2010年09月28日

■特捜検事証拠かいざん事件ー上村事件裁判への影響と「公訴権濫用」

■上村事件をどう捉えるか、前からあるマスコミの記者に問題提起を受けながら、うまい答えがみつからなかった。量刑面での配慮、、、位かと思っていたのだが、最高裁の基本判例を思い浮かべつつ、公訴権濫用の主張に思い当たった。

■最高裁判決昭和55年12月17日刑集34巻7号672頁は、いわゆる水俣病事件で、患者の抗議行動に伴う会社警備員に対する傷害行為のみ摘発した公訴権行使のありかたについて、なお公訴権濫用にはあたらないと判断した。
 しかし、検察官の公訴提起が犯罪にあたるような極限的な場合には、公訴提起自体が無効になることを一般論として認めている。
 判決文を引用する。

「検察官は、現行法制の下では、公訴の提起をするかしないかについて広範な裁量権を認められているのであつて、公訴の提起が検察官の裁量権の逸脱によるものであつたからといつて直ちに無効となるものでないことは明らかである。
 たしかに、右裁量権の行使については種々の考慮事項が刑訴法に列挙されていること(刑訴法二四八条)、検察官は公益の代表者として公訴権を行使すべきものとされていること(検察庁法四条)、さらに、刑訴法上の権限は公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ誠実にこれを行使すべく濫用にわたつてはならないものとされていること(刑訴法一条、刑訴規則一条二項)などを総合して考えると、検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることを否定することはできないが、それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものというべきである。」

■上村事件の公訴の提起は、これにあたる、と構成できるのではないか。
 正義に全く反する公訴提起と立証活動の追行。
 罪証隠滅を敢えてした検察官、虚偽自白を押し付けた検察官が立会する法廷を「正義の場」とみることはできないのではないか。

■「公訴権濫用」による手続の打切り。これが、上村裁判の新しい防御方針となるだろう。

 もっとも、長い道のりになる。
 執行猶予で裁判を終えて、新しい人生を選ぶのも方法ではないかとも思うが、理論的原理的には、公訴権濫用で、裁判を打ち切る、第三の道が正しいと思う。

posted by justice_justice at 15:01| ■「特捜崩壊」 | 更新情報をチェックする
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