2010年08月01日

□20世紀刑事司法を語る本ー『生涯被告「おっちゃん」の裁判』

*本日のブログ関連写真
http://justice.netspace110.jp/blog/blog_100801.html

■21世紀の刑事司法は、裁判員裁判の制度化に代表される。キーワードはふたつある。
 まず「市民中心主義」。正義を決定するプロセスに、市民自身が参加する制度ができたことだ。次に、「立法の時代」であること。戦後制定された刑事訴訟法が岩盤のように動くことなく、官僚裁判官、官僚検察官、そして擬似官僚組織である日弁連が運用を独占していた時代から、国民の代表が集まる国会が、司法改革の骨格となる立法を作る時代になった。
 では、20世紀の刑事司法の特徴はなにか。キーワードは、二つだ。
 「必罰」と「えん罪」だ。
■ここに、元山陽放送の記者がまとめた『生涯被告「おっちゃん」の裁判』(平凡社刊、2010年)がある。1980年にまず600円の小銭窃盗で起訴されたことから事件が始まる。被告人は、森本一昭。1999年12月に64才で亡くなる直前まで、以後、「被告人」の立場に置かれることとなる。19年に渡る窃盗事件の裁判。
 なにが問題であったのか。
 彼は、聴覚障害があり、健聴者とのコミュニケーション手段を持っていなかった。
 裁判の意味を被告人が理解できず、これを被告人に伝えられない究極の裁判が始まった。
 裁判は二転三転する。理由は簡単だ。「犯人必罰」が戦後刑訴法を担った官僚法曹の基本的発想法であったからだ。
 犯人とみてよい証拠がある以上、処罰する。
 手続が公正、適正に実施できないとき、刑事裁判では、市民を処罰すべきではない、このような適正手続主義を我が国の官僚法曹はことのほか嫌う。
■ 森本氏の場合、前にも裁判を経験している。聴覚障害者でも、なんどか刑事裁判の経験があれば、その都度理解したかどうかは別にして、わかっていたはず、とみて、有罪判決を押しつけて刑務所に抛り込む。
 「裁判所が、被告人はわかっているとみなすことができれば、よい」。
 職権探知、犯人必罰、被告人の権利軽視、、、、。
 森本被告人に、裁判の複雑な意味を伝えることはムリ。被告人と弁護人との防御方針に関する打合せと被告人の権利に基づく防御方針の選択を求めることはムリ、、、但し、彼は日常生活は見よう見まねで送ることができる。買い物にはお金を払うこと、喫茶店では割り勘であること、ホテルではホテル代を出るときに払うこと、、、
 しかし、生活ができることと、「刑事裁判の防御」ができることは異なる。その基本は、コミュニケーションだ。手話も通じない。戦後の混乱期に幼少期を迎えた。充分なろう教育を受けていない。
■ 裁判所は、有罪無罪の判断をすることができないとして、思い切って公訴棄却とした一審の判断、これを破棄して、公判停止に留めるべきだとする控訴審の判断、、、我が国刑事手続が求める被告人の有するべき訴訟能力の程度について、当事者追行主義を徹底する立場から、被告人と弁護人の打合せを基準とする考え方と、裁判所が提供する情報を受けとめることができれば足りるとする職権探知主義を基準とする考え方の対立、、、
 司法官僚が与えた答は、永久に被告人のまま公判手続を停止しておくことであった。
 森本氏は、裁判所の最終判断が出た頃から、腫瘍に悩まされる。そして悪性腫瘍ー癌であることが分かる。
 弁護人が最後に懸命の努力を遂げるー余命幾ばくもない森本氏を被告人の座に留めることに本当に意味があるのか。検察庁が公訴を取り下げた。裁判所は、手続を打ち切った。公訴棄却の決定。
 それから3月後、森本氏は亡くなる。

 この本は、思いで深い。
 二審の頃から、曽根氏の取材に何度も協力させてもらった。公判も傍聴に行った。森本氏とも同席した。人なつっこい「おっちゃん」の笑顔が今も忘れられない。
 「手続」が正義であること。21世紀にはこれを貫くべきだ。
 世紀をまたいで受け継ぐべき課題がまだ残る。
 それを次代に引き継ぐ本だ。

posted by justice_justice at 23:27| ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする
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