2010年08月20日

■事実認定の水準訂正ー裁判員裁判余波

■信濃毎日新聞2010年8月13日(朝刊)に「安曇野のさい銭盗未遂無罪判決/市民が納得する物証必要」と題する記事が載った。
 こんな内容だ。
 「地裁松本支部で12日に無罪判決が言い渡された常習累犯窃盗事件の裁判で、検察側が公判で提出した物証は、神社内に設置してあった防犯カメラの画像がほぼ唯一のもので、指紋は「比較可能なものは採れなかった」として提出しなかった。一般市民が参加する裁判員裁判がスタートし、見て分かる物証が重要視される中、検察側の立証のあり方に一石を投じた形だ。
 検察側提出の防犯カメラの画像には、さい銭箱近くを歩く人物の姿が映っているものの、冬の早朝とあって薄暗く、服装や顔の輪郭は分かるが顔の細部は不鮮明。白黒の画像のため服の色も不明だ。
 検察側は「防犯カメラの画像で十分有罪の立証は可能と考えた」(星野敏地検松本支部長)とし、逮捕時の男性の服装の写真も証拠として提出したが、二宮信吾裁判官は画像が不鮮明なことを理由に「同一人物であることを証明できるものではない」と退けた」。

■こんなコメントを載せてもらっている。
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 今回の裁判は裁判員裁判ではないが、甲南大学法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は、12日の判決について「裁判官は裁判員裁判を意識しながら判決を下したのでは」と分析。「一時的な自白と、性能が低い防犯カメラの画像だけでは裁判員裁判で裁判員に有罪と納得させるのは困難。検察側は、犯罪を立証するための他の客観的証拠が必要だったのでは」と指摘した。

■むろん、なんでもかんでも裁判員裁判にひっかけて正当化するつもりはない。ただ、「事実認定」の水準訂正が進んでいることは確かだ。プロの法律家だけで作っていた刑事裁判の世界に、市民良識がストレートに登場する時代、「市民主義」ないし「市民中心主義」の時代が始まっている。検察官の提出する証拠を、裁判官が見る眼も、市民良識からみたときに説得的か、という角度からの点検をしなければならない。裁判官が、捜査機関の収集整理した証拠物・証拠書類を元に、「有罪の作文」を書いて犯人必罰主義を貫いていた時代は、20世紀のもの。これからは、「市民目線」で、証拠を率直に評価すること、したがって、「疑わしきは被告人の利益に」、「合理的疑いを超える証明」という刑事裁判の鉄則が、そのまま活きる時代になった、といっていい。

 Welcome to 21Century of "Citizen-Oriented Criminal Justice"!!

posted by justice_justice at 04:44| ■裁判ー起訴された事件 | 更新情報をチェックする
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