じました」
極刑にも表情変えず 高見被告
 裁判長が被告を着席させ、判決理由から朗読を始めると、廷内の空気が一気に張り詰めた。5人が死亡した無差別殺人事件の判決。「被告人を死刑に処する」。約1時間後、大阪地裁の法廷に裁判長の声が響いたが、高見素直被告(43)は証言台の前で座ったまま表情を変えなかった。
 上下ジャージー姿、素足にサンダル履きで入廷した高見被告。約90人が入りほぼ満席の傍聴席の方は向かず、長期間の審理を終えた裁判員にも目を向けようとはしなかった。
 理由の朗読中は椅子に浅く腰掛け、両手を膝の上に置いたまま。裁判長が絞首刑の残虐性についての判断を読み上げる際も、時折足を左右に動かす以外ほとんど身動きせず、終始人ごとのような態度をとり続けた。
 判決言い渡し後、淡々と証言台から離れ、裁判長に軽く頭を下げた高見被告。傍聴席からにらみつける遺族の視線も意に介さず静かに退廷した。
裁判員にも戸惑いか
 死刑に関する著作がある元裁判官森炎弁護士の話 裁判員の意見がどれだけ取り入れられたか判然としないが、絞首刑が「残虐な刑罰」に当たらないことが、国民感情的に一応確認された。ただ「別の方法でなら良いが、絞首刑はやめるべきだ」という弁護側の主張では、この事件の被告だけがたまたま執行を免れるということになりかねず、裁判員も判断を戸惑ったのではないか。裁判員がはっきりと意見を言えるためにも、今後は死刑という刑罰そのものの合憲性が問われるべきだ。
*****************

 ブログ編者の、本件審理に関して、同誌に採用してもらったコメントは、以下の通りである。
 なお、編者は、国家が市民に科す刑罰として、死刑が不合理とは思わない。やむをえない究極の刑罰として残さなければならないと思う。
 しかし、絞首刑の方法が妥当か疑問に思う。また、死刑執行が法務大臣の政治裁量に委ねられている運用にはもっと疑問を持つ。死刑執行過程での誤審・えん罪の点検・検証手続の有無、内容にも疑問がある。遺体の措置など尊厳死は維持されているのかどうかなど「透明性」のない執行手続であることにも強い疑問がある。
 方法自体の妥当性と執行手続の疑問を総合すると、今、市民たる裁判員が、死刑について、責任のある選択ができるのか疑問があり、「適用違憲」と考えている。
 そうした思いを前提にしたコメントである。

■渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 
「責任ある判断できた」
 死刑の適用について判断する裁判員が、絞首刑の合憲性について議論するのは裁判員裁判ならではと言える。裁判員は、苦痛の程度など死刑の実態についての材料を与えられた上での責任ある判断ができたはずだ。
 死刑制度に不透明な部分がある中で、適正な刑罰であるかについて踏み込んだ情報提供があった。今後につながる素晴らしい審理だ。
posted by justice_justice at 05:36 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

■山形発信ー傷害から傷害致死へー訴因変更と裁判員裁判

■山形からー「傷害」から「傷害致死」へ
 讀賣新聞(朝刊)2011年11月3日、「裁判員裁判でやり直しも/傷害罪の被害者/判決6日前死亡」と題する記事が興味深い。
 すこし引用する。
********
 ◆地裁「訴因変更の可能性」 
 山形地裁で10月にあった傷害罪に問われた男の公判で、判決6日前に入院中の被害者が死亡し、地裁が「訴因変更の可能性がある」として、判決期日を延期する異例の事態となっていることが2日、関係者への取材でわかった。「傷害致死罪」になれば、改めて裁判員裁判で審理されることになるが、山形地検は現在、死因と傷害の因果関係などについて捜査を進めている。・・・傷害罪に問われているのは、小国町大滝、佐藤光弘被告(68)。起訴状では、佐藤被告は8月10日、自宅で父親(当時93歳)の頭を金づちで殴り、骨折などのけがを負わせたとされる。
 10月11日に開かれた初公判では、佐藤被告が起訴事実を認め、検察側が懲役4年を求刑して結審した。
 だが、捜査関係者などによると、事件後に意識混濁の状態で入院していた父親が同19日に摂食障害で死亡。このため、山形地裁は同25日の予定だった判決期日を未指定のまま延期した。
*************

こんなコメントを提供した。

 ■甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「被害者が途中で亡くなる可能性も考慮に入れて、公判に持ち込むタイミングを慎重に考えるべきだった。2か月以上が経過しているので、因果関係を証明するのは難しいのではないか」と述べている。



 すこし説明が要る。検察官が傷害致死に訴因を変更するのであれば、裁判員裁判が必要になり審理はやり直しとなる。だが、事件から時間も立っており被害者の年齢など考えると、傷害と死亡の間の因果関係の立証ができるか疑問だ。家庭内の事件なので、弁論を再開し死亡した点を量刑事情に加えるのにとどめるのもひとつの方法だ。
では、裁判員裁判になった場合、どうか。
 犯罪の成否には争いなし。情状面については、必要な証人尋問、被告人質問を行えれば足りるから、とくに困難はない。むしろ、家庭内の事件だけに、市民良識を加味した量刑のほうが、事件に則した判断になって好ましい。裁判員裁判開始までは時間がかかるが、遅すぎる訳ではない。
 もっとも、死亡の可能性について、検察官の検討が十分であったか、検討は要る。
 事件から2月以内の死亡であれば、医師の意見など聞いて、「訴因変更の可能性あり」という意味で、「追起訴予定」で起訴しておく余地はあったかも知れない。全く予想外の死亡なのであれば、被害者の年齢、傷害の部位程度と直接の死因次第では、「傷害致死」との評価はできないことも十分にありえる。その場合には、弁論再開、量刑事情追加で、判決に至ってよい。
posted by justice_justice at 11:31 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年10月19日

■手話ー裁判員裁判時代の一断面

『裁判/正確な手話通訳を/学習会で専門家ら確認=広島』

 2011年09月26日、読売新聞(朝刊、広島版)は、上記タイトルの記事を掲載した。
 次のようなものだ。全文を引用する。

***********

 耳が不自由な被告人や証人の裁判を担当する「手話通訳士」がより正確な法廷通訳を考える学習会が25日、広島市東区地域福祉センターで開かれた。県内の裁判員裁判では手話通訳士が入った事例はないが、県内外の14人が経験を語り合い、正確な通訳の重要性を確認した。

 NPO法人「県手話通訳問題研究会」が初めて企画した。兵庫県の山根聡子さん(55)はろう者の被告人の裁判での経験を披露。地域によって手話の表現に違いがあることを挙げ、「事前に勾留中の被告人と会って、互いの手話を確かめることが円滑な審理に必要」と話した。

 甲南大法科大学院の渡辺修教授(57)(刑事訴訟法)は、裁判長の判断で、通常の録画とは別に手話の様子が録画されるケースがあると説明。通訳士や弁護人が動画の確認はできるが、司法行政の記録であるため、控訴審では証拠として取り扱われないと指摘。「現状の司法制度では、控訴審で1審の誤訳を訂正するのは難しい。研修を繰り返すなどして、通訳士の技術を高めることが正確な裁判に不可欠だ」と話した。
posted by justice_justice at 04:10 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年09月04日

■手抜き審理ー共犯巻き込み型えん罪の危険回避ー裁判員の良識、活きる

河北新報社は、ネット配信記事、KOL NETにおいて、2011年9月2日付けで、「元少年に無罪判決/打田さん殺害事件で仙台地裁」と題する記事を掲載した。裁判員裁判で無罪がでた事件の紹介である。東日本大震災のため、一旦始まっていた裁判員制度が途中で中断し、再度、新しい裁判員を選任して行われた審理であった。
 以下、引用する。

********
 1999年1月、東京都の無職打田篤司さん=当時(31)=が殺害された事件で、殺人罪に問われた事件当時少年の被告(32)=仙台市青葉区=の裁判員裁判で、仙台地裁は1日、無罪判決(求刑懲役13年)を言い渡した。東北の裁判員裁判で無罪判決は初めて。
◎笹本証言に「不自然さ」
 同被告の裁判は3月に始まったが、東日本大震災で中断。新たに裁判員を選任して8月に再開された審理は、ほぼ中断前の公判映像を収録したDVD映像を視聴するだけで、裁判官、裁判員は法廷での直接のやりとりをほとんど見聞きすることなく、判決を出す異例の裁判だった。
 被告は公判で、事件を首謀した笹本智之受刑者(37)=無期懲役などの刑確定=との共謀を否認し、無罪を主張していた。
 鈴木信行裁判長は「(被告との共謀を認めた)笹本受刑者の証言には、自らの恨みが動機だったにもかかわらず、打田さんに一切、手を出さなかったなど不自然な点が相当ある」と認定。「証言に合理的な疑いが残り、被告の関与を証明するに足りる信用性を認めることはできない」と判断した。
 さらに「犯行を裏付ける凶器など客観的証拠が欠けている点も重視せざるを得ない。被告の供述の信用性を検討するまでもなく、被告が殺害に関与したことの証明はされていない」と結論付けた。
 被告は笹本受刑者らと共謀し99年1月、都内のアパートで打田さんの首を絞めるなどして殺害したとして、起訴された。
*******

■この事件の審理のあり方には疑問が残った。
 何故共犯者について再度の証人尋問を行わなかったのか。また、被告人質問も途中からの再開ではなく、最初から行わなかったのか。
 明らかに、「効率的な迅速処理」を急いだ「官僚司法」の弊害だーーーー裁判員のわかりやすい審理の実現、ではなく、自分たちはもう見聞したから、後始末だけ、一緒にさせればよい、、そんな感覚で、DVDを延々と見せるという審理を行ったのであろうか。
 裁判員裁判の妙味、直接主義、公判中心主義を無視した審理だ。
 他方、本件は、従来なら、共犯者の「巻き込み証言」を基本的に信頼して、プロ裁判官が、被告人を有罪にしてきた、「巻き込み型えん罪」の危険性がある事件であった。
 が、市民の良識によってこれを防ぐことができた。その意味では、裁判員裁判の意義が生きたものであった。
 そこで、こんなコメントを掲載してもらっている。

<裁判官の手抜きだ>
 渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話 
 共犯関係の証人なら、もう一度裁判員が法廷で、事情を直接ただす機会を与えるべきだ。審理の長期化にならないはずなのに、裁判官が効率性ばかり追求し、勝手な負担論で、手抜き審理をした。
 他方で、従来の裁判官なら、有罪となっていた裁判だ。共犯者の供述の矛盾を見抜いた裁判員が「合理的疑いを超える証明」という裁判の鉄則に従って、市民の良識を生かして出した判決だ。法廷で尋問していればより無罪を確信していただろう。


■念のため、他の識者のコメントも掲載されているので、あわせて引用しておく。
********
<刑訴法の想定外か>
 元最高検検事の土本武司筑波大名誉教授の話 刑事裁判で、記録の正確性を期するという範囲内でDVDを使うのは差し支えないが、判断の前提となる事実認定がDVDでなされたというのは、刑事訴訟法の想定外ではないか。新しい裁判員を選任した以上、たとえ面倒であっても、もう一度証人らを召喚して直接審理するのが本筋だ。それを省略したのでは、刑事訴訟法の精神に反しないかという疑念が残る。
*********

■解説記事も奥深い。参考になるので、併せて引用する。
*******
◎東北初裁判員裁判で無罪/映像審理の影響検証を
 【解説】殺人罪に問われた事件当時少年の被告(32)の裁判員裁判は、検察側立証の柱だった笹本智之受刑者(37)の証言の信用性を否定し、無罪と判断した。
 これまでの裁判員裁判では、裁判員がプロの裁判官以上に物証を重視する傾向があることが明らかになっている。物証が乏しかった今回の裁判で、その傾向はより顕著に表れたと言える。
 中断前の公判映像を延々と視聴し続けた異例の審理が、判決に与えた影響についても慎重な検証が必要だろう。
 ただでさえ、信用性の判断に悩むことの多い証言や供述は今回、法廷で直接見聞きしたものではなく、小さなモニター画面に映し出されたものだった。裁判員を務めた男性は「16時間も映像を見ていると頭が混乱する。じかに証人の話を聞き、判断材料を増やしたかった。法廷で審理している感じがしなかった」と語っている。
 中断前の審理では、笹本受刑者が殺害行為を人形を使って再現した場面があった。あまりの迫力に一部の裁判員は驚き、体をのけ反らせた。
 しかし、再開後の審理では同様の場面が映像で流されたが、モニターで見ていた裁判員は驚いた様子も見せなかった。
 心証形成に及ぼす印象は大きく異なったはずで、検察側にとっては映像審理が、笹本受刑者の証言の価値を減殺した可能性もある。
 映像審理は、法廷での直接のやりとりを重視する刑事裁判の原則も揺るがした。東日本大震災による緊急避難的な措置だったとしても、法曹界には、公正な裁判員裁判の維持に向け、十分な検証が求められる。(報道部・水野良将)
posted by justice_justice at 09:52 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年08月25日

■「否認事件」と裁判員裁判ー「ごね得」????

■朝日新聞2011年8月20日(朝刊)の記事、「『やってへん』大阪気質?/否認率突出、55.8%/裁判員裁判調査【大阪】」は大変興味深い。

 まず、最高裁の調査結果が紹介されている。引用する。「裁判員裁判で被告側が起訴内容を否認したケースを最高裁が調べたところ、181人に判決の言い渡しがあった大阪地裁で101人に上ったことがわかった。「否認率」は55・8%で、判決が60人以上の地裁で5割を超えたのは大阪だけ。一方で無罪は1人にとどまり、大半は主張を退けられている」。

 記事は、「なぜ、大阪は否認裁判が多いのか――。」という問題設定をする。
 この疑問提示自体が、後の分析と絡めると、担当記者の見識と、そこに凝縮される日本の法文化、市民意識を反映している。
 「刑事裁判は、争うものであってはならない」、という構図がないか。
 お上が起訴したものに間違いなどあるはずがなく、これを認める御白州こそ、あるべき刑事裁判であって、犯人がごねても、「遠山の金さん」はすべてをお見通しだ、、、という形で収まるのがいいのだ、、、といった刑事裁判観が前提にないか。
 
 ただし、こうした裁判観を、「まちがい」とか「歪んでいる」と断定できるものではない。よし・あしは、実は決められない文化観と思う。
 もっとも、ブログ編者は疑問に思っている。
 
■ 記事は続く。
 「「いわゆる『やばい物』という認識を持っていたのは明らかだ」。ナイジェリアから関西
空港に覚醒剤約540グラムを持ち込もうとしたとして起訴された大阪市の女性被告(5
0)に対し、昨年12月の大阪地裁判決は懲役7年罰金200万円(求刑懲役10年罰金3
00万円)を言い渡した。
 被告は覚醒剤入りの包みを縫いつけたスパッツの上からレギンスをはき、ワンピースを身
につけて入国。公判では「中身はダイヤモンドと思っていた」と無罪を主張したが、判決は
「重ね着の状況などから包みを隠す意図があった」と退けた。
 一審の弁護人は「裁判員に納得してもらうのは難しいと思っていたが……」。今年6月の
二審・大阪高裁判決も一審判決を支持したが、被告は上告している。」

 この記事の紹介のトーンは、裁判員であれば有罪にするような証拠状態の事件で、無罪を主張するなど、不届きであるといったフィーリングが読み取れる紹介になっている。
 刑事裁判で争うことを、非難する視点、、、、。これはどうか。


 「現金は被害女性が忘れていった」(強盗強姦〈ごうかん〉罪の被告)▽「被害者が自ら
刃物に近づいた」(殺人未遂罪の男性被告)……。客観的な証拠や状況と食い違う主張で無罪判決を求めたり、起訴内容の一部を争ったりする被告は全国的に見られるが、「なかでも大阪は多い」(在阪法曹関係者)という」。
 
  このように事件紹介が締めくくられている。問題なのは、次のような総括だ。

■「争う裁判」と裁判員の負担論
「長期公判、裁判員に負担」という小見出しのもので、次のように記事はとりまとめている。
「被告が否認すると争点や証拠の絞り込みに時間がかかり、裁判所・検察・弁護側で
開く公判前整理手続き(非公開)が1年以上にわたる場合もある。
 裁判員の負担も増えかねない。公判に出廷する証人の数が増えたり、評議に時間がかかっ
たりして裁判が長期化するケースも出てくる。
 最高裁は裁判員制度導入当時、裁判員が裁判所に足を運ぶ日数を「3日以内7割、4〜5
日は2割、6日以上1割」と想定していた。しかし大阪地裁の3月時点の調査では、25・
8%が6日以上かかっていた。
 検察側も補充捜査や証人尋問の準備などの量が多くなる。大阪地検幹部は「検事や事務官
はいつも未明まで残業しており、ぎりぎりの状態だ」とし、否認事件の多さを踏まえて上級
庁に増員を要望している」。

 さらに、こうした現象のとらえ方について、マスコミでは、いわゆる「識者」の談話を持ち出すが、これは、担当記者が言いたいことを大便させる狙いもある。
 今回は、「言うたら何とかなる」商売人の文化か」という小見出しのもとに、映画「岸和田少年愚連隊」などの監督で奈良県出身の井筒和幸さんの話として、「大阪の人には『言うたら何とかなる。うまくいかんのは言い方が足らんから』と考える人が少なくない。商売人の街やし、正札を見て値切ったり権力を信用していない面もあったりする。大阪の裁判員裁判で起訴内容を否認する被告が多いのは、そんな「文化」が関係しているのかもしれない。それだけに、大阪で裁判員を務める市民には、『ごね得』を見逃さない力量も必要になってくる」とするコメントを掲載ししている。

 いずれも、確かに一つの見識ではある。
 しかし、納得はできない。
 日本の裁判員裁判は、いびつだと思う。
 検察官が捜査段階で作成した有罪を証明する様々な資料を証拠として、出す、これを公判前整理手続で、裁判官と弁護人がいっしょになって、整理する。そして、裁判員の前での有罪立証の基本も、実は、法曹三者がきれいに整理した書類の山、である。
 「争う」。この場合には、被告人があれこれ弁解することとなる。
 その弁解の合理性がなければ、有罪になる。
 書類の山と闘う被告人。無罪を説得しないと書類の山が示す有罪のストーリーに負ける。
 結局、本来、検察官が担うべき、「合理的疑いを超える証明」を行なう責任が、巧みに軽減されて
おり、その分、被告人が弁明をしなければならない、というおかしな構図で今裁判員裁判が運用されている。

 アメリカの陪審裁判は違う。これも、よしあしはさておき、被告人は、法廷ではなにも語らないのが通常だ。検察官が有罪を立証する責任があるのであって、被告人が弁明する必要はない。

 被告人が争うことが、裁判員の負担になることは、よくないことだ、、、こうした効率司法の考え方こそ、官僚司法が、国民に浸透させたいイデオロギーではないか。
 朝日新聞の記事が、そのキャンペーンに協力するようなトーンで裁判員裁判の現状を整理していることには、納得できないーーーー市民は、争う被告人、これをどうみるのであろうか。
 このこと、知りたいところである。

posted by justice_justice at 06:45 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

■裁判員裁判異聞−「鑑定留置」の意義と問題点

■少し前に、起訴前の鑑定留置が増えている、という照会を新聞記者から受けた。すこし調べたりしつつ、共同通信にコメントを掲載してもらった。本文を含めて、次のような記事が配信された。タイトルなどは各新聞で異なるが、宮ア日日新聞、2011年8月20日25頁(朝刊)は、「「鑑定留置」急増483人/昨年全国/裁判員裁判背景か」と題して、これを掲載している。以下、記事を引用する。

********************

 起訴の前に検察などが裁判所の許可で数カ月間にわたって犯行当時の刑事責任能力の有無
を調べる「鑑定留置」となった容疑者が、裁判員裁判開始の2009年から2年連続で10
0人以上増加、昨年は483人に上り、統計が残る1962年以降で最多だったことが19
日までに、最高裁への取材で分かった。
 全国の裁判所が検察などの請求を認めた鑑定留置状の発付数に基づく。全てが裁判員裁判
の対象事件とは限らないが、背景には、公判で裁判員の負担を軽減するため、責任能力が争
いになりそうな事件では「とりあえず鑑定留置をする。請求のハードルは前よりも下がっ
た」(検察幹部)との姿勢がありそうだ。
 一方で、刑事訴訟法の専門家からは「弁護側が裁判所に再鑑定を求めても『既に鑑定済
み』と拒まれる口実になりかねない。検察側による弁護側の防御活動封じにつながる恐れも
ある」との指摘も出ている。
 数時間から数日で終わる簡易鑑定とは異なり、鑑定留置では容疑者の勾留が停止され、医
療機関などに移送後、委嘱を受けた専門家によって通常数カ月間の本格的な精神鑑定が行わ
れる。
 初公判の前に争点や証拠を絞り込む公判前整理手続きが始まった翌年の06年以降では、
06年221人、07年204人、08年242人とほぼ横ばい。5月から裁判員制度が施
行された09年は353人、さらに10年は483人と急増した。
 複数の法曹関係者によると、鑑定留置の大半を占めるのは、殺人や現住建造物等放火など
の裁判員裁判対象事件。06〜10年の警察庁の統計によると、殺人と放火を合わせた検挙
人数は毎年減少しており、事件数の増加に伴い鑑定件数が変化した可能性は低い。

■ブログ編者のコメントは以下の通りである。

 渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「専門家によって、鑑定意見が分かれるこ
ともある。公判前整理手続きでは裁判所にも複数鑑定を許容する柔軟性が求められる。その
結果を裁判員に示し、市民の良識で判断すればいい」と話している。


posted by justice_justice at 06:38 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

■密室犯罪ー市民の読み取った犯罪のかたち

■MSN.産経ニュース(2011.7.21 16:39配信)、「強姦時の供述、信用性低い」殺意認定/被告の主張、次々と否定」の記事が、リンゼイさん殺害事件ー市橋被告事件の結末を簡潔に語る。
 
 「平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の判決公判で、堀田真哉裁判長が判決理由の読み上げを開始。裁判所が認定した事実について説明していく」
 「3月25日、被告方でリンゼイさんの顔に打撃を加え、結束バンドで両手首、両足首を拘束して抑圧し、強いて姦淫をした。26日ごろまでに殺意をもって被害者の頸部(けいぶ)を圧迫して殺害し、リンゼイさんの遺体を浴槽に入れて土を入れた。以上の事実について証拠によって認定します」

 そして、無期懲役。

■リンゼイさんに対する強姦、監禁、傷害、そして死亡、、、、軽薄短小・重厚長大様々に特徴付けることのできる証拠、、、そこから、事実を推認することを裁判員と裁判官に委ねるシステム。市民達は、強姦の機会に殺意をもって殺害が行われた、という犯罪の構図を証拠から読み取った。そして、無期懲役を選んだ。
 [死刑」の余地はなかったのか。検察官の求刑の範囲内に留まるのが、市民の判断の限界なのかどうか。その辺りは今後の課題だ。
 ともあれ、市民良識による社会も是認できる答が出された。
 
 リンゼイさんの冥福を祈りたい。



posted by justice_justice at 19:31 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年07月05日

死刑と裁判員裁判ー裁判員の感想から

■2011年7月3日毎日新聞(地方版)「法廷ノート:検証・松戸女子大生殺害判決/下 死刑のハードル /千葉」は、殺された被害者の数が一人であった千葉大学生殺害事件等で起訴されて、裁判員裁判で死刑が宣告された事件について、フォローアップをしていうる。
 ひとつのポイントは、プロの裁判官が作ってきた、いわゆる「永山基準」の呪縛に裁判員が取り込まれるかどうかであった。
 参加した裁判員の感想を記事は次のように紹介する。

 「◇永山基準こだわらず 裁判員により重い責任
 「素人ながら、他の殺人事件で『これは死刑で当然だろう』と勝手に予想していた事件が、ことごとく無期(懲役)や有期刑になった時に『死刑はこんなにハードルが高いのか』と思った」
 強盗殺人などの罪に問われた竪山辰美被告(50)に死刑が言い渡された6月30日。被害者の荻野友花里さん(当時21歳)の父卓さん(62)は閉廷後、判決が出るまでの心境について、こう語った。
 死刑判決を下すにあたり、判断の基準とされてきたのは、死者4人の連続射殺事件の最高裁判決(83年)で示された「永山基準」。やむを得ず死刑が認められる条件として犯行の悪質性や動機、犠牲者の数などを列挙した。裁判官だけで裁くこれまでの公判では、犠牲者が1人の場合、永山基準に照らし死刑が回避されるケースが多かった。
 竪山被告の公判で検察側、弁護側双方が量刑の根拠として提示したのも、この永山基準だった。検察側は犯行の悪質性などを強調し「永山基準は死者が複数でなければ死刑にできないというものではない」と死刑を求刑。弁護側は「殺害したのは1人だけ」などと死刑回避を訴えた。
 司法のプロが提示した四半世紀以上前の永山基準。裁判員らはどう受け止めたのか。判決後、裁判員を務めた男女と補充裁判員を務めた男性の計3人はいずれも「基準にはこだわらなかった」と話し、「こだわる基準なのか」「それぞれの判断で(判決を)決めていくべきだ」と話した」。

■このテーマに関するブログ編者の姿勢は一貫している。

 犯罪の重みと刑罰の幅は、裁判員と裁判官がケースにそって決めよ。
 永山基準は、プロのお約束にとどまるし、むしろ、当たり前のことを並べただけだ。

 それをこんなコメントして、同誌に掲載した。

■ 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「永山基準で被害者の数は一要素にとどまる。他に重大事件を連続して起こした点も考慮すると酌量すべき事情は見当たらない」として判決は妥当とみる。そのうえで「永山基準で裁判員を拘束すべきではない。裁判員は自分の目の前にある証拠を咀嚼(そしゃく)して刑を下さなくてはならず、むしろもっと重い責任を負う」と述べる。
 とはいえ、死刑については執行の経緯や手段など、市民にはこれまで知らされていない部分が多かった。渡辺教授はこう付け加える。「死刑選択の責務を裁判員が負うのならば、死刑運用の実態も明らかにすべきだ。犯罪の悪質さと刑罰の合理性が一体となって初めて極刑選択の正義が実現されたといえる」
posted by justice_justice at 21:10 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年07月02日

■死刑と裁判員ー千葉大女子大生殺害事件(続)

■MSN.産経ニュースネット配信記事、「千葉大生殺害死刑/「永山基準」を再考したい」(2011.7.2 03:33 (2/2ページ))が、興味深い。
 次のように死刑判決について解説をしている。まず、裁判員と裁判官が死刑を選んだ理由について、「犯行が「冷酷非情」で、短期間に重大事件を繰り返し「更生の可能性に乏しい」というのが主な理由だった」と紹介する。
 そして、「判決後、裁判員を務めた女性は「永山基準」について「指標として揺るぎない柱」としながら、「項目の一つ一つに事件内容を当てはめて判断する必要はないのではないか」と述べた」とする。
 以下、記事を引用する。
「裁判員制度は、国民の常識や量刑感覚を裁判に反映させることなどを目的に導入された。
 個々の事件にはそれぞれの事情があり、軽々に比較することはできない。しかし、1人殺害での死刑判断が2例目であることや、昨年11月には仙台地裁で2人を殺害した犯行時18歳の少年に死刑を言い渡したことなどを照らし合わせると、国民は残虐非道な事件に対し、厳罰を支持する傾向にあることは疑いようがない。
 最高裁の判示後28年を経た永山基準の評価についても、裁判員制度下で再考してみる時期に来ているのではないか」。
■ 上記解説記事の指摘は正しい。プロ裁判官が設定した、刑の種類選択の基準を裁判員=市民が墨守する必要などない。死刑選択は、刑法199条等死刑を法定刑に含む刑罰法令に関する「法令の適用」の問題であり、「刑の量定」とも重なる。どちらも、裁判員固有の責務である。
 今までのプロの「官僚裁判官」が「ただしい基準」とする最高裁の指示に市民が従う必要はない。
 あらたな正義の基準点を求めればよい。
 上記解説が指摘するように、被害者の「数」を重視し、運用上被害者=1名は死刑回避といった運用を作ったのは、裁判官達だ。
 市民が加わり、残虐な犯罪には、厳正な処罰を科すことをよい強く出す必要を重視してよい。
 
■ 但し、市民が死刑を選ぶとき、責任を持つべきだ。
 「ベールに包まれた絞首刑」。
 この状態を許してはならない。
 裁判員は、裁判官を介するか、直接か、どちらであれ、検察官に死刑の実情について、立証を求めるべきだ。
 「知る、そして、選ぶ」。死刑も同じこと。
 絞首で死ぬメカニズム、苦痛の程度、絞首された死体の状況、後始末などなど刑罰の執行に伴う基本知識を持った上で選択してほしい。



posted by justice_justice at 08:03 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年06月18日

■裁判員の死刑宣告ー横浜地裁の記事に接して

■ YOMIURI ONLINEのネット配信記事は、横浜地裁の裁判員裁判で、死刑が宣告されたことを報じている。以下、引用する。タイトルは、「死刑でも3人帰らぬ」である。
 「津田被告「覚悟はしていた」
 「被告人を死刑に処する」。秋山敬裁判長が冒頭、主文を告げると、遺族らのすすり泣きが法廷に響いた。川崎市幸区のアパートで大家の柴田昭仁さん(当時73歳)ら3人を刺殺したとして、殺人罪に問われたアパート住人の無職津田寿美年被告(59)の裁判員裁判の判決。横浜地裁は17日、同地裁の裁判員裁判として2例目となる死刑を言い渡した」。(2011年6月18日、読売新聞)

■ 市民の重い決断に敬意を表したい。
 目の前に居る被告人に対して、「死刑」を選ぶ、、、理由ある選択とは言え、実際には、心理的にかなりの負担であろう。
 しかし、裁判員裁判とは、正義を市民が担う21世紀の新しい装置だ。
 哲学と理念なき「官僚支配」がトレンドであった20世紀後半を脱して、「日本」のかたちを立て直す主人公は、市民自身でなければならない。
 刑事裁判における正義。国家統治のあり方として、権力を握るものが、支配する場に、今、市民が居る。死刑という究極の選択を市民がする。
 重い責務を市民がそうと自覚して担っていく中で、官僚司法、官僚検察に委ねていたのとは異なる正義の形が見えてくるだろう。それを期待したい。



posted by justice_justice at 06:43 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年06月16日

■死刑と裁判員裁判ー死刑の合理性を立証せよ

 MSN 産経ニュースの記事配信で、「[地方]検察側が県内初めての死刑求刑 地裁沼津支部の裁判員裁判 静岡+(1/2ページ)(2011.6.16 12:57)」を見た。
 「女性2人を殺害したなどとして強盗殺人罪などに問われた桑田一也被告(44)の裁判員裁判が15日、静岡地裁沼津支部(片山隆夫裁判長)で行われ、静岡地検沼津支部は桑田被告に対し死刑を求刑した。静岡県内の裁判員裁判で被告に死刑求刑したのは初めて。審理はすべて終了し、判決は21日午後4時から同支部で言い渡される予定」という。
 この日は検察側の論告求刑と弁護側の最終弁論などを行った。
 さらに論告弁論の内容を引用する。
 「検察側は「未来ある2人の若い女性を殺害し財産を奪った。反省は十分とはいえず、遺族の処罰感情は峻烈だ」などと述べ、「極刑でのぞみ、生命をもって罪を償わせるほかない」と主張。一方、弁護側は、「被告は反省の態度を見せており、更生に向かうことができる」などと情状酌量を訴え、無期懲役が妥当だと訴えた」。

 しかし、「犯罪」の重みにのみ焦点を当てた立証で、市民は死刑を選んでいいのかが問題だ。「刑罰」の妥当性を検討しなければならない。
 いうまでもなく、憲法は残虐な刑罰を禁止している。しかし、刑法が定める絞首刑が、21世紀の市民良識と諸科学の発展の中、本当に、残虐刑罰禁止の原則に反しないか。現代に生きる市民の良識による新たな判断が望まれる。
 そもそも絞首刑は、相当の苦痛を与えるものではないか。その医学的な知見を新たにする必要がある。絞首刑台に向かう直前の恐怖もおびただしい。脱糞、失禁など死者の尊厳を失わせることはないのかどうか。
 遺体の後始末はどうするのか。埋葬は誰がどう責任を負うのか。さらには、死刑執行の順序と決定の手続はベールに包まれている。筋弛緩剤などの投与、注射を立法で制定すべきではないのか。
 国家による殺人を肯定せざるを得ないとしても、現在の死刑執行が妥当かどうか真剣に吟味すべきだ。

 死刑事件に関わる弁護士は、今までの立証と量刑をそのまま前提にせず、市民が責任ある選択ができる情報提供を公判で実現させるべき責務がある。
 そして、裁判所、検察庁が、これに応じないのであれば、市民に向かって「官僚が情報を隠す中で、無責任な選択をするべきではない。死刑がいいかどうか、それなら、控訴審の裁判官に委ねるべきだ」。そして、判決文で、官僚の秘密主義と市民に情報を開示しない不正義を強く批判してほしい、、、こう弁論で語るべきだ
posted by justice_justice at 22:07 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

■「死刑を選ぶ」−裁判員裁判の新たな運用

■毎日JP、2011年6月9日(地方版)は、ネット上次の記事を配信している。

「松戸の殺人放火:裁判員裁判 冒頭陳述から量刑言及−−初公判 /千葉
 ◇弁護側、強盗致死罪適用を主張
 「死刑適用が正しいか否か、重い判断をしてもらわなければならない」−−。千葉大4年生、荻野友花里さん(当時21歳)に対する強盗殺人罪などに問われた無職、堅山辰美被告(50)の裁判員裁判で、弁護側は冒頭陳述の段階から量刑に言及する異例の弁護を展開した。「強い殺意に基づく犯行」と強盗殺人罪の成立を主張する検察側と、「もみ合いの中で刺した」と強盗致死罪の適用を訴える弁護側が真っ向から対立。公判は激しいやりとりが予想され、30日の判決に向け、裁判員は難しい判断を迫られそうだ」。

■ 死刑か無期か。
 これを冒頭から、裁判員に問題として突きつけて、裁判に臨んでもらう。
 あたりまえ、、、のようだが、求刑は、審理の最後におもむろに宣言すべきとする検察のこれまでの運用では、考えられないこと。
 起訴段階では、求刑を決めているのに、最後までださないという運用を、どの事件でも守る官僚体質がまだ残っている。
 これを打破して、死刑か否かを裁判員に問い、これに相応しい量刑材料を証拠として出す、、、

 死刑の選択を市民に迫るのであれば、それにふさわしい審理をするべきだ。
 それが、プロたる法律家の心得るべき「分かりやすい」裁判だ。

■なにが違うか。
 検察官は、裁判員に次のことを立証するべきである。
 (1)死刑執行の順番、時期の決定方法
 (2)死刑執行の方法ーそれが不合理な苦痛を伴わない医学的根拠
 (3)死刑執行までの拘置所内での処遇
 (4)無期懲役の場合の処遇の状況
 弁護人は、かかる材料提供を強く検察官に求めるべきである。
 市民たる裁判員は、検察官の死刑求刑について、「釈明=追加の説明」を求めるべきである。
 少なくとも、裁判長を通じて、上記の点の資料提供をさせるべきだ。

■法律家のなすべきこと
 審理でいきなり上記の質問、疑問がでてくるのを避けて、事前に資料を用意するためにも、公判前整理手続の段階で、
 「本件のもっとも重要な法律上事実上の争点は、死刑か、否かである。」
 という共通の認識のもとに、争点と証拠の整理、審理計画策定を心がけるべきだ。
posted by justice_justice at 09:10 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

■暴力夫、閉ざされた家庭、二児の母ー裁判員の出番

■毎日JPは、ネット上、2011年6月9日(地方版)で、次の殺人事件に関する記事を配信した。

「高知の焼殺:夫が日常的に暴力 「助けて」シェルターで保護も /高知
 高知市小石木町の市営住宅で7日未明、2階に住む無職、高橋誠さん(46)がガソリンをかけられ、火を付けられて殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された妻の智美容疑者(36)が、日常的に夫から暴力を振るわれていたことが8日、捜査関係者への取材で分かった。高知南署は動機にかかわるとみて調べている。同日午後、智美容疑者を高知地検に送検した。」
 「近くの住民によると、市営住宅に住み始めた7年前から夫婦のけんかが絶えず、市の住宅課にも「騒がしい」などと苦情が相次いであったという。ある住人は「殺さないで」「助けて」などと言う女性の悲鳴を何度も聞いた。一方で、「お前が働かないから生活できないんや」「子どもがうるさいから、何とかしろ」と怒鳴る智美容疑者の声も聞こえたという。見かねた住民が何度か110番通報してパトカーが来ても、2人は応対しなかったという。また、事件発生前の6日午後11時ごろ、子どもの泣き声や口論が響き渡っていた。発生直後、智美容疑者は「パパが無理心中を図ろうとして火を放った」などと慌てながら次男(1)を抱きかかえ、長男(8)と逃げ出してきたという」。

■ なにがあったのか、と思う。
だが、DVを平気で繰り返す男。
二児を抱えながら恐怖におののきつつ支配された妻。
母親が父親に暴力を振るわれるのをみている子ども達、、、、

そんな中で起きた妻の反撃ーガソリンをかけて殺す。
残酷だが、力のない女性にできる確実な反撃方法だ。

もっと他に方法はなかったか?
実は、ない。そんなに社会は寛容にフレンドリーに振る舞ってくれない。そんなシステムも、場所もありそうでない、、、。警察も、頼りになりそうで、実は、ならない。犯罪にならない限り、動かない。予防警察という本当に必要な活動をしない、、、

■ 再犯のおそれはまずない。犯行態様は悪質だが、先行する夫の暴力も残虐だ。DVとは、緩慢な殺人行為に等しいからだ。反省は????してもいいし、しなくてもいい。正直なところ、妻は、今は、ほっとしているのかもしれない。

 こんな事件こそ、裁判員が裁くべきだ。
 そして、心神耗弱と酌量減刑ふたつの減軽事由を認めた上で、執行猶予にするべきだ。
 律儀な官僚裁判官にはできない、従来の運用に捕らわれない刑法、とくに刑罰法の適用は、裁判員だからこそできる。

 それを期待したい。
 平成の大岡裁き、これが、日本の裁判員裁判の役割だ。

posted by justice_justice at 07:50 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年06月07日

裁判員裁判の見直し

■「信毎WEBー2011年5月22日(日)」は、「裁判員制2年/見直しは国民の目線で」と題する社説記事を配信した。以下、内容を一部引用する。

 「死刑のような究極の選択を、市民に課すことは妥当なのか。専門家からは裁判官だけで審理すべきだ、との指摘も多い。
 裁判員裁判の対象は、殺人や強盗殺人、放火、強姦致死傷といった、死刑や無期の懲役・禁錮に当たる重大犯罪が多い。汚職や行政訴訟など、より市民感覚が生かせそうな事件は対象外だ。
 どんな事件に市民感覚を取り入れるのが適当か。国民の負担が重くならないよう配慮し、対象事件を見直してほしい。
 裁判員の守秘義務についても検証が要る。
 現行法は、評議で出た意見の内容、判決のよしあし、結論に至った経過などを述べることを禁じている。罰則もある。感想は話せるけれど、基準があいまいで「萎縮して沈黙せざるを得ない」と漏らす裁判員もいた。
 評議の概要が明らかにならなければ、市民感覚がどう生かされているのか、検証のしようがない。守秘義務の規定を見直し、運用を緩和して裁判員に分かりやすい基準を示すよう求める。」

  などなど興味深い指摘が多く、学ぶところが大きい。

■「市民主義」。
 20世紀が「官僚主義」の世界であったのに対して、組織としての官僚では、「国家日本」を支えきれなくなっているとき、裁判員裁判にシンボリックに表されるように、国の姿を市民自らが決める制度、手続、運動、運用が始まった。
 それだけに、「重い負担」であって当たり前だ。また、その縮小も放棄も許されない。むしろ、拡大と充実が鍵だ。
 例えば、、、
 (1)対象犯罪に公務員を被告人とするものを含めること。
 (2)量刑法を改正し、もっと柔軟な刑罰を作ること。
 (3)死刑の方法をあらためること。死刑、無期などの行刑の実態を裁判員裁判では必ず検察官が立    証すること。
 (4)守秘義務は宣言のみとし、刑罰を廃止すること。プライバシー侵害などあれば、名誉毀損、侮    辱などの刑罰、民事訴訟で対処すること。
 (5)事実誤認を理由とする検察官控訴を廃止すること。

 など、。

■ それにしても、裁判の後、裁判員が記者会見に臨む時代になったことをあらためて噛みしめておくべきであろう。
 「司法」=「黒服」の権威で、市民を黙らせてきた官僚裁判官が、市民に批判される時代になっている。守秘義務はあるし、裁判所職員がさもしたり顔で司法記者の質問を遮ると聞く。それでも、事の本質を隠すことはできない。
 「あの裁判長は、世間知らずで、自分の考えを押し付けようとばかりする」。
 そんな裁判官を市民は信頼しない。

 問題は、「主体=市民」とする「かたち」で実現する「正義」のコンテンツである。
 かつて「武士道」が統治の理念であった時代が崩れて、これに代わる政治哲学が育っていない。
民主主義は守るべき「統治のかたち」ではあっても、実現すべき「原理」ではない。
 それをどうするのかー優れた政治哲学、経済思想、社会倫理が要る。



posted by justice_justice at 16:02 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

■裁判員裁判の役割ー警察官の発砲事件

■「警官の殺意、判断へ/遺族側「真相知りたい」/警察側「市民守る行為」。
 03年9月に、車上狙い事件を捜査していた警察官が、職務質問に対して逃走をした車両を追跡。停止させるために、急発進した車両に対して発砲した、こんな事件があった。
 警察官らの発射した弾は運転席と助手席にいた被害者等に命中。助手席のT氏が死亡した。運転席にいた人は窃盗罪で後に起訴され有罪となって6年の服役を終えている。死亡したT氏について、窃盗事件について被疑者死亡で不起訴となった。
 奈良地裁は2010年4月に現場で発砲した警察官2名について特別公務員暴行陵虐致死傷罪で審判に付す決定をした。
 さらに、指定弁護士の訴因変更の申立を請けて、2011年1月、殺人罪でも審理することを決めた。
 現在、公判前整理手続が進行しているようである。
 この事件について、2011年1月24日の朝日新聞(夕刊)では、「遺族側は「真相を知る後押しになる」とする一方、現職警察官の間では「市民を守るための行為でなぜ殺意が問われるのか」と戸惑いが広がった」とし、また「県警監察課は「係争中なので、コメントは差し控えたい」としている。ただ、捜査関係者の一人は「警察官は市民の生命を守るために危険な現場と向き合って、やむを得ず拳銃を使用した。なのに、その行為に殺意まで争われるとなると、現場の士気に影響する」と困惑した」と紹介した。

■ この件について、同誌上で次のコメントを出した。
 刑事裁判に詳しい甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「指定弁護士は、証拠から殺意についても立証できると評価したのだろう」とみる。警察官2人はともに裁判員裁判で審理されるが、渡辺教授は「社会を守る警察官の行為について、守られる側の市民自身が責任を持って答えを出すという意味で、裁判員裁判で審理されることは望ましい」と語った。

■ 同じく、信濃毎日2011年1月25日(朝刊)では、「警官逃走車発砲殺人罪審理へ/識者2氏に聞く」とする解説記事で、次のコメントを出した。
<何を求め何を許さぬか>
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 付審判の対象は公務員の職権乱用にかかわる罪に限られるが、「起訴」の後、証拠に基づきほかの罪にも問うべきかどうか判断するのは指定弁護士の裁量に委ねられる。拳銃を発砲している点で「未必的殺意」があったことがうかがわれ、2人を殺人罪に問うこと自体は不思議ではない。ただ、今回のケースは犯罪が強く疑われる逃走車両に対する警察官の職務行為で、一般的な「人殺し」とは罪の質が異なる。裁判員裁判では、市民社会を守る警察に何を求め、何を許さないかの答えを、市民自身が問われることになる。
posted by justice_justice at 04:22 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

■裁判員裁判の意義ー「官僚司法」から「市民司法」へ

■「裁判員/覚醒剤密輸に無罪/別公判では「共犯者」有罪」。
 2011年1月29日朝日新聞(朝刊)のタイトルだ。
 概略、こんな内容である。
 「トルコから覚醒剤約4キロを密輸入したとして、覚醒剤取締法違反(営利目的輸入)などに問われたイラン国籍の無職アブディ・スマイル被告(42)の裁判員裁判の判決が28日、大阪地裁であった。樋口裕晃裁判長は「被告から(密輸入を)指示されたとする共犯の男の供述は信用できず、犯罪の証明が不十分」として無罪(求刑・懲役18年、罰金800万円)を言い渡した。
 裁判員裁判での全面無罪判決は4件目で、うち3件が覚醒剤密輸事件。樋口裁判長は昨年3月、共犯とされた日本人の男(37)の裁判員裁判で、アブディ被告との共謀を認定し、懲役13年、罰金700万円の実刑判決(確定)を言い渡しており、判断が分かれた」。
■裁判員のこんな感想も取材されている。
 「判決後、男性裁判員1人と女性裁判員3人が同地裁で記者会見。4人は「共犯とされた男の判決結果を聞かされておらず、評議に影響はなかった」と話した」。

 これが、裁判員裁判による真相のありかただ。
 
 「事実の合一的確定」
 
 官僚司法が重視した真相解明のありかたへの、市民の良識による反応だ。

 次のようなコメントを出した。

 ◆予断なく証拠を検討
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)の話「共犯でも、法廷で調べた証拠が違えば、異なる事実認定になるのはおかしいことではない。職業裁判官はこれまで、関連する事件の結論に矛盾が生じないようにしようと、自らの判断を縛っていたのではないか。予断を持たない裁判員らが、それぞれの事件の証拠だけを検討した結果であり、市民参加の裁判員制度の象徴的なケースといえる」
posted by justice_justice at 06:53| ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

■裁判員裁判と量刑ー放火殺人事件の重み

■朝日新聞(朝刊)2011年3月18日は、「(裁判員法廷@徳島)阿南放火殺人に懲役23年/幼稚かつ身勝手」と題する記事で、現住建造物等放火と殺人などの罪に問われたT被告(36)について、裁判員が、懲役23年を言い渡したことを紹介する。

 判決によると、T被告は平成21年12月31日午前1時15分ごろ、自宅で布団に灯油をまいて放火。姉(37)と弟(34)を殺害、父親(68)の顔にやけどを負わせたという事件だ。

 判決は、被告人が派遣切りにあって失業し家族の中で孤立したこと、希薄な家族関係などから、焼身自殺に追い込まれた境遇を認めたが、他方で、「幼稚かつ身勝手」と厳しく非難した。しかし、被害者がみな家族の身内であることを考慮してか、有期懲役刑を選択した。
 この事件について、次のようなコメントを掲載している。

●市民感覚がある
 判決について、甲南大法科大学院長の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「市民感覚があふれている味わいのある判断」と評価した。「自殺が目的で、積極的な殺意がないことは酌まざるを得ない。裁判員の目線で被告の家族をみて、かつ厳罰も意識して考えた適切な判決だ」と話した。
posted by justice_justice at 00:49| ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

■状況証拠による有罪認定ー自然体裁判

■京都新聞・2011年1月12日(朝刊)に「取材ノート」のコーナーがあるようだ。そこに「米原女性殺害裁判/難しい状況証拠の立証」と題する記事が載っている。但し、ネットで確認した者である。滋賀本社のY記者執筆にかかるものだ。
 いわゆる滋賀汚水槽殺人事件と呼ばれる事件で、裁判員と裁判官が状況証拠に基づいて有罪を認定したが、その位置付けに関するものだ。
 以下、引用する。
***********
 殺人罪に問われた森田繁成被告に懲役17年の判決が言い渡された裁判員裁判の法廷(昨年12月2日、大津地裁)
 米原女性殺害事件の裁判員裁判で、殺人罪に問われ、否認を続けていた森田繁成被告(42)に懲役17年を言い渡した昨年12月2日の大津地裁判決(控訴中)は、積み上げられた状況証拠から裁判員らは犯行を認定した。8日後、同様に被告が否認していた強盗殺人事件の鹿児島地裁判決は無罪を言い渡した。
 いずれも裁判員裁判最長となる10日間の審理で、異なる結論が出された。市民から選ばれた裁判員が、状況証拠のみで事実認定ができるのか。両裁判はその試金石となった。
 大津地裁の公判は、裁判員へのわかりやすさが重視されていた。証人尋問や捜査報告書の調べは、被害者との関係や事件後の行動などの争点ごとに整理して行われた。被告人質問が6日間にわたったことも画期的で、裁判員の心証形成に大きな影響を与えたとみられる。
 事実認定のポイントとなる直接証拠と状況証拠の違いについても、裁判長が具体例を交えて裁判員に説明した。法廷では、途中解任の1人を除き全裁判員が活発に質問した。ある裁判員は判決後の会見で「判決理由には裁判員の考えがかなり盛り込まれている」と充実した表情を見せた。
************
 
 これについて、こんなコメントを採用してもらっている。

************
 裁判員の市民感覚はどのように生かされたのか。甲南大法科大学院の渡辺修教授は、判決が、犯行の動機を特定しなかったことに着目する。「裁判官だけなら明示したかもしれない。裁判員は動機という主観的な内容まで踏み込むことを避けた。良識を持って冷静に判断した、信頼できる判決」と評価する。


posted by justice_justice at 19:15| ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2010年12月25日

■「暴行致死罪」???ー裁判員裁判と拙速裁判

■讀賣新聞2010年12月2日(西部本社版、朝刊)は、「天神暴行死/裁判員裁判 ずさん判決/高裁指摘/初公判で「破棄」言及」とする記事を載せている。
 裁判員裁判で、殺人罪に問われていた被告人に対し、傷害致死罪のみ認めたのはよかったが、判決に、厳密にいえば、刑法にない犯罪を書いてしまった。「暴行致死罪」だ。
 殺人罪は、故意=殺意に基づく人を殺す行動で、人が死ぬ犯罪。傷害致死罪は、故意=暴行の認識で、人に対して有形力を行使して傷害=健康損傷を招く。ここまでが傷害罪。その結果、死亡した場合、傷害致死罪という。
 とすると、傷害致死罪を事案にそって認定するためには、「暴行の故意ー暴行行為ー傷害結果ー死亡」という要素を具体的個別的に確認しなければならない。
 ところが、、、、
*********
 ◆「傷害の部位・程度欠落」 
 福岡市中央区天神で暴行された男性が死亡した事件で、殺人罪に問われた被告2人に傷害致死罪を適用して懲役10年(求刑・懲役17年)を言い渡した1審・福岡地裁の裁判員裁判について、2審・福岡高裁の裁判長が「判決に法令違反があり、破棄は免れない」と言及したことが分かった。裁判長は、傷害の程度や部位といった犯罪事実が判決に示されていない上に、事実認定にも疑問がある、とずさんさを指摘。控訴審がどのような判断を下すのかが注目される。
 11月30日に福岡高裁で開かれた無職楠原崇寛被告(24)(福岡市中央区天神3)の控訴審初公判で、陶山博生裁判長が「1審判決は傷害致死罪を適用しながら、死につながった傷害の部位や程度が示されていない」と発言。判決に不可欠な理由が示されていない法令違反があると指摘した。「事実認定にも疑問点があり、死に至る客観的事実を確認する必要がある」として、司法解剖を担当した医師の証人尋問を行うことなどを決めた。刑事訴訟法では、事実認定に変更や誤認があったり、法令違反があったりした場合、判決を破棄すると規定。裁判員裁判について法令違反が指摘されるのは異例だ。
 この事件を巡っては、検察側が、楠原被告と知人の男(23)が昨年5月8日、マンションの室内で、吉永幸司さん(当時27歳)の背中や腹などを執拗(しつよう)に殴ったりけったりしたと主張。「激しい暴行を繰り返しており、死亡の危険性は認識できた」として殺人罪で起訴した。
 しかし、今年8月の福岡地裁の裁判員裁判では、「被害者が瀕死(ひんし)状態だと被告が気付かなかった可能性を否定できず、殺意は認定できない」と判断。殺人罪ではなく、傷害致死罪を適用した。
**********
■ブログ編者は、次のようなコメントを掲載してもらっている。
 ◆制度の信頼損ねる/初歩的で重大なミス 識者 
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)の話「傷害致死罪を適用する際に、暴行で生じた傷害を特定すべきだった。初歩的で重大なミスと言える。裁判官は裁判員との評議に気を取られるあまり、判決を書く作業がおろそかになったのではないか」
posted by justice_justice at 23:37| ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

2010年12月13日

■裁判員裁判と死刑ー執行への責務

■1:2010年12月13日の夕方、MBSニュースが、元法相による宮崎勤元死刑囚の死刑執行を選択した話を紹介した。
 ネット配信の文字ベースの記事を引用する。

 「元法務大臣が執行する死刑囚を選んだ経緯を語りました。衆議院議員の鳩山邦夫元法務大臣が、連続幼女殺人事件で死刑が執行された宮崎勤元死刑囚について、「最も凶悪な事件の一つで、こんな奴を生かしておいてたまるかと思った」とJNNのカメラの前で明らかにしました。」

■2:しかし、刑事訴訟法の原則からみても、裁判員裁判時代を迎えた刑事司法のあり方からみても、かかるいい加減な死刑執行はやめてほしい。
 とりあえず、こんなコメントを報道してもらっている。
**************
 この発言について、専門家は問題点をこう指摘します。
 「政治家的な自分の感性で勝手に一つの事件を選び出すこと自体、何の理由も、何の合理性も、何の権限もないこと。今は裁判員裁判の時代ですから、市民自身が必死の覚悟で死刑を言い渡さなければならないという重たい思いの中で選択をする時代になっているのに、他方で政治家である法務大臣がこのような軽い発言をして、死刑を取り扱うこと自体、およそ是認できるものではない」(甲南大学法科大学院 渡辺修教授)
 裁判員制度の導入で死刑判決が他人事ではない時代。鳩山元大臣の発言は改めて波紋をひろげそうです。(13日18:00)


posted by justice_justice at 20:37| ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。