2014年01月15日

■平田信事件ーオウム真理教関連犯罪と裁判員裁判

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1 「オウム真理教」関連裁判がまたはじまる。平田信元信者に対する仮谷さん逮捕監禁事件と某大学元教授宅爆弾事件。南青山総本部火炎瓶事件だ。
 こうした一連の教団関係事件の象徴は,1995年3月に発生した地下鉄サリン事件だ。そして,同月末の当時警察庁長官であった国松氏狙撃事件が発生。これも,警察サイドは,有力な別の容疑者がいたが,教団関係者によるものとして捜査。
 96年4月の元教組麻原彰晃の初公判。やがて2006年にはその麻原彰晃の死刑判決が確定し,2010年には警察庁長官狙撃事件が時効を迎える。事件がはじまり,終局していった。
 東京など各地の地裁に事件係属中,当時勤務してた大学のゼミ生とともに上京するなどして裁判を傍聴した。20世紀末を象徴する事件の意味を若者達とともに探るために、、、
2 21世紀が1/10進んだ今,オウム真理教の教団を育んだ精神風土はどうなっているのか。世紀末から「新世紀」への時代の変わり目は,日本社会の精神構造の革新をもたらしつつあるのか。それとも,社会心理の病理は,さらに深化してるのか。
 過去を振り返る平田信元信者の裁判を通して,我々は,現代と近未来を見通す知見を得なければならない。
 この集団を,20世紀末に発生した「カルト」集団と呼ぶのはたやすいし,地下鉄サリン事件は,狂気の犯罪としかいいようがない。
 が,信者には有名大学を出て将来エリートとして日本社会をリードすることを期待できた者が多数いた。彼らが数々の凶悪犯罪を計画的に大胆に実行した。だから,世紀末の社会病理の深さを暗示させた。衝撃は大きかった。だが,解決策の目途がたたないまま裁判のみ終局した。
3 それから四半世紀が立つ。今度は,市民が刑事裁判の主人公となる新しい時代に,平田信の事件が裁かれる。死刑囚である井上嘉弘,中川智正,林泰男が証人に立つ。平田信が起訴されている假谷清志さん逮捕監禁事件と島田元教授宅爆弾事件は,オウム真理教事件の伏線となるものであり,当時の教団の考え方と組織原理がよく表れている。
 お布施をする財産のある信者を教団施設に囲い込んで逃さない強引さ,自作自演の犯罪を起こしてでも教団を守ろうとするしたたかさ,教祖の指示に従い世俗の法を無視して大胆に犯罪を実行する帰依心の強さなどなど。
 それを裁くのは,市民だ。
 20世紀末から21世紀初頭にかけて,刑事裁判は装いを大きく変えた。「市民主義」裁判の導入だ。市民は裁判員として自ら裁判に関与する。被害者は,被害関係人としてやはり法廷の主人公となる。
 かえって事件を冷静にみることができる。
4 地下鉄サリン事件発生当時連日マスコミを賑わしたオウム報道は遠い記憶となっている。社会が被った惨劇という意味ではその後の東日本大震災,東電原発事故などが現在も大きな爪痕を残している。その意味で,オウム真理教に対する予断・偏見が全面にでる裁判にはなるまい。それに,ここ数年の裁判員裁判の経験から,市民が法律家とともに冷静に証拠を評価し,厳正に量刑をおこなっている実績が積み上げられている。市民良識は,強靱であって,一過性のマスコミ報道に強く影響されることはない。
 市民の別のグループ,被害関係者は,今や傍聴席から法廷へと席を移し自ら刑事裁判の主体となっている。被害関係者の刑事裁判への参加の権利の発展する時期と一連のオウム真理教関連事件の裁判が進行する時期とも重なる。
 ただ,被害者が求める「真相解明」は,刑事裁判で解明すべき真実とはもともとずれる。
 しかも,オウム真理教関連事件では,麻原彰晃元教組が心を閉ざして久しい。教団の内実を解き明かすことは無理だ。
 それでも,まず,平田被告がなぜこの教団に属したのか,その理由と内部にいて感じたもの,一連のオウム真理教関連犯罪を内側からどうみていたのか,なぜ事件周辺にいることとなったのか,そして,今容疑を否認するにしても,では,主たる犯罪の容疑者ではないのに,17年間逃走を継続したのは何故か,その信念がなにか問い質したい。元教組あるいはオウム真理教の教義への帰依心があるのか,なぜ消えたのか。今は何を支えに活きているのか。今は,一連の事件についてどう受けとめているのか。こういったことも「市民」の目線でぜひ問い質してほしい。
 次に,3人の元教団幹部が,今はカルトの影響を離脱できたのか,それはどうしてか,今は一連の事件をどう思っているのか,市民が自ら問い質す最後の最良の機会としてほしい。
5 20世紀末に「狂気の犯罪」を招いた原因ー「人と人とのつながりの希薄化」ーこれが,21世紀日本社会にはもっと拡散している。個人がしっかりとした家庭基盤,地域基盤,社会基盤をもちながら,企業に属して労働に従事する健全な個人主義社会は,未確立のまま,「少子高齢化」という国家消滅のリズムに入っている。
 それだけに,20世紀末のオウム真理教教団による組織犯罪を一過性の特異な「カルト犯罪」などとして歴史の彼方に置き去りにすることはできまい。若者達を集めた集団が結果としては凶悪な犯罪に走ったことは,強く非難すべきだ。だが,その根底にある社会のありかたへの警鐘,この国の社会のあやうさ,もろさ,教組の命令を絶対と受けとめて行動する教団内部の精神構造が生まれた基板等など,これからの日本社会を考えるにあたり,真剣に解き明かすべきテーマは多い。。
posted by justice_justice at 06:18 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

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