2009年04月21日

■和歌山毒入りカレー事件ー上告棄却判決について(上)

■和歌山カレー事件の上告審判決が出た。
 被告側の上告を棄却するというものだ。
 このカレー事件への思い入れは深い。事件当時、前任校にいた。ゼミ生と何度も和歌山入りして合宿を組み、公判を傍聴し、被告宅付近を巡った。「法学部ゼミ生」と学んでいた牧歌的なときであった。
 「法科大学院時代」など予想もしなかったときの事件なのである。 
 さて。
 判決内容はごくシンプルである。一審の判決を是認した控訴審に問題がないことを確認するものであり、一審判決の骨子を再整理しただけのものである。
 @カレーに混入されたものと組成が同じ特徴を示す亜ヒ酸が被告宅から発見されていること。A被告の髪から亜ヒ酸が顕出されたこと。B被告のみがガレージでカレーに亜ヒ酸を入れる機会を有しており、現にふたをあける場面が目撃されていること等に照らして、法411条を適用して事実誤認を認めなければならない著反正義事由はない、というものだ。犯行動機が解明されていないことも被告の犯人性の認定に影響はないと断定する。むろん、犯行態様の悪質性、結果の重大性に照らして死刑もやむをえないとした。
妥当な結論だと思う。
 一審の有罪認定の構造を揺るがすのは難しいと思う。一審以来の調査資料を見直し、新聞記事を概観しても、そう思う。
 それをフォローするため、以下には、過去のコメントをまとめておく。

■控訴審判決に関して
○秋田魁新報05年6月29日(朝刊)22頁
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「科学鑑定など客観的な証拠で犯人性が認められるのであれば、動機の解明は不要」と指摘。「動機を重視すると、捜査段階の取り調べが虚偽自白の温床になる。状況証拠から有罪を認定した一、二審の姿勢は評価される」と話した(【共同通信/秋田魁新報】)
○中日新聞05年6月29日(朝刊)33頁
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「科学鑑定など客観的な証拠で犯人性が認められるのであれば、動機の解明は不要」と指摘。「動機を重視すると、捜査段階の取り調べが虚偽自白の温床になる」と話し、動機不在も、やむを得ないとの立場を示した。

○日本経済新聞05年6月28日(大阪夕刊)19頁
 一審で検察側が「合理的疑い」を超える有罪の証明をした以上、控訴審では被告が一審に重大な誤りがあることを説明する責任があったが、犯行時に二女と一緒だったとする被告の説明だけでは住民らの供述の信用性を覆す力はない。
 被告の犯人性を支えるのは、大型放射光施設「スプリング8」を利用した鑑定など、先端科学による証拠だ。被告宅の台所と住民が食べたカレーから見つかった亜ヒ酸の同一性が揺るがない以上、控訴審が一審判決を支持したのは理解できる。

■一審判決に関して
○産経新聞02年12月12日(朝刊)3頁
◆状況証拠事実認定のモデル 神戸学院大(刑事訴訟法)渡辺修教授 
 極刑を選択した判決の理由は説得力がある。決め手は、捜査段階の科学鑑定だ。被告宅で発見された亜ヒ酸などとカレー鍋の亜ヒ酸が科学的に一致することを示す証拠は、犯行と被告を結び付ける直接証拠にあたる。犯行自体は、亜ヒ酸をカレーに投与する単純なものだから、凶器と被告の結び付きが立証できれば、有罪の骨格はできあがる。
 殺意の認定も納得がいく。検察側は、住民とのトラブルに端を発した感情のもつれと、マージャン仲間の殺傷による保険金ねらいを重ねて「殺意」が生まれるというストーリー性の強い主張をしたが、証拠の裏付けが乏しい。判決は、亜ヒ酸の致死性を認識しながら、カレーに投与した事実をベースにして故意を認めた。また、検察側は、保険金殺人目的の亜ヒ酸を使った殺人未遂事件を類似事実として扱い、その積み重ねが犯人性を高め、さらにカレー事件の犯意を生むと主張したが、こうした予断と偏見を招く証拠の見方を退けた。公正で合理的な認定だ。
 この事件の特徴は「自白なき裁判」だ。だから、検察側は状況証拠による事案解明を目指し「SPring−8」に注目した。証拠を破壊せず鑑定を実現した検察の姿勢が裁判段階の再鑑定を可能にし、それが有罪判決の柱を作った。取り調べで自白の強要を生まなかった捜査側の慎重さと、連日の接見で監視を怠らなかった弁護側の姿勢も注目すべきだ。
 「黙秘する被告」に被害関係者から強い非難が集まったが「冤罪(えんざい)」を生まない最後の防波堤が黙秘権だ。法廷で被告が黙秘しても、「合理的疑いを超える証明」によって有罪を明らかにするのが、刑事裁判の「かたち」だ。自白がなくとも国民の納得する有罪判決を示した裁判所の姿勢は、状況証拠に基づく事実認定のモデルとして歴史に名を残すだろう。(寄稿)

■第1回公判に関して
○毎日新聞99年5月13日((夕刊))
◇全面証拠開示を−−神戸学院大教授・渡辺修氏(刑事訴訟法)
 被告の供述調書が一通もないまま裁判が始まった。これを異例の展開とみる向きもある。容疑者が捜査側の追及で「自白」してこそ刑事事件は「一件落着」するという理解があるからだ。だが、密室の取り調べで捜査官に連日、長時間の追及を受ければ、容疑者は虚偽自白を余儀なくされ、えん罪を生みやすい。憲法はその防波堤として「黙秘権の保障」を宣言した。「自白なき裁判」は、憲法が予定したものだ。
 憲法に従えば「自白中心」捜査には限界があるが、「状況証拠中心」捜査を確立するにも工夫がいる。例えば、犯行現場付近で紙コップを持つ被告に関する目撃者の記憶は淡雪と同じ。時とともに薄らぐ。住民、家族との会話やニュースによって、本人も気付かぬうちに変形する。マスコミの取材で話したことと警察の事情聴取で供述したことが食い違うこともある。だから、事情聴取ごとに供述を正確に記録する必要がある。それは、捜査官が内容を要約する供述調書では無理。テープ録音、ビデオ録画を使って目撃者の「生のことば」を残すべきだ。
 状況証拠による裁判で「実体的真実」を迅速かつ適正に発見するには、起訴と同時に、検察側が手持ちの証拠すべてを被告側に開示する「全面証拠開示」が不可欠だ。事実を争う裁判が長期化する一因は、検察側が控訴審になっても次々と手持ちの証拠を出す「五月雨」立証をするからだ。全面開示がなされれば、被告側は防御すべき証拠の範囲が分かるし、被告に有利な資料が埋もれたままになるのを防止できる。被告に有利な証拠が多少あっても、検察側が確固たる証拠で有罪を証明することこそ、有罪判決に対する国民の信頼の基礎となる。
 今回の法廷では、裁判所は被告席を弁護人席の前に設けた。自白した被告を裁判官正面に据えて裁く「お白州」型とは異なる。被告の防御の権利を尊重する姿勢を示すもので評価できるが、ヒ素の同一性に関する科学分析など状況証拠についても、両当事者の主張を公平に聞く姿勢を貫いてほしい。裁判所が「科学の神話」に惑わされない事実認定をするためには、今回使った最先端機器と同程度の機能のある国内外の施設などに再確認してもらう慎重な姿勢が必要だろう。
 米国の陪審裁判では、被告が黙秘するのは通常のこと。取り調べ段階から弁護人が防御活動をするのも当たり前。それを前提にして、有罪認定に必要な状況証拠の質と量を、市民が陪審員となって判断する。
 今回の事件では、自白がない以上、検察側は犯行動機の特定や詳細な立証はしにくいが、刑事裁判の事実認定の鉄則は「(その容疑者が犯人であることに対して)合理的な疑いを差しはさめない程度までに犯罪の証明がされている」ことである。動機を含めて犯行と被告を結ぶ状況証拠の質と量が適正かどうか、わが国でも国民が直接監視するシステムが必要である。法廷のテレビ中継、さらには陪審の導入など、今回の事件をきっかけにして刑事裁判の新しいあり方も考えるべきだろう。

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posted by justice_justice at 19:46| ■(ケース)毒入りカレー事件■ | 更新情報をチェックする
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