2018年01月29日

渡部昇一氏の本〜『老年の豊かさについて』

 『老年の豊かさについて 生を愉しみ、老いにたじろがず』大和書房 2004年。渡部昇一氏著。
 同氏の膨大な著作の中のちいさな一冊だが,ざっくりと読んで,何カ所かなるほど!と思う箇所がある。
 自分の「老い」を考えながら,明石市立図書館でひとときを過ごす。
 本に言う,「居場所」。金なく,地位もなくなる「老後」に,「適法に居る場所」,「通う」と宣言しても奇異に思われない場所,そのひとつとして,明石市が用意しているのが,JR.明石駅,山陽明石駅南側のビル2階にある市立図書館。
 おそらくPFIの事業ではないか。民間委託した公立の施設。サービスはよい。
 さて,そんな一角にある4人用のテーブルに座って,この本を紐解く・・・・
 晩年,ここを自分の居場所のひとつにしよう,と思いながら,そうした居場所を確保することを勧める本を読む・・・
 居場所と社会参加と,そして,一人である場所,そうしたトライアングルをうまく築くことがこつだろう。
 勤務先は,定年後にはなんの意味ももたらさない。終わった関係ではなく,新しい関係を常に作ることを考えることだ。
 孫の名前の漢字の意味を,ずらっと並んだ図書館の辞書コーナーで調べて,コピーをとる,といったささいな楽しみの連続の中で,刻をすごす一方,国家,社会,地域にそれぞれ小さな関わりを持てる方法を考えてみよう。 

老年の豊かさについて.jpg
posted by justice_justice at 06:00| ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする

2018年01月28日

『祖父たちの零戦』〜軍人が守った国のこれから〜

『祖父たちの零戦』 神立尚紀著,2010年(平成22年)発行,講談社zero fighter.jpg

「かつて日本には『零戦』という飛行機があった」。
 このドキュメントはこの一行から始まる。

 零戦登場から太平洋戦争の終結,そして生き残った零戦パイロット達の戦後の生き方を紹介するドキュメント。零戦とともに国家のために戦った男達の物語である。
 確かに,戦前,ある時期から軍部とくに陸軍主導で,軍国主義・侵略戦争の道に陥った面がある。ただ,国家政策はさておき,戦わなければならない戦争を誠実に堂々と戦った大勢の「軍人」達がいたことも事実だ。零戦を駆使して,性能が改良され数も拡充されたアメリカ軍との絶望的な戦いに挑まざるを得なかった男達が居た。思えば,彼らの生き残り達が,戦後の繁栄を実は支えてきていた。
 そうした世代の物語である。

 主人公の一人,進藤三郎氏は,筆者の取材にこう話した。
 「戦争中,誠心誠意働いて,真剣に戦って,そのこといささかの悔いもありませんが,一生懸命やってきたことが戦後,馬鹿みたいに言われてきて,つまらん人生でしたね」。

 また,今一人,戦後,キング・レコートの繁栄も支えた鈴木實氏。享年91歳。妻との最後の頃の対話が記されている。
 「あなた,もしも生まれ変わったら何になりたいですか」,「そうだな,俺は鳥になりたいなあ。鷲のような大きな鳥になって,また自由に空を飛んでみたい」,
・・・
 「空を飛ぶなら飛行機はどうですか?」。
  重ねて聞くと,
 「飛行機か・・・零戦はじつにいい飛行機だったよ。零戦ならもう一度,操縦してみたいな」
 苦しそうな息づかいながら,すぐにでも操縦したいような口ぶりである。
 「でもいまはもうちょっとむりですねえ」
 隆子が言うと,鈴木は一瞬,顔色を変え,
 「できるさ!」
 と,ややムキになって答えた。
 「零戦の操縦桿を握ったら,俺は誰にも負けん」
・・・
 零戦乗りであった誇りと矜持が戦後生き残った時代の支えとなった世代が消えていく。
 軍人精神に鍛えられた世代の消滅は,この国のこれからにとってなにを意味するのであろうか。

posted by justice_justice at 08:13| ●教養ー読書 | 更新情報をチェックする

2018年01月27日

一歳児塩中毒死事件と略式起訴の当否〜その後のこと〜正式裁判へ

 ■食塩中毒死,正式裁判へ
「盛岡市の認可外保育施設で2015年8月,預かり保育中だった下坂(したさか)彩心(あこ)ちゃん(当時1)が食塩中毒で死亡した事件で,遺族の弁護士が25日,施設の吉田直子・元経営者(34)を業務上過失致死竿で略式起訴した盛岡区検の処分について,盛岡簡裁が『不相当】と判断したと明らかにした。正式な刑事裁判が開かれる見通しになった」
〜朝日新聞2018年1月26日(金)(朝刊)31面〜

 裁判官の良識が略式起訴不相当という判断を導いた。ほっとする記事である。裁判所が職権で不相当判断をした後は,この旨を検察官に通知し,以後,正式な公判が開かれる準備に入る。この記事,いくつかのことを考えさせられる。

 (1)検察庁は,略式起訴を,ほどよい事件解決のためによく利用する。日馬富士事件のときも略式起訴でお茶を濁した。今回も,故意犯で処罰できず,事を荒立てないためにか,罰金を払うことで被告側にも納得させて事件を終えようとした。だが,これでは,遺族だけではなく社会も納得しない。公判廷で,刑事裁判の範囲で限界はあるが,真相に迫るべきで,事件にふさわしい責任追及をするべきであろう
 (2)但し,正式裁判である以上,刑事裁判の鉄則の厳格な適用がある。「疑わしきは被告人の利益に」「合理的疑いを超える証明」の原則が働く。無罪もありえる。また,「刑事裁判」である以上,「被害者」も刑事裁判の一方の当事者たる法的な地位に立つ。その責任と覚悟を持ってほしい。子供を亡くした悲しみを法的な場で適切に表現する冷静さがほしい。
 (3)子供を守れない社会。どうしてこうなったのであろう。児童虐待,児童ポルノ,児童を被害者とする性犯罪などなど。少子高齢化社会の異常さは,年配者が増えるという物理的状態にとどまらない,様々な病理現象を伴っているのかもしれない。親に教師に,保育所の職員・・・子を守るべき立場の大人が子供を犠牲にする・・・この異様さがこの事件にも漂う。「どうしてこうなる?」を考えるためにも,公開で行われる公判手続での正式裁判に期待したい。

posted by justice_justice at 07:26| ■裁判員裁判ー一般 | 更新情報をチェックする