2012年02月18日

■「訴因変更」ープロの世界から、「市民主義」の世界へ

■危険運転致死罪と自動車運転過失致死罪の狭間ー故意・過失二元主義の限界(続報)

■「加西兄弟死亡/危険運転に変更請求/あいまい基準に司法判断も迷走」
 2012年2月1日産経新聞(朝刊)は、「運転手を「過失犯」として起訴してから、わずか1カ月。神戸地検は異例ともいえるスピードで当初の判断を見直し、より立証が難しい「危険運転罪」への訴因変更請求に踏み切った」とする紹介記事を載せる。
 「酒に酔って人身事故を起こして、人を死亡させる」。
 これをどんな犯罪として処罰するか。
 本件では、兵庫県加西市で2011年12月、皆既月食の観測から帰る途中の小学生の兄弟が飲酒運転の軽トラックにはねられ死亡した。54歳の建設業の男性が当初は、自動車運転過失致死と道交法違反(酒気帯び運転)の罪で起訴された。新聞記事では、事故前、複数の店で飲酒したという。だらしのないことだ。自らも父親であるかも知れない年代の初老の人間が生活の基本ルールを破って社会の未来を託すべき子どもの命を奪った。
 今どう後悔しようとも追いつかない。
 ところで、詳細は承知しないが、ご家族の方々などが訴因変更を求める署名活動などを行い、事実上、検察庁に証拠の見直し、補充捜査をする圧力を強めた。「市民主義」の時代にふさわし被害関係者の運動だ。
 この結果、検察庁が訴因変更という形で、プロの判断を見直すこととなった。
■さて。
 運転時には、酩酊である。多かれ少なかれ正常な認識と判断ができない状態だ。
 我が国は、大きくは、ふたつの犯罪で捉えようとする。
 ひとつは、自動車運転過失致死罪だ。この場合、法律が定める刑の上限は、懲役7年だ。
 もうひとつある。一般に、危険運転致死罪とよばれているもの。刑法208条の2は次のように定める。
 「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。」
 この結果、有期懲役刑の上限、20年以下によって処罰できる。ふたつの犯罪の量刑面の落差は極めて大きい。
 そして、日本の刑法が、犯罪を構成する法的な条件のうち、犯人の心の状態に注目したとき、「故意」、「過失」という大括りにするのに留める。
 危険運転致死罪は「故意犯」。とすると、酩酊状態であって、正常な運転ができないのに、その状態を正常に認識していることを必要とする、、、というまか不思議な犯罪になる。
 立証はむずかしい。
 「かなり酔っていて、正常な運転ができないと正常に認識していました」
 こんな自白?を密室でとっても、さほど信憑性はない。
 客観証拠、状況証拠で判断するとなると、自動車運転過失致死罪と重なる。
 検察庁が自動車危険運転致死罪の運用に身長になるのは、刑法の二元主義が背景にある。

■上記誌に、こんなコメントをだした。
 今回の訴因変更請求について甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「当初は慎重を期して過失犯として起訴したが、被害者側の意向をくんで改めて証拠を評価し、危険運転罪の適用も可能と判断したのだろう。市民参加型の司法の流れを考えれば、不合理ではない」と話している。
posted by justice_justice at 07:05 | TrackBack(0) | ■裁判ー起訴された事件 | 更新情報をチェックする

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