2010年02月24日

■裁判員裁判ー「一期一会」の法廷

■裁判員裁判と「一期一会」−強盗傷害罪、懲役9年

□朝日新聞2010年2月23日(大阪版)は、次のような記事を掲載した。

 「強盗致傷罪で懲役9年判決ー地裁で裁判員裁判」

本文を引用しよう。

「大阪市中央区のマンションで2008年12月、帰宅した風俗店経営の男性を襲い、かばんを奪ったとして強盗傷害などの罪に問われた同市西淀川区の無職○○○○被告(31)の裁判員裁判で、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)は22日、懲役9年(求刑13年)の判決を言い渡した。
 判決は、ほかに窃盗や建造物侵入など8事件も被告の犯行と認定。『4カ月で立て続けに犯罪に及び、更生は容易ではない』と述べた。
 判決後の記者会見には裁判員6人全員が出席。審理や評議について、大半は『わかりやすかった』と話したが、60代の男性は、『裁判官には生活感がなく、ずれを感じた。書面や前例による判断が中心で、血の通った議論がなされず残念だ』と語った」。

□読売新聞2010年2月23日(大阪版)も、全国各地の裁判員裁判を紹介する「裁判員法廷から」の一環として、次の見出しで同じ事件について次のような記事を掲載した。

 「強盗傷害被告に懲役9年ー地裁『10年は酷』」

本文は以下の通りである。

「強盗傷害や窃盗などの罪に問われた大阪市西淀川区の無職、○○○○被告(31)の裁判員裁判の判決が22日、地裁であり、樋口裕晃裁判長は懲役9年(求刑・懲役13年)の実刑判決を言い渡した。樋口裁判長は『不況で失職したのが犯行のきっかけ。遅まきながら、罪の重さに気付いて反省しており、10年を超える懲役は酷』と量刑理由を述べた。
 閉廷後に裁判員6人が記者会見。弁護側が情状証拠として提出した、○○被告の家族写真について、女性裁判員は『背景事情を知ることができた』といい、男性会社員(35)は『家族がいながら、なぜこんな事件を引き起こしたのかと思った』と語った」。

□共犯者間で異なる犯行態様の認定
 この事件の争点の一つに、3人で被害者を襲撃したとき、まっさきに追いついた犯人がまず腰を足で蹴って倒れた被害者の頭部を椅子の鉄パイプの足で数回殴打して大けがを負わせたかどうか、足蹴りがきっかけであったかどうかが問題となった。
 ただし、足蹴があったかなかったかに拘わらず、その後の殴打行為は悪質だ。
 強盗が被害者に暴力をふるうのは危険はもの。事と次第によっては被害者死亡もありえる。
 その観点からは、足蹴がないから直ちに被告人の量刑に有利な方向へと大きな影響を与えるものではない。それは被告人も弁護人も認めるところ、、、
 しかし、他の共犯者2名の裁判員裁判の判決では、足蹴があったと認定している。
 正直なところ、その認定は、「有罪を認められる材料があるなら、有罪の作文をする」という旧来の裁判官裁判と同じものであった。
 読売新聞10年1月28日(朝刊)は「樋口裁判長は『被害者が受けた最初の暴行で、記憶違いは考えられない』と退けた」と解説。
 しかし、実際の証拠は、被害者が事件から相当経てから取調べのときに足蹴があったと言い始めたもの。
 他方、被告達は、犯行関与も鉄パイプでの殴打もすべて認め、見舞金を払い、示談を頼み、被害者から厳しい刑は望まないと嘆願書までもらっている。
 ことさら足蹴にしたことのみ否認する必要は全くない。
 「足蹴にはしてないから、そう述べているだけ」。これが本件被告人の率直な説明だ。
 実際、常識的に考えても、マンションに逃げ込もうとした被害者がドアにぶつかって倒れた過程でなにか勘違いする可能性も十分にある。
 足蹴にされたという被害者の供述を体験したものでなければ語れない、具体的で迫真的なもの、、、と検察官が主張し、裁判長がこれを後押ししたため、別の事件では裁判員も含む裁判所がこれを認めた形となったのではないか、、、
 だが、今回の事件では、裁判員は、法廷での証拠調べをごく良識的に見たと思う。
 要するに、被害者もことさら被害状況を誇張した訳でもないが、被告人も嘘をいう必要がない。
 とすれば一瞬のできごとについて現に足蹴があったと断定できる確実な証拠はないこととなる。
 その際に働くのが、「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則だ。
 「合理的疑いを超える証明」をしなければならないのは検察官の側だ。
 これに成功していないのに、裁判長が救い船を出してはならない。裁判官裁判の時代に築いた「疑わしきは被告人の利益に」の原則を基本的に使わない緩やかな有罪認定の相場を裁判員裁判に持ち込んではならない。

 本件で、「足蹴」を起点にして犯行がなされたとの検察官の主張を、裁判員は採用しなかった。
 そして、それが、逆に、実刑13年を求める検察官の主張の妥当性を疑わせるきっかけにもなったのではないか。

 ちなみに、同じ事件を含めて起訴された他の共犯者について、同じ裁判長のもとで、Y被告には、1月27日に、求刑8年に対し、6年6月の実刑が宣告され、昨年12月18日には、求刑10年に対して8年の実刑が宣告されている。
  
□それにしても、60代男性裁判員の感想は率直だ。

「生活感覚のない裁判官が書面と先例を頼りに判断しようとする。」

 おそらくは裁判長は評議の中で他の共犯者との整合性を強調したのではないか。他の共犯者の事件では、先頭に立った犯人、つまり、本件の被告人が足蹴にしたと認定した、、、
 本件の裁判長は、共犯者の裁判長もつとめた。足蹴にした張本人の事件で、そうした事実はなかったと認定する不整合にプロとしてのこだわりを見せたのではないか。
 しかし、裁判員裁判とは、「一期一会」の裁判だ。
 証拠も異なる。被告人も異なる。なによりも、裁判員が異なる。であれば、事実認定も量刑の軽重も異なってよい。

 「合理的疑い」。

 これも明確な数量的な基準があるものでもない。だから、職業裁判官が独自に作り上げた基準ではえん罪を防げなくなっている。 
 そこに、裁判毎に市民を入れて「プロ裁判官だけの事実認定」に伴う金属疲労を防ごうとしているのが裁判員裁判だ。
 今回の裁判員の感想は、はからずもプロ裁判官の意識のありかたを示したものであり、逆に裁判員が加わって健全化が図られていることを物語るものでもある。

□「家族の写真」。
 これは、被告人にとって両刃の刃になるが、結果的には大きな意味で、被告人の人柄を裁判員に認識してもらって判断材料にしてもらう意味では、有利に働く。
 犯罪は人生の一こまである。
 被害者のいる犯罪では、その一コマの重みが増す。今回もそうだ。強盗傷人の犯行態様の悪質さは見逃せない。長期の実刑は犯人も覚悟する。
 しかし、犯人にも人生がある。家族がありながらこうした犯罪を犯したこと、それで家計の足しにしていた事実、、、これをどうみるのか判断するのは裁判員に委ねたらよい。
 裁判員が被告人の人となりを知りながら、量刑をすることが不可欠である。
 家族の写真は重要な証拠となる。
posted by justice_justice at 08:03| ◇「弁護人」として | 更新情報をチェックする
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