2014年01月08日

■「死刑囚」オウム真理教元信者達の証人尋問ー「密室裁判」か「公開法廷」か(上)

■「オウム死刑囚の法廷尋問、背景に技術進歩/裁判員制度も影響」
 朝日新聞2013/06/18(朝刊)の記事のタイトルだ。
 これは,2013年の前半によく話題となったテーマのひとつである。
 死刑囚の証人尋問を公開の法廷で認めるべきか。
 さほど説得的な理由ではないが,東京拘置所とその意向を汲んだ東京地検は猛反対。なにかと秘密主義,官僚主義の価値判断が先に来る国なのでやむを得ないが,非常識だ。
 すこし検討しよう。
 
***記事引用***
 法廷か、拘置所か――。東京地裁は17日、オウム真理教元幹部・平田信被告(48)の裁判で死刑囚3人の証人尋問を公開の法廷で行うと決めた。拘置所での尋問を求めてきた検察当局は、懸念を隠さない。▼1面参照
 「死刑囚を見せ物のように扱っていいのか」。地裁の決定に、検察幹部は一様に批判を口にした。
 元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授(刑法)が解説する。「拘置所では日常的に死刑囚の心情を安定させ、内省を深めながら死を受け入れられるようにしている。今回の地裁の判断は妥当とは言えない」
 そうした指摘があってもなお、東京地裁が死刑囚の証人尋問を裁判所で行うことを決めた背景には、刑事裁判の大きな変化がある。
 同地裁は1999年、拘置所で死刑囚への尋問を行った。だが翌年、刑事訴訟法が改正され、裁判所内の別室と法廷をモニターでつなぐ「ビデオリンク」での尋問や、証人と傍聴席との間に壁を設けて視線をさえぎる措置が可能になった。一般的には事件の被害者に配慮したものだが、これらを死刑囚の証人尋問に適用すれば、検察側が主張する心情の安定が一定程度図れるうえ、警備もしやすい。
 4年前に裁判員制度が始まったのも大きい。法廷外の密室でつくられた調書よりも、第三者の監視のもと、公開の法廷で生の言葉を聞く「直接主義」「口頭主義」が大切にされる。
 あるベテラン判事は「各死刑囚がどうしても出てこられない具体的な理由があれば、検討の余地はあるだろう」と話した。
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 ブログ編者のコメントは当然,公開裁判優先の考えだ。
 ましてや,証人尋問予定の名前を聞けば,彼らが,死刑囚としての心情の安定のためにも,公開法廷での証言をさせないほうがいいなどという国家権力の都合を押しつける手続の進め方に納得しようはずがない。それこそ,死に行く者の心情を大きく損なう取扱となる。新聞記事の限りでは,本人等とじっくりと話した形跡もない。「心情安定」の押しつけはするべきではあるまい。
 むろん,被告人の防御権の重視,裁判員裁判における公開主義の徹底なども重視するべきだ。
 また,元オウム真理教関係者によるものとでも想定するのか,本気でなのか,よくわからないが,証人尋問出廷の前後に,身柄奪回のおそれがあるという,荒唐無稽の憶測を出してまで,公開裁判を妨げようとする発想方法にはついて行けない。
 この記事では,次のコメントを付した。

■公開の場で証言、被告の重大権利
 <渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)の話> 東京地裁の判断は当然だ。公開の法廷で、裁判員だけでなく傍聴人も注視するなかで証言を聞くことは、被告にとってきわめて重要な権利だからだ。公開の場で裁判が進むことで、適正な手続きが担保される。裁判員制度のもとであれば、なおのこと、尋問を密室で行うのではなく、傍聴人がいる場で行うことが大切だ。今後、遮蔽(しゃへい)措置やビデオリンクの採用もあり得るが、まずは完全な公開を前提に検討すべきだ。

posted by justice_justice at 04:11 | TrackBack(0) | ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする

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