2010年05月02日

■外国人の居る法廷ー国際社会への「恥さらし」

■外国人の居る法廷のレベルの低さを示す記事がある。
 「裁判員・法廷から=長崎地裁 裁判員「酒は節度を」と説法/裁判長「質問でない」と遮る/識者「制度の意義台無し」」という見出しで、西日本新聞2010年1月29日(朝刊)は、長崎地裁の裁判員裁判で、被告人質問の折、裁判員の個人的意見を含む発言を裁判長が遮り、裁判員が肝心の質問にまで至らないまま発言を中断したという経過を紹介している。

■ 「酒に酔い元妻への殺人未遂罪に問われた中国人被告の公判。年配の男性裁判員が質問の中で「酒をやめられますか。私も酒飲みだが、節度をもって飲まなければいけない…」と意見を述べ始めた。松尾裁判長は「質問を短くして」と要望。被告の返答後、この裁判員が日本語を勉強するよう被告を諭し始めると、裁判長は法廷通訳人に「質問ではないので訳さなくていい」と告げ、裁判員は発言を終えた」。

 記事はこんな様子も紹介している。
 「通訳を介する被告人質問は前日、予定時間を約20分オーバーしており、松尾裁判長はこの日、裁判員らに質問を短くするよう再三要望していた。」

■ しかし、疑問だ。
 「審理計画、ありき」。これでは、正義の実現はおぼつかない。裁判員が充分に審理を尽くすこと。
 そして、要通訳事件である以上、もともとかなり審理に余裕のある審理計画を立てるべきであった。それでも、そもそも裁判員の居る審理で厳格な時間管理などすべきではない。
 現に、「閉廷後、被告弁護人は「結果的に質問を引っ込めさせた形になった」と指摘」と記事も摘示する。
 不当極まりない訴訟指揮だ。

■さらに、この記事でも、裁判長が「質問を短くして」と要望しているという。要通訳事件で、ことさら「短い質問、分かりやすい質問」をするように裁判長が促すことがあるが、それは、実は「司法通訳」の質の低さを暴露しているようなものだ。
 政治、経済、外交いろいろな場面で、プロの通訳人が活躍している。しかし、話者に対してあらかじめ「通訳しやすいことしか話すな!」と釘を刺すことなどありえない。

 法廷という権威の衣を着た裁判官のみが、世間の非常識を平然と行っている。
 通訳人のフェッショナリズムからみても、こんな制約をクライアントに課すことは、本来、「屈辱」であるはずだ。
 そうしたことも含めて、こんなコメントを新聞に掲載してもらっている。

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 甲南大学法科大学院の渡辺修教授(刑訴法)は「自分の体験を踏まえて被告の心情を聞き出そうとする質問を遮るのは、裁判員制度の意義を台無しにする訴訟指揮ではないか」と述べたー西日本新聞2010年1月29日(朝刊)ー


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