2009年09月25日

●法廷通訳の裁判員への影響(1)訳せない表現


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 初の外国人を被告人とする裁判員裁判が、さいたま地裁で9月8日から11日にかけて行われた。被告人は2件の強盗致傷の罪に問われた20歳のフィリピン人の男性であった。通訳は2人制で行われた。

 この裁判に先駆けて、連日のように東京やさいたまの各新聞社から取材があり、ちょっと驚いた。私は仲間の研究者たちと通訳の訳し方が裁判員に与える影響について、法廷実験を中心に研究しているが、取材の内容も、それに関するものが多かった。法廷通訳についてのこれまでのメディアの取り上げ方は、通訳人の認定の可否や養成について、あるいは少数言語の人材確保に関わる問題などに限られており、このように、通訳の訳し方が与える影響といった、言わば、法廷コミュニケーションの分野に関する関心が高まったことは。私たち言語研究者(特に法言語学)にとって、大変喜ばしいことである。これも、一般人が裁判にかかわるという裁判員制度導入の波及効果である。



 もともとプロの裁判官でも、通訳の訳し方によって影響を受ける部分はかなり多かったはずだが、専門家はそのような影響を判決に反映させるようなことのないよう訓練を受けているという想定のもとに、そういう問題は、ほとんど顧みられないままであった。通訳問題と言えば、常に誤訳の問題ばかりが語られ、誤訳をしないような優秀な通訳人がいればすべてうまく行くとされていた。ところが、実際には、言葉の影響というものは人が思っている以上に大きい。

 私たちの研究チームが過去行った模擬法廷で、たいへんな罵詈雑言を浴びせられてかっとなってナイフで刺してしまった事件を取り上げた。模擬通訳人は、こちらの予測通り、その聞くに堪えないような罵詈雑言を、ごく普通の悪口の表現で訳した。その結果、模擬裁判員の被害者に対する同情心が強まってしまった。

 某新聞社の電話での取材でこの話をしたら、記者が食い下がってきた。「『ばかやろう』程度ではダメなら、どういう日本語にすべきですか。」これには私も困ってしまった。思いつく言葉や表現はあるにはあるが、それを自分で言うのは抵抗がある。(結局、通訳人が正確に訳せないのは、この理由だ。)(しかも、その時、私の研究室にはゼミ生が2人いたのだ。そのような類の言葉を私が言ったら、彼女たちはたいそうショックだったことだろう。)さらに紙面にそれが出てしまったら、ちょっと恥ずかしい。それよりも、そのようなサンプルを出したら、必ず各方面から、その訳はよくないとか、ニュアンスが違うとか、クレームがつくことがわかっている。だから、記者には具体例を話さなかった。非常に残念そうにされていたが、諦めてもらった。

 このような、被告人が何かによって挑発を受けて犯罪行為を行ったような場合、何が起こったかが正確に通訳されなければならない。挑発を受けたか受けなかったかは、明らかに判決内容や量刑に影響を及ぼす。通訳人は、言われたことを同じレベルのインパクトを持って訳さなければならない。だが、これが非常に難しい。

 以前、字幕翻訳家の戸田奈津子さんがテレビで言っていた。「英語の罵り言葉は、それに当たる日本語がないので、『クソ○○』を連発するしかない。」確かにそうである。また、工夫して訳しても、必ずそのニュアンスが伝わるとは限らない。いっそ、通訳人は、「今の表現は極端に人を傷つけるものです」「今のは、そこそこ心にグサっとくる表現です」「これは、それほどきつくなく、聞き流せる程度のものです」というように、そのインパクトについて解説したほうが正確に伝わるのではないだろうか。その時には、通訳人は鑑定人の立場に役割をシフトする。もちろん、そんなことが許されるはずもないが。

 訳せない言葉や表現は、人が思っている以上に多い。法廷通訳の研究で一番面白いテーマの1つである。

posted by justice_justice at 18:51| □「ことば」の世界ーまきこ先生が語るー | 更新情報をチェックする
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