2013年01月02日

■尼崎連続不審死事件(3)ー「過去形警察」の失敗/「未来形」警察の待望

■1:この事件を理解するのに次の記事が参考となる。
「兵庫・尼崎の連続変死:男女不明の直後、警察相談応じず−−香川、兵庫の3署」
 毎日新聞2012/10/17(夕刊)
「兵庫県尼崎市の連続変死事件で、行方不明になっている男女2人の親類の男性が16日、取材に応じ、「行方不明になった後、警察に相談したが相手にされなかった」と話した。
 2人はSM被告の息子の妻のS・RI被告(27)の姉(29)と伯父(68)。2人ら家族は高松市内に住んでいたが、親類男性によると、2人は03年ごろ行方不明になったという。
 直後に姉の父親と男性の2人で香川県警高松東署と高松南署、兵庫県警尼崎東署を訪れ「娘と兄が連れて行かれた」と相談したが、「事件ではないので動けない」などと言われたという。父親は、ドラム缶詰め遺体事件発覚後、改めて兵庫県警に相談し、捜査が進展した。
 香川県警は「事実関係を調査している」としている。」
■2:かつてオウム事件があった。20世紀末に発生した未曾有のテロ事件だ。日本の警察は事前にこれを「抑止」できなかった。地下鉄サリン事件発生まで、警視庁も、山梨県警もどの「自治体」警察もオウム真理教関連組織に対する本格的な捜査着手に踏み切らなかった。それどころか、松本サリン事件では、真犯人を見誤る積極ミスを犯した。少し良識を働かせれば、サリンの合成が素人の手軽な家庭の化学でできるものではないことは明白で、事件の背後に巨大なるものがあると疑うべきなのに、長野県警は、Kさんを被疑者として扱って無駄な時間と人材の浪費をした。
 なぜか。
 今回も、市民の日常生活の片隅で異様な事態が進行していた。兵庫県警には、おりおり通報があったのではないか。しかし、たかをくくっていたのだろうか。要するに、「事件」性が「低い」から動かなかったのか。
 最後に、今回は、大阪府警が動いた。兵庫県警にも連絡して、重い腰を上げた。そうすると、とんでもない事件であることが判明した。だが、すべて手遅れであった。
 21世紀に於ける「警察」の機能とはないかが問われる。
■3:「有能な刑事」。つまりは、歴史家だ。過去におきた犯罪を繙く。ただし、日本の伝統では、密室で警察の見込みに従った自白をさせて、無理に歴史を作る。そんな取調べ技術に長けた者が高く評価されてきた。経験科学に従った真相解明にはならない。
 「予防警察」。その有能さを評価するのは実は難しい。「なにもない状態」。これを維持すること。「刑事力」ではなく「警備力」こそ評価するべきだ。
 「警備力」。今までは、公安警察・政治警察の文脈で捉えられがちだ。しかし、違う。今の社会と時代は、「孤立」を特徴とする。夫婦不存在、夫婦関係希薄、親子崩壊、家庭消滅、血縁・地縁疎遠、地域力皆無、、、、「人」は会社など組織にエネルギーを吸収される労働力提供のユニットにすぎない。巨大な「資本主義」の組織のごく小さな歯車、、、。
 せめても、国家がダイレクトに「個人」を守るしかない。
 起きた事件を後で迅速公正に解決する「刑事力」ではなく、起きうる犯罪を未然に確実に抑止する「警備力」。これを柱にした警察組織が求められている 難しいことは分かる。机上の空論であることも認識している。「政治家」には笑い話だろう。だから、「学者」が指摘するべき点なのだ。
鬼平犯科帳00.jpg
(追加)ときどきコンビニで『鬼平犯科帳』を買って電車の中で読むのだが、火盗改の活動として描かれている多くは、実は、過去の犯罪自体の捜査よりも、探索と密偵を使った将来犯罪の探知と直前予防である。物語の世界ではあるが、あってほしい警察とは、このようなものではないか。
posted by justice_justice at 06:31 | TrackBack(0) | ■(ケース)尼崎連続変死事件 | 更新情報をチェックする

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