2014年02月17日

■報道の自由と刑事裁判ー「ニュース」を証拠にしてよいか

■ 「オウム裁判:取材の自由か裁判の公正か/番組の証拠採用、続く是非論争」
  毎日新聞 2014年02月03日(東京朝刊)

 マスコミ各社の記者は,事件現場に行く。事件関係者に取材する。この職業であるが故に,市民は情報を提供する。だから,市民には容易に見えない「事実」が見えてくる。事件の奥行きが分かる。ただ,場合によって,そうした取材結果は,時に,刑事裁判の証拠として役立つ。むろん,有罪を立証するためにも,無罪の立証をするためにも役立つが,それはいいのだろうか?
 報道目的で取材した材料が,処罰のために使われる,こんな事態が当たり前になったとき,我々は,新聞記者などマスコミの取材者を,捜査機関の手先と受けとめることとなる。
 といって,場合によっては,事件の客観的状況を公正にあきらかにできる(唯一かどうかは別として)ベストな証拠となることもあって,刑事裁判における真相解明という別の国民の利益と衝突することにもなりかねない。
 記事を引用する。
・・・(引用)・・・
 東京地裁で先月から審理が続く元オウム真理教幹部、平田信(まこと)被告(48)の裁判員裁判で、弁護側がNHKの番組を録画した映像を証拠申請したところ、NHK側が反発した。同種の論争は半世紀近く続いており、放送局側は証拠採用が前提となるとインタビューを拒否されるなど「取材・報道の自由」が侵害されると主張。裁判所側には「公正な裁判の実現」のためには証拠採用が必要な場合もあるとの見方も根強い。
 ◇法廷で録画映像
 「なぜ若者が宗教に引かれるのか、神や仏を信じる若者が増えているのか。当時のオウムについて報告しています」。法廷で平田被告の弁護人が説明した後、裁判官や裁判員の手元のモニターに、1988年に放送されたNHKの情報番組「おはようジャーナル」の録画映像が約10分間流された。番組には平田被告や、元教団幹部で証人として出廷する予定の井上嘉浩死刑囚(44)も登場している。
 弁護人は番組を証拠請求した理由について、取材に対し「一切お答えしない」と答えた。NHKの石田研一放送総局長は先月22日の定例記者会見で「取材・報道の自由が確保されなくなる恐れがあるので極めて遺憾」と語った。地裁に事実認定の証拠に使わないよう申し入れ、弁護人にも文書で遺憾の意を伝えたという。
 裁判で放送局の取材映像や番組が証拠として扱われ、局側が抗議するという構図は長らく続いている。代表的な先行事例は、米原子力空母の寄港に反対し福岡市の博多駅に結集した学生のデモ隊と警官隊が衝突した「博多駅事件」(68年)だ。福岡地裁は、同市に拠点のある四つの放送局に、事件当日の様子を映したフィルムの任意提出を求めたが拒否されたため、刑事訴訟法に基づき提出命令を出した。放送局側は「提出命令は報道機関の取材活動の自由を脅かす」と反発したが、福岡高裁も地裁の判断を支持し、最高裁大法廷も69年、放送局側の特別抗告を棄却する決定を出した(70年にフィルム押収)。
 大法廷はこの決定で「報道の自由は『表現の自由』を規定した憲法21条の保障のもとにあり、報道のための取材の自由も21条の精神に照らし十分尊重に値する」と指摘。一方で「取材の自由と言っても何ら制約を受けないものではなく、公正な裁判の実現というような憲法上の要請がある時はある程度の制約を受けることもある」とした。日本新聞協会は当時、「写真やフィルムを証拠として提供することは、その後の報道、取材の自由に重大な制限を招く恐れがあり、原則避けるべきだ」との見解を表明している。
 しかし、その後も裁判所による証拠採用が続く。「和歌山毒物カレー事件」(98年)では、殺人罪などに問われた林真須美死刑囚(52)が裁判で黙秘を続け、和歌山地検は99年、事件当日の様子を林死刑囚にインタビューした民放のテレビ番組を録画・編集したビデオテープを証拠申請。放送局側は取り下げるよう地検に申し入れたが、和歌山地裁は2002年3月、証拠採用した。放送局側は抗議声明を出し、新聞協会も「ビデオテープの証拠申請・採用を安易に行わないよう求める」との見解を出した。地裁は02年12月の判決でビデオの証拠採用を「慎重であるべきことは論をまたない」としつつ、「報道機関が自ら重要な情報であるとして報道し、国民の多くが知っている情報をなぜ証拠として採用できないのか理解に苦しむ」と異例の言及をした。
・・・・・・・
 新聞記事は,いろいろな有識者の見解を紹介している。以下の通りであった。
 ○大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理法制)
 ・「捜査当局の取り調べや裁判所での手続きと、報道機関の取材では臨む姿勢も違う。(カレー事件のような事例は)取材に対する萎縮を招く。放映済みでも裁判での使用は控えるべきだ」
 ・「取材・報道の自由への侵害は目に見えにくいが、長期的に社会から何かが失われていく」
 ・「裁判所が新聞記事を犯罪の事実認定に用いるなど、行き過ぎた使い方があるような場合は、新聞社側はきちんと抗議すべきだ」
 ○曽我部真裕(そがべまさひろ)・京都大大学院教授(憲法)
 「カレー事件のようなケースが続くと、疑惑の渦中にいる人物への取材がしにくくなる可能性があり問題はある。しかし、一般論として既に放送された場合は、証拠となっても取材・報道への具体的な支障は考えにくく、法的には問題にしにくい」 ○元東京高裁部総括判事の中川武隆・早稲田大法科大学院教授(刑事訴訟法)
 「取材・報道の自由と、公正な裁判の実現の双方を比較検討はするが、重視しているのは刑罰権の適正な行使。(放送局側が証拠採用に反対するなら)証拠となることで報道機関にとってどのような弊害が起きるのかについて、ある程度具体的な主張がないと説得力を持たない」
 ただ,以上の識者のコメントに欠けているのは,証拠収集の手続の妥当性である。
 テレビのニュースなどの番組を,簡単に録画できる時代であるが,それをそのまま証拠に出していいのか,裁判所は,気軽に証拠採用していいのか。
 それは,報道の自由/取材の自由と公正な裁判の利益のバランスを,法の世界で吟味検討する場が失われる。
 そのことも含めて,次のコメントを出した。
■渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)
 「裁判の公正さを保つという観点からもテレビ番組を証拠採用するのは好ましくない。それでも、やむを得ず証拠採用するなら、裁判所が提出命令を出すなりして放送局側の反論の場を確保すべきだ。録画ビデオをそのまま証拠にするという姿勢自体が『報道の自由』への配慮を欠いている」。
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2014年02月16日

『永遠の0』ー「宮部久蔵」の世界観

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 太平洋戦争末期,鹿屋から飛び立ったたくさんの海軍航空隊の特攻機。その一機に乗った小説の主人公,宮部久蔵。
 内地に残した妻と娘のところにもどるため,最後まで「活きる」覚悟を決めつつも,自ら「特攻のための操縦」しか教えずに飛び立たせた教え子達。映画では,その援護を鹿屋の基地から沖縄沖まで続け,教え子が海の藻屑と消えるのを見ることとなる。やがて,彼は,自らが特攻に加わる決意をする。岡田准一が迫真の演技をする。
 そんな小説の主人公と類似の思いを抱いていた者が当時前線にたくさんいたと思う。
 戦後,現代になってから,その宮部の実像に孫達が迫ろうと決意する。フリージャーナリストの姉・佐伯慶子を吹石一恵が演じ,最初は,いやがりながらも,祖父の実像が見えるにつれて,のめりこんでいく弟,佐伯健太郎を三浦春馬が演ずる。弟は,実は,司法浪人だ。
 最後に,特攻で死ぬことを選んだ祖父は,出撃の前に,自機がエンジン不調と気づく。この機を一緒に飛び立つ若者の21型機と交換する。そして,不時着を余儀なくされる彼の命を守る。そんな事実が取材を通して分かる。
 その若者が,戦後,宮部の残した井上真央演ずる妻,松乃と風吹ジュン演ずる娘・清子を探し当てて,再婚するーー−。
 宮部は,妻との約束を守った。「腕を失い,足を失い,そして命を失っても,必ず戻る」と。
 「物語は紡がれる」と,松乃を失った祖父が,孫達と娘に語る。

 これは映画として秀逸の名作だ。手元に置きたい映画だ。
 小説はしばらく読まない。映画のダイナミズムが失われるからだ。
 鹿屋と知覧。このふたつの地名は,靖国神社の場所とともに,国民が深く胸に刻み込んで置きたい。

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2014年02月15日

■ひとつの事件/ふたつの判断ー裁判員裁判の特徴


「同じ事件に異なる判断/通貨偽造、裁判員裁判/京都府」
2013/12/21 朝日新聞 朝刊 29ページ 559文字 書誌情報
 こんな事件である。
***引用***
 親子で共謀してカラーコピーした5千円札を使ったとして、通貨偽造・同行使罪などに問われた息子(27)の裁判員裁判の判決が20日、京都地裁であり、先月に同一事件で罪に問われた父親(51)の判決時とは、「共謀」の認定について異なる判断が示された。
 後藤真知子裁判長は今回の息子の判決で、父親との共謀を認め、懲役8年6カ月(求刑懲役10年)を言い渡した。だが後藤裁判長は先月29日、共謀したとされた父親には、同罪について無罪を言い渡していた。
 今回の判決では、息子は2011年9月、父親と共謀して5千円札を約30枚カラーコピーし、うち2枚を使ったと認定。息子は「父親に偽札作りを持ちかけられた」、父親は「息子単独の犯行」とそれぞれ主張していた。後藤裁判長は父親の判決では息子の供述について「著しく具体性を欠き、信用できない」と判断し、共謀を否定。今回は共謀について争われず、起訴状の通り認定した。
 今回の裁判員を務めた40代の公務員女性は「裁判所から別事件として考えるよう言われた。私は双方の主張に基づいた妥当な判決だと思っている」と話した。
******
 これでいい。官僚統制の時代は終わった。各事件を裁く各裁判員が自由に良識に従い,証拠をみればよい。
 こんなコメントを出した。

■甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「別々の市民が裁いた結果で、ケースごとに判断が分かれることは十分ありうる。裁判員制度導入後の新しい正義のあり方だ」と話した。
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2014年02月14日

■裁判員裁判と控訴審ー「ヤヌス神」の姿

■「鳥取・男性連続不審死:きょう第2回公判/供述信用性どう判断/上田被告、黙秘から一転−−高裁松江支部/鳥取」2013/12/24 毎日新聞(地方版)

 すでに一審,控訴審と死刑が維持されている事件についての後追いである。
 2009年に,鳥取県で起きた一連の不審死について,裁判員裁判では,死刑を選択したが,その控訴審でもこの判断が是認された。
 被告は,一審では,沈黙を守り,事件について何も語らなかった。ところが,控訴審になってから,被告人質問の場で黙秘を放棄し,事件について語り始めた。
 昨年12月の控訴審公判では,自ら法廷で無罪の弁解をしたという。
 これをどうみるか。まず記事を引用しておく。
***引用(1)ー被告人の弁解内容について***
 ■「もらった金」
 上田被告は21日に40歳を迎えた。
 1審判決は強盗殺人の動機を「上田被告が被害者2人から迫られていた借金返済や家電代金の支払いを免れるため」と認定。これに対し、上田被告は09年4月に水死したトラック運転手、矢部和実さん(当時47歳)との金のやり取りについて、「私が生活に困っていることや、子供5人を育てていることを知り、矢部さんが渡してくれた。もらった金という認識だった」と供述した。
 矢部さんが上田被告との間で借用書を交わした理由については、「私とつながっていたかったからだと思う。借用書があれば私と会うことができる」。弁護側が「あなたと男女の関係が切れないようにするためか?」と質問すると、「そう思った」と答えた。
 ■返済を迫られたのは元販売員
 借用書には、上田被告と当時同居していた元自動車販売員の男性(50)も連帯保証人として記されていた。上田被告は返済を迫られていたのは元販売員だったとし、「矢部さんが元販売員に『連帯保証人がどういうことか分かっているのか? 男が言ったことは守れ』と言った。元販売員は土下座した」と語った。弁護側が「矢部さんはなぜ元販売員に支払いを求めたのか」と尋ねると、「私の男だと思ったから責任を取れとのことだった」とした。
 09年10月に水死した電器店経営、円山秀樹さん(同57歳)への家電代金支払いを巡っても、上田被告は自らの支払い義務を否定。弁護側から「円山さんから督促されたことはあるか」と問われると、「ない」と明確に答えた。元販売員も円山さんから電化製品を購入しており、円山さんから支払いを督促される場面を「少なくとも5、6回見た」と供述した。
 ■最終接触者
 1審判決は、元販売員の証言を有罪の根拠にした。「事件後に上田被告に呼び出され、服がぬれている上田被告を見た」などと供述した元販売員に対し、上田被告は反論した。
 矢部さんの事件では、矢部さんが運転する車に当日乗っていたことは認めたが、車内で交際を巡るやり取りから矢部さんが怒ったと主張。「『頭を冷やしてくれ』と言った。矢部さんは途中で(自分を)降ろした」。その後、矢部さんは一旦戻ってきたが、再び自分を置いて車で移動した、とした。弁護側が「この時が矢部さんを見た最後か」と聞くと、「はい」と答えた。
 ■「ズボンがぬれていた」
 上田被告は、その後に合流した元販売員が1人で矢部さんのいる方に向かい、しばらくして戻って来ると「ズボンがぬれていた」と説明。更に元販売員の車の中に「矢部さんの服とスコップがあった」と語った。警察に対しては、元販売員から「『(事件前の)4月2日に(矢部さんと)最後に会ったと言え』と言われた」と、口裏合わせを求められたとも主張した。
 一方、円山さんの事件当日の状況について「(元販売員は)円山さんを乗せて行った。私を残して(元販売員が運転する)マーチは先に進んだ」と供述。その後、元販売員だけが「小走りで帰ってきた」。弁護側がその際の元販売員の様子を尋ねると、「顔面そうはくだった。膝から下が完全にぬれていた。左足のくるぶしに切り傷があった」と答えた。元販売員からは後日、「『誰が来ても黙っとけ』と言われた」と、再び口裏合わせを求められたと強調した。
******
 興味深いのは,控訴審における被告人質問=被告人供述の評価に関する記事である。
 まず,防御方針の転換について,記事は,次のように報じる。
***引用(2)ー防御方針***
◇被告人質問で無罪訴え 弁護側、1審の法廷戦術を変更
 控訴審では弁護側の法廷戦術も変わった。島根県弁護士会に所属する3人の国選弁護人が新たに担当したが、証人尋問や新証拠の提出はせず、被告人質問のみ行う方針だ。1審で展開した「元販売員が犯人の可能性がある」との主張もしない。弁護団は「本裁判の審理の対象はあくまで上田被告が犯人といえるかどうかであり、上田被告が犯人ではないとの主張をする」と報道各社に文書で回答している。
 1審で上田被告は「私はやっていません」とだけ話し、検察側が問いかけた約60の質問に何も答えなかった。しかし、10日の控訴審初公判では約5時間にわたって被告人質問に臨み、弁護側の質問には身ぶりを交えながら当時の様子を語った。
 沈黙を破った理由を上田被告は公判で「(1審の黙秘は)弁護士のアドバイスで決めた。控訴審では今の弁護士に思う存分私の気持ちを聞いてもらい、(話すことを)決めた」と話した。
******
 最後に,我が国の「控訴審」なるものの意義と役割に拘わる記事である。
***引用(3)ー控訴審について***
 原則として1審で取り調べた証拠に基づいて審理し、被告の出廷義務もない。塚本伊平裁判長は初公判の冒頭、上田被告に「被告人質問をする、やむを得ない事情はない」と前置きした上で「事案に鑑み、採用する」と述べた。
*******************
 控訴審は,「ヤヌス」である。「神」であり「審」である。
 検察官が起訴した事実について,証拠で裏付けられるかどうかを直接の審理の対象にしない。控訴審の審判対象は,法定の控訴理由があるかないかという視点で,一審判決とその手続を対象とする。裁判所の構成に不備があれば当然に一審には瑕疵があるが,他にも,事実面,法律面,量刑面での逸脱の有無とそれが判決に影響するような重大なものかどうかを事後的に審査する場だ。これを専門家は,「審査審」「事後審」といった表現をする。
 ただ,日本の控訴審は複雑だ。
 控訴審では,まず,一審の記録を点検し,あらたに行なう事実の取調べで確認した事実を吟味して,一審の判決と手続のいずれかに瑕疵があるか否か点検するプロセスがある。これは,審査審としての機能を発揮している。
 その結果,瑕疵がないとして,公訴を棄却するときには,控訴審は審査審の機能を果たしたのに留まる。
 次に,瑕疵を発見して,一審に審判のやり直しを命ずることがある。破棄・差戻の判決だ。このときも,瑕疵を摘示してそこを中心に審理のやり直しを命ずるものであるから,瑕疵の有無を事後的に審査した限度で控訴審の役割を終えたこととなる。
 ところが,一番多いのは,破棄自判である。つまり,一審の記録と控訴審での事実の取調べの結果をあわせたならば,破棄した上,自ら有罪・無罪の判断,つまり,検察官の起訴した事実に対する判断をすることができる場合,自判する。
 このときには,自ら有罪・無罪の心証を形成する。したがって,事実の審理・審査を行うこととなる。一審の審理を引き継いで事実の認定,量刑を行うから,事実審といえる。
 有罪・無罪を本格的に検討する場は一審であるべきで,被告人も事件について語るのであれば,一審とするべきだ。そうしなかった以上,仮に,控訴審では,もはや必要性がないとしてこれを斥けても防御権侵害にはならない。
 それだけに,今回,控訴審で被告人が語った事実は重い。こんなコメントを付した。

■職権による今回の被告人質問について、専門家は肯定的な見方をする。
 渡辺修・甲南大法科大学院教授(刑事訴訟法)は「1審の手続きに不合理や明らかな事実誤認がなければ、控訴審では被告人質問を認めないのが普通。同時に裁判長には事実を取り調べる権限があり、死刑判決が適切か判断するため、被告人質問をするのは妥当」と指摘している。
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2014年02月13日

知覧 三角兵舎から鹿児島へ

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 知覧から鹿児島市内へ戻る。今も残る三角宿舎に集い,空に散った若者達を見送った桜島。2月8日の夕方はきれいに晴れた中,穏やかな姿を見せていた。
 会館に展示された遺書の多くが,達筆であり文章力豊かな内容であった。彼らが生き残って日本の再建に力を注いでいたらさぞかし活躍したであろうと推測される。
 若者達が,特攻に志願し現に出撃する精神を持ち得たことを評価しつつ,愚かな作戦を強いた軍部の指導者の愚かしさを忘れてはならない。
 同時に,世界外交の表舞台では,こうした未熟な対応しかできない国家日本の限界を国民は知っておくべきでもある。
 とまれ,かくして鹿児島市内へ戻ってきた。2月8日夕方のことであった。

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2014年02月12日

知覧  隼と零戦

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知覧特攻平和会館に,海から引き上げられた零戦の残骸が展示されている。解説をみても趣旨が不明である。「昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、水深約35メートルのところに海没していたものを知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものです」という。引き上げたのが昭和55年6月であることはわかる。しかし,昭和20年5月になにがあったのか。海没しているのを偶然に目撃されただけなのか,海没=墜落が確認されたのか不明で,飛行士がどうなったか解説は語らない。しかし,確かに,海没するまで乗っていた一人の若者がいたはずだ。鹿屋にあった海軍航空隊から出撃した機体であったのかどうか。他方,隼のレプリカも置かれている。零戦と並ぶ陸軍航空隊の主力戦闘機。鹿児島湾をはさんで東西にあったふたつの航空隊基地から多勢の若者が飛び立ち特攻として命を落としていった。かかる「非合理なるもの」を国家の命運を賭ける戦争の戦略に組み込む「愚かしさ」が,日本の精神文化になお刻まれているおそれがある。二つ目の「知覧」が残るような愚かな歩みを今後しないためにも,この平和会館を大切に留めておきたいものだ。

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2014年02月10日

知覧  三角兵舎

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日本全国が雪に見舞われている中,鹿児島に出向いた。手話通訳の研修会講師のためである。前日8日,フライトを断念して,早朝の新幹線で鹿児島入り。幸い,雪の重みによる倒木で運行休止になる前に小倉にいた。鹿児島は暖かかった。礒庭園を見た後,思うところあって,知覧へ出向いた。沖縄戦に出向く陸軍の特攻基地跡である。特攻兵士の寝泊まりした三角宿舎を見た。そこに居た若者達が間違いなく死ぬ攻撃に出向いて,命を落とした事実に思いを寄せる。パールハーバー訪問の1週間後のことであった。

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2014年02月06日

■取調べ室からの被疑者逃走ー仙台の事件に学ぶ

■「ドイツ人容疑者逃走事件/宮城県警処分「甘い」/県民批判、遠い信頼回復/仙台」2013/12/26 河北新報朝刊 445文字 書誌情報
 警察の管理態勢に疑問を投げかける事件が仙台であった。勾留され取調べ中のドイツ人が取調べ室から逃走したという。内部の処分が行われたが,これについて,次のような記事が掲載された。
***引用***
 仙台中央署から取り調べ中のドイツ人容疑者が逃走した事件で、県警が25日、仙台中央署長ら8人を処分したことを受け、県民からは「処分結果が甘い」などと批判する声が上がった。
 仙台市宮城野区の無職井出隼人さん(68)は「厳しい処分でなければ信頼は取り戻せない。身内をかばう体質があるのではないかと疑ってしまう」と指摘した。泉区の主婦松田登美子さん(70)は「県民を危険にさらしたことを自覚してほしい」と訴えた。
 容疑者は逃走中、七ケ浜町に潜んでいたとされる。同町の主婦伊藤路子さん(48)は「逮捕まで時間がかかり、町民が心情的にどれほど怖かったか分かっていない」と憤った。
******
■ 今から思うと少し厳しいコメントを掲載した。次のようなものだ。
・・・・・・・・・・
 甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「逃亡を許した上、(県内の別の)署長が休暇でゴルフをするなど組織内に危機管理意識が欠落している」と指摘。「厳正な処分だけでなく、適正な手続きで真相解明に当たる警察の本分に立ち返る教育研修が不可欠だ」と述べた。
・・・・・・・・・・・
 今は,署長が総動員で警戒にあたる必要もないかと思っている。24時間,いつでも出動しなければならない警察であるだけに,なにかあるごとに総動員態勢で,ことに臨む必要もない。上記のゴルフをしていた署長とその部下についても,休暇を休暇として過ごす余裕はあったほうがいいかと思う。
 ただ,被疑者逃走を許したことはやはり批判されるべきだ。
 自由な雰囲気での取調べと,身体拘束自体の管理・戒護の厳重さは別だろう。
 反省を促したい。

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2014年02月05日

名張ブドウ酒事件ー累積証拠による再審の道

■名張ブドウ酒事件について
 再審が動かない。そのシンボルが,名張ブドウ酒事件である。
 第7次再審が最高裁によって斥けられ,弁護団は,直ちに8次再審請求をしたという。が,新聞報道の限りでも,新規・明白証拠の原則を充足するのは難しいように思う。もともと
■[追う]名張毒ぶどう酒 7次請求棄却 再審 時間との闘い=中部  
2013/12/28 中部読売新聞(朝刊)
 「名張ブドウ酒事件」。
 刑事訴訟法を学ぶ世界に活きる者には,重く響く事件名だ。
 「えん罪」とみるべき事件で,死刑囚がひとり医療刑務所で余命を数える状態になっている。87歳になるという。
 三重県名張市で1961年、女性5人が毒殺された事件。村の寄り合いに出るぶどう酒に死刑囚が農薬を混入したとされる。自白があった。古い時代の犯罪捜査の典型だ。虚偽自白の危険性が漂う。賢明にも一審の裁判所は「疑わしきは被告人の利益に」「合理的疑いを超える証明」の原則にしたがい,無罪とした。これが,今読み返してももっとも説得的な判決だ。
 しかし,控訴審では,一審を破棄しただけでなく,いきなり死刑を宣告。これが上告審でも支持されてしまった。
 無謀な控訴審の暴挙が,半世紀に及ぶ「名張毒ぶどう酒事件」再審を余儀なくさせた。
 残念なことに,第7次再審請求は2013年10月に、最高裁が弁護側の特別抗告を棄却して終結。
 弁護団はただちに第8次の請求を同高裁に提出したという。
 しかし,,,,
***引用***
 ■曲折
 奥西死刑囚の再審請求は1973年に始まったが、6次までは棄却が続いた。2002年4月に提出された7次請求では、名古屋高裁が05年4月、弁護団の毒物鑑定結果などを「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」とし、初めて再審開始を認めた。
 だが、名古屋高検の異議申し立てを受け、同高裁の別の裁判部が06年12月、決定を取り消し。最高裁への特別抗告と差し戻し、高裁での再度の決定取り消しを経て、最高裁は10月、弁護団の特別抗告を退けた。
 三重県警名張署で捜査に当たった古川秀夫さん(79)は「当時、やるべき捜査は精いっぱいやった。再審は当然認められないだろうと思っていた」と話す。
 ■「命あるうちに」
 今月11日、東京都の八王子医療刑務所。特別面会人の稲生昌三さん(74)は、奥西死刑囚との261回目の面会に臨んだ。
 8畳ほどの病室のベッドで、人工呼吸器や栄養剤を取り込む点滴チューブなどにつながれた奥西死刑囚は「医療機器の力を借りて、何とか命をつなぎ留めている状態」という。声帯を切除したため、会話もできないが、稲生さんが「来年1月の誕生日に、再審を求める支援者集会をやるからね」と語りかけると、奥西死刑囚は12年6月に同医療刑務所へ移って以来初めて、笑顔を見せた。
 「命があるうちに、再審開始の知らせを届ける」。稲生さんは自らを鼓舞するように語る。
 ■「8次」の行方
 「事実上、これが最後の請求になる」。鈴木泉・弁護団長も同じ思いで臨む。
 弁護団は、奥西死刑囚が「ぶどう酒に入れた」と自供した農薬「ニッカリンT」を巡り、特別抗告審での鑑定では毒物はニッカリンTと断定できないなどとする専門家の意見書3通と文献1点を、再審開始に必要な「新証拠」として名古屋高裁に提出した。
 いずれも7次請求の終盤に最高裁に提出したものだが、鈴木団長は「最高裁がこれらを検討した形跡がなく、証拠としての新規性は失われていない」とする。
 だが、独自鑑定を重ねた7次請求と比べて迫力不足は否めず、補充意見書などで、どこまで新規性を強調できるかが注目される。
 一方、検察側は、意見書などの提出予定もなく、事態を静観する。検察幹部は「いったんは再審開始が認められた経緯もあり、厳粛に対応する」とするが、別の幹部は「弁護団の書面が新証拠と認められるとはとても思えない」と話す。
*******

 この段階まで来ると,弁護団の方々のご苦労に頭が下がるのではあるが,次のようにコメントせざるを得なかった。

 ■甲南大法科大学院の渡辺修教授(刑事訴訟法)は「8次請求で提出された証拠だけでは再審開始が認められない可能性の方が高い。だが、裁判官は冤罪(えんざい)は許されないという観点で、弁護側が過去の請求で提出した証拠も含めて総括的に判断するべきだ」と語った。 
 ・・・・・・
 みるべき証拠があったのに,各再審手続毎に各個に撃破された観がある。
 そうであるなら,せめて,8次では,職権で,「総括再審審理」をするべきだろう。
 いままで再審でだされた新証拠群全体と旧証拠群を比較したときに,有罪とすることに「合理的疑い」が残るかどうか,「疑わしきは被告人の利益に」の観点から見返すべきではないか。
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2014年02月04日

ハワイの神々ー”Ku"

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 ハワイにビショップ博物館がある。ハワイの歴史を簡単にみることのできる小さな博物館である。ややお粗末な観もあるが,カメハメハ大王の一族がいかにハワイを支配し,またアメリカの進出に対して平和を維持しつつ合併を決めたのか簡単にわかる。最後の苦労しながら,リリウオカラニ女王(Queen Liliuokalani)が自らクーデター(?)を指揮するが,大陸系アメリカ人に敗れアメリカ軍の圧力のもと,王家の支配が終了,議会の力でアメリカ併合が決まる。カメハメハのハワイが終わり,アメリカのハワイがはじまる。「クー神=多神教」の世界から,「キリスト教=一神教」の世界へ,海洋文化から西洋文化へとハワイが変容する,その一端を簡単に学ぶことができる。

http://www.bishopmuseum.org/

 クー神について,博物館の説明を以下引用する。「海洋の観音」とでも理解すれば分かりやすい。すべてに宿り,すべてを支配する神。怒りと戦いの形でよく土産物屋にならび,そのおどろおどろしい姿に奇怪さを感じるが,その本質は,穏やかな顔立ちで表れる日本の観音と同じである。
 そのクー神の宿るダイアモンドヘッドを一周するジョギングをしながら,再度,アメリカに併合された「ハワイ」を考え,アメリカとの機動部隊間の海戦を堂々と繰り広げた「日本」を考える。
 戦艦同士の海戦はヨーロッパでも闘われたが,機動部隊の編成と両国機動部隊の海戦は太平洋で日米間でしか行われていない。高高度の技術を用するからだ。
 今も,中国,ロシアであっても,アメリカ海軍と機動部隊決戦を行なうことはできない,と素人ながら判断している。軍事力が圧倒的に差があるだろう。
 その日本が,かつてのハワイにならない工夫が要る。中国に併呑されるのを避け,アメリカの51番目の州になることも避けて,信頼される先進国として評価されつづけるかどうか,,,。
 そんなことを考えながら,ハワイの最後の時間をホテルで過ごしている。
 ここには,休暇でも仕事でも,また来ることであろう。
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"Kū"
For hundreds of years prior to 1819, Hawaiian society was governed by the ‘Aikapu, a system of religious, political, and social laws. In this system, the role of religion in political and social organization was paramount; the ‘Aikapu itself was conceived by the kahuna (priest) of Wākea, an Akua (God) often referred to as Sky Father. In the philosophy that informed the ‘Aikapu system, nothing in Hawaiian life occurred without the will and recognition of the Gods. The sun rose and prayer was chanted. The crops were planted and an oli (chant) was performed. A battle was waged and the chiefs made appeals to the Akua. A child was born and religious ceremony abounded. It can be said with certainty that every aspect of Hawaiian life was imbued with a deep sense of spirituality, from the very mundane to the extraordinary.
As a polytheistic society, Hawaiians worshipped nearly 40,000 Gods under the ‘Aikapu. These Gods presided over the various tasks of life, including childbirth, agriculture, war, fishing, family structure, and chiefly rule. The Akua, like the kānaka, were of various ranks and power. ‘Aumākua or ancestral Gods guarded and guided members of their family and were honored by those who were genealogically linked to them. All Akua had earthly nature forms known as kinolau, literally, “many bodies”, and each God often had more than one kinolau. The pueo (owl), the falling rain, a palapalai fern, the ‘ōhi‘a lehua blossom, and the manō (shark) were among the thousands of kinolau of the Akua. In this understanding, the Akua are not distant or ephemeral, but familiar and real, sharing the earthly realm with kānaka.
Earthly manifestations of Akua are also found in the ki‘i (God images). Ki‘i have been exotified through American “tiki” culture, and the Akua most often misrepresented in this context is Kū, the male God of war and politics. Carved to inspire a sense of fear and severity, Kū stands as tall as the human warriors who worshipped him and likely resided in a heiau or temple dedicated in his honor. There are literally dozens of manifestations of Kū including Kūkā‘ilimoku (Kū Snatcher of islands), Kūolonowao (Kū of the deep forest) Kū‘ula (Kū of the abundance of the sea) and many others. These Kū forms presided over a myriad of tasks such as fishing, the gathering of hardwoods for carving, as well as the catching of birds for feather work.

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posted by justice_justice at 03:16 | TrackBack(0) | ●観光(世界) | 更新情報をチェックする
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