2011年06月02日

■小沢「陸山会」事件ー「政治家」と「政治リーダー」

■ネット配信ニュース、asahi.comは、「小沢氏側、全供述調書に同意しない方針/陸山会事件公判」と題する記事を、2011年5月19日、5時0分に配信している。
 次のような内容である(以下、引用)。
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. 民主党元代表・小沢一郎被告(68)の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、小沢氏の弁護側は18日、小沢氏本人や元秘書らを含む捜査段階のすべての供述調書について、証拠採用に同意しない方針を、東京地裁と検察官役の指定弁護士に伝えた。小沢氏の強制起訴を決めた検察審査会の起訴議決の有効性も争う姿勢を示した。
 検察審査会が昨年10月に起訴議決を公表したのを受けて、指定弁護士が今年1月に政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で小沢氏を起訴した。公判前に争点や証拠を整理する手続きが進んでおり、指定弁護士が公判で調べるよう求めた163点の証拠に対して、弁護側がこの日、初めて意見を明らかにした。初公判は秋以降になるとみられるが、同意しない供述調書が多ければ、証人が多数出廷することになり、公判は長期化することになる。
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 この件について、すこし古いが、検察審査会で起訴強制が決定されたときに次のコメントをいくつかの新聞で採用してもらっている。

■「小沢元代表強制起訴/識者の見方は―渡辺教授「市民主義」新たな原理」
 ー2011/02/01信濃毎日新聞(朝刊)ー
 小沢一郎元代表が強制起訴されたことは「市民主義」が刑事裁判で正義を実現する新たな原理になったことを物語っている。
 これまで検察官は「必ず有罪にできるかどうか」を基準に起訴か不起訴かを決めてきたが、今回のような政治家の犯罪では、必ずしも市民の期待に応えてこなかったのではないか。
 検察審査会は、これまで主に身近な犯罪に対応してきた。しかし、今後は政治家の犯罪のように民主主義社会をゆるがせにする重大事件でも刑事裁判に持ち込ませる力を持つことになった。
 再三、小沢元代表を不起訴にした検察は市民主義が理解できていなかったのだろう。政治家の犯罪は、検察が事前に判断するのではなく、法廷で有罪か無罪かを決めるべきだ。
 公判では、小沢元代表が政治資金収支報告書の内容を認識していたかが焦点になる。検察官役の指定弁護士は通常の事件と同様に、刑事裁判の鉄則である「合理的疑いを超える証明」を尽くさなければならない。
 一方、小沢元代表は、法廷では黙秘権が保障される被告になるが、市民が納得できる説明をする政治家としての倫理上の責任がある。政治資金の不明朗な処理を「秘書の責任」と簡単に言い逃れることは許されない。
  2011/02/01 東奥日報朝刊/2011/02/01 中国新聞朝刊/2011/02/01 西日本新聞朝刊/熊本日日新聞朝刊 2011/02/01など。

■ 政治家も、被告人たる地位にある限り、防御権を駆使して刑事裁判の鉄則の枠内でしか有罪とされない権利を十分に保障されるべきである。
 他方、「金」にまつわる不始末は、「政治家」としては現在の日本では、嫌われる。
 そうした人間に、政権を委ねる機運はもりあがらない。
 政治の駆け引きの世界を市民はひややかに見ている。
 ことに、今、日本は、未曾有の危機に直面している。21世紀に入って間もなく、歴史的には、国家日本の消滅の危機に直面しているとさえ言っていい。
 だが、「政治」に関わることのできるグループは、「駆け引き」政治に終始している。小沢氏の管政権打倒の姿勢もその程度のものだ。
 その目から、彼の裁判闘争の記事をみると、政治家(せいじ「か」ではなく、せいじ「や」)の駆け引きの一コマにしか映らない。

 「市民主義」の浸透とこれに基づく国家理念の提示、これを推進できる「政治リーダー」の登場。
 それを俟ちたい。
 

posted by justice_justice at 06:33 | TrackBack(0) | ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする

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