2008年07月25日

■アンソニーバージェスの『シェークスピア』論  by GISHU


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■Anthony BURGES "Shakespeare"を読んだ。初版は1970年である。KNOPF社のハードカバーで挿絵が豊富に入っている初版本が手元にある。これと別に2002年に発売されたペーパーバック本もある。通勤電車の行き帰りに読むものなので、目を通したのはペーパーバック本であり、おりおり心安めに挿絵を眺めるのにハードカバー版を開いた。手元に本が届いて半年ほどかかったか。
 
■実は、バージェスのシェークスピアを読むのは2度目だ。最初は、実に今から36年前のことである。
 当時、京大法学部に入り、その2年めの英語Uであったかなにか、ともあれ吉田キャンパスの教養部の専門英語科目で履修したのが、このバージェス版をテキストにするシェークスピア論であった。担当の先生の名前は忘れた。鼻の下に上品に髭を蓄えた、まだ若手の気鋭の研究者であったと記憶する。履修学生は4名程度ではなかったか。今、東京で弁護士として活躍しておられる某氏も教室におられたと記憶する。

■バージェスの英語は難解だ。受験時代に、受験技法を超える本格英語を目指して、サマセット・モームの『人間の絆』をポケットブックで読む作業を併行していたし、教養1回生時代は、「教養主義」を信奉し、京都の散策と、ランダムな文化・文芸書や、イギリス、アメリカの古典を原典で渉猟するのに時間を費やしていたのだが、それでも、バージェス版には辟易した。実は、36年たった今も、同じく難解さを感じながら、読み上げた。
 にも関わらず、シェークスピアの生々しい生活の姿を、エリザベス女王時代のイギリスとロンドンの中において描くタッチに「なるほど!」と感動しながら読み進んだ、漠然とした記憶のみが残る。

■実のところ、今回も、英語自体の持ち味から酌み取れた意義は少ない。これと比較すると、通勤カバンの中に今いれているJohn Grisham "The Last Juror"の英語は児戯に等しい。
 さて。シェークスピア論の結論。こんな結びになっている。

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 "We need not repine at the lack of a satisfactory Shapespeare portrait. To see his face we need only look into a mirror. He is ourselves, ordinary suffering humanity, fired by moderate ambitions, concerned with money, the victim of desire, all too mortal. To his back, like a hump, was strapped a miraculous but somehow irrelevant talent. It is a talent which, more than any other that the world has seen, reconciles us to being human beings, unsatisfactory hybrids, not good enough for gods and not good enough for animals. We are all Will. Shakespeare is the name of one of our redeemers"

■バージェス版で妙に解りやすい英語だけで表現された一節が最後のまとめになっている。シェークスピアといっても、普通に苦悩し、普通にがんばり、普通にスケベで、普通に死んでいった、そんな人物なのだ、、、とバージェスは釘を刺す。
 彼の死をバージェスは淡々とこう記している。
" The end came in April 1616. The Rev.John Ward's notebooks tell of a "merrie meeting " with Michael Drayton and Ben Jonson, Shakespeare ate too many pickled herringws and drank too much Rhenish wine. He sweated, took cold, and died."
偉大な才能の死の平凡な姿がそこにある。
 バージェス版シェークスピアはその意味で、「露悪趣味」といってもいいのかもしれない。だが、偉大な作品を描いたものが、そのままの偉大な人格である必要はないし、必然性もない。鰯の詰め物を食べ過ぎて、ワインを飲み過ぎて風邪引いて死ぬ人間の手になった膨大な数のドラマを、我々はいまも愛し続けている。
 前に勤めていた神戸学院大学の人文学部の英文学の老教授は、退職し伴侶と老人ホームに入ってから、『シェークスピアの一巻本』を毎日目通しするのを楽しみにしている、という記事をずいぶん前に某週刊誌に寄せられたのを記憶している。おそらく、自分の晩年もそうなると思う。元気なうちは、何度かロンドンに足を運び、シェークスピア所縁の場所など尋ね歩き、日本に戻って、オックスフォード版を読む、、、バージェス版はそのときにもう一度読み直そう。またしばらくはこの本は段ボール箱の奥に仕舞うこととする。
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posted by justice_justice at 08:40 | TrackBack(0) | ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする

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