2011年12月03日

福井女子中学生殺害事件続報ー虚構としての「検察の正義」

■読売新聞(朝刊)2011年12月1日、「[スキャナー]女子中生殺害再審/新旧の証拠/総合判断/検察側立証の甘さ突く」は、まず、「1986年に福井市で起きた福井女子中学生殺害事件で、名古屋高裁金沢支部は30日、殺人罪で懲役7年の実刑判決を受けて服役し、冤罪(えんざい)を訴えていた前川彰司さん(46)の再審開始を決定した。新旧の証拠を総合的に判断する再審請求審の流れが定着しつつある」と総括する。
 その上で、次のような解説を加えている。
***(引用)***
 「新旧全証拠を総合して確定事実が合理的な疑いを入れることなく認定できるか」。伊藤新一郎裁判長は、最も重視するポイントを決定文にそう明記した。再審開始の条件を「すべての証拠を総合的に判断し、確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じれば足りる」とした75年の最高裁「白鳥決定」の趣旨を、最大限尊重したと言える文言だ。」
 「今回の決定では、確定判決を覆すような決定的な新証拠がない中、弁護側さえ「一つひとつは弱い」と認める証拠でも、刃物、車内の血痕、犯人像の3点に分け、丹念に吟味された」。
 「決定的な新証拠でなくても、開示された証拠などの総合判断で検察側の立証の甘さを突く流れが、今後、定着する可能性は高い」。
 「05年に公判前整理手続きが始まり、検察官は、争点に関わる証拠を原則開示しなければならなくなった。このルールは再審請求審には直接適用されないが、再審請求審でも幅広い証拠開示が求められる傾向が強まっている」。
***引用終了***
 これに関連して、次のコメントを掲載した。
■渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「我が国では参考人の調べも密室で行われ、虚偽の証言を生む危険性があると指摘されながら、改善されてこなかった。今回の決定は、参考人の証言に疑問や不合理な点がある同様の事例について、救済の道を開く点で意義深い」と話す。

「正義」、「真相解明」、「公正」。
 検察の職責を飾るべき言葉がこれだ。
 しかし、地に落ちた、としか言いようがない。
 検察は、得体の知れない「組織の論理」に埋没して、被告側に有利と思われる証拠を平気で隠蔽する。そうした体質が染み込んだ「組織」になっている。個々の生身の人としての検事の集合体が、「組織」として動くとき、独自の意思を持つ。官僚組織としての自己保存本能は、あまり賢くない。強引に有罪を作り出すために、捜査権限を行使する、収集した証拠は、有罪立証に役立つもの以外は被告側に開示せず、抱え込む、被疑者取調べ、参考人取調べの録音録画でそうした闇の部分が明るみに出るのを極力回避する、、、、
 かつて、学界では、被疑者・被告人と弁護人が検察官と対等であることを構造上明らかにするために、検察官を裁判所を頂点とする当事者主義裁判構造の中で、いわば「一介の当事者」にすぎないと位置付ける議論が有力であった。
 だが、それが、単なる当事者でありながら、強大な国家権力を行使できる状態に置かれる、というきわめていびつな「検察」図を作り出した。その典型例が、証拠開示と取調べの密室化である。捜査段階で作成された検察の有罪心証で固められた調書を裁判所が引き継ぐ儀式を「刑事裁判」という、そんな状態が長く続き、今もその体質が染み込んだママである。
 今回の再審決定は、そうした歴史的限界の中で生み出されたえん罪を救済するための柔軟な事例判断を示した。
 再審は、いわば「第4審」としての再度の事実審となる。それで、いい。
posted by justice_justice at 06:45 | TrackBack(0) | ■再審ーえん罪救済 | 更新情報をチェックする

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