2011年12月31日

チャイコフスキー『悲愴』ー2011年12月31日

*YouTube 『悲愴』より
http://www.youtube.com/watch?v=3gCtptcJY0I

 親しくしている研究者から、チャイコフスキー『悲愴』を勧められた。
 チャイコフスキー自身がフランス語、"Pathétique"を使って曲名としたとのこと。交響曲第6番。「悲愴」と訳すようだ。「勇ましさ」と「哀しさ」が混じりながら、アクションを起こさざるを得ない状態をいう。耐えて何もせず忍ぶ状態ではない。

 この言葉から、「『法科大学院』のこれから」というテーマをみてみると興味深い。個々の法科大学院としても、そして、国家日本の法曹養成という観点からも、「悲愴」なる決意が要る。
 何故なら、74ある法科大学院全てが健全な形で存続し、なお「質高き法曹養成」を実現することはもはや敵わない。相当数が脱落、消滅する、、、、
 相当の犠牲の上に、世界規模でリーダーシップを取れる日本の諸活動をサポートし、リードし、プロテクトする法曹が育つインフラができあがるだろう、、、そうならなければ、国家・日本が危機に直面する。

 そして、もう少し広く日本のありかたも「悲愴」という言葉で見てみた。
 「ヒロシマ」から「フクシマ」へー「被爆国」から「加爆国」へー2011年、今年、我が国は、歴史的状況を大きく変えてしまった。といって、なにかを座して待つことなどできない。
 国家・日本の21世紀の運命は、だから、この「悲愴」という言葉で記述するのが適当であるのかも知れない。

 その先にある姿が、周辺の大国に吸収されたベネティア型の運命を辿るのか、いまだに続く栄光ある孤立、とでもいうべき外交を展開するイギリス型に収まるのか、、、それとも、国家として消滅するのか、、、。
 あるいは、「明治維新」により中世国家から近代国家に脱皮したように、これに匹敵する「現代型革命」を経て、「再生日本」として世界に冠たる国家に立ち戻るのか、、、先は分からない。
 ただ、「悲愴な決意」で、「再生日本」に向かって、信ずる道を前向きに進むしかあるまい。                            ー2011年12月31日、研究室にてー
posted by justice_justice at 09:29 | TrackBack(0) | ●教養ー一般 | 更新情報をチェックする

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