2010年01月25日

■「多元主義」異聞ー「いろいろな世界のいろいろなあり方」について

 2010年1月24日夜。
 博多から兵庫へと帰る新幹線の中で「多元主義」という言葉をキーにしてあれこれ考えた。
 すこし言葉にはふさわしくないのかも知れないが、こんな「多元」性だ。


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■その1:法曹養成の多元主義ーその危機
 「法科大学院バッシング」がさらに続く。朝日新聞の10年1月25日朝刊は、文部科学省中央教育審議会法科大学院特別委員会の調査報告の内容をコンパクトにまとめている。14の法科大学院について抜本的な改善を要すると評価されているが、その理由について、担当委員のコメントが簡単に紹介されている。「学生を自ら責任を持って教育する意識が希薄」、「授業で到達度を見据えて教育する意識が希薄」、、、とさえ書かれている法科大学院がある。これでは、「教育組織」の根本を否定されたことになる。まだしも「入学者選抜が機能せず」と入試の困難を客観的に摘示されているほうがましだ。何故なら、序列化された大学秩序の中で底辺にある大学の入試の困難は法科大学院に限らない。むしろ、入口の間口の広さは教育で克服し最終的に一定数の合格者がでてくることで教育プロセスが機能していること、その成果が挙がっていることを説明できよう。名指しされた法科大学院が予定している1月以降の入試は一層困難になろう。「負のスパイラル」が拡大しないよう、各法科大学院の自助努力を固唾をのんで見守るしかない。
 ブログ編者では「一匹オオカミ」ほどの迫力もなし、さしあたり「一匹パッピー(子犬)」のグチをこぼしておこう。 
 法曹養成が20数校のエリート大学、エリート学生、お金持ち両親というパターンの中からしか育たない構造が今できあがりつつあるが、決して好ましいことではない。法曹養成は常に多様性が必要だ。多元主義の危機は回避し、多様な法科大学院の多様な競争を残すべきだと思う、、、
 
■その2:博多ラーメンの多元主義ーその礼賛
 2010年1月22日、23日、24日と三軒博多ラーメンの店を訪問した。それぞれの味わいがあった。結果としては「どれもうまい!!」と思う。これは正直な感想だ。但し、残念だが、こちらの事情が働く。
 『一風堂』の「マイルドな味わい」のラーメンを、食べ手として気持ちを落ち着けて食べるのはずっと先のことになろう。70歳もすぎて昔を懐かしみながら、妻とふたりでやってきて「ほらここが有名な一風堂だよ。やさしい味のラーメンだから、我々にもちょうどいいよ」と言うことにしよう。
 『大砲』は、「ワイルドな味」だ。麺のほどほどの太さにも力強さを感じる。「仕事をする」、この気分によく合う。ここにはまた来る。すぐ来る。
 『一蘭』の味はその辛みに特徴がある。「シャープな味」という表現をしてよい。麺の独特の細さもシャープな味によく合う。一気呵成にかっ込む、そんな食べ方によくマッチする。しかも、カウンターを一人用に区切って、右左を気にせずにラーメンに集中できる。好き・嫌いはあると思うが、ブログ編者の気分にもっとも一致する。中州川端と天神と両支店の味が変わらない。支店が増え、拡大主義に走ると、味が落ちる。それがない。「アクティブ」な気分であること、今必要な精神状態が求めるラーメンだ。遠からずまた博多に来るが、大砲と一蘭、どちらに足が向くのかは、そのときの気分で決める。
 博多ラーメンの「多元主義」、礼賛に値する。


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■その3:司法通訳の多元主義ーその尊重
 今回、我々は、西南学院大学の法廷教室をお借りして、要通訳事件の模擬裁判員裁判を行った。翌日はホテルで講義形式の研修会を開催した。
 「司法通訳」。
 仕掛けとして、アフガン出身の被告人が現住建造物放火事件で起訴されたというステージを設定した。ペルシア語の通訳を被告人のために付けた。これと別に、聴覚障害のある人が裁判員になった場合を想定して、手話通訳を入れた。外国語と手話。音声による言語と動作・表情による言語。全くの異文化が交錯する法廷。
 しかも、その目的は真相を解明し、適正な刑罰権実現を図ること。裁判員に的確迅速に正確な情報を伝達し、他方、被告人にも同質の情報を提供しなければならない。
 「質の高い通訳人」が必要になる。裁判員裁判が法廷の多元性を法律家にはっきりと認識させ始めている。これが21世紀における正義実現の形だ。
 「司法通訳」の世界の多元性を我々は尊重しつつ、法廷で取り交わされる情報を「一元化」しなければならない。


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■その4:結びージュディ・オングの版画展ー福岡アジア美術館
 ジュディオングの『魅せられて』は、京都で下宿している学生時代にヒットした歌謡曲だ。彼女の特徴は大きな目の輝く、ラインのくっきりした表情。それをテレビで見ることも折々あった。
 しかし、版画と結びつけてこの名前を認識したことはなかった。
 24日夕方、今回の研修で御一緒した、まきこ先生と一蘭でラーメンを食べてお別れし、ブログ編者は、博多・福岡の定番、福岡アジア美術館へ。
 気になっていた展示ー『ジュディ・オング倩玉、木版画の世界展』に向かった。なお、雅号について、最初の一文字の漢字は見つからなかった。便宜、「倩」玉とした。正確には、「にんべんに青」と書く。セイまたはセンであろうか。セイギョク、センギョク、、、どう読むのか分からない。
 日本と台湾などの建物を見事に繊細に版画の世界に収めた作品が続く。気品のある作風である。中でも沖縄の夏を描いた『琉球朱夏』、台南にある古い家を彫り込んだ『台南古邸』、、中国の料亭(であったか)を描く『萬壽亭』など心に残るものが多々あった。
 ジュディ・オングー歌手、俳優そして、版画家。その多様性、賞賛すべし。「画伯」としての重みを急にその名とともに感じ始めた。
 今回は、常設展はざっと見ただけである。だが、並べ方を変え、また簡単なテーマ展を開いて東南アジア中心に現代作家の作品を展示する。飽きない、おもしろい。ここもまた多様性、多元性を学ぶために、足繁く通うことだろう。

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*写真は常設展にあるガネーシャ神を描いた作品。

 
posted by justice_justice at 11:23| ●観光(日本) | 更新情報をチェックする
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