2010年01月24日

多元主義宣言ー21世紀のもののみかた

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 2010年1月22日から23日にかけて、様々な体験と思いがブログ編者の中を駆け巡った。
■22日早朝。
 朝日新聞の朝刊をみて背筋が凍った。「14法科大学院『不合格』」という扇情的な見出し。朝日新聞のスクープだ。文科省が設置する中央教育審議会の中にさらに特設された「法科大学院特別委員会」の1月報告の結果だ。新聞は「通信簿」がつけられたと揶揄する。14のロースクールは「大幅な改善が必要な大学院」とされ、12校は「改善努力の継続が必要な大学院」と分類されたという。文部科学省幹部の談話として「法科大学院の役割を果たしていないところが少なからずある。決断していただくのも仕方ない」ということだ、という。
 「決断」。廃止を念頭に置いた決断しかなかろう。
 文部科学省の法科大学院に対する要求は高い。しかもその基準を短時間のうちに高めてきている。それに追いつけない法科大学院は落ちこぼれるしかない。設置当初の基準で「自由競争」に委ねるのではなく、「あるべき法科大学院」モデルについてこない法科大学院を振り落とす形で、質の確保を図ろうとしている。
 某関西の法科大学院の責任者を務める身として、その大波に翻弄されながらも、ローヤーになろうとする夢とロマンを持つ冒険家に、チャレンジの場を提供し、ローヤーとして正義を実現するハードなプロとしての職務に耐えられる基礎体力をともに築いて行きたいと思う。
 我々は、沈まない。正義を語り、ベンチャーとしての企業を心がけるローヤーを世に出すインフラを築く。

■22日午後。
 大阪の福島にある法務省の建物2階の会議室。「第11回法整備支援連絡会」が午前から引き続き行われている。
 「法整備支援」。日本は、今、ベトナム、カンボジア、ラオス、インドネシア、ウズペキスタンなどの法整備について専門家を派遣してその援助を続けてきている。「外交」の異色の側面であり、ローヤーが外交の表舞台に立つ場面でもある。そして、学者にとっても「比較法研究」を1980年代までの古典的なものから全く異次元のものへと作りかえていく「現象」である。
 発展途上国の法制度の整備を支援する。
 一見、分かりやすそうな概念だが、一歩、踏み込むと訳が分からなくなる。日本法を輸入するのではない、各国の独自性を活かした法制度を積み上げる。権力機構、権力者、為政者を支持し支援するのではなく、法制度の発展に援助をする。日本の国益のための外交関係を結ぶのではなく、その国のインフラを内在的に構築する、、、、

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 そこに必要な視座は、従前の比較法研究の視点ではない。国家主権をまだ前提にしているが、多文化共存を前提にした、多様な正義の模索である。世界市民が主人公とまではいわないが、汎市民主義に基づく法の正義の追及である。
 従来の比較法研究は、単純である。

  『欧米法』ー『日本法』=X
  ∴ Xを導入すべきである。

 つまり、「引き算」法学である。
 だが、Xの妥当性の検証は必ずしもなされることはない。欧米文化の優越を前提にした先験的な方程式を前提にしている。だから、我々ブログ編者が研究者の道を歩み始めたとき、比較法と言えば、学界の定説として、アメリカかドイツをするべき、であった。
 しかし、連絡会のパネリスト慶応大学のM教授の言葉を借りると、国内法整備であってもインターナショナル、グルーバルな視点無しにはできない時代になっている。
 比較法研究は「引き算」法学では意味をなさない。むしろ、多様性をそのまま多面的に浮き彫りにして、多元的な価値実現を目指す複合的立体的総合的な研究がいる。法整備支援は、その実践である。実践を支える理論の構築が、あらたな比較法の世界を広げる。
 それこそ真のグローバリズムであろう。引き算法学を解体し、「幾何学」比較法が必要になる。刺激的な数時間であった。


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■22日、深夜。
 福岡、天神。一風堂大名本店。ここしか出さない「かさね味」を注文し、食べながら考えた。数年前からしばらくここのラーメンこそ抜群と思った。前にきたとき、麺の上にのるキャベツに疑問を感じてから足が遠のいた。そのときに食べたときにはことのほかキャベツの甘みがラーメンとミスマッチと強く感じた。「甘い」。
 今回もそう感じた。しかし、うまかった。やわらかさが身に染みる気がした。そして思った。「なるほど、名の通り、大名味だ」と。体がかなり疲れ、ホテルに戻ってそのままぶっ倒れて寝込んでしまいたい、その前に空腹を満たすのにラーメンを選ぶなら、ここに来る。「大名味」を選ぶ。前回は、かなり攻撃的な気分で所用を終えた直後の訪問であった。そのときに、ここの味は物足りなかった。
 ただ、残念だが、そんなマイルドさをラーメンに求めることはない。ここに来ることは相当長期間にわたりないと思う。但し、繰り返すが、ラーメンの味、かなりよい。おすすめであることは間違いない。間違いなくうまかった。そして、そのうまさを求める精神構造をもつことは許されない立場にある。


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■23日、午後。
 福岡、西新駅近く、西南学院大学法科大学院棟、2階、法廷教室。
 司法通訳のための模擬裁判員裁判研修の第4回目。昨年09年8月に大阪ではじめた研修会は、その後10月に東京、11月に名古屋と回を重ね、今回5回目を福岡で開く。
 西南学院法科大学院は、九州で堅実な法科大学院として定評がある。冒頭の通知簿をもらってあしざまに非難されたグループには入っていない。
 アフガン人の被告人が現住建造物放火事件で起訴された裁判を実施。ペルシア語通訳人に協力してもらい、また、裁判員に聴覚障害者がいるという想定で、手話通訳者グループにも協力を得た。ふたつの通訳が進行する異色の模擬裁判であった。
 「コミュニケーション」。
 これを我が国の法律家は正しく理解し切れていない。何故なら、通訳人の質保障を行うことなく、便宜上運用上通訳人に登録した者をベテランとみなして使い続けているからだ。
 だから、誤訳が生まれる。これは裁判員裁判のとき致命的だ。何故なら、証拠調べの直後に、評議室に入り、法廷で耳にした通訳情報をもとに、心証を形成する。
 あやまった通訳が与える事件と被告人に関する歪んだ情報が基礎にされる。これを正す時間も方法もない。
 だからこそ、裁判員裁判では、相当の研修を積んだ実質的に実力のある通訳人を複数配置し、こまめにー15分から20分ごとに交代させつつー審理を進めるべきだ。
 それが、できていない。ベテラン通訳人ほど、裁判官から「もう少し大丈夫ですか。もうちょっとですが、休憩しますか」と言われると、「いえ、大丈夫です」と答えることとなる。かくして、自ら「疲労」という誤訳の最大の原因を自ら招く。
 「プロは正当な休憩を求めなければならない」。
 通訳人研修とともに法律家の通訳人を使うこつを学ぶ研修も実は必要だ。しかし、江戸時代以来の通辞をボランティアか大道芸の延長にしかみないような価値観が残っているような文化の中には、正しい意味での通訳学、通訳論そして通訳人研修は生まれない。
 だが、この状況を改革しなければならない。「質高い通訳保障」が裁判員裁判の課題だ。


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■23日、夕方。
 博多、天神を南に、西鉄福岡のある三越ビルをまたいだ高架下ヨコに「大砲ラーメン」。こってり味をベースにチャーシューと煮玉子をトッピングに追加。餃子と定番の白ご飯を併せる。うまい。
 味の濃さがよい。麺の堅さがよい。煮卵がうまい。精神の積極性を支えるラーメンである。
 定番の店をひとつ増やすこととする。明日行く予定の一蘭と、ここ大砲。秋葉原の金龍。
 共通しているのは、味のワイルドさであろう。マイルドな一風堂にはないものだ。
 ラーメンをすすりながら、思った。ロースクール、裁判員裁判と司法通訳、法整備支援、、、、と「世界」を観る視座を多様化し、複合化し、立体化していくこと。
 「一店ひと味」のラーメン店は、この世界だからこそ意味があること。しかし、権威ある伝統校のリーディング・プロフェッサーでもない、一私学の研究者は、とくに老齢になるにつれて、多様性と総合性が不可欠になる。
 「一匹子犬」に留まるのだが、世間は広く歩き回りたい、と思う。
 櫛田神社にお参りをしてホテルの帰途についた。
 何故か神社正面にはおたふくの面が飾られており、その口を通って拝殿に向かうようになっていた。
 なんの縁起なのであろうか、また調べておこう。


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posted by justice_justice at 00:44| ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする
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