2011年10月22日

■「訴因変更」−防御と「刻の重み」

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■1 この夏から、山陽新聞で興味深い刑事事件の紹介があった。被告人は、窃盗犯のいわば黒幕として共謀共同正犯で起訴された人物。ところが、検察が、なにを間違えたか、実際に窃盗を行った日付けについて、被害届と異なる日として起訴。弁護側は、実行日の直前に指示を出したという検察のストーリーを前提にして、謀議=窃盗の指示はしていないと主張。誤って実行日とされた前日、つまり、検察のストーリーでは窃盗の指示がなされた日については、アリバイがある旨主張して、その立証に努めてきた。
 ところが、証拠調べが終わり、結審して、判決を宣告する日の前日に、検察官が訴因変更を裁判所に申し立てたという(以上、山陽新聞2011年8月19日(朝刊)より要約)。

 むろん、こうした検察の訴因を変更する権限の行使のありかたは、不当極まりない。
 その中核となるのは、「防御の刻」の重みだ。
 被疑者として、逮捕勾留される、その間、取調べなど捜査の対象となりつつ、防御の準備をする、起訴される、起訴後勾留になり、さらに弁護人と打ち合わせて防御準備をする、弁護人も様々な調査を行なう、、、真相解明は「刻の重み」の中で進む。
 とくに、一市民にとっては、人生のかけがえのない時間を使って、拡散する証拠を必死に集めることとなる。
 官僚機構である検察官、裁判官が書類仕事で事件を担当するのとは訳が違う。
 その痛み、重み、苦しみを、深刻に受けとめなければならない。
 「もう一度、アリバイの主張をやりなおせばよい」。
 冗談ではない。
 「8月19日の実行行為」に対応する謀議の日、「8月18日」のアリバイを立証するために、全力を上げてきた被告側に、検察が「ごめんごめん、実は、20日が実行日だった。それで、やりおなすからよろしく」と笑って済まされては困る。
 弁護活動は、、全くのやりなおしとなる。

■刑事訴訟法に詳しい甲南大法科大学院の渡辺修教授は「判決前日の変更は弁護側の反論の機会を奪いかねず、明らかに検察の権限乱用。地裁は変更を認めてはいけない」と指摘(山陽新聞2011年8月19日(朝刊))


■2 10月13日、この事件を扱っている地裁は、検察官の判決日前日に申し立てられた訴因変更を結局許可しなかった(山陽新聞、2011年10月14日(朝刊))。当然だ。
 但し、もともと、共謀共同正犯とは、実行行為に対応する謀議への関与があれば、処罰する犯罪である。特定の実行行為が立証され、これに対応する指示がなされたこと自体は「合理的疑いを超える証明」がなされている、と言える場合はありえる。
 だから、今回の事例でも、たしかに、実行行為日は誤った記載になっているから、その日には実行されなかったと認定されよう。しかし、別の日にはやはり窃盗はあった。
 そして、被告人が実行犯に、実行に対応する指示をする関係にあったことが他の証拠で裏付けられるとやはり処罰は免れない。

■甲南大法科大学院の渡辺修教授は「被告が仲間に指示したことを検察が立証できれば、有罪の可能性も残される」としている(山陽新聞2011年10月14日(朝刊))。


■ どうも「検察の体質」がおかしい。「一介の当事者」として強引に、有罪に持ち込むために、「厳正な刑罰実現」のために国家が行使すべき訴追権限を無理に、不当に、ときに、不正に行使しようとする次元の低さが目立つ。今回の事件も、ずさんな証拠整理、事件解明の過ちを、被告側の負担に置き換えてでも、有罪に持ち込もうとしたもの。
 「検察の本分」。
 武士道が語るべき正義の在り方を現代社会に取り込んだ、「公(おおやけ)」へのストイックな姿勢を官僚機構に求めるのは無理なのかも知れない。

 弁護人の懸命な反論と反撃が功を奏したのではないか。
posted by justice_justice at 08:10 | TrackBack(0) | ■裁判ー起訴された事件 | 更新情報をチェックする

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