2010年04月29日

■検審と市民生活ー交通犯罪を許さない

■10年4月25日の西部讀賣(朝刊)は「[ズーム]日田のひき逃げ略式起訴/「被害者置き去り」遺族憤り」と題する大分発の記事を載せている。
 こんな内容だ。
「◆裁判なく終結、地検の説明なし
 昨年4月、日田市田島の県道で自転車に乗っていた近くの高村進さん(当時84歳)が、同市内の男性(26)の軽乗用車にひき逃げされ死亡した事故は、26日で発生から1年を迎える。日田区検は、自動車運転過失致死について男性をいったん不起訴にしたが、大分検察審査会の「不起訴不当」の議決を受けて再捜査したうえで略式起訴した。裁判での真相究明を望んでいた遺族は、事件の終結に無念さをにじませている。
 「検察は被害者の味方ではなかった」。略式起訴が発表された今月15日、高村さんの次男、克彦さん(54)はそう言って肩を落とした。審査会の議決後、同地検から「改めて話を聞きたい。進さんの自転車も取っておいてほしい」と連絡を受けたが、略式起訴までに連絡はなかったという」。

■ 区検は当初、道交法違反(ひき逃げ)だけで略式起訴。自動車運転過失致死については嫌疑不十分として不起訴にした。これに対し、遺族は検察審査会に審査を申し立て、昨年12月、審査会は「不起訴不当」の議決をした。同区検は再捜査の結果、今年3月、日田簡裁に略式起訴し、今月2日に罰金30万円の略式命令が出された。
 こうした道交法違反は、立証が難しい。被害者の落ち度や過失の有無も否定できない一方、被告人の犯罪態様についても、もともと過失なのだから、不明確な点も少なくない。目撃者でもいれば別であるが、これも難しい。
 裁判にすれば、遺族は、「真相解明」が可能になると思いがちだが、刑事裁判は、被告側の行った事実にふさわしい刑罰のあり方が証拠で裏付けられればよく、かならずしも遺族が望む必罰感情を満足させることのできる「真相」が浮き彫りになるものではない。
 検察官も可能な捜査を遂げた上で、証拠にみあった裁判の形態を考え、被告の刑事政策上の配慮もして、処分を決める。
 再度の不起訴ではなく、略式起訴を検察官が選択せざるを得なかったのは、市民の声を無視できないからだ。そこに、検審の伝統的な役割がある。
 検審の多様な役割をまとめておこう。
(1)生活に根ざした犯罪から市民を守ること。例えば、交通事故に巻き込まれる被害者を守る、つまり、「小さいな事件」(と検察庁には見える)から市民を守ることは、伝統的に検審がもっとも活躍した場面だ。今回はここに属する。
(2)企業犯罪、公害犯罪、組織犯罪など、市民社会そのものを組織による脅威から守ること。
(3)そして、政治犯罪を見逃さないこと。
 起訴議決の権限をもった市民は、強力な監視団となる。市民社会を健全に発展させる、あらたな形の「市民警察」=「市民検察」と言える。
 21世紀は、[官僚主義」の時代に決別して、「市民主義」が日本の政治、社会、経済、文化、地域を支える構造を造る時代になる。まだ、未熟だ。これから成熟していく。
 その行く末を見守りたい。
 今回の事件について、ふたつの新聞に、こんなコメントを載せてもらった。
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■読売新聞10/04/25(朝刊)
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「審査会は(市民の目による検察の監視という)あるべき機能を果たしており、検察もバランスの取れた判断」と評価する。
■西日本新聞10/04/17(朝刊)
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「不起訴の事案が、検察審査会の判断で再捜査や略式起訴に至ったのは、審査会が起訴に持ち込めるように権限を強化した制度改正が奏功した結果」と評価する。
posted by justice_justice at 05:44| ■検察審査会・付審判 | 更新情報をチェックする
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