2014年01月28日

■「免訴」−手続を打ち切る裁判と検察審査会の起訴強制(続報)

■「明石市歩道橋事故・解説=「市民起訴」課題残す/専門的判断担うべきか」
2013/02/20 静岡新聞 夕刊 2ページ 917文字 PDF有 書誌情報
 「免訴」。
 滅多に表に出てこない表現だ。
 検察官が起訴した事件について,有罪・無罪の判断をせずに,裁判手続を打ち切る「形式裁判」と分類される。免訴の場合と,公訴棄却の場合がある。どんな場合に打切りとするのかは法律に定めている。
 分かりやすい例が,被告人がなんらかの理由で死亡したとき。裁判を継続する意味がなくなる。だから,死亡を確認する書類が裁判所に届いた段階で,わざわざ公判を開いて確認するまでもなく手続を打ち切る(この場合,「公訴棄却」決定による)。
 公訴時効が成立したかどうか。これは,争いになる。
 今回の事件のように,検察官役に任じられた弁護士は,公訴時効は不成立と判断し,これを支える解釈論と証拠を揃えて,起訴状を作成して公訴を提起する。
 これに対して,被告側が,公判の中で,起訴された事件について,公訴時効が成立している旨争う。
 この場合,他方で,有罪・無罪の争点についても,双方主張と立証を尽くすこととなる。
 裁判所の判断は,公判廷の審理を経てから言い渡すので「判決」の形式を採る。
 「免訴の判決」である。
 今回,裁判所が免訴にしたことに関連して,検察審査会のあり方を批判する向きが表れてくる。が,困ったことだ。
 そもそも刑事裁判は,被告側の十分な防御の結果,無罪になることもある,公訴時効の解釈次第では,これが成立することもありえる。
 この大原則を我が国社会は,重視しない。官僚機構としての警察,検察,裁判所ともに「必罰主義」を組織原理とする。
 社会も,「無罪」を容易に受け入れない。
 おなじく,しろうとが起訴を決める制度を,社会そのものが受け入れようとしない面がある。驚くべきことだ。市民の良識ある判断を,市民こそ支えるべきなのに。
 次の記事も,批判論である。
 
***引用***
 元明石署副署長に対する神戸地裁判決は、有罪無罪を判断する前に、時効の成否を検討し、刑事裁判を開く要件を欠いていると結論付けた。検察官役の指定弁護士は当初から極めて難しい立証を迫られ、強制起訴制度に課題を残した。
 業務上過失致死傷罪の時効は当時5年。既に経過しており、指定弁護士は、実刑が確定した元明石署地域官との共犯関係を立証する必要があった。「共犯者の起訴」に伴い、時効進行が停止するという刑事訴訟法の規定を適用させるためだ。
 だが、殺人や窃盗など故意の犯罪と違い、怠慢や不注意を罰する過失の罪で共犯関係を認めた判例は少ない。限定的なケースにしか成立しないと解釈されている。元副署長と元地域官では立場が違い、事故当時は別々の場所にいたため、さらにハードルが高かった。
 検察審査会は、2人が共犯関係にあると判断したが、こうした専門的な法律判断を検審が担うべきなのかどうか。検証すべき「市民起訴」の新たな課題だろう。
 約1年の裁判を通じて、警備計画策定のやりとりが明らかになったことは公判を開いた成果となったが、強制起訴で職を失い、体調も崩した元副署長の不利益にも目を向ける必要がある。
******

 しかし,この記事が掲載した識者は見識があると(自画自賛も含め)思う。

■公開の審理に意義−諸沢英道常磐大大学院教授(被害者学)の話
 今回のように有罪か無罪かはっきりしない事案については、公開の法廷で白黒をつけるというのが強制起訴導入の目的。免訴という結果よりも、公判が開かれ、遺族が参加したこと自体に意義を見いだすべきだ。これまで日本では、検察が公訴権を独占しており、異常な状態が続いていた。そこに風穴をあけ「市民の起訴」第1号となった点も評価すべきだ。
■判決納得できない−渡辺修甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話
 元副署長は当日の警備責任者であり、元地域官と密接に連絡を取りながら歩道橋の様子を見守っていた。危険を察知したら相互に連絡調整することで、容易に事故を防げたはずだ。予見、結果回避の義務があった上、権限と責任を分担共有していたのだから、過失の共同正犯に当たる。単独の過失も共同過失も否定した判決は納得できない。
posted by justice_justice at 05:28 | TrackBack(0) | ■(ケース)明石歩道橋事件 | 更新情報をチェックする

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