2010年08月12日

■自白中心捜査から「客観証拠」中心捜査へー日本型捜査からの脱却のために

■朝日新聞2010年7月21日(朝刊)は「『証拠の見方、甘かった』/検察、会見で釈明/金沢地検、窃盗無罪求刑」と題する見出しで、次のような事件を紹介している。
 「防犯カメラに映った人物と窃盗罪で起訴した男性(62)は別人だったとして、金沢地検が20日、金沢地裁で開かれた論告求刑公判で男性に無罪判決を出すよう求め、異例の謝罪をした。地検の古賀栄美(えみ)・次席検事は閉廷後に記者会見を開き、「証拠の見方が甘かったことに尽きる」と語った。入子光臣(いりこみつおみ)裁判官は9月1日の判決公判で無罪を言い渡すとみられる。
 男性は昨年8月に石川県白山市内のコンビニの現金自動出入機(ATM)で、盗難キャッシュカードを使って計100万円を引き出したとして松任署に逮捕され、否認のまま同11月に起訴された。男性はすでに釈放されている」。
■なぜこんなことが起きるのか。
 第1。科学証拠に対するずさんな分析評価。ビデオの映像分析も科学的客観的に行わなければならない。それを捜査官の「似ている」印象や本人の「自分かも」という主観で価値を決めてしまうずさんさが問題だ。
 第2。自白中心捜査。我が国は、独特の効率的捜査手法を体質的に身につけている。つまり「自白」追及だ。これが真相解明をもっとも手っ取り早くやる方法だ。なぜなら、まず本人に自白さえ、細かなことも説明させた上で、これを裏付ける証拠のみ集めればよい。 第3。裁判所の自白補強法則の甘さ。そして、裁判所では、自白重視の事実認定が動かない。ここでは、自白のみが証拠のときには有罪とできないという補強法則について、あくまでも「自白中心主義」の解釈運用を行なう。つまり、「自白」が存在することを前提にして、これが信用できる程度の証拠が他にあればよい。罪体の有無、被告人の犯人性、他者の犯人性など客観証拠が独自の価値をもつものとすることによって、虚偽自白えん罪を防ぐような歯止めをかけようとしない。
■記事によると、「今回の事件で、地検はカードの入手方法や引き出された現金の使途を解明しないまま起訴していた。古賀次席検事は「得られた証拠を総合的に判断した」とし、起訴手続きは適正だったとの見方を示した。県警は松任署の松本邦寛署長が20日午後に男性宅を訪れ、本人に謝罪したという。一方、男性は同日の公判の最終意見陳述で「警察に連れられて写真を見せられ、『お前だろう、お前だろう』と聞かれた。身に覚えがなく、とてもつらい思いをしました」と逮捕当時の心境を語った」という。

 この事件について、次のようなコメントを採用してもらった。

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 ●補償請求可能に
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)の話 一審段階で無実の人を起訴してしまったことが確実になった場合、検察側は刑事訴訟法に基づき(1)起訴を取り消す(2)裁判所に無罪判決を求める――のいずれかの対応をとることになる。今回、(2)を選択したのは、男性が犯人ではないという「真相」を法廷できちんと明らかにする必要があると考えたからだろう。無罪判決が確定すれば、男性が将来的に同じ事件で刑事責任を問われることはなくなり(一事不再理の原則)、身柄を拘束されていた期間の補償を国に求めることもできる。
posted by justice_justice at 00:04| ■裁判ー起訴された事件 | 更新情報をチェックする
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