2008年08月17日

■オフェリアの死と正当防衛ーハムレット異聞 by GISHU


Hamlet00.jpg
■ 手元に、"Hamlet" William Shakespeare, Penguin Shakespeare, Founding Editor T.J.B.Spencer がある。「ハムレット」である。
 先月来、電車の行き帰りに繙いて先日読み終えた。ハムレットの通読は、おそらく大学1回生か2回生のとき以来であろう。
 当時、京都河原町にあった丸善の2階、文学書のコーナーで購入した赤の表紙のポートフォリオ版で読んだと思う。それが、いわゆる"Second Quarto(1604)"であったのか、それとも"First Folio(1623)"であったのか、もう忘れてしまった。
■ 何故急にハムレットなのか、自分でもよく解らないまま、過日、三宮のジュンク堂を徘徊しているおりに、英文学のコーナーでふと目にとまった、この本をそのまま購入し、電車の揺れに身を任せながら、読み終えた。
■ 前にも読んで記憶に残る一節が、やはり目に止まった。オフェリアの死だ。彼女の墓を用意する墓堀人足のこんな会話だ。
人足1「彼女は、キリスト教徒として埋葬されるんかいな。自分で自分の命を絶ってしまったんだろう。」
人足2「言っておくがな、そうに決まってる。だから、彼女は墓は全うなものにしなけりゃならない。検死官殿がそのようにのたまわった。キリスト教の埋葬ができるんだとさ」
人足1「なんでそうなるんだ。彼女が自分を守るためにでも溺死せん限りできっこない」
人足2「なにいってんだ。もうそうだと認められたんんだ」
人足1「こいつは、正当防衛そのものに違いない。それ以外じゃありっこない。いいか、ここが大切なところだ。もし俺がわざと溺れてみろ。それは自分の行為ってことになる。行為というのはだ、3つの枝葉があるのよ。行なう、する、やり遂げる。で、それゆえにだ、そうであれば、彼女は、自分を溺死させたことになる」
人足2「まさかな。でも聞いてみようじゃないか、お人好しの墓堀りさんよ。」
人足1「なに言ってんだ。いいか、ここに水がある。ここに人がいる。いいな。で、人がこの水のところに足を運んで自分を溺れさせてみな。否が応でも、自分でやったことになるのさ。これを忘れなさんな。だが、水が奴のところに押しかけてみな。そして水がそいつを溺れさせてみな。だったら、自分で溺死したことにはならんだろう。いいかい、だったら、奴は、自分で死んだことで罪にはならないのさ、自分で命を縮めたことにならんから。」
人足2「それがきまり(law)ってもんかい」
人足1「おう、そうとも、それが、検死官殿が検査のときのきまりなのさ」
人足2「それがほんとのことだとおまえは思ってるんかいな。もし彼女が高貴のお方なんぞではなかったとしてみねい。キリスト教徒の埋葬なんかしてもらいっこなかったぜ」
■ 手元の原書を勝手に訳すとこうなる。どのみち、自分が納得できればいいから、多少の誤訳は無視しよう。17世紀初頭の刑法の一こまとキリスト教文化の関わりを物語るエピソードであり、法の本質の一端ー権力者のための法ーを語るものでもあり、興味深い。
 そして、シェークスピアの世俗をよく捉える目をここに感じ取ることができる。
■ "To be or not to be--that is the question"
あまりにも著名な成句。
 ハムレット流の懊悩が、この年でなんとなく解るような気にもなる。が、ついつい世俗的に考えてしまう。「世の流れに身を任せて時をまてばよいのに、、、。仇討ちなどと古風なことを考えるから、大勢の死ななくてもよい者を死なせてしまう、、、」。
 この悲劇は、自分で招いた悲劇だ。幽霊の血迷い言を信じたばかりに、、、、
 "O, I die, Horatio!"
かくして、ハムレットは、叔父王の仕組んだ罠にはまって毒の塗られた剣をもつオフェリアの兄、レアティーズに傷つけれて死に至る。直前に叔父王の殺害に成功しても、なんの意味もなかったではないか。
■ と、なんとも世俗的なハムレットの読み方をしながら、日本の、朝と夜の通勤通学風景の中で、イギリスの古典を読み終えた。おもしろかった。次に再読するのは、何年後になるのやら。そのときを楽しみにしよう。 
posted by justice_justice at 22:35| ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする
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