2014年01月10日

■「死刑囚」オウム真理教元信者達の証人尋問ー「密室裁判」か「公開法廷」か(下)

■「死刑囚、どこで証人尋問/検察『非公開』・弁護側『公開を』/オウム・平田被告の裁判」
朝日新聞2013/04/12(朝刊)
***引用***
 死刑囚を、公開の法廷で証言させるべきか――。オウム真理教元幹部・平田信(まこと)被告(48)の裁判員裁判を前に、そんな難題に対する議論が白熱している。猛反対する検察側に対し、裁判所や弁護側には公開の原則を重く見る考えが根強い。
 「検察が挙げている理由は抽象的すぎる。公開の原則に矛盾するどころか、理屈が乱暴だとさえ感じる」
 あるベテラン刑事裁判官が憤慨した。「検察の理由」とはいったい何か。
 平田被告は、1995年2月の東京・目黒公証役場事務長拉致事件など三つの事件に関与したとして、逮捕監禁罪などに問われている。初公判の日程は未定で、いまは裁判所と検察側、弁護側が、争点や進め方を整理している段階だ。
 平田被告は起訴内容を否認しているとみられる。事件への関与を証明するのに欠かせないとして、検察側はオウム元幹部の井上嘉浩(43)、中川智正(50)、林(現姓・小池)泰男(55)の各死刑囚の証人尋問を請求し、実施が決まった。場所は収容先の拘置所とし、非公開を求めた。
 理由はこうだ。(1)死刑囚は日ごろ外部との接触を厳しく制限され、死刑執行に向けて特別な環境で過ごしている。法廷で傍聴人らを見て、心情が乱されるおそれがある(2)拘置所なら移動する必要がなく、逃走や、教団関係者による身柄奪還のおそれがない――。
 ベテラン刑事裁判官が「乱暴」とかみつくのは、とくに「身柄奪還のおそれ」の点だ。「教団の動きがいまより活発だった時ですら、教団幹部の裁判はごく普通に公開の法廷で行われた。それを今、『奪還のおそれがある』と言われても説得力に欠ける」
 憲法は、裁判を公開の法廷で開くことを大原則としている。人が裁かれる行為は、誰の目からも見えるところで公正に行われるべきだとする考えからだ。市民が参加する裁判員裁判が導入され、より原則を大切にすべきだという意見は、裁判官を中心に多い。
 一方で、死刑囚の心情に配慮すべきだという声も根強くある。「刑執行を控え、死刑囚は毎日、極限の状態にある。外の自由な世界に触れたとき、自身の境遇とのギャップにどんな気持ちが芽生えるか分からない」(法務省幹部)
 そもそも死刑囚への証人尋問自体、極めて異例だ。70年代に起きた「連続企業爆破事件」の裁判で、東京地裁が99年、東京拘置所(東京都葛飾区)で実施した例などがある程度だ。このときは非公開だった。
 平田被告の裁判は、東京地裁が今後、検察側と弁護側の意見を聞きながら尋問の場所や方法を決める。弁護側は、憲法の原則に従って公開の法廷での尋問を求めていくとみられる。
 オウム関係者では、菊地直子被告(41)と高橋克也被告(54)も起訴されている。やはり、死刑囚の証人尋問が想定される。
 地裁関係者はいう。「平田被告の裁判でのやり方は先例になる。それを念頭に検討しなければならない」
■外の世界へ未練募らす
 <元裁判官の山室恵(めぐみ)弁護士の話> 1999年に裁判長として死刑囚の証人尋問を東京拘置所で実施したが、「心情の安定」を最優先にした。これは「裁判の公開」の原則を優に上回る。死刑は国家がやむを得ず行う殺人で、死刑囚が心を乱す事態はできる限り避けるべきだと考えた。証人として来ているのに、傍聴席から「人殺し!」などと言われるのは避けたい。また「外の社会」、つまり「生きることを許された人間の社会」への未練を募らせてほしくなかった。

■市民の下、被告人の権利
 <渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話> オウム事件からすでに長い時間がたち、テロや奪還の可能性はもはや考えられない。死刑囚の心情安定については、遮蔽(しゃへい)などの方法でケアできる。公開の法廷で、市民監視のもとで裁判を受けるのは被告人の権利。証人は法律家が支配する閉ざされた空間でなく、公開の裁判に出るからこそ、その責任感から真実を語ることが担保される。原則に従って、公開の法廷で証人に尋問し、真実を明らかにするべきだ
posted by justice_justice at 14:15 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

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