2013年01月04日

■尼崎連続不審死事件(5/End)ーえん罪リスクの高い「シャドウ・ビジネス」

*この項目、五回目で一旦終了する。今後の捜査と裁判の展開にあわせて再開する。

■1: NHKの1月1日のネット配信ニュース(NHK WEB NEWS1月1日 4時46分)、「死体遺棄事件 女性殺害も本格捜査へ」が気になる捜査方針を報道している。
 以下の内容だ。
 「捜査関係者によりますと、去年10月、尼崎市の住宅の床下から遺体で見つかった3人のうち、NK・MR子さん(29)について、一部の親族が『平成20年秋に、角田容疑者のマンションのバルコニーにあった物置に1か月以上にわたって監禁した。物置の内部に取り付けた監視カメラで仲島さんが衰弱する様子を見ていた』と供述しているということです。
 NKさんは高松市で家族と生活していましたが、S・M容疑者らとのトラブルに巻き込まれて一家が離ればなれになり、その後、S・M容疑者のマンションで集団生活をしていました。物置に監禁された際に暴行を受けて死亡し、住宅の床下に埋められたとみられています。NKさんの事件について、捜査当局は今月にも殺人の疑いで親族らの本格的な捜査に乗り出す方針を固め、死亡した状況や遺体が埋められた経緯を解明することにしています」。

■2:これに関連して、毎日新聞(朝刊)2012年12月27日の「兵庫・尼崎の連続変死:橋本さんを監禁暴行、殺人罪で6人起訴」に追加された、次の「残る4件も殺人視野」と題する「解説」記事も気になるところだ。以下、引用して紹介する。
***
 6人の遺体が発見された兵庫県尼崎市の連続変死事件で、神戸地検はH・Jさんの死亡について殺人罪の適用に踏み切った。有識者によると、監禁による死亡で殺人罪を認定した判例はなく、先に発覚したOO・KZ子さん(当時66歳)のドラム缶詰め遺体事件でも傷害致死罪にとどめていた。今回の判断は、残る4人の事件についても極刑の選択肢がある殺人容疑を視野に捜査を続けるという、捜査当局の強い意志の表れといえる。
 Hさん監禁の実行役だったとされるR・MSNR被告は調べで、S・M元被告の指示に従っただけで殺意はなかったと強調したという。S・M元被告の供述調書も『全て私が悪い』という弁解録取書以外になく、監禁場所だった物置が撤去されるなど物証も乏しかった。
 だが、捜査当局は取り調べを録音録画する中で、Hさんの過酷な監禁状況についての供述を得たほか、監禁小屋の再現実験などで客観証拠も積み重ね、殺人罪での起訴にこぎつけた。
 一方、残る4人の事件はいずれも3年以上前に発生しており、供述に頼る捜査はさらに困難になることが予想される。S・M元被告の死亡の影響も否定できないが、捜査幹部は『S・M元被告の供述がなくても立件できる捜査をしてきた』と述べた」。

■3:現状をまとめる。
 S・M容疑者(64)はすでに自殺したが、彼女の関わりのある者ら6人が遺体で見つかり、3人が行方不明になっている。このうち岡山県の海から遺体で見つかったH・Jさんについて、S・M容疑者の親族など6人が殺人罪などで起訴された。
 この場合、刑事裁判における事実認定が思わぬ「落とし穴」に引っかかる危険がでてくる。「シャドウ・ビジネス」だ。
 メカニズムはさほど難しいことではない。S・Mの他6人の共同生活で監禁の事実があり、病死や自然死ではない異常な死に方をした者が複数名いる。遺体も埋葬ではなく、遺棄されている。一人の被害者の殺害について「ある程度の証拠」がある、これで、6名全員に対する殺意のある殺害行為について共謀共同正犯を疑う状態にする。が、「合理的疑い」を超える立証に至るかどうかは、微妙である。このとき、2件目、3件目と同じ状態の証拠を積み重ねる。「影に影を重ねる」。そうすると、影が濃くなる、という幻想を事実認定者が持つ。
 偏見と予断が無意識に働く立証構造の作出である。
 むろん、案外それが社会的にみれば、真実であるのかも知れない。ごく自然なものの見方であるのかもしれない。しかし、刑事裁判では、小さな犯罪を大きな犯罪と見誤る「大小」型えん罪も防がなければならない。
 そのとき、ひとつひとつは影の薄い罪を重ねる立証方法がもつ、潜在的な効果には慎重な配慮が要る。
 「疑わしきは処罰する」原則は、裁判官裁判とともに葬りさらなければならない。
 「シャドウ・ビジネス」。影を巧みに利用した有罪認定の作業は、許すべきではない。
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2013年01月03日

■尼崎連続不審死事件(4)ー「幸せ」否定観/「無縁社会」「孤死社会」の結末/「衰退国家」の「滅亡の哲学」

■1:「滅びの哲学」。
 こんないやなことばが、この事件の記事を読む度に頭をよぎる。
 かつてのオウム真理教をめぐる社会現象をひと言で言えば、”救済を急ぎすぎた歪み”が逸脱を生んだ。が、今回の事件の思想的なひもときができない。肝心の主犯格が自殺した。そんななかで、次の記事が参考になる。
*「昔の瑠衣ちゃんに戻って/尼崎連続変死、娘2人が被害者と容疑者【大阪】」
 朝日新聞2012/12/19(夕刊)
 「6人の遺体が見つかった連続変死事件で、遺族の一人、兵庫県尼崎市のT・Aさん(60)が朝日新聞の取材に応じた。長女と実兄、義母が遺体で見つかり、身を隠した元妻は病死。次女は、自殺したS(・・・)M子容疑者(64)らとともに殺人容疑などで逮捕された。『お父さんも何でもするから、早く立ち直ってほしい』と呼びかけた」。
 彼は、主犯格の精神構造をこのように分析する。
「Sは、頼ってきた人間は懐柔するが、敵対する人間はとことん徹底的にやり尽くす。常に誰かを痛めつけている。
 いま思うと、Sは人の幸せを否定するんですよ。社会的に、いいとされていることを否定したがっていた。RIの成績がいいと聞くと学校を辞めさせたり、おばあちゃん(・・・)が高松の家に贈ってくれた花壇の花を全部切ったり。何でそんなことをするのか、理解できない。」 
■2:「幸せ」否定観。
 おそるべき精神構造だ。
 だが、21世紀に入り、国家日本の、経済、外交、人口、教育、福祉、エネルギーなどなどいろいろな面での「破綻」が目立つ。
 「衰退」、このことばがつきまとう。
 そうした国家社会の精神構造を語ることばこそ「幸せ」否定観ではないか。「衰退」国家の「滅びの哲学」。それが蔓延る社会構造、、、。そして、そうした異様な集団生活が日常の中に溶け込んでしまって、浮かび上がらせることのできない、脆弱な社会基盤。社会の歪みを、社会自体の自浄力では正すことがもはやできない。社会の軋みが、社会の破壊に至るまで放置される状態。
 その病理は、個人を労働力のユニットとして扱い、家族・家庭をそうしたユニットを生み出す自動販売機のように扱ってきた戦後日本の資本主義の精神に求めるべきだろう。「独占資本主義」を巨大化させる一方、そこに蓄積された富を社会に還元して、個人・夫婦・家庭・地域・自治体の「豊かさ」を創造するためには投資しなかったツケが今回ってきた。もはや質の高い労働の担い手となる個人を拡大再生産する力を、日本の社会は失いつつある。
 「無縁社会」と「孤死」がそのシンボル的な表現だ。その狭間で、異様な人間関係が形成されていく。社会の「癌」に例えてもよい。「幸せ」を否定する哲学。「健全」であること自体を嫌悪する情緒。そこに、犯罪が生まれた今回の事件を甘くはみないほうがよい。
 類似の事態が、実は、日本のそこここで進行しているか、進行しようとしていることを予想しなければならない。
 「終末」に向かう社会の崩壊現象の一コマとみておくべきだ。
■3:「正義、建設、勤労、努力、希望、幸福、責任」
 健全であることを揶揄する文化が蔓延り始めたのはいつ頃からか。それを払拭することが、不可欠だ。今、価値観の立て直しをまともに考えて、実践しなければ、崩壊を食い止められない。
 
 尼崎連続不審死事件は、日本社会の根深い病根につながっている。
 それを、じっくりと見極めることが「真相解明」の土台となる。
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2013年01月02日

■尼崎連続不審死事件(3)ー「過去形警察」の失敗/「未来形」警察の待望

■1:この事件を理解するのに次の記事が参考となる。
「兵庫・尼崎の連続変死:男女不明の直後、警察相談応じず−−香川、兵庫の3署」
 毎日新聞2012/10/17(夕刊)
「兵庫県尼崎市の連続変死事件で、行方不明になっている男女2人の親類の男性が16日、取材に応じ、「行方不明になった後、警察に相談したが相手にされなかった」と話した。
 2人はSM被告の息子の妻のS・RI被告(27)の姉(29)と伯父(68)。2人ら家族は高松市内に住んでいたが、親類男性によると、2人は03年ごろ行方不明になったという。
 直後に姉の父親と男性の2人で香川県警高松東署と高松南署、兵庫県警尼崎東署を訪れ「娘と兄が連れて行かれた」と相談したが、「事件ではないので動けない」などと言われたという。父親は、ドラム缶詰め遺体事件発覚後、改めて兵庫県警に相談し、捜査が進展した。
 香川県警は「事実関係を調査している」としている。」
■2:かつてオウム事件があった。20世紀末に発生した未曾有のテロ事件だ。日本の警察は事前にこれを「抑止」できなかった。地下鉄サリン事件発生まで、警視庁も、山梨県警もどの「自治体」警察もオウム真理教関連組織に対する本格的な捜査着手に踏み切らなかった。それどころか、松本サリン事件では、真犯人を見誤る積極ミスを犯した。少し良識を働かせれば、サリンの合成が素人の手軽な家庭の化学でできるものではないことは明白で、事件の背後に巨大なるものがあると疑うべきなのに、長野県警は、Kさんを被疑者として扱って無駄な時間と人材の浪費をした。
 なぜか。
 今回も、市民の日常生活の片隅で異様な事態が進行していた。兵庫県警には、おりおり通報があったのではないか。しかし、たかをくくっていたのだろうか。要するに、「事件」性が「低い」から動かなかったのか。
 最後に、今回は、大阪府警が動いた。兵庫県警にも連絡して、重い腰を上げた。そうすると、とんでもない事件であることが判明した。だが、すべて手遅れであった。
 21世紀に於ける「警察」の機能とはないかが問われる。
■3:「有能な刑事」。つまりは、歴史家だ。過去におきた犯罪を繙く。ただし、日本の伝統では、密室で警察の見込みに従った自白をさせて、無理に歴史を作る。そんな取調べ技術に長けた者が高く評価されてきた。経験科学に従った真相解明にはならない。
 「予防警察」。その有能さを評価するのは実は難しい。「なにもない状態」。これを維持すること。「刑事力」ではなく「警備力」こそ評価するべきだ。
 「警備力」。今までは、公安警察・政治警察の文脈で捉えられがちだ。しかし、違う。今の社会と時代は、「孤立」を特徴とする。夫婦不存在、夫婦関係希薄、親子崩壊、家庭消滅、血縁・地縁疎遠、地域力皆無、、、、「人」は会社など組織にエネルギーを吸収される労働力提供のユニットにすぎない。巨大な「資本主義」の組織のごく小さな歯車、、、。
 せめても、国家がダイレクトに「個人」を守るしかない。
 起きた事件を後で迅速公正に解決する「刑事力」ではなく、起きうる犯罪を未然に確実に抑止する「警備力」。これを柱にした警察組織が求められている 難しいことは分かる。机上の空論であることも認識している。「政治家」には笑い話だろう。だから、「学者」が指摘するべき点なのだ。
鬼平犯科帳00.jpg
(追加)ときどきコンビニで『鬼平犯科帳』を買って電車の中で読むのだが、火盗改の活動として描かれている多くは、実は、過去の犯罪自体の捜査よりも、探索と密偵を使った将来犯罪の探知と直前予防である。物語の世界ではあるが、あってほしい警察とは、このようなものではないか。
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2012年12月31日

■尼崎連続不審死事件(2)ー裁判官の「白黒二分法」/「有罪」作文の作法

■殺人事件の認否
 2012年12月5日朝日新聞(夕刊)「「美代子容疑者、殺意認める/橋本さん殺害で再逮捕/尼崎連続変死【大阪】」は、H・Jさん(当時53才)の殺人事件で逮捕され、すでに起訴された6名について、逮捕前後の段階での認否を整理して紹介した。

 「兵庫県尼崎市の連続変死事件で、県警は5日、同居人のHJさん(当時53)を自宅で拘束、監禁し、殺害した疑いが強まったとして、尼崎市の角田(すみだ)美代子容疑者(64)ら5人を殺人と逮捕監禁の疑いで再逮捕し、発表した。
 逮捕したのは美代子容疑者のほか、義理のいとこのS・MSNR(38)、義理の娘のRI(27)、内縁の夫のA・TR(・・・)(62)、RI容疑者の姉の夫のN・K(43)の4容疑者。養子のKEN(30)と義妹のMIE(59)の両容疑者も5日午後にも再逮捕する方針。
 M容疑者は「悪いのはすべて私です」と殺意と虐待行為を認め、RI、Nの両容疑者も「間違いない」と容疑を認めた。一方、MSNR容疑者は「殺意は認めません」、A容疑者も「殺すつもりはなかった」と否認しているという」。
■「疑わしきは罰する」原則ー裁判官文化の負の遺産
 S・M被告の自殺によって、まだ未発見のものも含む事件の全容解明は困難になる。また、今回起訴された6名についても、共同生活の中で起きた事件であるだけに、Hさんの監禁の事実を知らないとは言えないが、「殺意」を全員について認定できるのか微妙だろう。
 共犯の一人が、積極的に自白する場合には、責任逃れのため、共犯巻き込み・責任押しつけの危険も伴う。
 この場合、日本の裁判官は、意識してか無意識でか、警察・検察の立証の柱にした共犯者供述は「高く信用できる」とまず前提にして、これに反する事実をすべて否定する「作文の技法」、「白黒二分」法が得意だ。裁判員裁判の場合も、このラインに沿って評議をリードする危険が残る。
 一種の「えん罪」の危険が高まる。
 無実の者が有罪とされることも、小さな犯罪の犯人が大きな犯罪で処罰されるのも「えん罪」という。今回の事件では、前者の「白黒」えん罪ではなく、後者の「大小」えん罪の危険が高い。
 その意味で、通常の事件とは異なり、起訴が終着点ではなく、ここからが裁判員裁判をにらんだ、「真相解明」の本番になる。
posted by justice_justice at 09:14 | TrackBack(0) | ■(ケース)尼崎連続変死事件 | 更新情報をチェックする
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