2008年11月20日

■三浦和義事件ー思いがけない終焉 byGishu


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Kazuyoshi Miura, 61, was found dead in his jail cell at the Los Angeles Police Department's Parker Center headquarters about 9:45 p.m. Friday by an officer during a routine inspection, said Deputy Chief Charlie Beck.

■「自裁」
 こんな内容の記事が1月前のアメリカの各紙を賑わせた。三浦事件の思いがけない決着。自裁。サイパンからの移送手続に対する争いを急にやめた、その頃にもう覚悟を決めていたのであろうか。「共謀罪」の成否を巡るながい戦いに絶望したのであろうか。その信教を推し量ることはできない。
 今はただ冥福を祈るのみ。
 この項目、これで終了とする。

■「共謀罪」。
 いずれ我が国にも導入せざるをえないかもしれない。犯罪が形を整えて、実害を発生させる前の段階が客観的に明らかになれば、これを押さえる。共謀罪の考え方は、ここにある。
 日本流の共謀共同正犯とも考え方を異にする。こちらは、共犯者の誰かが、実行行為を行ってはじめて全体としての犯罪が完成するからだ。
 三浦氏は、事件記録で公刊されているものをみても、明らかに一美さん殺害についてロスでいろいろな人と接触している事実がある。殺害をもちかけた客観的な事実があれば、それはたんなる「思想の処罰」とは異なる。可罰性も明確になってくる。
 警察ー捜査の範囲拡大、警察権限濫用、思想犯弾圧、、、といった構図も考えられなくはないが、他方で、犯罪の裾野の広がりを思うと、「共謀罪」処罰は必要とも言える。ことにネット上の犯行予告は「思想」の表現、表現の自由、知る権利などなど格調高き憲法論の枠には収まらない。やはり市民の側の自省と自制、倫理観の覚醒がいる。
 いきすぎた場合に、刑罰権を発動させる余地を法律で認めておかなければならない時代なのかも知れない。よく考えたい。

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