2011年05月25日

■平野放火殺人事件ー吸い殻を捨てた警察、黙認した検察

■ 平野放火殺人事件で、またとんでもないことが明るみにでた。現場付近の踊り場に置かれた灰皿にあった吸い殻が廃棄されていたのだ。
 そして、一審、控訴審、上告審と検察官は、この事実を熟知し、弁護側が証拠開示を求めていたのに、「開示の必要がない」とのひと言で、隠蔽を図っていたのだ。
 最高裁は、この吸い殻のDNA鑑定をしていないことを不審に思い、この状態では、被告人が犯人とも無罪とも判断しかねるとして、控訴審、一審の有罪判決を破棄して、一審に差戻とし、審理をやり直すことを求めた。
 その場合、「破棄判決」の拘束力が及ぶ。この点について、やや専門家向くが次のようなコメントを掲載している(■毎日新聞2011年5月19日(夕刊))。

「無罪言渡しも
 最高裁判決が指摘した審理不尽の才代のポイントは、吸い殻に関する十分な鑑定がなされていないことを解消していないということだった。重要証拠である71本のDNA鑑定ができないままであれば、破棄判決の拘束力によって無罪を言い渡さなければいけないことも考えられる。」

■ それにしても、我が国官僚司法のでたらめさがあらためて浮き彫りになる。
(1)警察が、被告と犯人の同一性を立証する最有力な物証を捨ててしまうずさんさ。結局、自白中心捜査の付けが回ってきている。物証中心主義の不徹底がよくわかる。
(2)その事実を隠してもいいと思い込んでいる検察庁の体質。
 「真相解明」「公正な刑罰権行使」などという「検事の本分」はこの経過に関わった刑事にはまったくなかった。国家権力を握った「事件屋」集団。自分たちの都合よく、事件が処理できればそれでよしとする意識が、検察庁に万円している。
(3)真相解明を尽くさない裁判所・裁判官。
 事なかれ主義の中、検察官が用意した証拠で、有罪の作文を書けるようであれば、それ以上の証拠調べを追及しない。
 とくに、被告側のけんめいの訴えには耳を傾けず、「必罰主義」の文化に浸りきっている。
 一審、控訴審の裁判官が、検察官に「最重要証拠である吸い殻の残りを裁判所に提出しなさい。裁判所の責任でDNA鑑定を行なう」、このようにはっきりと命令する勇気はなかったのだろう。それがあれば、もっと早くにこの異常な事態は明るみに出た。

■官僚機構による「えん罪の構図」。
 これが、ふたたび明らかになった。
 こんな司法を国民が信頼できるわけがない。
 とりあえず、平野事件の被告人が真犯人かどうかはさておき、もはや、国家がこの事件で、この被告に「正義の刃」をふりかざすことなどできようわけがない。
 検察官は、差戻審の審理では、さらに有罪証拠の取調べを求めているのだろうと推測するが、そんな姑息なことを国民は許してはならない。
 場合により、一旦裁判所は公訴棄却とし、再度検察官が起訴して、裁判員の前で、自分たちのやったことを赤裸々にしてはどうか。
 それでも、市民が、有罪を認めるのであれば、それはやむを得ないであろう。
 「官僚」という「巨神兵」が、国家日本を台無しにしない前に、「市民主義」の徹底を急がなければならない。
posted by justice_justice at 00:24| ■裁判ー起訴された事件 | 更新情報をチェックする
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